武本比登志の端布画布(はぎれキャンヴァス)

ポルトガルに住んで感じた事などを文章にしています。

185. 風車小屋のある風景画を描く Pinte uma paisagem com uma cabana de moinho de vento

2021-06-01 | 独言(ひとりごと)

 油彩を描く。油彩は描きたいから描くのである。油彩を描くことは僕にとっては生活の一部なのだ。

 でも今までなら2年先、3年先の個展が決まっていた。そしてパリのサロンへの出品、それらの目標があった。

 それが今はない。

 

 1990年からポルトガルに住み始めて30年、その30年間は毎年2~3か月を日本に帰国し何処かここかで個展をやらせてもらってきた。ポルトガルに住み始めて2年間も帰国しないのは初めての経験なのだがコロナ禍では仕方がない。先日の5月26日、2度目のワクチン接種を終えたところであるが、未だ帰国の目途はたたない。

 発表の機会がないから描かない、とはならない。油彩は描きたいから描くのである。

 ブログに掲載をしている。それも発表の機会だ。画廊や美術館などとは異なるがそれもまた良い。

 

 油彩を描くには下準備が結構大変なのだが、楽しい作業でもある。

 先ず、キャンバスを切って木枠に張らなければならない。

 この3日間でサムホールばかり25枚を張った。この3日間は雨模様であった。張るのには湿度の高い日が好都合なのだ。あまりきつく張らなくても晴れればピーンと張れている。かと言って霧吹きで湿らして張っても旨くはいかない。

 

 長期天気予報を見ていついつ張ろうと覚悟を決め、その前にキャンバスを裁断しておく。

 雨模様の日に纏めて張るから、指を痛めてしまう。左手でキャンバス張り器を持ち、右手にスタップレスを持ち、針を打ち込む。何故かいつもその右手小指を痛めるのだ。右手小指にはあらかじめ指サックを嵌めている。そして様子をみながら作業を進めるのだが、降っている間に張ってしまおうとついつい欲張って痛めてしまう。気をつけていたのにも拘わらず2日目に痛めてしまった。右手小指の爪の脇が少し切れて血が滲んでいる。押さえると痛い。3日目にはメンソレを塗って指サックを嵌めた。それが旨くいったようだ。最初からメンソレを塗っておけば良かった。

 日本ではこんなことはない。木枠の材質が柔らかい。柾目の通った上質の杉が使われている。ポルトガルは松の木で堅い。すべて注文してから作る。手作りなので微妙に趣があったりするので文句は言えない。堅い木に張らなければならないのでスタップレスのバネも強い。日本人の僕の手はポルトガル人に比べれば華奢なのだろう。

 キャンバスが張り終わったら何を描こうかと考える。

 真っ白いキャンバスを眺める。そして見つめる。

 彫刻家が「大理石の原石を眺めていると、その中に像が見えてくる。」などと言うが、絵描きも全く同じだ。真っ白いキャンバスの中に絵が見えてくるのだ。でも薄ぼんやりとだ。薄ぼんやりが良い。はっきりと見えてしまっては描く気がしないだろう。

 今までに描いたスケッチのエスキースを探してみる。僕の場合は描きたいエスキースは山のように出てくる。

 

 何にもなくて頭の中だけで絵を描くことが出来る。という人が居る。セザンヌやゴーギャンなどはその先駆者だ。

 描きたい対象から離れて頭の中で創造する。よりオリジナリティが発揮できるのだろうと思う。それがやがて抽象絵画へと繋がる絵画革命ともなった。

 子供もそうだ。頭の中だけで絵が描けている。だからと言ってあまり考えている様子はない。クレヨンでクレパスでそして水彩絵の具で画用紙を塗りつぶしていく。子供は誰もが天才画家だと思う。ピカソやミロはそれを横取りしたのに過ぎない。

 そしてカンディンスキーなどを経て抽象絵画へと、現代美術へと、抽象表現主義、アクションペインティングにも繋がっている。『具体美術』には天井から吊るしたロープにぶら下がって足で描く白髪一雄さんも居られた。女体ヌードに青い顔料を塗ってキャンバス上に転写させるイヴ・クラインなども居た。水平に置いたキャンバスに絵の具を垂らすジャクソン・ポロックも然り、僕はそんな絵画も好きだ。

 油彩の抽象表現も良いが、僕は今、原点に立ち戻り、ポルトガルに住むキッカケともなったストックホルムはガムラスタン(旧市街)の骨董品画廊のショウウィンドウで見かけた、ポルトガルの牧歌的風景の様なものを描きたいなどと思っている。でもそれも遠い昔の記憶なので薄ぼんやりとしか覚えていない。

 

 僕は今までセトゥーバルの町並や田舎アレンテージョの町角風景、それにお城のある風景などを絵にしてきた。ポルトガルの過去も現代も音も匂いも陽射しも空気も一緒くたに画面に叩き付ける様に、そして独自の表現方法を模索してきたつもりだ。結果、抽象画に近くなってしまったと思う。でも僕の目指す油彩は未だ先にある。

 

 画家には描きたいものは一方向だとは限らない。僕の頭の隅っこにそんな抽象的表現ばかりではなく別の角度から牧歌的なポルトガルらしい風景、そんなものも描きたいという心理が働く。だからと言って写生では決してない。

 今までは案外とアレンテージョの牧場風景などは少ししか描いていない。クルマで走らせてもそんな風景は至る所にあるが、ほんの少ししかスケッチをしていない。

 スケッチなどをしなくてもむしろ創造でそんな風景が描ける人が羨ましくもある。

 子供に牧歌的風景は無理だろうと思う。いかにも老人臭いテーマだ。

 牧歌的風景などと言うと風車小屋などもその最たるものだ。

 風車小屋というテーマなら子供も喜んで想像で絵にするかもしれない。

 パルメラにもセトゥーバルにも風車小屋は今もたくさんが残されている。

 アトリエからも遠くにパルメラの風車小屋群が見える。

 昔からのグリーンエコエネルギーと言うことでもあり、最近は古い風車小屋も見直されつつある。

 風車小屋で搗いた小麦粉で作ったパンは粘りが強くて旨い。

 結婚したばかりのマリーナは愛するご主人に美味しいパンを食べてもらおうと、パルメラの風車小屋まで小麦粉を買いに行き、薪窯でパンを焼くそうで、それは贅沢なパンになることは間違いがない。

 我が家が建っているマンションの位置にもかつては風車小屋が並んでいた。そんな風車小屋を創造力を働かせて描いてみようかと思う。

 贅沢なアレンテージョのどっしり田舎パンの様な油彩になれば良いのだが…。

 さてパレットに油絵の具を絞り出すことから始めようか。

 

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コメント
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