武本比登志の端布画布(はぎれキャンヴァス)

ポルトガルに住んで感じた事などを文章にしています。

175. ペンギン Penguim

2020-08-01 | 独言(ひとりごと)

 今夜も蒸し暑くて、まるで日本の夏の様だ。でも日本の夏はエアコンなしでは居られないから、それ程でもないのかもしれない。もう日本の夏など実は忘れてしまっている。

 日本の夏と言えばかき氷なども懐かしい。ポルトガルにもアイスキャンデーの様なものはあるが、かき氷はない。

セトゥーバル半島最西端、スターチスの原種が咲く断崖。ペンギンは居ないが断崖の壁には恐竜の足跡がある。(2020年7月31日撮影)

 アイスキャンデーと言えば、子供の頃、親父がよく『北極のアイスキャンデー』を買ってきてくれたのを思い出す。

 『北極』は大阪で一番の繁華街、難波の戎橋筋にあったアイスキャンデー屋だが、今もあるらしい。それは近所の駄菓子屋で買うアイスキャンデーとは一味も二味も違った美味しさだった。そして『北極のアイスキャンデー』のマークはペンギンである。

 ペンギンは涼しさの象徴的な生き物なのだろうが、北極にペンギンは居ない。南極周辺が主な生息地で、ペンギンの北限は赤道直下のガラパゴスまでで北半球には居ない。

 都城のかき氷は『白熊』と言ったが、白熊なら北極に居る。白熊は北極熊とも言う。その名の通り南極には居ない。それは自然界の生息地の話で『動物園』には北半球だろうが南半球だろうが両方ともに居る。

 涼しい筈の北極圏諸島のスバルバル島では2020年7月26日現在、21,7℃という史上最高気温を記録した。南極でも2020年2月には観測史上最高となる20,75℃を観測したばかりで、確実に地球温暖化は進んでいる。極地の氷は融け、世界各地で洪水が起こりやすくなっている。

 極地ばかりではない。7月28日、イラクの首都バクダッドでは何と最高気温51,8℃を記録した。これは勿論、観測史上最高気温ということになる。

 人間は39℃で心臓発作のリスクが生じ、40℃で大脳に危険が及んで、41℃で生命は危機に見舞われる、とされている。バクダッドでの51,8℃は想像を絶する気温だが、7月15日以来46℃超えがもう半月も続いての51,8℃だ。

 我々が住むセトゥーバルでも毎夏2~3回は40℃に達する日がある。エヴォラとベジャでは今日も40℃だ。

 二酸化炭素の排出量により地球を温室効果ガスが覆い、温暖化が加速しているといわれているが、ポルトガルでは毎夏、山火事が多発し、砂漠化が進んでいる。それでもポルトガルの山には油脂分の多いユーカリや松が経済樹として多く植えられている。それで尚更山火事が起こりやすくなっている。ユーカリは成長が早くパルプの原料となる。パルプは日本にも輸出されている。

 毎年春に帰国し、展覧会を催すのだが、そのついでに何処かここか楽しみに計画を練る。温泉に行ったり、動物園に行ったり、水族館に行ったり。今年は数年ぶりにお伊勢にお参りに行き、温泉に宿泊し、鳥羽水族館にも行く計画を立てていた。それがCOVID-19で帰国はしないので、全て無しになってしまった。ポルトガルに来て30年になるが帰国をしない年は今年が初めてである。

 僕も動物園や水族館は好きな方だが、MUZは焼き魚も好きだが、水族館がことのほか好きなのである。宮崎には水族館がないのが残念なのだが、動物園は立派なのがあり、昨年の帰国時には出掛けた。

 その前の年は兵庫県の王子動物園の筋向いの美術館で『美術家連盟展』というのがあって、それに出品した。そのついでに王子動物園にも入場した。ジャイアント・パンダが居ることでも有名な動物園である。

 ペンギンのプールの側面がガラスで覆われていて、ペンギンの泳ぐ姿が真近で見られるのが良かったと思う。そのガラスの前で小さな男の子が「ねえ、お母さん。ここは動物園なのに、何故ペンギンが居るの。」と言ってお母さんを困らせていたのが印象的だが、ペンギンは正しくは鳥類だ。鳥は動物園に居るべきだろうと思う。でもペンギンは水族館にも居るし、動物園にも居て人気は高い。泳ぐ姿はまるでマグロだが魚類ではない。歩く姿はよちよちとして可愛らしい。王子動物園には大勢のペンギンが居た。

