武本比登志の端布画布(はぎれキャンヴァス)

ポルトガルに住んで感じた事などを文章にしています。

012. メリーさんと蛍

2018-10-11 | 独言(ひとりごと)

 僕たちはポルトガルに来る前はしばらく宮崎県の山の中に住んでいました。
 それこそ庭をイノシシが横切ったり、山猿の群れが出現したりするところでした。
 清流が庭を取り囲むように流れていてカジカガエルもいい声で鳴いて楽しませてくれました。
 家のガラス戸を強く叩く「ボン」という鈍い異常な音がしたので行ってみると、そこにアカショウビンが気絶して転がっていた。という事も三度ほどあります。

 国道10号線に沿っていましたが一旦クルマが途切れると、そこは全く人里はなれた一軒家になってしまいます。
 用心にと思って、新聞屋さんに「犬が飼いたいから、どこか小犬でも生まれたところでもあれば世話をして下さい」と頼んでいたのです。

 やがて家に連れて来られた犬はとても番犬にはなりそうもないポメラニアンの「メリーさん」でした。
 小さいけれど小犬ではなくて立派な成犬でした。
 もう既に分別をわきまえた賢い犬で、お客さんや郵便配達の人には決して吠えたりはしませんでした。
 散歩の時でも一歩先を先導して歩くのですが、「そこを右」といえば右に行きますし「左」といえばくるっと左に方向転換をするくらい人間の言葉を理解している犬でした。
 本当に可愛い愛くるしい小さな「メリーさん」でしたが、僕の親しい友人からは「似合わない!」とからかわれたりもしていました。

 ご近所の老夫婦が「僕たちにだったら可愛がってもらえるだろう」と手放したのです。
 手放した理由はあえて聞きませんでした。
 「メリーさん」自身も新しい場所の居心地は良さそうに見えましたし、帰りたそうにもしませんでした。
 その老夫婦は「メリーさん」に時々会いに来られました。
 そして安心した様子で帰って行かれました。

 ある晩のこと「ワンワンワンワン」といつまでも吠えやまないものだから懐中電灯を持って見に行ってみると「メリーさん」は用水路に落ちてはい上がれないでいました。
 必死で助けを求めていたのです。
 「ドジな犬やな~」と思いながら抱き上げてやりました。
 普段は白っぽいベージュ色の犬なのに眼だけ残してまっ黒でした。
 夜中でしたがお風呂にも入れてやらなければなりません。
 僕のパジャマも泥だらけになってそれは大変な夜になりました。

 普段でも「メリーさん」はあまりお風呂は好きではありませんでした。
 それでもちゃんとわきまえていて、たらいの縁にきちんと前足を揃えて乗せて、いかにも「早く済ませちゃって下さいねっ!」とでも言わんばかりの表情で我慢をしていました。
 絶対に嫌いなのはお風呂の後のドライヤーでした。
 「ぐうおーん」というドライヤーに向って「ウ~」と牙を剥きだします。
 恐ろしかったのでそれ以来ドライヤーを使うのは止めにしましたが…。

 それからしばらく経ったある晩、再び同じ様に「ワンワンワンワン」といつまでも吠え続けていました。
 あの事件以来「メリーさん」は夜中には鎖に繋ぐことにしていたのですが「また鎖でもはずれて用水路にはまったんかいな~」と懐中電灯を片手に行って見ると「メリーさん」は庭の先にある川のほうに向って吠え続けていました。
 その川のほうに眼をやると、なんと蛍です。それもおびただしい数の蛍なのです。

 「メリーさん」にしてみれば訳の判らない光の乱舞に恐れおののいていたのかも知れませんが、僕たちには忘れられない夏の夜のプレゼントになりました。

 ポルトガルにも蛍は居るそうですが未だ見たことはありません。
 フランスの古い小説にも蛍が出てきたのを読んだことがあります。
 それはブルターニュ地方の避暑地の物語でした。

 今年は10月末頃にブルターニュに行くつもりをしています。
 展覧会の関係でフランスに行くのはいつも寒い冬です。
 たまには夏のフランスに出かけてブルターニュの蛍を一度見てみたいものですがフランスにしてもポルトガルにしても夏の夜はいつまでも明るいので蛍を見るにはいったい何時まで起きていなければならないのでしょうか? VIT

