武本比登志の端布画布(はぎれキャンヴァス)

ポルトガルに住んで感じた事などを文章にしています。

178. 税務署からの督促状 Um lembrete dos serviços fiscais

2020-11-01 | 独言(ひとりごと)

 税務署から督促状が来た。クルマの税金を払っていなかったのだ。

 例年なら日本からポルトガルに戻ってすぐに支払いに行く。今年はコロナ禍で帰国はしなかった。ずっとセトゥーバルに居たのだが、税務署も開いているのやら、閉まっているのやら判らなかったし、第一その頃は外出禁止令であった。督促状が来たのだから行かなくてはならない。税務署は開いているという証拠でもある。

いつでも空きがある水道橋横路上駐車は無料

 水道橋の横にクルマを停め、5~6分も歩けば『10月5日通り』の税務署に着く。いつも使う出入口は閉ざされて張り紙がしてあった。正面入り口だけが開いている様で、そちらに行ってみた。入り口の外で間隔を開けて5人が行列を作っていた。その後ろに間隔を開けて並んだ。スーパーと同じ1人が出てきたら1人が入られるという仕組みなのだろうと思って並んだ。

 暫くして税務署員らしき女子事務員が出て来て書類を見ながら名前を呼びあげた。僕の名前がある筈もなく、僕はすぐさま近寄って「税金の支払いをしたいのです」と言って督促状を見せた。税務署員は「きょうは予約の人だけしか中には入れません」と言った。前に並んでいた親父さんが「ムルチバンコ(ATM)では駄目なのか」と税務署員に聞いてくれた。「ムルチバンコでは支払いは出来ません。」「でも港の税務署支所なら予約なしで支払いはできますよ」と言った。

 一旦、クルマまで戻り、クルマをメルカドの裏手に移動させた。メルカドを通り抜けてルイサ・トディ大通りを散歩がてら歩くつもりであった。メルカドもいつもの入口は閉まっていた。正面入り口だけが開いて、入るのと出るのは違う入り口を使っていた。ガードマンが厳しく見張っていてマスクをしていない人は注意される。メルカドは空いていた。いつもの4分の1しか店が開いていない。よく買っていた老夫婦の店も出店していなかった。ぐるりとひと通り廻ってみたが金目鯛はなかった。時期が違うのだろう。

 このセトゥーバルのメルカド(公設市場)は数年前、ニューヨークで発行のある雑誌で『世界一魅力のあるメルカド』に選ばれたことがあるが、なる程、客観的に見てそうかもしれないな。とは思っていた。但し、今日の状態では魅力は全くない。

 メルカド正面の出口専用出口から出た。そこにもガードマンが立っていた。

 メルカド外側に面したカフェのガラス窓に『ヴィットリア・セトゥーバルのマスクあります』の張り紙があった。ヴィットリアのロゴ入り応援寄付金付きのマスクなのだろう。でもヴィットリア・セトゥーバルは先日2部リーグに落ちてしまったところだ。今年は本当に負けてばかりで勝った試合を見たことがない。以前から応援グッズを何か買いたいとは思っていたが、きょうは先ずは税金の支払いだ。

 東西に長いルイサ・トディ大通りの丁度中間あたりにメルカドがあり、港の税務署に行くには東に向かって半分を歩くことになる。

 税務署支所に着いたが、閉まっていた。ドアも閉まっている様だが、そこまで行くまでの鉄柵フェンスの入り口にも太い鎖と頑丈な南京錠が掛けられていた。散歩がてらとはいえ折角遠いところまで歩いて来たのにと思った。諦めきれずに暫くは港などを眺めていた。

 太った女性がやって来て「閉まっているのかい」と僕に尋ねてきた。「いや、分からない。」と答えた。女性は携帯で何処かに電話をし始めた。暫くすると中から税務署員らしき女性が現れてその太った女性とフェンス越しに話し始めた。太った女性は税務署に電話を掛けて呼び出したのだ。税務署支所はやっていたのだ。よく見ると入り口の横にインターフォンもあり、それで用件を話せる仕組みなのだ。太った女性の会話は結構長く続いた。複雑な話の様である。

