武本比登志の端布画布(はぎれキャンヴァス)

ポルトガルに住んで感じた事などを文章にしています。

021. 今川漆堤(うるしづつみ)公園

2018-10-17 | 独言(ひとりごと)

 僕が生まれ育った家からほんの2~3分のところに「今川漆堤公園」という名の公園がある。
 僕が子供の頃には公園はなかったから当然その名前もなかった。
 その場所が「漆堤」と呼ばれていたのかも知らないが僕たち子供にはどうでもよかった。
 どぶ川が上流でふたてに分かれて又交わっている。
 その場所は島になっていることになる。
 が橋がたくさんかかっているので島という感覚も薄い。
 昔は水門があって、そのあたりでメタンガスが発生してどぶ臭かった。
 それでもオニヤンマやシオカラトンボが飛び交っていて、僕は鳥もちや網で捕まえるのが上手かった。
 大雨が降ったあとには上流から野球のボールが流れてきて、それを橋の上から魚とりの網に竿竹を縛り付けた物を持って待ちかまえる者もいた。
 それまで堤の草などにひっかかっていたのが大雨と共に一気に流れだすのだ。

 また炭屋から炭俵を貰ってきて縄で縛りつけ川に浸け、しばらく置いて一気にひっぱり上げるとたくさんのドジョウが捕れた。
 アメリカザリガニもたくさんいた。

 いま水門はない。立派に公園として整備され、付近の住人の憩いの場になっている。
 相変わらずどぶ川の様に見えるが大きな鯉が泳いでいるのが見える。
 ホームレスらしき人たちが釣り糸を垂らしている。
 いろんな木が植栽されていて、その中でも桜が一番多い。
 春には花見で賑うのだそうだ。
 昔は桜など一本もなかった。
 川の向こう側は田んぼやネギ畑ばかりで溜池や肥溜めもたくさんあった。
 いまそんなものはどこを探してもない。
 マンションや町工場など建物ばかりになってしまっている。

 先日ポルトガルに戻る前、その生まれ育った家で3泊をした。
 その前日、宮崎を発つ日に軽いぎっくり腰をやらかしてしまった。
 初めての経験である。
 宮崎を出発するその時に部屋の前の落葉が気になってほうきで掃き始めた。
 その時にやってしまったのだ。

 大阪での一泊目は腰が辛くて朝は4時頃から悶々としていた。
 5時半に堪らなくなってベッドから這い出した。
 朝刊などを見ていたが、歩いた方が楽に思えたので「今川漆堤公園」に散歩に出掛けた。

 早朝からたくさんの人たちが散歩を楽しんでいる。
 犬との散歩の人も多いが一人二人で歩いている人もたくさんいる。

 僕の前を歩いている人は草笛を鳴らしながら歩いている。
 上手いものだ。
 よく聞いて見るとそれは阪神タイガースの応援歌「六甲おろし」だ。
 歩くリズムがその「六甲おろし」に合ってしまうのだ。
 僕だけではなくそのあたりを歩いている人は皆が皆「六甲おろし」に歩調を合わせている。
 草笛の音色が高くて大きいからだろう。ついつい合ってしまうのだ。
 でもぎっくり腰にこの歩調はキツイ。

 50歳代から70代くらいの女性が多い。
 2~3人連れからもっと多いグループが同じ方向に向っている様な気がする。
 今川漆堤公園は細長く1キロほどに渡っている。
 その中ほどに少し広くなったところがある。
 どうやらその場所に皆が集合している様子である。

 そうかお袋は生前、まだ元気な頃、ここに朝の体操にやってきていたのだ。
 そんな事を楽しそうに話していたのを思い出した。
 世代は移り変わっているのかも知れないが、それが今も続いているのだ。

 今川漆堤公園の先端まで行って戻ってきた時には体操が始まっていた。
 殆ど95パーセントが女性だ。
 女性たちが100人ばかり扇状に広がったその要のところに年の頃は50代か僕と同年代か、1メートル90センチもありそうなすらっとしていてロングヘアーのそれこそプロのジャズダンサーの様なかっこ良い一人の男が体操を指導しているのが見えた。
 傍にはラジカセが置いてあったが未だ準備体操らしく音楽は流れていない。
 準備体操と言っても激しく腕をぐるぐるまわしたりしていて、ぎっくり腰の僕には見ているだけでキツイ。

