武本比登志の端布画布(はぎれキャンヴァス)

ポルトガルに住んで感じた事などを文章にしています。

175.ペンギン Penguim

2020-08-01 | 独言(ひとりごと)

 今夜も蒸し暑くて、まるで日本の夏の様だ。でも日本の夏はエアコンなしでは居られないから、それ程でもないのかもしれない。もう日本の夏など実は忘れてしまっている。

 日本の夏と言えばかき氷なども懐かしい。ポルトガルにもアイスキャンデーの様なものはあるが、かき氷はない。

セトゥーバル半島最西端、スターチスの原種が咲く断崖。ペンギンは居ないが断崖の壁には恐竜の足跡がある。(2020年7月31日撮影)

 アイスキャンデーと言えば、子供の頃、親父がよく『北極のアイスキャンデー』を買ってきてくれたのを思い出す。

 『北極』は難波の戎橋筋にあったアイスキャンデー屋だが、今もあるらしい。それは近所の駄菓子屋で買うアイスキャンデーとは一味も二味も違った美味しさだった。そして『北極のアイスキャンデー』のマークはペンギンである。

 ペンギンは涼しさの象徴的な生き物なのだろうが、北極にペンギンは居ない。南極周辺が主な生息地で、ペンギンの北限は赤道直下のガラパゴスまでで北半球には居ない。

 都城のかき氷は『白熊』と言ったが、白熊なら北極に居る。白熊は北極熊とも言う。その名の通り南極には居ない。それは自然界の生息地の話で『動物園』には北半球だろうが南半球だろうが両方ともに居る。

 涼しい筈の北極圏諸島のスバルバル島では2020年7月26日現在、21,7℃という史上最高気温を記録した。南極でも2020年2月には観測史上最高となる20,75℃を観測したばかりで、確実に地球温暖化は進んでいる。極地の氷は融け、世界各地で洪水が起こりやすくなっている。

 極地ばかりではない。7月28日、イラクの首都バクダッドでは何と最高気温51,8℃を記録した。これは勿論、観測史上最高気温ということになる。

 人間は39℃で心臓発作のリスクが生じ、40℃で大脳に危険が及んで、41℃で生命は危機に見舞われる、とされている。バクダッドでの51,8℃は想像を絶する気温だが、7月15日以来46℃超えがもう半月も続いての51,8℃だ。

 我々が住むセトゥーバルでも毎夏2~3回は40℃に達する日がある。エヴォラとベジャでは今日も40℃だ。

 二酸化炭素の排出量により地球を温室効果ガスが覆い、温暖化が加速しているといわれているが、ポルトガルでは毎夏、山火事が多発し、砂漠化が進んでいる。それでもポルトガルの山には油脂分の多いユーカリや松が経済樹として多く植えられている。それで尚更山火事が起こりやすくなっている。ユーカリは成長が早くパルプの原料となる。パルプは日本にも輸出されている。

 毎年春に帰国し、展覧会を催すのだが、そのついでに何処かここか楽しみに計画を練る。温泉に行ったり、動物園に行ったり、水族館に行ったり。今年は数年ぶりにお伊勢にお参りに行き、温泉に宿泊し、鳥羽水族館にも行く計画を立てていた。それがCOVID-19で帰国はしないので、全て無しになってしまった。ポルトガルに来て30年になるが帰国をしない年は今年が初めてである。

 僕も動物園や水族館は好きな方だが、MUZは焼き魚も好きだが、水族館がことのほか好きなのである。宮崎には水族館がないのが残念なのだが、動物園は立派なのがあり、昨年の帰国時には出掛けた。

 その前の年は兵庫県の王子動物園の筋向いの美術館で『美術家連盟展』というのがあって、それに出品した。そのついでに王子動物園にも入場した。ジャイアント・パンダが居ることでも有名な動物園である。

 ペンギンのプールの側面がガラスで覆われていて、ペンギンの泳ぐ姿が真近で見られるのが良かったと思う。そのガラスの前で小さな男の子が「ねえ、お母さん。ここは動物園なのに、何故ペンギンが居るの。」と言ってお母さんを困らせていたのが印象的だが、ペンギンは正しくは鳥類だ。鳥は動物園に居るべきだろうと思う。でもペンギンは水族館にも居るし、動物園にも居て人気は高い。泳ぐ姿はまるでマグロだが魚類ではない。歩く姿はよちよちとして可愛らしい。王子動物園には大勢のペンギンが居た。

