数年前までポルトガルには車検というものがなかったらしい。
以前は「よくこれで走るな~」というクルマがたくさん走っていた。
それがEU統合のあおりだろうか?ポルトガルにも車検制度が導入されて走るクルマはみるみる新車が目立つようになった。
4年前に新しくクルマを買った。
その時にセールスマンのヴァルドマール氏に「車検はいつだ。」と尋ねたら「4年後だ」との答えだった。
日本では新車でも車検期限のシールはフロントガラスに貼られている筈だがポルトガルにはそれがない。
そしてそれからこの5月で4年が経った。
6月に入っても何処からも知らせが来ない。
心配になったのでヴァルドマール氏に電話をしてみた。
電話のむこうでは「何キロ走った?定期点検か~?」などとのんびりしたことを言っている。
「いや、買ってから4年が経つけど…」
「ああ、それじゃ車検だね。先ずは工場に持ってきてみなよ!」
2万キロには少し早いけれど、ついでに2万キロ定期点検をしてから車検場に行くことにした。
日本では随分色んなクルマに乗ったけれど自分で車検場に行ったという経験はない。いつも整備工場まかせであった。
30年も前の話だが、スウェーデンに住んでいた時は古いポンコツのフォルクスワーゲンマイクロバスに乗っていた。
9人乗りの座席を取っ払って車内にベッドを作り、炊事道具を収納できる棚を作ったりしてそれでヨーロッパ中を旅していた。
ある日ストックホルムの郊外を走っていて、後から走ってきたパトカーに止められた。
「誘導するからパトカーのあとをついて来い。」と言う訳である。
広い駐車場に停めさせられた。
「今からはこのクルマを運転してはイカン!トンネルバーナ(地下鉄)で帰りなさい!このクルマは車検が切れている。車検場の予約が取れたらここに取りに来なさい。」
その時は夜だったせいもあっててっきり警察の駐車場と思っていたのだが、予約を取ってからクルマを取りに行ってみると、それは単なる大きなスーパーマーケットの駐車場であった。
車検場に行って自分で運転をして検査を受ける。
検査官が横に座ってライトだの、ウィンカーだのと指示をする。
マフラーにホースを繋いで排気ガスの検査。
クルマの下から金槌で遠慮なくガンガンと叩く。
ところが僕のクルマはポンコツもいいところでガンガンとはいかない。
金槌の頭がボソッとめり込んでしまうのだ。
検査官も苦笑いのミゴト不合格であった。
友人のガールフレンド、アグネッタのお爺さんが定年退職後趣味で自動車整備をやっているからという話を聞きつけたので、その人にお願いをすることにした。
クルマとその車検場の不合格書類を持って行ったらその親爺さんは目を輝かせた。
余程遣り甲斐があると思ったのだろう。
クルマを預けて帰ろうとすると孫のアグネッタが「今夜は見逃せないテレビがあるからそれを観てからにすれば」という。
「ヨーロッパ音楽祭がある。」というのだ。
「今年はスウェーデンが有力で優勝するかもよ。」
その時に観たのがABBA(アバ)であった。
そしてアグネッタの言うとおりABBAは優勝をした。
その後ABBAが世界的な活躍をしたのはご存知の通りである。
ABBAはしばらくして解散をしたが今でもABBAの快活な歌声は時々ラジオから流れる。
そのABBAが流れるたびにその時のアグネッタの眼の輝きを思い出す。
車検場では苦労をした。アグネッタのお爺さんにもご苦労をかけた。
車検は3回目でようやく合格をした。
ポルトガルで今回は整備工場でしっかり整備をしたし、まだ新車を下ろして4年目である。スウェ-デンの様には心配は要らない。
ただタイヤに一つ問題があった。少しぽこッと膨れている箇所がある。整備工場では出来ないという。
仕方がないので近所のタイヤ屋に行った。
「新しく替えなくてもスペアタイヤと交換すればそれで良い。」と言って交換してくれた。
「月曜日に車検を受ける。」と言ったらタイヤ周りに関して徹底的に調べてくれた。
ヴァルドマール氏に「車検場の予約を取ってくれませんか?」と頼んだらその場で電話を掛けてくれたが、あいにく5時を3分回っていて電話は繋がらなかった。
「セトゥーバルの車検場より隣町のピニャル・ノヴォの車検場の方が多分空いているし予約なしでも大丈夫だよ!」と言って簡単な地図を描いてくれた。
それは全く簡単な地図と言うより落書きの様なもので、地図を描くより結局言葉で説明をしているに過ぎない。
でもいつも通る道から少し入るだけの様だし、「小さくだけど標識も出ているから…」。
車検場のことを [Controlauto] とも書き添えてくれた。
次の月曜日、朝8時半にその場所に行った。
いつも行く露店市への途中の工場地帯にその場所はある筈だ。
目指す曲がり角には [Controlauto] の標識はなかった。
替わりに [Centro de Inspecção/IPO] という標識ならあった。
人気の殆どないその工場地帯に入った。
標識を頼りに道を進んで行った。今度は [Controlauto] とある。
とにかく間違いはない。が標識の書き方がまちまちで戸惑ってしまう。
戸惑いながらもなんとか車検場にたどり着いた。
既に4台のクルマが順番待ちをしていた。
そのうしろについた。
MUZがどんどん奥に入って様子を見にいった。
奥まったところが事務所になっていたらしい。
「代金を払ってきたよ~」と言いながら帰ってきた。
車検代は 24,63 ユーロ(3202円)である。
とにかく空いていることに間違いはない。
2台のクルマが車検を受けている最中であった。
それを見学をした。
スウェーデンの方式とほぼ同じやり方だ。
僕の番が来た時、検査官は心配そうな表情をした。
僕がず~っと見学通路から心配そうな顔をして見ていたから検査官もかえって心配になったのだろう。
「スモールライトが〇×〇×」「全光が〇×〇×」「前光が〇×〇×」「ウィンカーが〇×〇×」「ブレーキランプが〇×〇×」「バックランプが〇×〇×」「ワイパーが〇×〇×」「ウオッシャーが〇×〇×」「バックワイパーが〇×〇×」「バックワイパーウオッシャーが〇×〇×」などと前もって教えてくれたがそんなにいっぺんに教えられても覚えられない。
結局順番を覚えてその通りにやればなんとかOKであった。
30年前のスウェーデンと違うのはコンピュータのモニタがあることである。
足周りも排気ガスもシャーシーも結局問題点は何一つなくすんなりOKとなった。
最後に事務所に呼ばれて検査結果の書類とステッカーが渡された。
「ステッカーはフロントガラスの右下に貼りなさい。次はこのステッカーにあるように2年後の5月です。」
いわれる通りにステッカーを貼った。
これで税金のステッカー、保険のステッカー、車検のステッカーと他のクルマと同様に3っつが揃って一人前のクルマになれた様な気になった。
2年後までにはせめて上記ライトやウオッシャーなどのポルトガル語を覚えておいた方が良さそうだ。VIT
(この文は2004年7月号『ポルトガルの画帖』の中の『端布れキャンバスVITの独り言』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルの画帖』も見られなくなるとの事ですので、このブログに少しずつ移して行こうと思っています。)