武本比登志の端布画布(はぎれキャンヴァス)

ポルトガルに住んで感じた事などを文章にしています。

194. 本日は2739と194也。 Hoje é 2739 e 194.

2022-03-01 | 独言(ひとりごと)

 毎月1回掲載、月初めのエッセイが194にもなった。

 1年間は12か月だが、毎年帰国する間はお休みをするので、年間に9つ程。なので194は自分では驚く数字、驚く年月である。

 そもそもはポルトガルに住み始めた1990年当初、日本の友人知人たちへ挨拶文を書くのだが、だいたい書くことはほぼ同じ文面になってしまう。それでA4の紙に手書きをしてそれをコピーし『ポルトガルのえんとつ』という情報紙にして手紙代わりに郵送したものだ。返事を頂いたものに対して又次の号を郵送した。MUZが中心になって文章を書き、僕も少しの文を書いた。

 何号続いたかは忘れたが、結構続いたのだと思う。そのMUZの文章が出版社の目にとまり『ポルトガルのえんとつ』と『ポルトガルのこうのとり』という2冊の本になった。何れも日本図書館協会の選定図書に選ばれた。

 元々はポルトガルに移住する前、宮崎の山あいで飲食店をしていたのだが、その後半ごろに『山あいVOICE』というタイトルで情報紙を作っていた。毎月催す『ジャズマニア集中講座』と民芸陶器や絵画などの展覧会のお知らせ、それに購入ジャズレコードの紹介、そしてあいさつ程度のエッセイ。それをB4の紙両面びっしりと手書きをして、200枚程をコピーし店に置いていたものだ。山あいVOICEのVOICEはニューヨークの文化情報新聞『VILLAGE VOICE』をもじったものでVOICEのロゴ文字も同様にした。その『山あいVOICE』は朝日新聞地方版でも紹介された。

 ポルトガルに移住して暫く経った頃、パソコンに入る前にワープロを購入した。手書きの文字はワープロ文字になった。

 ポルトガルに住み始めて10年程経った時、当時僕たちより長くポルトガルにお住いだった日本人女性から「武本さんたちもパソコン始めなさいよ。」と勧められたのがきっかけだったのだが、丁度2000年のミレニアムという時代でパソコンの『ウインドウズME』を日本で購入しポルトガルに持ってきた。僕たちにとっては最初のパソコンである。パソコンはいかにも難しそうであったが、日本での僕の個展期間中にMUZが1週間パソコン教室に通った。

 元々機械音痴、アナログ人間、携帯電話も使ったことがない(いや、だいたい電話が苦手なのだ)僕はパソコンに触るのも怖くてMUZがパソコンを操るのを後ろから見ていたのだ。

 でもほぼすぐに慣れて、1年後には『ホームページビルダー』のソフトを日本から購入してきホームページの立ち上げに成功していた。『YAHOOジオシティーズ』にMUZと僕と別々にホームページを掲載することが出来た。毎月月初めエッセイは今と同じである。紙のプリントと違うのは写真やアニメーションを作って載せられること。遊び半分で簡単なアニメーションも毎月作った。

 その『YAHOOジオシティーズ』が突然閉鎖になってしまった。

 でもその前から、別の『gooブログ』にMUZは『ポルトガルの野の花』と僕は『ポルトガル淡彩スケッチ』をほぼ毎日1景を掲載し始めていた。その『ポルトガル淡彩スケッチ』が2022年3月1日現在『2739景』となった。MUZの『ポルトガルの野の花』も更新に更新を重ねて数えきれない。

 ヨーロッパはどこでも絵になる。などと良く言われるが、いざ歩いてみると、それ程でもなく絵に出来るところは限られていると言うのが実感だ。同じ場所は何度も描いてはいるが2739景に同じ絵は1枚もない。0号サイズ程(17x12cm)の小さな画面に簡単な線描き淡彩だけれども2739景は我ながらよく描いたものだと思う。『淡彩スケッチ』は高島屋での個展にも油彩と一緒に展示したこともあるし、大阪西天満の『マサゴ画廊』と大阪長居の『ギャラリーキットハウス』で『淡彩スケッチ』だけの個展も併せて3度して頂いた。

 元々は長年に亘って油彩を描くために鉛筆だけでラフスケッチした膨大にあるエスキースであるがブログ用に小さな画面に描き直し淡彩を施したものである。どこまで続けられるかは判らないが、せいぜい描いてみようと思っている。

 そして『YAHOOジオシティーズ』の閉鎖に伴い、ホームページのエッセイ部分は僕のとMUZのエッセイ『ポルトガルのえんとつ』も共に『gooブログ』に移転したのだ。その僕のエッセイ『端布キャンバス』の部分だけで194だ。

 暫くはブログも2人分を併せて情報紙版にレイアウトし直しプリントし郵送もしていたのだが、プリントしての郵送はだいぶ以前から止めている。プリンターはなかなか言うことを聞いてくれない。セトゥーバルの郵便局は順番を並ばなければならないし結構大変なのだ。日本からも手紙はほとんど来なくなっている。もう郵便の時代ではないのかもしれない。

 でもパソコンの文章などなかなか読んではくれないのだと思う。

 友人知人に宛ての挨拶文、という感覚からは外れて自分自身の記録という意味合いに傾いてしまっているように思う。

 パソコンはウインドウズMEから数えて4台目だが、実はMEも未だに使っている。MEには写真ソフト『オリンパス蔵衛門』というのを入れているのだが、それを使っているのだ。『蔵衛門』はウインドウズ10には入れることが出来ない。他のソフトで同じピクセルに縮小しても『蔵衛門』の方が画素数は小さくなってブログに挿入しても負荷がかからない。と思っているからだ。

 エッセイは誰かに読んでもらおう。などとは最早思ってはいなくて惰性で書いている。でも自分で振り返って読んでみると、ああ、そうだった、そうだった、こんなことがあった。などと振り返り楽しんでいる。旅行記などは尚更だ。1回分のブログには入りきれないで前半、後半に分かれることもある。ぐだぐだと書いた旅日記でも自分自身では旅を反芻出来て楽しかった思い出がよみがえる。

 誰に読んでもらおうなどとは思って書いていなくてもアクセス数の多さには驚かされる。

 エッセイのブログにはアクセス数のカウントは入れていないのだがそれでも毎週お知らせが来る。そして『ポルトガルの野の花』と『ポルトガル淡彩スケッチ』ブログのアクセス数の多さに驚いている。

 長い文章はなかなか読んでもらえないから短くまとめている。などというブログもある。でも僕はむしろ出来るだけぐだぐだと長い文章を書きたいとも思っている。自分で書きたいから書いているのだ。自分で読みたいから書いているのだ。読んで頂く方には申し訳ないが、他人に読んでもらうことを想定していない。

 その姿勢は文章も絵も変わらない。絵も全く同じだ。他人に見てもらおう。とかは考えないで絵は描いているのだ。

 絵はどこかにはありそうでいて、実は今までに誰も描かなかった、隙間の様な、自分でしか描くことができない絵を模索し続けている。かと言って革新的な斬新な絵でもない。重箱の隅を突っつく様な感覚の絵だ。

 でもブログのアクセス数の多さを考えるとやはり励みになるし頑張ろう…?などと思う。

 

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