 宮崎のフェニックス自然動物園にもわずかながらペンギンが居て、丁度餌やりパフォーマンスを見た。係の人がバケツに魚を一杯入れてきてペリカンと続いてペンギンに餌やりをするのだが、観覧者に見せて楽しんでもらう思考なのだ。その時は10人ばかりの人が楽しんでいた。係の人は餌をやりながらいろいろと説明をする。ペンギンは宮崎でも卵を産んで繁殖をするそうである。僕は「増えているのですか?」と尋ねてみたが、係の人の明確な答えはなかった。熱帯のペンギンだそうである。温かい宮崎でも飼育できることを強調したかったのだろうと思うが、あまり元気がある様には見えなかった。

 僕たちはかつてアルゼンチンを旅したことがある。というより南米の旅をした。一つの国に約1か月ずつをかけ、ブラジル、パラグアイ、アルゼンチン、チリ、ボリビア、ペルー、エクアドール、コロンビア、そしてホンジュラス、グアテマラ、ベリーズ、メキシコと1年ほどもかけて旅をした。中でもアルゼンチンは移動距離も長く多くの日数をかけた。

 以前に確か『LIFE』のグラビアに出ていたアルゼンチンのペンギンの大繁殖地のことが頭に残っていて、是非この目で見てみたいとかねてから思っていた。

 ブエノスアイレスの観光案内所で尋ねてみてもそれは判らなかった。「ペンギンは南極でしょう」などと言う。ブエノスアイレスから南下した。

 その間、イザベル・ペロン大統領失脚の軍事クーデターなどにも遭遇し、一時は生きた心地はしなかった事などもあったが何とか南下していった。

 アルゼンチンの中程まで南下したところで再びツーリスモで尋ねてみた。あったのである『ペンギンの世界最大の繁殖地』があったのである。

 そこからまる1日の日帰りツアーで10人乗りのジープをチャーターして行くことが出来るという話まで出来上がった。10人乗りと言っても運転手が1人であと9人が乗ることが出来る。それを2人で借り切るのはいかにも勿体ない。僕たちはその時に泊ったホテルでペンギンツアーの勧誘を行った。最初に話しかけたのが、イギリス人で体育の先生を休職して南米旅行をしていた青年。その彼がその話に乗って積極的に勧誘をしてくれた。僕たち2人の後を追うようにもう2人の日本人男性バックパッカー来る筈であったが、やはり翌日に到着した。それにアルゼンチン人の夫婦。それで7人が揃ったところでジープの申し込みをした。出発の朝、もう1組のアルゼンチン夫妻が参加することになり、それでちょうど9人が揃った。

 ジープは道なき道を行く。ところどころ牧場の柵などがあり、運転手は柵を開けては通過しそして閉めては再び進んで行く。途中アルマジロが疾走していたりもする。

 やがて海岸に到着。いるわいるわ。足の踏み場がない、とはこのことである。気を付けて歩かないとペンギンの巣を踏み潰してしまう。勿論ペンギンは抗議の声を上げる。恐らく何万羽、見渡す限りのペンギンである。10人の人類に対し何万羽のペンギンである。ペンギンは子育ての真っ最中であった。そして餌取りに海に出かけたり、また戻ってきたりと、1日観察していても飽きることはなかった。

 運転手の誘いで次の日も1日かけて『ゾウアザラシツアー』となり、前日の全員が参加した。

 ペンギンの大繁殖地を見てみたいという執念は感動に変わった。そしてツアーに誘った皆が感動し喜んでくれた。

 遠い昔、僕たちは未だ20歳代、1976年の話である。昔の話ではあるが、僕にとっての感動は今でも昨日の事の様に蘇る。

 ペンギンはマゼランペンギンである。

 大航海時代マゼランの船団はこの海で飢えに苦しんでいた。何でも口にしたそうであるが、そんな中でペンギンは食材として非常にありがたかった、と書き残している。

 その後、我々はマゼラン海峡を越え、フエゴ島にも行った。南極以外では最南端である。

 アルゼンチナ湖では天気も良くエメラルドブルーにきらきらと輝く氷河を眺めていた。突然、巨大な氷河の先端が湖に崩落したのである。それが津波となって襲ってきたのから急いで逃げたことなどもあった。若かったから逃げられたのであるが、まるで地球の縮図を見ている感があった。

 それからは南米の西側を北上し、チリ、ボリビア、ペルーと旅し、エクアドールまでやって来た。是非ともガラパゴスにも足を延ばしたいといろいろと方法を考えていた。軍にも掛け合った。出来ることなら船で行きたいとも思っていたが、結局ガラパゴスは観光ツアーに参加しなければ行くことが出来ないという話になったので断念した。

