武本比登志の端布画布(はぎれキャンヴァス)

ポルトガルに住んで感じた事などを文章にしています。

172. 外出禁止令 Fique Em Casa

2020-04-01 | 独言(ひとりごと)

 こんな経験は初めてのことだ。

 帰国予定は2月29日であったが、熟慮した結果その10日前の2月18日に航空券のキャンセルをした。

 その頃は中国武漢で広がっていた新型コロナウイルスは横浜港に停泊の豪華客船『ダイヤモンド・プリンセス号』の乗客への対処などポルトガルのニュースでも連日取り上げられていた。

 その頃はまさかヨーロッパがこんな状態にまでなるとは予想はしていなかった。キャンセルをしたのはもし日本に帰っても今度はポルトガルに戻って来られなくなる恐れを感じたからだ。

 この際、いつもは居ない時期のポルトガルの野の花の観察をするのも楽しみであった。

 その後、あれよと言う間に、中国からイタリアにシフトしてきたのだ。そしてお隣のスペインでも爆発的な勢いだ。

 3月31日現在、新型コロナウイルスによる世界での死亡は3万8714人、感染は80万0049人、回復は17万0325人。イタリアの死者は1万1591人、感染は10万1739人。スペインは8189人の死者、9万4417人が感染。ポルトガルの死者は160人、感染は7443人。

 それを受けてポルトガルの厳戒態勢は3月初旬から始まっていた。

 小さな国境は封鎖。幹線の国境も物々しく規制されている。物流トラックなどの出入りは出来る様だが、一般車両は検問されている。

 そして『外出禁止令』である。

 不要不急の外出は禁止である。スケッチにも行かれないし、野の花観察にも行かれなくなってしまった。

 ベランダから見る限り人通りもクルマの往来も極めて少ない。

 と言っても一応の外出は出来る。スーパーでの日々の買い物。銀行、郵便局も開いている。犬の散歩も可能だ。

 先日、銀行に行ったが、行員はガラス越しの対応だ。用件を聞かれて1人だけ中に入って用件を済ませる仕組みである。行員は勿論、マスクにゴム手袋姿である。

 スーパーでは入場制限が行われ、スーパーの周りを長い行列が取り囲んでいる。長い行列と言っても2メートルの間隔を開けての行列であるから自ずから長くなるのは必至だ。店内に何人と決められているのだろう。1人が出てきたら1人が入り、2人が出てきたら2人が入られると言う仕組みで、入り口でガードマンがものものしく指示を出す。買い溜めをしている人も居ない様だし、商品もほぼ変わりなく揃っている。

 我が家ではその以前からコメの買い溜めはしているし、非常食としての乾麺やクラッカー、ビスケット、缶詰類などの買い置きはあるので一先ずは安心である。

 テレビのニュースは新型コロナウイルス一色である。

 なかには家での過ごし方情報などもある。子供との遊び方、家の段差を使ってのジャズダンスなどの運動の仕方、インターネットで離れた人同士でコーラスとか、ポルトガルの民謡で掛け合い漫才の様な歌を離れた人とやりあうとか。なかにはベランダでマラソンを完走した。などと言う情報もある。

 マラソンと言えば東京オリンピックは1年延期である。当然だろうと当初から思っていた。

 野の花観察にも行かれないが、ビーチなども禁止だ。ここから見えるトロイアのビーチにも人影はない。天気の良い土日など、普段なら大勢の日光浴の人で賑わっている筈である。ビーチを警察官が見回っているニュースもある。

 3月28日(Yahooニュース)ではニューヨーク、マイアミ、シドニー、東京…命令や勧告を無視してビーチや公園に群れ集う人々。と言った記事も出た。コロナウイルスが世界中で拡大し続ける中、影響を受けた国や都市では抜本的な対策として、公共の集まりを制限し、社会的な距離をとることを推奨している。自宅待機が勧告され、不必要な旅行は制限されているにもかかわらず、公園、ビーチ、人気のハイキング・コースに人が群がっているため、より厳しい規制が必要になるかもしれない。とある。

 ポルトガル人は案外と真面目で規則は守られている様に思うので、今のところその必要はなさそうである。

 我々は普段から引き籠り状態であるから家に居ることにあまり苦にはならない。

 元々家で絵を描いて過ごしている生活である。

 でも家でばかリ居なければならないと言うのも長引くと苦になって来るのだろう。

 先日、『400デイズ』という映画を観た。宇宙飛行士志望の女性一人を含む若者4人が宇宙に見立てた地下の外部と遮断された設備で400日を過ごすと言うもの。想定されているのか想定されていないのか様々なトラブルが発生する。やがて幻覚などを観るようになり、いざこざが起こる。

 人はなかなか密室の中だけでは生きられない。

 我が家では幸い陽の光も差し込むし、野鳥の歌声なども楽しませてくれる。

 海外で生活していると日本に居ては感じない様なことも経験する。

 僕たちが最初に海外に住んだのは1971年のストックホルムであった。日本でアルバイトをして貯めたお金をドルに替えて持ってきた。1ドルが固定相場制で360円での両替であった。それが連動相場制になり1年程の間にみるみる下がり1ドル200円にまでなっていた。僕たちは若かったしスウェーデンでアルバイトをし、スウェーデン・クローナを稼いだのであまり苦にはならなかった。

