武本比登志の端布画布(はぎれキャンヴァス)

ポルトガルに住んで感じた事などを文章にしています。

200. ホウレン草カレー caril de espinafre

2022-09-01 | 独言(ひとりごと)

 きょうもホウレン草のカレーだ。

 このところ毎日にようにホウレン草のカレーだがそれは良い。

武本比登志の油彩作品F50

 我が家ではもう随分以前からお昼はカレーと決めている。

 今でも朝食はパン食でお昼はカレー、夕食だけ考えればよい食生活だ。それを何十年も続けている。

 実は未だ学生だった頃。インドで暮らす計画を立てていた。

 インドで暮らすのだから身体をそれに慣らしておく必要があると考え、その頃からお昼はカレーと決めていた。

 2人で必死に渡航費用を貯めた。1ドルが360円の固定レートの時代である。外貨持ち出し制限などもあった。そして渡航費用は現在とは比較にならない程高額であった。

 1971年。新潟港から大荒れの日本海をジェルジンスキー丸という元KGB長官の名前を冠したソ連の小さな船で渡りナホトカ、列車でハバロフスク、モスクワを経由してプロペラ機でストックホルムに入った。ヨーロッパに行く一番安上がりなルートだった。

 40日かけてマルセイユに入る憧れのオランダ郵船はすでに廃船になっていた時代だ。

 ストックホルムからヨーロッパを3か月程かけ南下しながら見て歩き、中東からインドまで行き、『インドで1年程を暮らしてみる』というのが計画であった。

 ソ連がアフガニスタンに侵攻するより以前である。

 僕たちのおんぼろフォルクスワーゲンマイクロバスがイスタンブールに到着した時のことである。イギリス人から一緒にキャラバンを組んでインドまで行こう。と誘われたこともある。でもその時のマイクロバスはヨーロッパの旅行中にも何度もスタートモーターに支障をきたし、あまりにもポンコツ過ぎてインドまでは無理であっただろう。ストックホルムに舞い戻って仕切り直しの必要があった。

 それがストックホルムでの生活は4年余りにも長引き、その後、ニューヨークに1年住み、南米を1年かけて旅し、結局はインドには行かずじまいで一旦は日本に帰国した。

 宮崎で飲食店を引き継ぎ、13年間を過ごした。飲食店はカレー専門店にし、BGMにラビ・シャンカールなどをかけインドへの夢を繋いだ。

 その後、ポルトガルに住みたいと思い、何度か1か月ずつポルトガルの旅をした。1度は福岡空港発の便で便利だと思ってあまり考えずに航空券を買った。先ずは香港経由と言うことまでは知っていたが、迂闊にもムンバイに着くまで南回りだと知らなかったのだ。香港、ムンバイ、ドバイ経由でチューリッヒに到着。それからリスボンに向かった。冬だったので冬の格好で出かけたものだからムンバイでは暑すぎてトランジットの空港でたまらずTシャツを買った。ムンバイ空港内がインドに行った唯一になった。

 そして1990年からポルトガルに暮らして32年が過ぎた。

 お昼はカレーと決めているが、カレーのバリエーションは幾つかあって飽きることはない。

 ベジタブルカレー、シーフードカレー、エッグカレー、米ナスカレー、キノコカレー、カレードリア、カレーオムライス、それにガーリックカレー、ジンジャーカレーなどだ。尤もベーシックのカレーにもたっぷりのガーリックやジンジャーは入れているが、食べる時に更に追加するのだ。

 なかでもガーリックカレーは絶品だ。

 ニューヨークに住んでいる時に日本人の友人が「南米ではコメのことをアロースと言っても通じないよ、アホと言うのだよ。日本人だから長く旅行しているとどうしても米が食べたくなる。米の入ったスープを注文する時にはソッパ・デ・アホだよ」と間違って教えてくれた。僕はメキシコで友人が教えてくれた通り「ソッパ・デ・アホ」と言って注文した。カウンター式の小さな食堂であったが、店じゅうにニンニクを焼く芳ばしい香りが充満し、やがて米入りスープではなくガーリック・スープがカウンターに置かれた。その旨かったことは親父さんの自慢げな顔と共に今でも忘れられない。米は食べられなかったが、それ以上に満足のいく逸品であった。

 そして僕はそれをカレーに応用した。ガーリックをスライスし、たっぷりのバターで香り立つまで炒めそれにカレーを加えるのだ。カレー専門店をした時にはガーリックカレーは一番人気になった。

 カレーを常食していると風邪を引かない。食欲のない時でもカレーなら喉を通る。

 でも最近になって夜にテレビの映画を観ている時、どちらかと言えば観なくても良い様なくだらない映画の時など足がだるく感じることがある。検索してみるとどうやら鉄分不足の様だ。鉄分と言えばホウレン草だ。

 これはカレーにホウレン草を入れるしかない。ホウレン草とカレー。相性はすこぶる良い。ホウレン草カレーはインドでは定番だそうだ。

 近頃は冷凍技術が進みスーパーの冷凍食品の棚に冷凍野菜がいろいろと並んでいて、ホウレン草なども1年中ある。そして使いやすい。1キロ入りの冷凍ホウレン草の袋の中には小さくキューブ状に小分けされたホウレン草がたくさん入っていてそのまま要るだけの量で使えて便利だ。

 僕は子供の頃、ホウレン草も好きな子供であった。母がホウレン草を茹でた時など必ず縁側にすり鉢を持ち出しゴマを切りゴマ醤油を作るのだが僕もよく手伝った。そして僕の大好物であった。

 そういえば小学校の卒業アルバムに家庭科料理実習授業のスナップ写真があり、僕がホウレン草を鍋から引き揚げ纏めている場面が載っている。撮られた時は気付かなかったが出来上がったアルバムを見て母は大笑いしていたのを思い出す。。

 ホウレン草といえばポパイだ。子供の頃にはテレビでポパイをよく観ていた。ポパイは缶詰のホウレン草だ。

 僕はポパイの様に缶詰のホウレン草を食べてみたいと子供ごころに思っていたが恐らく日本には売られていなかったのだと思う。ニューヨークに居た時にも見たことはない。ポルトガルでも見たことはない。冷凍食品が普及し缶詰のホウレン草は需要がなくなっているのかもしれない。

 ポパイと言えば8月11日はロビン・ウイリアムズの命日であったらしく、あるチャンネルでは1日中ロビン・ウイリアムズの映画をやっていた。我が家でもその夜はロビン・ウイリアムズの映画3本を観た。今までも何度も観た映画ばかりだったが、改めて良い俳優だったと思う。その夜には『ポパイ』は観なかったが、『ポパイ』がロビン・ウイリアムズの映画デビュー作らしい。でも『ポパイ』は実写映画よりもやはりアニメの方が僕は良かった様に思う。

 大男ブルートにやられかけたところでポパイは缶詰のホウレン草を口に流し込む。たちまち力がみなぎりブルートをやっつけてしまい、オリーブの祝福を受けめでたしとなる。

 我が家でのサップグリーンのホウレン草カレー。色も味も食感もなかなか気に入っている。そして元気が漲る気がする。VIT

茸ミックスとホウレン草のガーリックカレーライスとコラサォン・キャベツとニンジンのピクルス

 

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コメント
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