 エクアドールは名前の通り赤道直下の国である。赤道直下で泳ぐのも悪くはないと思って、エスメラルダ海岸と言うところで泳いだ。赤道直下の海水浴場である。赤道直下の筈だがこれが5分と浸かっていられない冷たさなのだ。寒流が流れているのだ。ガラパゴスにも同じ寒流が流れている。この冷たさなら赤道直下にペンギンが居てもおかしくはない。やはりペンギンは寒い地域の動物なのである。

 南国宮崎フェニックス動物園のペンギンも実はかき氷やアイスキャンデーが食べたいのだ。氷の浮かぶ海でこそ、本来の姿なのだ。ペンギンの為にも次の世代の人類の為にも地球温暖化は何としても避けなければならない課題だ。

 70歳を超え、何とか戦争には参加しないで済んだ人生で良かったと思うが、最終章で思いもよらない新型ウイルス禍。多くの同級生、親友などがCOVID-19のことなど知らない内に逝ってしまっている。COVID-19の為に週一の買い物以外は殆どを家で過ごすことを余儀なくされている。元々家に居て仕事をする生活だから何も変わらない筈なのだが、案外と何をする気にもならない。この際、人生を反芻するにはよい機会かな、などとも思っているが、若かりし頃に実にいろんなことをやってきた事が、本当に良かったのだと感じている。VIT

 

『フェルディナンド・マゼラン』(1480年 - 1521年4月27日)は、大航海時代のポルトガルの航海者、探検家である。1519年に始まる航海でスペインの艦隊を率いた。マゼラン自身は航海半ばの1521年にフィリピンのマクタン島で戦死したものの、部下のスペイン人フアン・セバスティアン・エルカーノが艦隊の指揮を引き継ぎ、1522年に史上初となる世界周航を達成した。マゼランは1480年ごろにポルトガル北部ミーニョ地方ポルト近郊ポンテ・ダ・バルカの下級貴族の生れである。1519年8月10日、セビリアを出港、1520年10月21日、後にマゼラン海峡と呼ばれる大西洋と太平洋を結ぶ海峡に到達、11月28日に海峡から太平洋へ抜けることに成功している。

<フェルディナンド・マゼラン – Wikipedia>

 

『マゼランペンギン』鳥類、ペンギン科、ケープペンギン属。

学名:Spheniscus magellanicus、

別名:マゼラニックペンギンジャッカスペンギン

体長約70cm、体重約3.8kgでペンギンの中では中型。繁殖地は主に南アメリカの大西洋岸および太平洋岸。保護区となっているアルゼンチンのプンタ・トンボ(en:Punta Tombo, 南緯45度)が有名で、繁殖期になると50万羽ものマゼランペンギンが集まってくる。また、フォークランド諸島でも繁殖する。 巣は森の中や草原、裸の土地などにもあり、巣が掘りやすいところではトンネルを掘る。 成鳥は5-8月の殖期以外の時期は、遠洋を移動しており、めったに上陸しない。9-10月に繁殖地に戻り、10月に卵を2つ産む。抱卵期間は39-42日間で、雌雄が交代で卵を抱く。孵化後29日間は、警護期で片方の親鳥が必ず巣におり、ヒナを守っている。その後、巣立ちまでには40-70日かかる。 場所に対する忠誠度が高く、特定の個体が何年間も同じ場所に巣をもうける場合が多い。つがいの絆は強く、長く続く。 (Wikipediaより)

 

 

『端布キャンバス』 エッセイもくじ へ

 

コメント

174. 逃げ出したサルサ Salsa escapou

2020-07-01 | 独言(ひとりごと)

 マンションの正面側にあたる我が家北側のベランダには幾つかのプランターが並べられていて、『月下美人』とニラ、それにサルサが育っている。

 月下美人は1997年にポルトガル在住日本人の方から小さな苗を頂いたものが大きく育ち、切り詰められ、株分けされて3株になっているが毎年たくさんの花を咲かせて楽しませてくれていて、今も6つの蕾が成長中だ。

ベランダで成長中の『月下美人』の蕾。お向かいの紫はジャカランダ。赤はブーゲンビリアそして夾竹桃。2020年6月30日、北側ベランダで撮影。

 花が終わった後の花殻は納豆御飯ならぬ、月下美人飯として頂く。オクラ程のぬめりがあり花の香りもほんのりと残り生卵を混ぜると絶品である。

 ニラも同様に日本人の方から数株頂いたもので、我が家では定期的に餃子を作るがその材料になる。ニンニクも白菜も使わないでニラと豚肉だけのニラ餃子で、食べると元気が出る。

