武本比登志の端布画布(はぎれキャンヴァス)

ポルトガルに住んで感じた事などを文章にしています。

205. 赤い鉄瓶と赤い珈琲挽き Chaleira de ferro vermelho e moedor de café vermelho

2023-06-01 | 独言(ひとりごと)

 赤い鉄瓶を買った。黒いのと二つ並んでいたが黒いのはひと回り小さく、同じ価格なので赤い方を買った。それでも600cc入りと小さい。鉄瓶というより急須程度のサイズだ。でも2人家族なのでこれで丁度良い。

 老人になるとカルシュームやビタミン、鉄分などいろいろと不足気味になる。鉄瓶でお湯を沸かせば少しは鉄分の補給になるのかも知れないと思い、鉄瓶を買った。

 実は以前にセトゥーバル郊外のアトランティックシティ内のインテリアショップで鉄瓶を見ていた。西洋梨をもっと押し潰した様な可愛い形で粉を拭いた緑青色をしていた。1種類だけだが幾つかの在庫があった。店員に値段を聞いてみると20ユーロだという。安いと思ったがその時は買わなかった。

 それから数年が経っているが、未だあるかも知れないと思いたち行ってみた。丹念に探したがその店に鉄瓶はなかった。仏像の頭部や造花の盆栽はあったが、鉄瓶はなかった。

 同じアトランティックシティ内にもう1軒インテリアショップがある。以前は『ボーラ』という名前だったが『フォーマ』と名前が代わっていた。『ボーラ』の時にはキッチンタイマーなど幾つかを買ったことがある。

 名前は『フォーマ』に代わっても店内はほとんど同じでインテリア用品、寝室用具、バスルーム用品、キッチン用品、それにガーデン用品などが迷路のような配置になっている。

 キッチン用品のコーナーでは丹念に目を凝らして探した。キッチン用品の棚の下段に小さい黒い鉄瓶を見つけた。執念で見つけたのだ。赤いのと2種類があった。同じデザインだが、赤い方が一回り大きい。鉄瓶はやはり黒がいい。黒がいいが、同じ値段ならと、かなり考えた挙句、ひと回り大きい赤いのを買った。以前に見ていた20ユーロより更に安い17,99ユーロだった。

 日本でも鉄瓶など滅多に見かけない。それに南部鉄瓶など結構な値段がする筈だ。

 ずっしりと重いのを、持って帰って見てみると日本製でもなく中国製でもなく何とフランス製だ。そういえばフランスを旅行中にショーウインドウで何度か鉄瓶をみた。てっきり日本の南部鉄瓶を輸入したのだと思っていたが、南部鉄瓶を真似たフランス製だったのかもしれない。

 さっそくお湯を沸かしてみた。沸騰させても取っ手も蓋の摘みも熱くならないので使い勝手が良い。なかなか良い買い物をしたものだと満足してぐっすり眠った。

 翌朝、再びお湯を沸かした。よく見てみるとほんの少し縦に亀裂が走っている様だ。外側に1センチ程だが内側には2センチ程が入っていた。これは取り替えてもらう必要がある。

 午後からアトランティックシティに出かけた。『フォーマ』に入り、レジのところで「昨日これを買いましたが、少し亀裂が入っている様なので取り替えて下さい。」と言ってみた。店員は愛想よくその鉄瓶がある場所まで道案内し「箱から出して別のを自由にお選びください」と言った。店内は迷路のように複雑に入り込んでいて、店員は近道を案内してくれたのだ。そして新しい同じ型の鉄瓶を選び持って帰った。

 お湯を沸かすのにも珈琲を淹れるのにも使うことにした。

 赤ではどうかな?と思ったが見れば見るほど気に入り始めている。

 大昔の話だ。1971年。ストックホルムで赤と白のツートンカラーのフォルクスワーゲンマイクロバスを買った。思いっきり古い中古車だった。住んでいた家の近くの路上に『売ります』の張り紙があるクルマであった。売主に電話を掛け中も見せてもらった。「運転してみなさい」というので、助手席に売主を乗せ少し走ってみた。売主はお世辞に「運転が巧いね」と言った。人の良さそうな売主は「私はイタリア人の血も入っているスウェーデン人だが、このクルマには愛着もある。日本車も素晴らしいが、このドイツ車は格別だよ。エンジンも載せ替えたばかりだしね。日本人に買ってもらえるのならこれ以上の幸せはないよ。」とも言った。

これは玩具のミニカーだが、こんな感じ。

 それ以上は深くは考えずに理想のクルマだと飛びついて買った。中にベッドと台所用品を吊り下げる棚を作った。カーテンも付けた。クルマが赤なので棚もカーテンも折り畳み椅子もテーブルも赤にコーディネイトした。

 実はそのクルマに寝泊まりしながらヨーロッパを南下し中東を経由しインドまで行くつもりであった。ソ連がアフガニスタンに侵攻する以前の話だ。イスタンブールでは「一緒にキャラバンを組んでインドまで行かないか」とイギリス人から誘われたこともあった。

 それがヨーロッパももっと見ておきたいという思いからストックホルムに舞い戻ったのだ。

 ストックホルムに住みながら夏休みや冬休みなど、それでヨーロッパ中を4年間で5万キロを走った。

 クルマを買って最初の旅の1972年の春であった。パリのオートキャンピング場に住み、アリアンスフランセーズに通い、毎日帰りには何処かここかの美術館見学をしていた。蚤の市にもよく行った。毎週日曜日に出るヴァンヴの蚤の市は好きな場所であった。そこで赤い珈琲挽きを見つけて買った。赤い車によく似あった。何処にでも駐車し、テーブルと椅子を出し、珈琲挽きでがりがりと珈琲豆を挽きキャンピングガスでお湯を沸かし珈琲を淹れ飲んだ。

 ストックホルムの自宅でも珈琲挽きは活躍した。

 ストックホルムからニューヨークに移住する時に大阪の実家に他の荷物と纏めて珈琲挽きも送った。6年後に実家に帰って見ると母はその珈琲挽きを上手に丁寧に使ってくれていた。

 今は宮崎の自宅にあり、今回の帰国時にも使った。日本で売られている珈琲は粗挽き過ぎてもう少し細かく挽いた方が好みに合う。

 既に50年以上も手元にある赤い珈琲挽きだが、今回、偶然に買った赤い鉄瓶と何だか一緒に使ってみたい気分にもなってきた。でも残念ながら置き場所は、日本の宮崎とポルトガルのセトゥーバルでは遠く離れすぎている。    武本比登志

 

 

『端布キャンバス』 エッセイもくじ へ

 

 

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 204. パリで道に迷っている... | トップ | 206. オートバイ motocicleta »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

独言(ひとりごと)」カテゴリの最新記事