 普段の僕ならこういった場面ではすぐさま隅っこででも体操の仲間に入ってしまうのだが、この時ばかりはその男を羨望の眼で見るより他にはなかった。
 それどころか、この元気な女性たちに出来ることが自分には出来なくて本当に情けない思いをした。

 ポルトガルに戻ってきて1週間。
 ポルトガルの気候風土が余程僕に合っているのか?
 御蔭様でいつの間にかぎっくり腰も治ってしまっている。
 さあ、ぼちぼちラジオ体操でも始めて元気を取り戻すとしようか…?
VIT

 

(この文は2004年6月号『ポルトガルの画帖』の中の『端布れキャンバスVITの独り言』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルの画帖』も見られなくなるとの事ですので、このブログに少しづつ移して行こうと思っています。)

 

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020. NACKのサイト

2018-10-17 | 独言(ひとりごと)

 昨、2003年12月に「ポルトガルのえんとつ-MUZの部屋」がこのサイトから独立して一人立ちした。

 MUZはせっせと一人で更新に努め少しずつ充実したサイトを作りつつある。

 

 その勢いを駆って僕は大胆にも出身高校の美術部OBのサイトを立ち上げるべく奔走した。

 「奔走した。」は大げさである。

 昨年定年退職された恩師F先生への年賀状の隅っこに「僕にやらせてみてください」と書いただけである。

 それと現職の美術部顧問のY先生にその旨メールを送った。

 そして管理人を拝命し2004年1月中旬から少しずつ作りはじめた。

 

 僕が高校を出てから早いもので40年になろうとしている。

 私学であるからその美術部顧問の先生に転任はない。

 昨年退職された恩師F先生がづーっと変わらずにお一人でやってこられた。

 だから卒業生は年代を問わずその恩師によって繋がっている。

 

 不定期刊行誌「NACK」というものを作っておられて、僕の現役時代は7号から11号までの発刊であった。

 その後も毎年一冊ずつの発行で今までに34号が発行され35号を準備中との事である。

 このNACK誌は現役のための機関誌ではある。とのことであるが広くOBを繋いでいる。

 その「NACK」誌発刊は今の現役のY先生が受け継がれておられる。

 

 卒業生の中には美術に関した職業の人も多い。

 デザイナー、イラストレーター、絵描き、漫画家、美術教師等々。

 

 僕が卒業してしばらく経った頃に卒業生が寄り集まって「展覧会をしようと」いう話になったらしい。

 1970年のことである。その第一回展には僕も参加した。

 その次の年には僕は外国にいたから参加はしていないがその後もその「NACK」展は続いている。

 「NACK」展も毎年途切れなく続いて今年34回目を先日開催された。

 

 そんな活動をサイト面で紹介したい。という思いと海外に住んでいても自分でも参加したい。

 という思いがあって「NACKサイト」を思いついた。
 実際サイトと言う物は海外であろうが、日本国内であろうが、ハンディはさほど感じない。
 それと日本国内に居る人は皆が結構忙しい。
 僕は彼らに比べれば比較的閑でもある。

 絵を描いたり、スケッチ旅行に行ったり、本を読んだり、メルカドや露店市に買物に出かけたり、ポルトガルドラマのテレビを寝そべって見たり、といった日常であるが…

 少しずつなら「NACK」サイトを作っていくことは出来るかもしれない。と思った。
 どこまで出来るか判らないがとにかく始めてみる事が肝要かとも思った。
 そうして今一ヶ月が過ぎようとしている。

 やはりNACKの仲間は良いものである。
 予想以上の皆の協力の賜物で着々と充実してきている。
 現役のY先生もお忙しいなか奔走して頂いている。

 話は変わるが先日芥川賞の発表があった。
 受賞したのは2人の若い女性である。
 本当に今女性が元気である。文化面でもスポーツでも。
 もちろん文章はパソコンで書く。
 そんなことを話題にする番組(ニュース)の中で、もっと若い女子高校生がベストセラーの作家として活躍している、という話もあった。
 授業の休み時間などでも良い文章が思いついたらすぐに携帯電話に文字を打ち込み自宅のパソコンにその都度転送するのだそうである。
 携帯もパソコンも使いこなしているな~。と驚きである。