 サルサとはパセリのことで、日本ではいわゆるイタリアンパセリとして売られているものだ。数年前にスーパーで買ったサルサに根が付いていたのでプランターに植えておいたのが、それも勢いよく育ち、スパゲッティーやピザに刻んでのせるが、使いきれない程の勢いで増え、花を咲かせ、種を付けた。その種をプランターに蒔いておいたのが、今また花を咲かせている。ベランダの植物は我が家では全て食材である。

直径3mmほどのサルサの花。2020年6月30日、北側ベランダで撮影。

 我々は毎年、春の2~3か月を日本で過ごす。展覧会のために帰国するのだが、その2~3か月は誰も水遣りをしない。北側のベランダで放ったらかしにされる。たまには雨も降るのだろうが、ベランダには屋根があるので、吹き込む分だけの雨だ。

 今年に限ってはCOVID-19のために帰国できないでずっとセトゥーバルの我が家に居るのでしっかりと水遣りは出来ている。

 昨年までの場合、2~3か月してポルトガルの我が家に戻って来るとさすがに傷んではいるが、水を遣ると息を吹き返す。鍛えられた根性の逞しい月下美人、ニラそしてサルサである。

 我々が留守の間でも月下美人は花を咲かせたのだろう。豪華な花は地上からも見えたらしく、ある日、マダレナ小母さんが「挿し木をしたいのでひと葉下さいな。」と言われた。葉はすぐに根付いたらしく、それをマリアさんに話したのか、マリアさんも「私も育てたいのでひと葉下さい。」というので、差し上げたが、さすがに留守がちの我が家よりも立派に育っている様だ。「この花は食べるのですよ」とは言わない。それは内緒である。

 先日、出掛ける前に我が家の真下に駐車している我が家のシトロエンを掃除していると、窓からマリアさんが顔を覗かせ挨拶を交わした。

 そのクルマを駐車している定位置のすぐ後ろ側に実はサルサが自然に生えていて結構大きく育っている。我が家のベランダから種がこぼれたのだ。サルサの株の中にはニラも一筋育っている。ベランダではニラも毎年花を咲かせ種を付ける。

 マリアさんに「これはサルサですよ。」と言うと、マリアさんは怪訝な顔つきで「本当?」と言った。それこそ誰も水も肥料も遣らないし、壁との隙間の僅かな石畳の目地のところに生えているのだからメルカドやスーパーで売られているサルサとは比べ物にならないみすぼらしさで雑草の如くだが、確かにサルサなのだ。それも数株が生えている。

 僕は「我が家のベランダで育てていて、その種がこぼれたのです。」と言った。

 マリアさんはそれで納得はした様だが、決してちぎって使うことはしないだろう。何故なら、近所の犬の散歩コースで多分におしっこが掛かっているに違いない。

 この場所は市から委託された清掃人が定期的に掃除と草刈りにやって来るが、我が家のクルマが壁際に駐車されているのでサルサは残された格好になっているのだろうと思う。それでも今以上に育つと、たぶん切り取られる運命なのだろう。VIT

石畳の隙間に種がこぼれて育ったサルサとニラ。2020年6月16日、我が家の駐車スペースで撮影。

 

サルサ

セリ科、Apiaceae、オランダセリ属、地中海沿岸地域原産、

学名:Petroselinum neapolitanum、

和名:イタリアンパセリ、

英名:Italian Parsley、Flat Leaf Parsley、伊名:Prezzemolo、葡名:Salsa、Salsinha、

 

 

『端布キャンバス』 エッセイもくじ へ

 

コメント

173. 復興の日 Dia de reconstrução

2020-06-07 | 独言(ひとりごと)

 別にCOVID-19 に感染したわけではないが、COVID-19 騒ぎの後遺症で何をする気もしない。意を決してキャンバスを張ってみたが、11枚を張った途中でホッチキスが壊れてしまって、使い物にならない。せめて用意をした13枚を張りたかったのだ。木枠と切ったキャンバス2枚が残ってしまった。仕方がないので11枚の地塗りを始めているが、2枚分が心残りで、なかなか進まない。アトリエの外では COVID-19とは無関係にツバメやメルローが飛び交い、ジャカランダが満開になっている。

お向かいの庭のジャカランダとその奥にブーゲンビリア、そしてパルメラの城遠望。(2020年6月6日アトリエの窓から撮影)

 

『端布キャンバス』 エッセイもくじ へ

コメント

172. 外出禁止令 Fique Em Casa

2020-04-01 | 独言(ひとりごと)

