武本比登志の端布画布(はぎれキャンヴァス)

ポルトガルに住んで感じた事などを文章にしています。

195. 狂気の風景画家 Pintor de paisagens louco.

2022-04-01 | 独言(ひとりごと)

 『人物の入った風景画程つまらないものはない』とは司馬遼太郎さんの言葉である。どこかのエッセイで読んだ記憶があるのだが、どこだったかは定かではない。

 実は僕もかねがねそう思っていたし、ポルトガル風景スケッチに人物を入れたことはない。

 でも僕が最も尊敬しているゴッホにも佐伯祐三にも風景画に人物が描かれているものもある。佐伯祐三の風景画の人物は無くても良かったと思うが、ゴッホの風景画の中の人物はそれが物語だ。もはやそれは風景画では括れない絵だと思う。

 それはミレーの絵と同じように農夫の作業の様子だったり、祈りの絵であったりは確かに風景の中に溶け込んではいるが風景画では括れない。

 何故、風景画の中に人物が描かれているとつまらないかを司馬遼太郎さんは書かれている。

 『風景に人物があると物語が出来上がってしまって、もはや風景画ではなくなってしまう。

 風景画は風景画を見ている人が自由に眺めたり、もし道があればそこを歩き回ってみたり、夢の世界に誘ってくれる、見ている人が物語を語ることができる風景画でなくてはならない。』と言った意味を書かれていたように思う。

 人物が入っていたら既に物語が出来上がってしまい、その風景に入り込めないのだ。魅力が半減してしまうというのだ。

 風景画の中の人物はともすれば写真から切り取った様な静止画になってしまう。それは折角の風景の邪魔になってしまうようにも思う。

 風景画といわれるものを最初に描いた画家はヤーコプ・ファン・ロイスダール(1628年頃=1682)だと言われている。17世紀のオランダの画家だ。17世紀はレンブラント(1606-1669)やフェルメール(1632-1675)が活躍した時代でオランダ絵画の黄金時代であった。

 それまでの絵画はイタリア、ルネッサンス期の絵画、例えばダ・ヴィンチ(1452-1519)の『モナリザ』の様に聖人を描くのが絵画であったのだ。でもモナリザの背景には緻密に風景が描かれている。更に遡って15世紀のオランダのロヒール・ファン・デル・ウェイデン(1400-1464)の聖人像の背景にも緻密な風景が描かれている。聖人像と風景は一体となって描かれていたのだ。

 それが17世紀頃からヤーコプ・ファン・ロイスダールなどが風景を独立させて描き始めた。その後の19世紀イギリスの画家ターナー(1775-1851)なども風景画家といえるのかもしれない。コロー(1796-1875)も多くの風景画を描いている。それに続くバルビゾン派などは尚更だ。画家たちは競って戸外で絵を描いた。刻々と変わる光をとらえようとした。そしてそれは印象派へと繋がっている。

 でもバルビゾン派の風景画にはよく人物が描かれている。戸外でダンスに興じている姿や、ピクニックを楽しむ恋人たちだ。それらは風景の中に溶け込むように小さく描かれているものが多いが、もはや風景画ではない様にも思う。物語が出来上がっているのだ。そのスタイルは印象派にも繋がっている様にも思う。

 印象派以降、フォービズムの時代の風景画が僕は好きだ。例えばヴラマンク(1876-1958)。そのスタイルはヴラマンクを通して佐伯祐三(1898-1928)にも受け継がれている。

 僕は絵を描きはじめの頃、天王寺美術館半地下にあった、デッサン研究所に通っていた。通っていたと言っても、行っても行かなくても良い様な場所で、アトリエにイーゼルはたくさん立てかけられていて、描きかけのデッサンも多くあったが、一日を通して描いているのは僕一人だけという日もあった。そこの研究生は天王寺美術館の入場はフリーパスで、デッサンに飽きると美術館内が散歩コースで、たびたび架け替えられる常設展を観て歩くのが楽しみであった。

 そんな中に佐伯祐三の風景画があった。架け替えられ、常に10点ばかりが常設されていた。それ以前から佐伯祐三は僕の最も好きな画家の一人であったので、美術館のフリーパスは有り難かった。