 スウェーデンからおんぼろVWマイクロバスでイスタンブールまで旅行した。イスタンブール滞在中にキプロスが怪しい。というニュースを耳にした。急ぎギリシャ国境に向かった。国境の手前の往きにも泊まったキャンピング場に着いた。ここまで来れば大丈夫と思った。夜中じゅう、トルコ側からギシギシギシギシという音と共に戦車が走ってくる。朝、国境を超える時には100台くらいもの戦車がカモフラージュして国境線に集結していた。

 国境は超えられたが銀行も両替所も閉鎖でギリシャ・ドラクマはないままだが、出来るだけ国境からは離れたかった。ガソリンは少なくなり、食事もドラクマがないために出来ない。

 一方ギリシャ人たちは僕たちには構ってはいられない。自分の国が隣のトルコとの戦争になるのだ。国境から内陸に入るに従って、今度はギリシャ軍の戦車の車列でその度に道を譲らなければならないのだ。

 町のパン屋は焼き立てのパンを戦車に投げ込み、いかにもみすぼらしい老人までもが煙草を1カートン買い求め、1箱ずつ戦車に投げ込んで「頑張って来いよ」という訳である。

 夜になりドラクマがないことを言わずにホテルに泊まった。ホテルはスウェーデン・クローナで受け取ってくれた。お釣りをドラクマで支払ってくれてようやく食事にありつくことが出来た。食事に出ようとクルマのライトを点けた。途端に何処からか大声で怒鳴られた。空襲を受けると言うのである。ライトを消し暗がりの中走った。僕たちも戦争とはこういうものなのかと少しは感じることが出来たのだと思う。幸いその当時のキプロス紛争は1日で終わったが、紛争自体は今も燻っていて、何時再燃するとも限らない。

 同じ様な経験はアルゼンチンでもあった。1976年3月24日、イザベル・ペロンが失脚した時である。世界初の女性大統領である。アルゼンチンで人気の高かったエヴィータ(エヴァ・ペロン)の再来かと期待されたが経済政策に失敗し、僅か2年足らずで軍事クーデターにより失脚した。

 その時、我々はブエノスアイレスから南に下る夜行バスに乗っていた。突然バスが止められ乗客は全員下ろされバスに手をついてホールドアップさせられた。僕はゲリラか山賊だと思った。軍人は軍服の上に寒いものだから毛布を被っていて、皆が自動小銃を持っていた。殺されるかもしれないと思った。目的の町に着くまでに3度も同じような検問を受けた。隣にいたアルゼンチン人がこれは軍だから大丈夫だと言ってくれて少しは安心した。

 更に南下した。ペンギンの大繁殖地がある筈だとの情報があった。チャーターするジープは9人乗りだったので僕たち以外に7人を集めなければならなかった。ホテルの宿泊客を勧誘した。ペンギンの大繁殖地には僕たちも感動したが、誘った全員が喜んでくれた。

 その中の一人に教師を休職しイギリスから来た体育の先生がいた。その彼と暫く一緒に行動をして、イギリスからの移民のお宅などにも伺ってイギリス風のお茶とお菓子をご馳走になったことがある。その彼がその後、イギリス領のフォークランドに行くと言っていて別れた。フォークランドも初めて聞く名前でこんなところにイギリス領があるのかと思った。その10年後、フォークランド紛争が勃発した。鉄の女サッチャー首相が有無も言わせず大量の軍を投入した。

 今も世界では領土問題が数多くある。

 密室に閉じ籠っているとどうも悪い方に悪い方に考えがちになる。

 新型コロナウイルス以来ヨーロッパではDV家庭内暴力事件が増えているそうである。

 この新型コロナウイルスが端を発して、世界大恐慌が起こらないとも限らない。

 大恐慌になれば預金などは紙くず同然になるかも知れない。先日のヴェネズエラの様な事が世界で起こらないとも限らない。物価は100倍に跳ね上がる。1リッターの牛乳が50ユーロ。1キロのコメが100ユーロになってしまうのだ。たちまち預金は底をつく。

 家はあるからホームレスになることはないが、電気、水道、ガスなどが払えないからストップされてしまうだろう。いや、固定資産税も払えないから追い出されるかもしれない。

 大恐慌になれば、アメリカと中国との経済戦争が軍事衝突にもなりかねない。そしてイスラム圏諸国やロシアを巻き込んで第3次世界大戦に発展する可能性も懸念される。

 世界大戦ともなれば戦闘機か軍用機以外の旅客機は飛ばない。日本へは帰ることが出来なくなる。

 実は先月の3月28日(土)は『武本比登志ポルトガル淡彩スケッチ展』の展示日であった。

 そして2020年3月30日(月)からその展覧会は始まっていて、きょうは3日目。まさに今行われている僕の個展で4月4日(土)までである。

 個展は画廊の方々のお世話で何とか始まっている。

 僕の居ない僕の個展はこれまでにも3度ほどあった。画廊主催での個展である。

 大阪心斎橋のそごうでもあったし、梅田大丸画廊でもあった。鳥取のホテルでも催して頂いたこともある。何れも僕はポルトガルに居て観ていない。その時の案内状だけは今も僕の手元にある。

 是非、僕の代わりに見に行ってください。お願いします。マスクをしっかりとして。VIT

 

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