 こんな経験は初めてのことだ。

 帰国予定は2月29日であったが、熟慮した結果その10日前の2月18日に航空券のキャンセルをした。

 その頃は中国武漢で広がっていた新型コロナウイルスは横浜港に停泊の豪華客船『ダイヤモンド・プリンセス号』の乗客への対処などポルトガルのニュースでも連日取り上げられていた。

 その頃はまさかヨーロッパがこんな状態にまでなるとは予想はしていなかった。キャンセルをしたのはもし日本に帰っても今度はポルトガルに戻って来られなくなる恐れを感じたからだ。

 この際、いつもは居ない時期のポルトガルの野の花の観察をするのも楽しみであった。

 その後、あれよと言う間に、中国からイタリアにシフトしてきたのだ。そしてお隣のスペインでも爆発的な勢いだ。

 3月31日現在、新型コロナウイルスによる世界での死亡は3万8714人、感染は80万0049人、回復は17万0325人。イタリアの死者は1万1591人、感染は10万1739人。スペインは8189人の死者、9万4417人が感染。ポルトガルの死者は160人、感染は7443人。

 それを受けてポルトガルの厳戒態勢は3月初旬から始まっていた。

 小さな国境は封鎖。幹線の国境も物々しく規制されている。物流トラックなどの出入りは出来る様だが、一般車両は検問されている。

 そして『外出禁止令』である。

 不要不急の外出は禁止である。スケッチにも行かれないし、野の花観察にも行かれなくなってしまった。

 ベランダから見る限り人通りもクルマの往来も極めて少ない。

 と言っても一応の外出は出来る。スーパーでの日々の買い物。銀行、郵便局も開いている。犬の散歩も可能だ。

 先日、銀行に行ったが、行員はガラス越しの対応だ。用件を聞かれて1人だけ中に入って用件を済ませる仕組みである。行員は勿論、マスクにゴム手袋姿である。

 スーパーでは入場制限が行われ、スーパーの周りを長い行列が取り囲んでいる。長い行列と言っても2メートルの間隔を開けての行列であるから自ずから長くなるのは必至だ。店内に何人と決められているのだろう。1人が出てきたら1人が入り、2人が出てきたら2人が入られると言う仕組みで、入り口でガードマンがものものしく指示を出す。買い溜めをしている人も居ない様だし、商品もほぼ変わりなく揃っている。

 我が家ではその以前からコメの買い溜めはしているし、非常食としての乾麺やクラッカー、ビスケット、缶詰類などの買い置きはあるので一先ずは安心である。

 テレビのニュースは新型コロナウイルス一色である。

 なかには家での過ごし方情報などもある。子供との遊び方、家の段差を使ってのジャズダンスなどの運動の仕方、インターネットで離れた人同士でコーラスとか、ポルトガルの民謡で掛け合い漫才の様な歌を離れた人とやりあうとか。なかにはベランダでマラソンを完走した。などと言う情報もある。

 マラソンと言えば東京オリンピックは1年延期である。当然だろうと当初から思っていた。

 野の花観察にも行かれないが、ビーチなども禁止だ。ここから見えるトロイアのビーチにも人影はない。天気の良い土日など、普段なら大勢の日光浴の人で賑わっている筈である。ビーチを警察官が見回っているニュースもある。

 3月28日(Yahooニュース)ではニューヨーク、マイアミ、シドニー、東京…命令や勧告を無視してビーチや公園に群れ集う人々。と言った記事も出た。コロナウイルスが世界中で拡大し続ける中、影響を受けた国や都市では抜本的な対策として、公共の集まりを制限し、社会的な距離をとることを推奨している。自宅待機が勧告され、不必要な旅行は制限されているにもかかわらず、公園、ビーチ、人気のハイキング・コースに人が群がっているため、より厳しい規制が必要になるかもしれない。とある。

 ポルトガル人は案外と真面目で規則は守られている様に思うので、今のところその必要はなさそうである。

 我々は普段から引き籠り状態であるから家に居ることにあまり苦にはならない。

 元々家で絵を描いて過ごしている生活である。

 でも家でばかリ居なければならないと言うのも長引くと苦になって来るのだろう。

 先日、『400デイズ』という映画を観た。宇宙飛行士志望の女性一人を含む若者4人が宇宙に見立てた地下の外部と遮断された設備で400日を過ごすと言うもの。想定されているのか想定されていないのか様々なトラブルが発生する。やがて幻覚などを観るようになり、いざこざが起こる。