 でも考えてみると「NACK」サイトも同じようなことをやっている。
 K君は自分の作品を携帯電話で撮って写メールでポルトガルの僕のメールに送ってくれる。
 それを僕はちょっと修正を加えてNACKサイトのK君のページに載せている。
 まあ作品写真としてはちょっと無理があるかも知れないが一応は出来ている。
 驚くべきことが出来る時代になったものだと感心している。

 NACK「掲示板」を見るのは僕の日常に加わった。
 ポルトガルの僕もであるが、東京に住んでいるNACK仲間も大阪の仲間も今、高校時代当時の様に雑談が始まっている。
 いずれメキシコからの書き込みもあるかも知れない。或いはそれ以外の国からも…。
 高校の時に言い忘れた事、喋りたりなかった事、今後の方針と雑多な内容が飛び出してきている。
 NACK以外の人からの書き込みも加わりその枠は少しずつ広がっている。
 そして毎日のアクセス数は驚くばかりでこのサイトを追い抜くのも時間の問題である。

VIT

その後、ジオシティーズが閉鎖になり「NACK」サイトも閉鎖しました。

(この文は2004年3月号『ポルトガルの画帖』の中の『端布れキャンバスVITの独り言』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルの画帖』も見られなくなるとの事ですので、このブログに少しずつ移して行こうと思っています。この文章はブログに移しますが、NACKサイトはジオシティーズ閉鎖に伴い閉鎖しなければなりません。ご了承下さい。始まった2004年当初はNACK会員各位のご協力もあり、充実したものにもなりましたが、最近は書き込みもなく、サイトよりも新たな物、フェイスブックなどが主流となりつつある様です。)

 

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019. ラミレス社のツナ缶

2018-10-17 | 独言(ひとりごと)

高校時代からの絵を描く仲間から唐突にも次のようなメールが届いた。

[日本→ポルトガル]

武ゃん 手紙着いた?そちらへ届くのに何日ぐらい普通はかかるのですか?

追伸 ラミネス社の魚のカンズメ、ロシアに輸出するために作った少し塩のきいた分などスーパーに売っていますか。

カタプラーナ鍋を使ったことがありますか。

一番小さいので直径何センチぐらいでいくらぐらいするものか教えてほしい。

日本との時差と云うか日本の21:00はそちらの何時なのですか?

 

高校時代と大学でも、僕は武やんと呼ばれていた。

手紙が日本から何日くらいかかるのかやら、時差が何時間なのかを問題にしているのではない。

「カタプラーナ」という単語を何故この男が口にするのか?

勿論、ポルトガルに住んでいる者にとって「カタプラーナ」なる物は知っている。

でも何故彼が…?

それと不可解なのは「ラミレス社」の魚の缶詰め?

これは一体何なのだ?

塩の利いた分?ペットフードではないのか?

これは聞いたこともない。ポルトガルの会社なのか?

すぐさま返事を出した。

 

[ポルトガル→日本]

郵便は通常で5日~1週間くらいだと思います。メールに慣れたら郵便の遅い事。

でもこれでも日本=ポルトガル間は早いのですよ。ポルトガルとフランスはもっと掛ります。

セトゥーバルから車で1時間の町まで2週間掛ったこともあります。

 

ラミネス社の魚の缶詰め。とは急に何ごとですか?

何の事か訳が解りませんが今度大型スーパーに行った時に調べておきます。

ただここセトゥーバルは古くからオイルサージンで栄えた街です。

その歴史は古代ローマ時代まで遡ります。

カタプラーナ鍋とはどこからそんな情報を仕入れたのですか?我家にはカタプラーナはありません。(2018年現在はあります。)

時々レストランで食べる時出てきますが。

これも銅版の厚いもの薄い物によっていろいろでしょうが。

それも今度調べておきます。

 

時差は 9 時間です。日本時間 21 時でポルトガルの正午です。

 

