武本比登志の端布画布(はぎれキャンヴァス)

ポルトガルに住んで感じた事などを文章にしています。

032. 着陸 LANDING

2018-10-26 | 独言(ひとりごと)

 かつていままで飛行機の着陸でこれほど恐怖感をおぼえたことはない。

 普通ならまだ明るいはずの到着時間なのに、リスボンの上空に到達した頃には既に空は真っ暗になっていた。
 パリで機体の到着が大幅に遅れ、それに伴って機内に乗り込むのがかなり遅れた。
 パリ出発が遅れたといっても、その割には案外とスムーズに乗り込んだ方だから、もしかしたらその遅れは取り戻せるのではないかと期待していたのだがやはり到着も遅れてしまったのだ。
 いつもどおりパリからリスボンへ向うフランス航空の機内は満席であった。

 ここ数年日本への飛行機チケットの買い方はリスボン-パリ/パリ-成田/成田-伊丹/伊丹-宮崎、そしてそれの往復を購入する。
 それ以外に日本国内でも宮崎-大阪間を2度往復した。
 したがって今回の帰国では離陸を10回、着陸を10回経験したことになる。

 成田からパリへの便も満席とまでは行かなくても8割程度も混み合っていた。
 3人掛けのシートに3人が座ったため、僕だけは別の列に引越しをした。
 一つおいて隣の席には赤ん坊連れのフランス人女性でその赤ん坊は大きな声で泣き騒いだりしていた様だが僕は常にヘッドフォンを耳にあてていたので気にはならなかった。
 なにしろ成田からパリに着くまでに4本半の映画を観たのだから…。

 最近の機内食は愉しみがない。
 昔に比べると随分と質が落ちていると言わざるを得ない。
 航空運賃を考えるとそれも仕方のない話なのだが…。
 機内の楽しみはもっぱら映画である。
 その方は昔と違って個人用のモニターがあって、リモコン操作で幾つかある中から好きな映画を選ぶことが出来る。
 映画だけではなく、ゲームなども用意されていて退屈をさせない。
 僕などは眠たいのを我慢して必死で映画を観ているわけである。

 パリからリスボンへの飛行機ではそんなものは一切ない。
 ヘッドフォンもないので音楽すら楽しめない。
 仕方がないのでフランス語の機内誌をめくる。
 これがたいてい折れ曲がって表紙など引きちぎれていたりする代物だ。
 前の人がパズルを楽しんだペン書きが残されていたりする。
 でもこのフランス航空の機内誌の写真は素晴らしいのでいつも楽しみにしている。
 フランスに向う時には情報源になることもある。
 食事は貧相なもので期待はできない。

 この日は隣に肥ったポルトガルのおばさん、そして真後ろの席に刺青やピアスを付けた若い男のグループが座っていた。
 隣のおばさんは食事にあまり手をつけていない。
 余程口にあわなかったのかもしれない。と思っていたら、右隣にいるMUZも残している、珍しいことだ。
 鈍舌の僕だけがきれいに平らげた。

 いよいよリスボンに着陸というアナウンスがあった。
 2ヶ月半ぶりのポルトガルである。

 今年の日本ではどっぷり梅雨に浸かるのを覚悟していた。
 それもたまには良いだろうとも思っていた。
 ところがこれが雨は全く降らずに蒸暑さときたら猛烈であった。
 日本滞在中の前半に既にまっ黒に日焼けしてしまっていた程だ。
 岡山の個展中はまだ6月だというのに連日35度を上まわっていた。
 朝、ホテルを出て個展会場の髙島屋まで僅か5分の距離だが、陰がなく頭のてっぺんに容赦なく太陽が降り注いだ。
 傘は一度も開いたことがなかった。

 リスボン上空の機内アナウンスではリスボンの気温は20度と知らせた。
 飛行機の真下に懐かしい夜景が見える。
 4月25日橋、バスコ・ダ・ガマ橋。
 いよいよ前方にはリスボン空港がある筈。

 その時、機体は大きく傾いたのだ。旋回でもないのに…
 さらに逆に大きく傾いた、かと思うと左右に揺れだしたのである。
 一瞬乗客たちは息を呑んでいて静寂そのものであった。
 機内の照明は既に消灯されていて、禁煙とシートベルト着用サインだけが不気味に赤く照らしだされていた。

 操縦席の扉は閉じられていて中の様子を見ることは出来なかったが、恐らく操縦士たちは機体を立て直すのに賢明になっていたのだろう。
 やがて乗客たちはざわめきはじめた。
 「なんて下手な操縦なのだろう」
 隣のおばさんは十字を切っている。
 うしろの若者たちはさかんに指笛を鳴らす。
 どこからか赤ん坊の泣き騒ぐ声も聞こえる。

 僕は1968年に初めての海外旅行で飛行機に乗って以来、いままでに数えきれないくらい飛行機に乗っている。
 航空会社もいろいろだ。舗装されていない草原の飛行場もあった。
 かつて南米最南端のフエゴ島に渡るために小さな飛行機に乗ったこともある。
 そこに行くにはそれしか方法はなかった。
 前もって他人から聞かされたことは「あの飛行機はキリモミ状態に回転をするよ。」というものであった。
 小さなプロペラ機でアルゼンチンの軍が運行していた。
 それでも機内でサンドイッチと飲物が出た。
 軍服を着た男の客室乗務員がお盆に干からびたチーズ入りサンドイッチを何度も運んできたのだ。
 その場所はいつも強風が吹いていていつ墜落してもおかしくない。というはなしであった。
 僕たちが乗った日はそれ程風は吹いていなかったのか、回転はしなかった。
 それでもかなり揺れたことは揺れた。

 今回はそれ以上に揺れている。
 パリ到着が大幅に遅れたためそれを取り戻すために機体の整備が出来ていなかったのではないのだろうか?
 とにかくこのランディングは異常だ。

 「ドスン」と強い音と衝撃が走った。
 すぐに逆噴射音が始まって、かなりのハードランディングとはいえ、なんとか無事に着陸したようである。
 薄暗い機内では拍手が起こった。
 そう言えば昔はランディングするたびに拍手が起こったものだ。

 リスボン空港を出るとこれが7月とは思えないほど冷たく強い風が吹いていた。
 急いでリュックから上着を一枚取り出した。

VIT

 

(この文は2005年7月号『ポルトガルの画帖』の中の『端布れキャンバスVITの独り言』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルの画帖』も見られなくなるとの事ですので、このブログに少しずつ移して行こうと思っています。)

 

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コメント
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