 人はなかなか密室の中だけでは生きられない。

 我が家では幸い陽の光も差し込むし、野鳥の歌声なども楽しませてくれる。

 海外で生活していると日本に居ては感じない様なことも経験する。

 僕たちが最初に海外に住んだのは1971年のストックホルムであった。日本でアルバイトをして貯めたお金をドルに替えて持ってきた。1ドルが固定相場制で360円での両替であった。それが連動相場制になり1年程の間にみるみる下がり1ドル200円にまでなっていた。僕たちは若かったしスウェーデンでアルバイトをし、スウェーデン・クローナを稼いだのであまり苦にはならなかった。

 スウェーデンからおんぼろVWマイクロバスでイスタンブールまで旅行した。イスタンブール滞在中にキプロスが怪しい。というニュースを耳にした。急ぎギリシャ国境に向かった。国境の手前の往きにも泊まったキャンピング場に着いた。ここまで来れば大丈夫と思った。夜中じゅう、トルコ側からギシギシギシギシという音と共に戦車が走ってくる。朝、国境を超える時には100台くらいもの戦車がカモフラージュして国境線に集結していた。

 国境は超えられたが銀行も両替所も閉鎖でギリシャ・ドラクマはないままだが、出来るだけ国境からは離れたかった。ガソリンは少なくなり、食事もドラクマがないために出来ない。

 一方ギリシャ人たちは僕たちには構ってはいられない。自分の国が隣のトルコとの戦争になるのだ。国境から内陸に入るに従って、今度はギリシャ軍の戦車の車列でその度に道を譲らなければならないのだ。

 町のパン屋は焼き立てのパンを戦車に投げ込み、いかにもみすぼらしい老人までもが煙草を1カートン買い求め、1箱ずつ戦車に投げ込んで「頑張って来いよ」という訳である。

 夜になりドラクマがないことを言わずにホテルに泊まった。ホテルはスウェーデン・クローナで受け取ってくれた。お釣りをドラクマで支払ってくれてようやく食事にありつくことが出来た。食事に出ようとクルマのライトを点けた。途端に何処からか大声で怒鳴られた。空襲を受けると言うのである。ライトを消し暗がりの中走った。僕たちも戦争とはこういうものなのかと少しは感じることが出来たのだと思う。幸いその当時のキプロス紛争は1日で終わったが、紛争自体は今も燻っていて、何時再燃するとも限らない。

 同じ様な経験はアルゼンチンでもあった。1974年3月24日、イザベラ・ペロンが失脚した時である。世界初の女性大統領である。アルゼンチンで人気の高かったエヴィータ(エヴァ・ペロン)の再来かと期待されたが経済政策に失敗し、僅か2年足らずで軍事クーデターにより失脚した。

 その時、我々はブエノスアイレスから南に下る夜行バスに乗っていた。突然バスが止められ乗客は全員下ろされバスに手をついてホールドアップさせられた。僕はゲリラか山賊だと思った。軍人は軍服の上に寒いものだから毛布を被っていて、皆が自動小銃を持っていた。殺されるかもしれないと思った。目的の町に着くまでに3度も同じような検問を受けた。隣にいたアルゼンチン人がこれは軍だから大丈夫だと言ってくれて少しは安心した。

 更に南下した。ペンギンの大繁殖地がある筈だとの情報があった。チャーターするジープは9人乗りだったので僕たち以外に7人を集めなければならなかった。ホテルの宿泊客を勧誘した。ペンギンの大繁殖地には僕たちも感動したが、誘った全員が喜んでくれた。

 その中の一人に教師を休職しイギリスから来た体育の先生がいた。その彼と暫く一緒に行動をして、イギリスからの移民のお宅などにも伺ってイギリス風のお茶とお菓子をご馳走になったことがある。その彼がその後、イギリス領のフォークランドに行くと言っていて別れた。フォークランドも初めて聞く名前でこんなところにイギリス領があるのかと思った。その10年後、フォークランド紛争が勃発した。鉄の女サッチャー首相が有無も言わせず大量の軍を投入した。

 今も世界では領土問題が数多くある。

 密室に閉じ籠っているとどうも悪い方に悪い方に考えがちになる。

 新型コロナウイルス以来ヨーロッパではDV家庭内暴力事件が増えているそうである。

 この新型コロナウイルスが端を発して、世界大恐慌が起こらないとも限らない。

 大恐慌になれば預金などは紙くず同然になるかも知れない。先日のヴェネズエラの様な事が世界で起こらないとも限らない。物価は100倍に跳ね上がる。1リッターの牛乳が50ユーロ。1キロのコメが100ユーロになってしまうのだ。たちまち預金は底をつく。