 宮崎のフェニックス自然動物園にもわずかながらペンギンが居て、丁度餌やりパフォーマンスを見た。係の人がバケツに魚を一杯入れてきてペリカンと続いてペンギンに餌やりをするのだが、観覧者に見せて楽しんでもらう趣向なのだ。その時は10人ばかりの人が楽しんでいた。係の人は餌をやりながらいろいろと説明をする。ペンギンは宮崎でも卵を産んで繁殖をするそうである。僕は「増えているのですか?」と尋ねてみたが、係の人の明確な答えはなかった。熱帯のペンギンだそうである。温かい宮崎でも飼育できることを強調したかったのだろうと思うが、あまり元気がある様には見えなかった。

 僕たちはかつてアルゼンチンを旅したことがある。というより南米の旅をした。一つの国に約1か月ずつをかけ、ブラジル、パラグアイ、アルゼンチン、チリ、ボリビア、ペルー、エクアドール、コロンビア、そしてホンジュラス、グアテマラ、ベリーズ、メキシコと1年ほどもかけて旅をした。中でもアルゼンチンは移動距離も長く多くの日数をかけた。

 以前に確か『LIFE』のグラビアに出ていたアルゼンチンのペンギンの大繁殖地のことが頭に残っていて、是非この目で見てみたいとかねてから思っていた。

 ブエノスアイレスの観光案内所で尋ねてみてもそれは判らなかった。「ペンギンは南極でしょう」などと言う。ブエノスアイレスから南下した。

 その間、イザベル・ペロン大統領失脚の軍事クーデターなどにも遭遇し、一時は生きた心地はしなかった事などもあったが何とか南下していった。

 アルゼンチンの中程まで南下したところで再びツーリスモで尋ねてみた。あったのである『ペンギンの世界最大の繁殖地』があったのである。

 そこからまる1日の日帰りツアーで10人乗りのジープをチャーターして行くことが出来るという話まで出来上がった。10人乗りと言っても運転手が1人であと9人が乗ることが出来る。それを2人で借り切るのはいかにも勿体ない。僕たちはその時に泊ったホテルでペンギンツアーの勧誘を行った。最初に話しかけたのが、イギリス人で体育の先生を休職して南米旅行をしていた青年。その彼がその話に乗って積極的に勧誘をしてくれた。僕たち2人の後を追うようにもう2人の日本人男性バックパッカー来る筈であったが、やはり翌日に到着した。それにアルゼンチン人の夫婦。それで7人が揃ったところでジープの申し込みをした。出発の朝、もう1組のアルゼンチン夫妻が参加することになり、それでちょうど9人が揃った。

 ジープは道なき道を行く。ところどころ牧場の柵などがあり、運転手は柵を開けては通過しそして閉めては再び進んで行く。途中アルマジロが疾走していたりもする。

 やがて海岸に到着。いるわいるわ。足の踏み場がない、とはこのことである。気を付けて歩かないとペンギンの巣を踏み潰してしまう。勿論ペンギンは抗議の声を上げる。恐らく何万羽、見渡す限りのペンギンである。10人の人類に対し何万羽のペンギンである。ペンギンは子育ての真っ最中であった。そして餌取りに海に出かけたり、また戻ってきたりと、1日観察していても飽きることはなかった。

 運転手の誘いで次の日も1日かけて『ゾウアザラシツアー』となり、前日の全員が参加した。

 ペンギンの大繁殖地を見てみたいという執念は感動に変わった。そしてツアーに誘った皆が感動し喜んでくれた。

 遠い昔、僕たちは未だ20歳代、1976年の話である。昔の話ではあるが、僕にとっての感動は今でも昨日の事の様に蘇る。

 ペンギンはマゼランペンギンである。

 大航海時代マゼランの船団はこの海で飢えに苦しんでいた。何でも口にしたそうであるが、そんな中でペンギンは食材として非常にありがたかった、と書き残している。

 その後、我々はマゼラン海峡を越え、フエゴ島にも行った。南極以外では最南端である。

 アルゼンチナ湖では天気も良くエメラルドブルーにきらきらと輝く氷河を眺めていた。突然、巨大な氷河の先端が湖に崩落したのである。それが津波となって襲ってきたのから急いで逃げたことなどもあった。若かったから逃げられたのであるが、まるで地球の縮図を見ている感があった。

