僕が生まれ育った家からほんの2~3分のところに「今川漆堤公園」という名の公園がある。
僕が子供の頃には公園はなかったから当然その名前もなかった。
その場所が「漆堤」と呼ばれていたのかも知らないが僕たち子供にはどうでもよかった。
どぶ川が上流でふたてに分かれて又交わっている。
その場所は島になっていることになる。
が橋がたくさんかかっているので島という感覚も薄い。
昔は水門があって、そのあたりでメタンガスが発生してどぶ臭かった。
それでもオニヤンマやシオカラトンボが飛び交っていて、僕は鳥もちや網で捕まえるのが上手かった。
大雨が降ったあとには上流から野球のボールが流れてきて、それを橋の上から魚とりの網に竿竹を縛り付けた物を持って待ちかまえる者もいた。
それまで堤の草などにひっかかっていたのが大雨と共に一気に流れだすのだ。
また炭屋から炭俵を貰ってきて縄で縛りつけ川に浸け、しばらく置いて一気にひっぱり上げるとたくさんのドジョウが捕れた。
アメリカザリガニもたくさんいた。
いま水門はない。立派に公園として整備され、付近の住人の憩いの場になっている。
相変わらずどぶ川の様に見えるが大きな鯉が泳いでいるのが見える。
ホームレスらしき人たちが釣り糸を垂らしている。
いろんな木が植栽されていて、その中でも桜が一番多い。
春には花見で賑うのだそうだ。
昔は桜など一本もなかった。
川の向こう側は田んぼやネギ畑ばかりで溜池や肥溜めもたくさんあった。
いまそんなものはどこを探してもない。
マンションや町工場など建物ばかりになってしまっている。
先日ポルトガルに戻る前、その生まれ育った家で3泊をした。
その前日、宮崎を発つ日に軽いぎっくり腰をやらかしてしまった。
初めての経験である。
宮崎を出発するその時に部屋の前の落葉が気になってほうきで掃き始めた。
その時にやってしまったのだ。
大阪での一泊目は腰が辛くて朝は4時頃から悶々としていた。
5時半に堪らなくなってベッドから這い出した。
朝刊などを見ていたが、歩いた方が楽に思えたので「今川漆堤公園」に散歩に出掛けた。
早朝からたくさんの人たちが散歩を楽しんでいる。
犬との散歩の人も多いが一人二人で歩いている人もたくさんいる。
僕の前を歩いている人は草笛を鳴らしながら歩いている。
上手いものだ。
よく聞いて見るとそれは阪神タイガースの応援歌「六甲おろし」だ。
歩くリズムがその「六甲おろし」に合ってしまうのだ。
僕だけではなくそのあたりを歩いている人は皆が皆「六甲おろし」に歩調を合わせている。
草笛の音色が高くて大きいからだろう。ついつい合ってしまうのだ。
でもぎっくり腰にこの歩調はキツイ。
50歳代から70代くらいの女性が多い。
2~3人連れからもっと多いグループが同じ方向に向っている様な気がする。
今川漆堤公園は細長く1キロほどに渡っている。
その中ほどに少し広くなったところがある。
どうやらその場所に皆が集合している様子である。
そうかお袋は生前、まだ元気な頃、ここに朝の体操にやってきていたのだ。
そんな事を楽しそうに話していたのを思い出した。
世代は移り変わっているのかも知れないが、それが今も続いているのだ。
今川漆堤公園の先端まで行って戻ってきた時には体操が始まっていた。
殆ど95パーセントが女性だ。
女性たちが100人ばかり扇状に広がったその要のところに年の頃は50代か僕と同年代か、1メートル90センチもありそうなすらっとしていてロングヘアーのそれこそプロのジャズダンサーの様なかっこ良い一人の男が体操を指導しているのが見えた。
傍にはラジカセが置いてあったが未だ準備体操らしく音楽は流れていない。
準備体操と言っても激しく腕をぐるぐるまわしたりしていて、ぎっくり腰の僕には見ているだけでキツイ。
普段の僕ならこういった場面ではすぐさま隅っこででも体操の仲間に入ってしまうのだが、この時ばかりはその男を羨望の眼で見るより他にはなかった。
それどころか、この元気な女性たちに出来ることが自分には出来なくて本当に情けない思いをした。
ポルトガルに戻ってきて1週間。
ポルトガルの気候風土が余程僕に合っているのか?
御蔭様でいつの間にかぎっくり腰も治ってしまっている。
さあ、ぼちぼちラジオ体操でも始めて元気を取り戻すとしようか…?
VIT
(この文は2004年6月号『ポルトガルの画帖』の中の『端布れキャンバスVITの独り言』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルの画帖』も見られなくなるとの事ですので、このブログに少しづつ移して行こうと思っています。)