 家はあるからホームレスになることはないが、電気、水道、ガスなどが払えないからストップされてしまうだろう。いや、固定資産税も払えないから追い出されるかもしれない。

 大恐慌になれば、アメリカと中国との経済戦争が軍事衝突にもなりかねない。そしてイスラム圏諸国やロシアを巻き込んで第3次世界大戦に発展する可能性も懸念される。

 世界大戦ともなれば戦闘機か軍用機以外の旅客機は飛ばない。日本へは帰ることが出来なくなる。

 お腹を空かしてとぼとぼとスーパーに入る。お腹が空き過ぎて幻覚が生じ始める。パン売り場の棚でパンが僕に話しかける「僕は美味しいよ。盗っちゃえば」などと言う。服の下にパンを隠しレジを素通りしようとして捕まる。そんなことを何度か繰り返して常習犯となり刑務所に送られる。刑務所に入ってようやく食べ物にありつく。

 こんな年齢になってそんなことにはなりたくはない。でも心細いことこの上ない。

 絵画などは到底売れない時代が来る。まして僕の下手くそな絵などは。

 実は先月の3月28日(土)は『武本比登志ポルトガル淡彩スケッチ展』の展示日であった。

 そして2020年3月30日(月)からその展覧会は始まっていて、きょうは3日目。まさに今行われている僕の個展で4月4日(土)までである。

 個展は画廊の方々のお世話で何とか始まっている。

 僕の居ない僕の個展はこれまでにも3度ほどあった。画廊主催での個展である。

 大阪心斎橋のそごうでもあったし、梅田大丸画廊でもあった。鳥取のホテルでも催して頂いたこともある。何れも僕はポルトガルに居て観ていない。その時の案内状だけは今も僕の手元にある。

 是非、僕の代わりに見に行ってください。お願いします。マスクをしっかりとして。VIT

 

『端布キャンバス』 エッセイもくじ へ

 

 

コメント

171. 帰国断念 Abandonar o retorno 2020-03-01

2020-03-01 | 独言(ひとりごと)

 きょう3月1日、日曜日には既に宮崎の自宅に居る筈であった。

 当初の予定では2月29日(土)セトゥーバルの自宅で朝食を済ませた後、10時にタクシーを呼び、精一杯の荷物を持ちマンション階段を喘ぎながら下し、タクシーに積み込み、自宅前を出発、11時にリスボン空港に到着、搭乗手続きを済ませ、14:20発、フランクフルト経由、羽田経由で宮崎に3月1日、19:30着。宮崎空港からタクシーで10分。自宅に到着、風呂にも入り、ベッドに横になりながら久々の日本の、日本語のテレビでも観ていた頃なのかも知れない。

 それがそうではなくセトゥーバルに居る。

 

セトゥーバル郊外の山道に寂しく2人寄り添って咲く、これでも蘭、その名もゲンナリア蘭。『学名:Gennaria diphylla』(2020年2月27日撮影)

 帰国のための航空券をインターネットで買ったのは2019年9月20日であった。例年の事なのだが、2月~3月頃に帰国する航空券を早々と秋口に買う。展覧会の日程は決まっているから、自ずから帰国日程は決まる。早くに購入しても構わない訳で、早くに購入すると良い席が選べる。それは2人掛けの席を確保するためだ。2人掛けと3人掛けではかなりの違いを感じる。他人が横に座ると気を使うし、落ち着けない。2人だけだと気を遣うこともなく落ち着くことが出来る。2人掛けだとエコノミークラスで充分、ビジネスクラスは必要がない。と言うことで早々と予約し航空券を購入する。普通なら変更はしない。

 そしてそれに沿って帰国旅程表を作成する。勿論、自分の展覧会を中心にして空いた時間などに日本国内の旅行なども考える。帰国中にしなければならない用事なども書き込む。

 断念に至ったのは言うまでもない『新型コロナウイルス』(COVID-19)である。

 航空券をキャンセルしたのは帰国予定の10日前。2月18日(火)のことであった。

 それまではさんざんと考えていた。

 同時に一方で帰国の準備も怠りなくやっていた。

 帰国に当たっては先ず、1年間に描いた30点程の油彩の荷造り準備が必要なのだ。キャンバスが木枠に張られている。それを外して巻く。帰国の1か月前に保護剤の『ヴェルニ』と言う液体を表面に塗る。1週間程度乾かしてから外していくわけだが一気にやるわけではなく少しずつである。先ずキャンバスの裏面の釘を外し、周りも間引きして半分ずつ外していく。その半分の状態の時に帰国断念の決定をした。

