武本比登志の端布画布(はぎれキャンヴァス)

ポルトガルに住んで感じた事などを文章にしています。

006. アレンクエールのビエンナーレ

2018-10-07 | 独言(ひとりごと)

Bienal de Arte de Expressão Figurativa de Alenquer

 

 ニース旅行をしている時と同時にアレンクエールでの「形象表現ビエンナーレ」が始まった。
 この展覧会には一昨年に続いて二度目の出品となる。

 ニース旅行に出かける直前のある日。露店市に行った帰りになんとなくペドロの画廊に寄ったら「今、15分前に君に電話をしたところだ!又、アレンクエールがあるよ!出品するのだろう?」と言う。
 ビエンナーレだから、二年にいっぺんしかないので、ペドロに言われるまですっかり忘れていた。
 「それで締め切りはいつ?」と聞くと「今日中!」と滅茶苦茶な話なのだ。
 ポルトガル人は「アシタ。マニャーナ」(ポルトガル語では「アマニャン。マニャ」)の民族なのに、他人にはいつもせっかちなのだ。
 まあずっと前から聞いてた話を僕に伝えるのを忘れていたのだろうけれど…。
 ペドロも最近リスボンにもう一軒画廊をオープンさせて忙しいのだ。
 「明日、アレンクエール市の車が作品を取りに来るから、今日中」というわけ。
 「一点はこの画廊にある30号を出すとして、もう一点.。何かある?同じくらいの大きさで」「今すぐに取りに帰って、持ってきてくれないかなあ?」と言う。
 でもありがたいものだ。勝手に出品をする手はずを整えてくれていたのだから。
 「カタログ用の写真ももう既に送ってある。」とのこと。
 もし僕に連絡がつかなくても一点だけで出品しておいてくれた。ということだ。
 まあ、僕としてみたら、いつでも出品できる作品の一点や二点はあるのだが…。それをペドロは知ってのことなのだ。

 その展覧会のオープニングは僕たちのニース旅行の最中に始まった。
 会期は一ヶ月程もあり、旅から帰ってからゆっくり観に行けばいいと思っていたのだが…。ニースから帰ってからも、結構天気の悪い日が続いて、なかなかアレンクエールには行けなくて、殆ど終る2~3日前にようやく行った次第。

 アレンクエールはリスボンの北約50キロのところにある小さな町。
 決して観光客など訪れる事のない、素通りしてしまう町である。
 元々は工場の町らしく、町の中心を流れる川のほとりに大きな工場跡がある。
 お城の跡もある古い町だが、お城よりも工場跡の方が目だっていて、それがこの町のシンボルになっている。
 町外れにも大きな紡績工場跡があって、これがビエンナーレの会場。
 工場跡を実にうまく展覧会場として利用して、なかなか文化に力を入れている町である。
 立派なカタログやポスターも市の予算で作っている。
 ポルトガルは抽象絵画が盛んなのだが、「形象」のみにこだわって全国の画廊と協賛してのビエンナーレである。

 ルーブル美術館は元は宮殿だが、オルセー美術館は鉄道駅の跡。
 ヨーロッパのお役所は古い建築物をリサイクルするのが巧い。
 セトゥーバルの美術館も工場跡だし、以前に展覧会をしたアヴェイロの文化会館も元は陶器工場とのこと。
 ポルトガルの工場跡は重厚な建物が多くて、ちょっと手を入れると立派な美術館に変身するようだ。

 二年前に出品した時にも「いい会場だなあ!」と思ったものだ。
 天井が高い三階建てで、玄関ホールや階段が広々としてレトロで素晴らしい。
 入口の前には堀がある。
 その堀からはアーチの造りで建物を支えているといったヴェニスにでもありそうな中世風の建築。
 建物全体はサーモンピンクに塗られ、石の建築物といった硬さはない。
 堀には何種類かの水鳥がいる。
 一階は事務所とイベントかパーティーでも出来る様に多目的にとってあるようで、展覧会場は二階と三階を使っている。

 アレンクエールの町自体も絵になるところが多くて、二年前のビエンナーレでもアレンクエールをモティーフにした作品もたくさん出品されていた。
 僕もその時何枚かのスケッチをして帰って作品にしようと試みたのだが、もうひとつ仕上がらなくてそのままになっている。
 今回出品したのは、ペドロの画廊に預けてあったセトゥーバルの絵とエストレモスの絵で、残念ながらアレンクエールの絵ではない。

 入口を入って趣のある階段を上がって、いざ展覧会場に入ろうとして「あっ」と驚いた。
 一番最初の一番目立つところに、なんと僕の二点の作品が並べて掛けてあったのだ。
 パリのル・サロンでも昨年は金メダルだったので、今回は入口に近い割といい場所に掛けてあったので、気を良くしていたところだが、アレンクエールでこれほどいい場所に飾られていたとは思っても見なかった。
 「こんなことなら次はもっといい作品を用意しておこう。」と張り切ってしまう。

 気を良くしてその日もアレンクエールをたくさんスケッチして帰った。
 一番高い所にある修道院のところまで登って、入口の古いアズレージョ(タイル絵)を見ていると、そこに通りかかった老人が「中にも入ってみなさい」と勧める。
 でも中にはいっぱい洗濯物が干してあるし、「人が住んでいるところにずかずかと入っていいのかなぁ」と躊躇しながらおそるおそる入ってみると、中にも古いいいアズレージョがたくさんあって、アズレージョ以外にも彫刻の施された柱廊や日時計のある壁とか、いつ頃の建物か解らないがかなり古いのは確かで、それだけで充分観光資源になるほどの建築物だと感じた。洗濯物さえなければだが…。
 でもそこは今は老人ホームとして使われている様子。

 その修道院から見ると、町の西側にもっと高い丘が見える。
 そこに新しい道と建物が出来ていて、そこからならもっと眺めが良さそうなので行ってみた。
 行ってみるとそこは消防署になっていた。なるほどここからなら町中が一望できる。
 その時のスケッチを今50号の絵にしている。
 また仕上がるかどうか解らないが、このアレンクエールの絵は次の二年後のビエンナーレ?ということになる。VIT

 

(この文は 2003 年 1 月号の『ポルトガルの画帖』の中の『端布れキャンバス VITの独り言』に載せた文ですが 2019 年 3 月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルの画帖』も見られなくなるとの事ですので、このブログに少しづつ移して行こうと思っています。)

 

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コメント
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