武本比登志の端布画布(はぎれキャンヴァス)

ポルトガルに住んで感じた事などを文章にしています。

156. 鳥 Ave 鴉 Corvo

2018-08-31 | 独言(ひとりごと)

 今朝方、歯を磨いている早朝、東の空に5機の戦闘機。リオ・フリオ基地から飛び発ったばかりなのだろう、機体は上向き角度。真っ赤な日の出を横切る様に南の空へ。

 コーヒータイムには、珍しく我が家の側の1本松のてっぺんに10羽ほどのコガラスがやってきて、10分ほど煩く騒ぎ立てていたかと思うと瞬く間に北の空に飛び去ってしまった。

 

 当初、我が家の周りには数十本もの松の木があった。

 先ずは北側の向かいにある、お屋敷の周りをとり囲んでいた10本ほどの松の大木が切られた。その様子をアトリエの窓から絵を描きながら1日中見ていた。お陰でパルメラの城が見通せる様になり1枚の絵になったし、国道10号線の向こう側の牧場で羊が草を食む姿も確認できる様にもなった。

 南側の水道局の空き地にも大小十数本の松の木があって、大木には子供たちのブランコが作られていたがそれも含め幼木も全て切られた。随分と見晴らしが良くなって、市バスの運行から人々の乗り降りまで見られるのと同時に風当たりも強くなってしまった。クリスマス前には近所の女将さんがノコギリを片手にクリスマスツリー用にと、形の良い幼木を切り取りに来ていたりもしたがそれも出来なくなってしまった様だ。

 南東方向には5本の松の大木が残っていて、小さな森を作っていた。その森のお陰で街の中心、ボカージュ広場からは我が家は隠れる格好になっていた。渡り鳥の絶好の中継点で季節ごとに違う鳥の姿が確認できたし、様々な囀りを楽しんできた。

 それが今年になって5本の松の内4本が切り倒され大きな丸太が転がされ、今もそのまま放置されている。

 隣のお屋敷の敷地内にある大木1本だけが残っている格好で、欲目で見てみると1本松と呼ぶに相応しい風格を備え始めている。その1本松のてっぺんに、今朝は10羽ものコガラスがひしめきあい騒いでいた。

 我が家は丘の頂上にあり、数十本も松の木があった以前から様々な野鳥が飛来するオアシスになっていて、木が切られればそれがなくなるかと思っていたが、やはり気のせいか野鳥の囀りは少なくなった。メルローなども見晴らしが良くなっただけ鳥の動きがこちらからも観察できるようにもなったが一本松には来なくなって遥か下の方を飛んでいる姿だ。

 今までも野鳥の姿をデジカメに収めようと何度か試みたが逆光でしかも小さくしか撮れないので野鳥の撮影は半ば諦めている。

 メルロー(クロウタドリ 学名:Turdus merula)とシラコバト (学名:Streptopelia decaocto)、それに渡り鳥のツバメ (学名:Hirundo rustica)だけは名前が分かっているが、小さな野鳥に関しては名前も何も判らないでいる。せめて写真が撮れれば検索をして調べることも出来るだろうにと思う。

 この時期は港の近くにいるカモメ も冬になれば我が家の側で飛び始める。何種類かのカモメが来る様だがそれも名前が判らない。

 ポルトガルに来る前の宮崎では、山の中に住んでいたものだから様々な野鳥を見ていた。

 店のガラス窓にアカショウビン が体当たりしたことが2度もあるし、池の稚鯉を狙ってカワセミ ゴイサギ が姿を見せていた。壊れた雨樋にはシジュウカラ が雛を育てていたし、ジョウビタキ キビタキ も季節には必ず飛来していた。春にはウグイス がカジカと競い合うように歌の練習をしていたし、藪椿の木を移動しようと掘り返していると、シャベルで放り投げた土のてっぺんにルリビタキ がちょこんと飛び乗り愛嬌を見せてミミズを催促していた。冬には敷地を取り囲む小川にマガモ  の群れが飛来したりもしていた。仕事が忙しくてゆっくりは観察が出来なかったけれど、それこそ野鳥の楽園の只中に暮らしていたことになる。

 そして今も、松の木が1本だけになってしまったとはいえ、野鳥を観察しようと思えば居ながらにして観察できる位置にいることになる。

 クルマで10分も走れば古いオイルサージン工場の煙突のてっぺんでコウノトリ が子育てをしている姿があるし、その先の塩田では毎年越冬にやってくるフラミンゴ の群れを見ることも出来る。そしてその辺りでは様々な水鳥が観察できる。

 我が家の側の松の木には、ついこの2年ほどのことであるが、時々、コガラスが姿をみせる。たいていが3羽ほど。アレンテージョに行く途中でも沿道で時々コガラスを見かけていた。何故か3羽ということが多い。宮崎などに居るハシブトガラスの様な、いかにも獰猛なカラスではなく一回り小さく嘴も細いコガラスであるが、真っ黒であるし、鳴く声はやはりカラスであるから騒々しい。そして来ると決まって松の木のてっぺんに止まり一声二声カァーカァーと鳴き叫ぶ。