 それからは南米の西側を北上し、チリ、ボリビア、ペルーと旅し、エクアドールまでやって来た。是非ともガラパゴスにも足を延ばしたいといろいろと方法を考えていた。軍にも掛け合った。出来ることなら船で行きたいとも思っていたが、結局ガラパゴスは観光ツアーに参加しなければ行くことが出来ないという話になったので断念した。

 エクアドールは名前の通り赤道直下の国である。赤道直下で泳ぐのも悪くはないと思って、エスメラルダ海岸と言うところで泳いだ。赤道直下の海水浴場である。赤道直下の筈だがこれが5分と浸かっていられない冷たさなのだ。寒流が流れているのだ。ガラパゴスにも同じ寒流が流れている。この冷たさなら赤道直下にペンギンが居てもおかしくはない。やはりペンギンは寒い地域の動物なのである。

 南国宮崎フェニックス動物園のペンギンも実はかき氷やアイスキャンデーが食べたいのだ。氷の浮かぶ海でこそ、本来の姿なのだ。ペンギンの為にも次の世代の人類の為にも地球温暖化は何としても避けなければならない課題だ。

 70歳を超え、何とか戦争には参加しないで済んだ人生で良かったと思うが、最終章で思いもよらない新型ウイルス禍。多くの同級生、親友などがCOVID-19のことなど知らない内に逝ってしまっている。COVID-19の為に週一の買い物以外は殆どを家で過ごすことを余儀なくされている。元々家に居て仕事をする生活だから何も変わらない筈なのだが、案外と何をする気にもならない。この際、人生を反芻するにはよい機会かな、などとも思っているが、若かりし頃に実にいろんなことをやってきた事が、本当に良かったのだと感じている。VIT

 

『フェルディナンド・マゼラン』(1480年 - 1521年4月27日)は、大航海時代のポルトガルの航海者、探検家である。1519年に始まる航海でスペインの艦隊を率いた。マゼラン自身は航海半ばの1521年にフィリピンのマクタン島で戦死したものの、部下のスペイン人フアン・セバスティアン・エルカーノが艦隊の指揮を引き継ぎ、1522年に史上初となる世界周航を達成した。マゼランは1480年ごろにポルトガル北部ミーニョ地方ポルト近郊ポンテ・ダ・バルカの下級貴族の生れである。1519年8月10日、セビリアを出港、1520年10月21日、後にマゼラン海峡と呼ばれる大西洋と太平洋を結ぶ海峡に到達、11月28日に海峡から太平洋へ抜けることに成功している。

<フェルディナンド・マゼラン – Wikipedia>

 

『マゼランペンギン』鳥類、ペンギン科、ケープペンギン属。

学名:Spheniscus magellanicus、

別名:マゼラニックペンギンジャッカスペンギン

体長約70cm、体重約3.8kgでペンギンの中では中型。繁殖地は主に南アメリカの大西洋岸および太平洋岸。保護区となっているアルゼンチンのプンタ・トンボ(en:Punta Tombo, 南緯45度)が有名で、繁殖期になると50万羽ものマゼランペンギンが集まってくる。また、フォークランド諸島でも繁殖する。 巣は森の中や草原、裸の土地などにもあり、巣が掘りやすいところではトンネルを掘る。 成鳥は5-8月の殖期以外の時期は、遠洋を移動しており、めったに上陸しない。9-10月に繁殖地に戻り、10月に卵を2つ産む。抱卵期間は39-42日間で、雌雄が交代で卵を抱く。孵化後29日間は、警護期で片方の親鳥が必ず巣におり、ヒナを守っている。その後、巣立ちまでには40-70日かかる。 場所に対する忠誠度が高く、特定の個体が何年間も同じ場所に巣をもうける場合が多い。つがいの絆は強く、長く続く。 (Wikipediaより)

 

 

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