 美術評論家の朝日晃さんの佐伯祐三に関する文章に興味深い一節を見つけた。

 ―『村と丘』の稜線は、『扉』の歩道上の擦り減った部分の表現、墨書の筆致に共通している。実景は何度見てもほぼ水平、佐伯の画の様に稜線が波打ってはいない。モラン河越しのなだらかな丘、佐伯が絵筆を握りしめているあいだ風-で飛んできたものか、一本の折れ釘のような小さな草の枝が中景の屋根に塗りこめられて、稜線の曲線と呼応する。同質の線が、佐伯の足元からゆるい下り勾配になる麦畑の畝、左右に一本、三本と走る。見おろす空間は拡がり、風のリズム—が描出されている。(中略)三十か所ちかいパリと、イル・ド・フランスの佐伯祐三の写生地、に立つとき、私はいつも佐伯の描いた同じ季節を選ぶ。彼の足跡はぬかるみ、氷が張り、重い雲のたれこめた曇り日、みぞれが降り始め、雲が切れても決して陽光は長続きはしない。しかし、靴底から佐伯祐三の視線と体温までがじわじわと伝わってくることだけは確かだ。(『佐伯祐三のパリ』朝日晃より)

 実は僕も佐伯祐三が描いた場所には殆ど立っているし、住んだ場所も確認はしている。僕はサロン・ドートンヌに出品するためパリを訪れ、その合間を利用しての佐伯祐三の足跡を訪ねる旅をしたので、季節もほぼ一致している。『佐伯祐三の足跡を訪ねて

 今では僕は好きな画家は大勢居て、数えきれないがその絵を描きはじめの頃は佐伯祐三とルオーが最も好きであったと思う。そういえばルオーの風景画にも必ず人物が入っている。でもそれももはや風景画とは言えない。ルオーの場合はやはり宗教画なのだろう。

 ルオーと同様フォービズムで好きな画家にスーチン(1893-1943)が居る。教科書などにはスーチンは静物画が良く掲載されているが、南仏セレの美術館でスーチンの風景画40点ほどをまとめて観ることができた。この時の感動は今も忘れられない。スーチンは僕が最も好きな画家の一人だが、スーチンの風景画には必ずと言っていいほど人物が描かれている。これも無かっても良かった人物の様にも思うが、いや、必要だったのだろう。狂気の人物、狂気の風景ではないだろうか。思いっきり歪んでいるのだ。もはや風景画では括ることが出来ない素晴らしい画面だ。スーチン自身の内面が全て画面に叩き込まれていると言った感じだ。

 佐伯祐三とスーチンを同一視は出来ないが、どちらも最も好きな画家である。そして図らずも思いっきり歪んでいるのだ。僕などが歪んだ風景を描いたなら、それはわざとらしくなってしまって、見られたものではない、見るに堪えない。

 同時に風景の中に人物も描かれている。狂気の人物だ。僕などが風景の中に人物を入れたなら、やはり、わざとらしくなってしまって、見られたものではない、見るに堪えない絵になってしまう。

 でも朝日晃さんが書かれている様に、佐伯の絵の如くに『モランの稜線は波打ってはいない。』フランスの風景は殆どまっ平で道も真っ直ぐに延びている。

 でもポルトガルは違う。実に曲線が多い。大地も道もそして建物も。わざとでなくても歪んでいるのだ。性格的にいやという程、几帳面?な僕ですら歪んで描けてしまうのだ。

 風景画にしろ、静物画にしろ、人物画にしろ、勿論、抽象画にしろ、それはモチーフを借りているだけで自己表現に他ならない。それは絵にしろ、彫刻にしろ、音楽にしろ、演劇にしろ、また文章にしろ、全く同じなのだと思う。芸術家だけではない。料理人でも政治家でも同じだと思う。自己表現なのだ。

 印象派の重鎮で誰からも慕われていたカミーユ・ピサロ(1830-1903)に自分の絵を観てもらおうとした画家が謙遜のつもりで言ったのだろう「ほんのアマチュアですから。」それに対しピサロは「絵にアマチュアもプロもない。良い絵があるか、悪い絵があるか、だけだ。」と応えた。

 数年前『『アドルフの画集』(Max)2002年。ハンガリー、カナダ、イギリス合作映画。108分。監督・脚本:メノ・メイエス。主演:ジョン・キューザックノア・テイラー。』という映画を観た。もう一度は観たいと思っているのだがなかなかやらない。『画家を目指していたアドルフ・ヒトラーはなかなか思う様な良い絵が描けない。やがて絵を描くことよりもアジ演説に自身の才能を見いだし、それにのめり込んで行く。民衆の支持を受け、どんどん政治家として頭角を現し、やがて独裁者となってゆく。そして狂気は留まるところがなかった。…』という映画だ。 

 歴史に『もし』はないけれど、もし、アドルフ・ヒトラーがアジ演説に長けてはいなくて、政治には見向きもせず、辛抱して絵を描き続けていたなら、或いはスーチンやムンクのような狂気の画家になれていたのかも知れない。

 ウクライナの民間人集合住宅に毎夜爆撃し、瓦礫と化し、その中に死体の横たわるニュース映像などを見ていると、プーチンは狂っているとしか思えない。

 

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