 それが今朝は10羽も姿をみせた。10羽に1本の松の木では少々狭すぎるのか10分ほど騒いだ後、北の方角に飛んで行ってしまった。

 コガラスが居つくことはないだろうが、居ついてメルローなどを脅かす存在にならなければ良いがと思う。コガラス、コガラスと書いているが実は正式な名称は知らない。

 昔、未だポルトガルに来たばかりの時、リスボンのサン・ジョルジョ城の一角に、動物園にある様な鳥小屋が作られていてその中に2羽のカラスが飼われていて不思議に思っていた。

 今年の帰国時に神戸の王子動物園の向かいの美術館でグループ展があり出品した。そのついでに王子動物園にも寄ってみた。パンダもいたがペンギンもいた。

 ペンギンの水槽の前で小学生の男の子が「おかあさん、ここは動物園なのになんでペンギンがいるの?」と言ってお母さんを困らせていたのが印象的であったが、僕は自身の子供時代はこんなのではなかったかなと思い可笑しかった。その男の子は『僕はペンギンが鳥であることを知っているのだぞ』と言いたかったのだろうが、もう少し大きくなれば鳥類も哺乳類と同じ動物なのだと判るのだろう。

 リスボンの市章は帆船の舳先と艫に2羽の鴉が止まり、サグレスからリスボンまでの航海でサン・ヴィセンテの遺体を守ったとされる絵柄である。

 サッカー日本代表のエンブレムは3本足の鴉。八咫烏(ヤタガラス)という日本神話にも登場するカラスで、神武東征の際に、高皇産霊尊によって神武天皇のもとに遣わされ、熊野国から大和国への道案内をしたとされるカラス(烏)である。東西で何だか似ていないでもない。

 最近はカラスと言えば残飯を食い散らかし、人間にも襲い掛かる厄介な存在に見られているが、昔はそれ程でもなかった。

 子供の頃、友達と遊んでいて遊ぶのに飽きたりすると「カァ~ラァスゥが 鳴ぁ~くぅから 帰ぁ~えろぉ」などと言いながら家に帰ったものである。カラスは夕方のイメージがあるのかも知れない。

 ♪カラス何故なくの カラスは山に 可愛い七つの子があるからよ。

 ♪可愛い可愛いと カラスはなくの 可愛い可愛いと鳴くんだよ。

 ♪山の古巣へ行ってみてごらん 丸い目をした いい子だよ。

 と大正10年(1921年)野口雨情によって作られた童謡『七つの子』であるが、今も歌われ続けている。

 ゴッホの絵に『カラスが群れ飛ぶ麦畑』というのがある。パリ郊外オーベール・シュル・オワーズでの最晩年の絵だ。僕たちがオーベールを訪れた時にも麦畑に多くのコガラスが飛び交っていた。その麦畑でゴッホは自らの胸にピストルを押し当て発射した。オーベール・シュル・オワーズはゴッホ終焉の地として知られ、弟テオと並んでのお墓もある。

 カラスと言えばヒッチコックの『鳥』(The Birds)を思い浮かべ恐ろしい印象であまり良いイメージはないが本来は縁起の良い鳥なのかもしれない。

 映画と言えば先日『バードマン』(Birdman)という変な映画を観た。『あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』という長い副題がついている。内容は・・『ハリウッド映画で、スーパーヒーローの『バードマン』を演じた俳優がその後、鳴かず飛ばずで、いつしか60歳になってしまっていた。一念発起してブロードウエーに挑戦することにし、友人に脚本を依頼、自らプロデュース、演出、主演を務めるが陰にはいつもバードマンが寄り添う…。ブロードウエー演劇の最後の場面は自分の頭にピストルを発射して自殺で幕。となるのだが、最後には演劇用のピストルではなく本物を使う。弾は急所を逸れて鼻を捥いだだけで生き延びてしまう。整形された鼻はバードマンの様に尖ってしまっていた。病院の窓から自殺をしようと飛び降りるがバードマンだから空高く飛んでしまっている。』

 人は大昔から飛ぶことに憧れを持ってきた。レオナルド・ダ・ヴィンチのスケッチにもヘリコプターの様な設計図が残されている。

 ポルトガルでは毎年どこかでパラペンテ(パラグライダーと言うのだろうか、丘の上からまるで鳥の様に飛び上がり舞い降りていく)の世界大会が行われていて、アラビダ山の頂上付近にもその飛び出し台が設えられている。ベテランになればその着地点を寸分違えず降りることが出来るそうである。でもそれも鳥の様に低いところから飛び上がることは出来なくて必ず高い所から飛び降りるのだから、未だ「人は鳥の翼を手に入れた。」とはいいがたい。せいぜいムササビの飛行だろうか?

 でもドローンに人が乗られる様にでもなれば『バードマン』も夢ではなくなるのかも知れない。進化し続ける人類はその内、鳥の領域も冒してしまう時が来るのだろう。いやもう既に半分は鳥の領域を冒しているに違いない。

 臆病でおとなしくて何も言わない鳥類。そんな中にあってカラスだけは怒っている。VIT

 道端で見かけた塀の落書き、口から発せられるアラビア語(黄色)、ポルトガル語(緑)、日本語(赤)、英語(青)で『愛』の文字、そして(黒い)カラス。

 

 

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