 

 

(この文は2003年8月号『ポルトガルの画帖』の中の『端布れキャンバスVITの独り言』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルの画帖』も見られなくなるとの事ですので、このブログに少しづつ移して行こうと思っています。)

 

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011. 荷物の中味

2018-10-11 | 独言(ひとりごと)

 毎年日本で個展をするために日本へ帰る。そして2~3ヶ月を過してポルトガルへ戻る。
 往きも荷物はいっぱいだが帰りはそれ以上にどっさりである。
 食料としては日本茶と乾燥ワカメとヒジキ。日本人にはやはり海藻が必要だ。
 昆布はリスボンの中華食品店でもこの頃は手に入るので別に持ってこなくてもよくなった。
 それと少しの高野豆腐。少々かさばるがどれも軽いものばかり。
 往きに持っていった衣類はそのまま持って帰る。
 重いのは文庫本。毎年平均50冊ばかりを仕入れてくる。
 でも今年は案外と少なくて数えてみると16冊しか持ってこなかった。
 今年はパソコン関連は皆無。「大丈夫か?」
 携帯電話を買ってきたが未だ使い方が良く解らない。
 日本で買ったのに解説書は英語だし、メールもJ-フォン同士だけ。しかもローマ字のみ。
 果たして必要だったのかな?と思ってしまう。
 荷物はそれほど持ってきたつもりは無いのに空港で計ってみると何と二人分で43キロ。
 一人20キロまでだから3キロオーバー。
 なぜこれほどまでに重くなったのか?
 と荷物をひっくり返して見ると「百均」で買ってきた料理のレシピ本が11冊も出てきたではないか。
 一冊100円といえどもこれが重い。薄い本なのに紙が重いのだ。
 何時のまに買って何時のまに荷物の中に忍ばせておいたのか?
 それと「カスピ海ヨーグルト」の種。

 今年持ち帰った特別のものがある。それは「けん玉」。
 日本に帰っている時に見たテレビで「南極の越冬隊員がブリザードの吹く冬、運動不足を補うために室内で出来る運動として何十年も前から「けん玉」を取り入れている」という話。
 日本けん玉協会南極支部までもがあるという。
 これは面白そう。と思って。ちょうど岡山高島屋での個展中、画廊の人とその話をしていて「「けん玉」などと言う物はどんな所に売っているのかな?」と聞いてみると「そこの玩具売り場にあるんじゃない」。
 画廊から同じ階の徒歩ほんの30メートルの玩具売り場に、なんとその「日本けん玉協会オフィシャルけん玉」を見つけたのだ。
 さっそく二個を買い求めた。
 こんなに身近なところにあったとは驚きであるが、考えてみるとそこは百貨店。何でもあるから百貨店。
 米子でもちょうど民芸玩具展示即売をやっていて、これは「日本けん玉協会のオフィシャルけん玉」はないけれど色が綺麗なのでこれも買い求めた。
 大阪の近所のスーパーで「百均市」をやっていてうろうろ見ていたらそこにも「けん玉」があった。
 安いだけのことはある貧相な「けん玉」ではあったが一つ買い求めた。
 結局4個の「けん玉」をポルトガルまで持ち帰ってきた。
 「けん玉」などはいままで触ったこともなかったがやってみると難しいけれど案外と面白い。
 「日本けん玉協会」の説明書を読んでみると正しい持ち方から始まっていろんな技があるし、上級の技などは自分にはとうてい出来そうにないけれど、級位認定制度や段まであってかなり面白そうである。
 始めて3日。級位認定の自己評価は「大皿連続20回、小皿10回」早くも九級である。
 「けん玉」にはまりそうで自分がこわい。
 今年は何をしに帰ったのだろうと思ってしまう。 VIT

 

(この文は2003年7月号『ポルトガルの画帖』の中の『端布れキャンバスVITの独り言』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルの画帖』も見られなくなるとの事ですので、このブログに少しづつ移して行こうと思っています。)

 

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