 ようやくその話が終わったところで、僕はすぐさま税務署員に督促状を見せながら「税金を払いたいのです」と言った。「判りました」と言って建物の中に入ってしまった。やがて大きな鍵の束を携えて来て南京錠を空けてくれた。「一人しか入れません」と言った。僕だけが中に入ると、税務署員は再び南京錠を掛けた。厳重すぎる。厳重すぎてまるで刑務所にでも入る受刑者の気分だ。建物の鍵も開けてくれて中に入った。

 「そちらにどうぞ」という方向を見ると順番札を取るボードがある。それを取ろうとすると「いや、それは必要ありません。直接、支払窓口で支払ってください」と言われた。その先に支払窓口があり、女性が手招きしていた。督促状を見せると何も言わないでも何も見せないでも支払いは直ぐに終わり印紙の貼られた書類をくれた。金額は昨年とほとんど同じで追徴課税はなかった。

 先程の税務署員が出入口のところにそのまま居たので「終わりました」と言ったら鍵を開けてくれて、外のフェンスの南京錠も開けてくれて「あなたにとって良い一日でありますように」と言いながら送り出してくれた。日本語に訳すと大層な言葉だがポルトガルでは普通の挨拶だ。

 税務署支所の裏手にはバス停があるが、先程の太った女性はそのベンチに座って何やら深刻な面持ちで携帯に話しかけていた。

 その辺りにも美味しいレストランが並んでいて、久しぶりに外食もいいな、と思ったが昼食には未だ少し早い。

 セトゥーバルで最初に住み始めたのはこの界隈だ。何度も僕の絵になったポスティーゴ・デ・カイス(船着き場への潜り門)は工事中であった。その先も工事中であったので細い路地を抜けて懐かしいアロンチェス・ジュンクエイロ通りに入った。古い商店街であったのだが、その当時お世話になった電気屋も、店先でいつもとんとんと手を動かしていた靴修理屋も、肉屋も、流行っていて出入りの絶えることがなかったお菓子屋でさえなくなっていた。

 その先にはセトゥーバルで1番の商店街があり、以前には有名ブティックなどが勢ぞろいしていたのだが、その全てが郊外のショッピングモールに移転して空き家になっていた。市役所の裏手にあった老舗のカフェまでもが『タトゥー』の店に代っていた。

 元々寂れる一方であった下町の商店街は、一旦は観光景気でカフェやレストランにとって代わろうとしていた矢先のコロナ禍で見る影もない。

 メルカドの裏手にある食堂で『鯵の唐揚げとトマトライス』が本日の定食となっていてそれでもいいな。と思ったが表の陽当たりの良くないテラス席しか空き席がなく寒そうだったので止めた。

 一旦クルマまで戻り、すこし走らせ元木造造船所の前にクルマを停め、石段を上り、アラビダ山の登り口にあるレストランに入った。店の前の駐車スペースはすぐに満杯になってしまうが、石段の下には多くの駐車スペースがあり、この店は穴場である。ウエイターも炭火焼き調理も元漁師といった男ばかりでやっている店で、魚でも肉でもどれをとっても旨い。久しぶりに肉もいいなとは思ったが、冷蔵ケースをみて大鯵と黒太刀魚の炭火焼きにした。本当に久しぶりの外食だ。

 満腹になった後、晴れて税金を払い終えたクルマでアラビダ山のドライブウエーを一周した。頂上にクルマを停め、カイトが優雅に飛ぶ空とトロイアの海岸線を見晴らせる海を眺めながら、野の花を観察した。ラン科のスピランテス・スピラリス(ヨーロッパネジバナ)の20株ほどが咲いていたのと、アレクリン(ローズマリー)が早くも咲き始めていた。そのアラビダ山ドライブウエーもCOVID-19第2波緊急事態宣言で10月30日から70日間は外出禁止令が出され通行することが出来なくなっている。VIT

ヨーロッパネジバナとアラビダドライブウエーとトロイアの海岸線(2020年10月22日撮影)

 

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