このメールを出してすぐにスーパーに買物に行く機会は訪れた。

メールが来て、返事を出してすぐだから、幸い忘れることはなかった。

すぐさま荒物売り場に行って、カタプラーナの価格をメモした。

缶詰め売り場ではラミレス社のものをすぐに見つけることが出来た。

そして一個を買ってみた。

家に帰ってすぐに返事を書いた。

 

[ポルトガル→日本]

きょうスーパーに買物に行ったので忘れずに調べてきました。

カタプラーナはそのスーパーには一種類しか置いていませんでした。

直径 27 センチの普通に良く使う大きさだと思います。

価格は 28.60ユーロだから 3700円くらいです。

勿論打ち出しの銅製ですが、スーパーのものだから上等品ではないのでしょう。

荒物専門店に行けばもっと豊富にあるのでしょうが…。

夏祭の露店市には銅製品の専門店が2~3軒毎年出ていますが、そういった店のほうが良い物を売っているようです。

ラミレスの缶詰めも見てきました。

小さいのから大きいのまでいろいろありましたが、全て味付けの違うツナ缶でした。

ポルトガルの会社なのですか?ラベルにポルトガルの国旗がデザインされています。

以前から知らずに見ていたのでしょうけれど、他のメーカーのよりかなり割高でしたが、試しに一個買ってきました。

385 グラム一個が 3,62 ユーロ(470円)もしました。

工場はペニシェとマトシーニョとなっています。

ペニシェはポルトガル中部の港町で大きな漁港があり、何度か行きました。

半島に突き出す様に城跡があります。

今は美術館とカルチャーセンターになっていますが、独裁政権の頃は政治犯の刑務所に使われていたとのことです。

マトシーニョはポルトガル第二の都市ポルトの隣町です。

やはり漁港で美味しくて高級なレストランが何軒かあり、だいぶ以前ですが一度そんなレストランに入ったことがあります。

 

以上本日調べてきたことの報告です。

でもこれは一体何なのですか?日本でも売っているのですか?

ラミレス社のツナ缶

さらに返事が届いた。

[日本→ポルトガル]

唐突な質問に答えてくれて有難う・・・・

ツナ缶はいろんな種類があり沢山輸入もされていますが、ラミレス社のカンズメは輸入されていません。

ただフランス土産とロシア土産で同じメーカーなのに塩味がかなり違う、ロシアの方が塩辛く今なら白菜と煮るだけでなにも加えなくてもあっさりとおいしいものでした。

冬にいろんな鍋料理に飽きたとき思い出します。

ただし、メーカーの製品管理が悪くて、たまたまそうだったのか、国別に味を変えているのか定かではありません。

私の中でポルトガルのラミレス社のロシア経由のものが最高、もう一度食したいと思った訳です

 

カタプラーナ鍋はアサリの酒蒸しに,鯛の姿酒蒸しに、熱伝導が良さそうで旨味を逃がさない構造、それでいて圧力釜でないので食素材の素材感をなくさない優れものの感じがする。

以前居酒屋も経営していたこともあり、食べることも、料理することも好きなんです。

 

以上のやりとりが一両日で出来てしまう。

まったくEメールとは便利なものだ。

これが郵便だと片道5日づつとしても一ヶ月はかかってしまう。

 

その後、「ラミレスのツナ缶の味はどうだった?」

というメールが来たがまだ食べていない。

 

あいにく今我家に白菜はない。

ポルトガルにも白菜は売ってはいるがいたって貴重なのだ。

今度白菜が手に入ったら早速やってみることにしようと思う。

それまでラミレスのツナ缶はおあずけ…。

戸棚に飾っておこう。

 

たぶんこれはロシア経由と同じ、塩辛い分だと思う。

だいたいに於いてポルトガルの缶詰めはどれも比較的塩辛い。

 

もう一つ問題の「カタプラーナ」であるが、

 

 

直径 30 cm、高さ 14 cm。

これらのメールの後、今はある我が家のカタプラーナ鍋。友人からの頂き物だが上等である。

 

今度の夏祭りの時にでもひとつ買っておくべきかな?(だから買ってはいない)

VIT

(この文は2004年2月号『ポルトガルの画帖』の中の『端布れキャンバスVITの独り言』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルの画帖』も見られなくなるとの事ですので、このブログに少しづつ移して行こうと思っています。)

 

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