 毎日のニュースを見て考えていた。未だパンデミックには至らなくても収束の見込みもなさそうに感じていた。ピークは4月頃とのニュースもあった。4月なら丁度僕の個展の最中だ。

 MUZは数年前にヘルペスという厄介な病気に罹り、それ以来急激に体力が低下している様に思う。昨年は帰国中、宮崎で2度の酷い転倒をし、顔に傷を作り歯が2本折れた。飛行機に乗るのも年々辛くなってきている。機内食が喉を通らない。

 健康な人なら何でもなくても飛行機の密室の中、少しでもウイルスがあれば感染しやすい体質になっているのではないだろうか、などとも考えたのである。

 幸い今年の個展は油彩ではなく、淡彩スケッチの個展である。その他にはグループ展が2つ。油彩はグループ展用だ。

 淡彩スケッチの個展は画廊主催であって、2017年にも1度催らせて貰っている。僕が居なくても何とか出来るのではないか。いや、僕が居てもあまり役には立たない。と思い至ったのである。画廊の方には多大なご迷惑をお掛けすることになり、申し訳ない気持ちで一杯だ。

 そしてインターネットでキャンセルの手続きをしてみた。当初は全く戻ってこないと思っていた航空券代の約半額は戻って来るそうである。

 マサゴ画廊の方には快く応じて頂いた。

 マサゴ画廊には淡彩スケッチ40点余りを書留で郵送した。A4の画用紙なので嵩張らないし、荷造りは簡単だ。1週間で届いたそうで一安心である。額縁は前回もマサゴ画廊を通して作って頂いたから慣れておられると思う。

 ギャラリーキットハウスのグループ展『大阪芸術大学美術科4期生同窓会展』には油彩を出品する予定であったが、それにも淡彩スケッチの出品に切り替え、僕のスケッチ2点とMUZの絵2点の合計4点を兄に郵送した。それも届いたそうである。実家に置いてある額縁に入れて長居のギャラリーキットハウスに搬入してくれることになっている。

3月1日ギャラリーキットハウスから中止のメールが届いた。

 帰らなくなったと言ってもセトゥーバルの生活は緊張の連続である。日本人の僕たちはどうしても中国人に見られる。ポルトガル人にしてみれば東洋人は皆一緒で区別はつかない。それでなくても縫製工場などが中国にとって代わられ閉鎖倒産、ポルトガル人の失業者が相次いでいる。他方で中国にはポルトガルワインがおお売れ。中国からの観光客がポルトガルに押し寄せ、ポルトガルはかつてない観光ブーム。ポルトガル人にとっては複雑な心境なのではないだろうか。

 そして今回の中国、武漢から発した新型コロナウイルス。

 暫くは毎週恒例の露店市にも行かないことにし、スーパーに行くにも空いている日、空いている時間帯を狙って買い物をしているし、レストランなども遠慮する始末。

 ポルトガルでマスクをしている人など見たことがないのに、薬局ではマスクは売り切れ。スーパーの消毒用アルコールの棚も空っぽ。

 一方、野の花観察はあまり人と出会うこともなく、のんびりとくつろげるので、この際と思っておにぎりの弁当を作っては出掛けたりしています。

 展覧会『武本比登志ポルトガル淡彩スケッチ展』には40点を展示して頂けることになっています。僕は画廊に居ませんが、是非、僕のスケッチに会いに行って下さい。

 勿論、展覧会の他にも日本ではすることが、帰国中にしなければならないことが山ほどあったので、それを考えると頭が重く痛い3月1日です。武本比登志

<展覧会日程>

『第7回大阪芸術大学美術科4期生同窓会展』中止

3月13日(金)~3月25日(水)10:00-19:00(最終日は午後5時まで/木曜定休)

ギャラリーキットハウス 〒558-0004 大阪市住吉区長居東 3-13-7 電話 06-6693-0656

『武本比登志ポルトガル淡彩スケッチ展』

3月30日(月)~4月4日(土)11:00-19:00(最終日は午後5時まで)

マサゴ画廊 〒530-0047 大阪市北区西天満 2-2-4 電話 06-6361-2255

『NAC展』

4月6日(月)~4月11日(土)11:00-19:00(最終日は午後5時まで)

マサゴ画廊 〒530-0047 大阪市北区西天満 2-2-4 電話 06-6361-2255

 

『端布キャンバス』 エッセイもくじ へ

 

コメント