武本比登志の端布画布(はぎれキャンヴァス)

ポルトガルに住んで感じた事などを文章にしています。

135. ポルトガルのアジサイ Hortênsia

2016-06-30 | 独言(ひとりごと)

 

 きょうは久しぶりに露店市を歩き回った。第4日曜日なのでモイタだ。昼過ぎに到着したので先ずは腹ごしらえ。でもいつも露店市でなじみにしているジョゼの店は随分前からこのモイタからは撤退して出店していない。たぶんモイタはお客が少ないので、比較的大勢のお客で賑わうアゼイタオン、ピニャル・ノヴォ、コイナだけに集中して、モイタは止めにしたのだろう。

 見回したところ、きょうもお客が少ない。食堂だけではなく、衣類などの露店もこのモイタでの出店は少なく全体的にひっそりとしている。アゼイタオンなどで、ジョゼの食堂では昼過ぎにでもなろうものなら、空き席は既になく、行列ができ、随分と待たされることもあるが、モイタの食堂ではどこでもすぐに座ることができる。それだけお客が少ないのだ。

 露店市では鶏の炭火焼を食べることが多いのだが、きょうはエントレメアーダにした。エントレメアーダは味付けした豚の薄切り三枚肉を炭火で焼いたものを、パンに挟んだサンドイッチで、まあ簡単な食べ物だが、たっぷりの三枚肉が挟んであるので、僕にとっては充分な食事となる。

 モイタでジョゼの店の代わりに最近入る食堂は家族でやっていて、老夫婦の女将さんがトレーラーハウスのなかで飲物とレジ係り、そのご主人が炭火焼係り、若夫婦は煮込み料理やサラダなどを作る係り、そして未だ10代の若い娘2人が接客係り(ウエイトレス)だが、若夫婦も接客係りに出てきたり、若い娘たちが、煮込み場所で立ち働いていたり、皿洗いをしたりと、とにかく家族中がくるくると良く働くし愛想が良い。そしてここのエントレメアーダはジョゼの食堂に負けず劣らず旨い。

 

建物の階段に沿って植えられた大株のアジサイ

 普段の運動不足解消のため露店市を歩くことにしているのだが、モイタは店も少なくあまり運動になるとはいえないかもしれない。以前にはモイタも随分と賑わっていて空きスペースがないほどで活気があったが、本当に少なくなった。

 以前にモイタで処分品として山積みされて、5ユーロで売られていた革靴を買ったことがあり、今もそれを履いている。おおよそ靴屋では見たことのない靴で、染められていない白というか灰色というかの皮そのままの、裏皮で、靴底が厚く無骨そのものであったが、5ユーロと破格だし、面白半分に買ってみた。これに濃い茶色の靴クリームを塗り込むと、微妙な皮の輝きを醸しだして、これが一気に上等化した。もしかしたら軍からの横流れ品だったのかも知れない。ことのほか頑丈で野の花観察用に随分と重宝に使っていて、茨であろうが、泥濘であろうが平気で、随分と乱暴に使っているが、本当に永く愛用していて、野の花観察には欠かせない。が、そろそろガタが来初めている様で、買い替え時かなと思っている。

 食堂が立ち並ぶ前の通りは靴屋通りである。以前の様な5ユーロの投売りは今では望むべくもない。でも野の花観察に丁度良い靴がいろいろと並んでいる。靴底が厚く編み上げになった裏皮靴で14ユーロからといろいろある。本皮だしこれで充分なのだが、もう少し考えて来週のアゼイタオンで買うことにした。

建物の入り口付近に植えられたアジサイ

 モイタの露店市で僕がいつも使う駐車場は普段はモイタ保健所の駐車場だ。日曜日なので保健所の玄関は閉ざされお休み。その玄関横に立派なアジサイが花をつけている。何の気なしに見ていたが、ポルトガルのアジサイは日本のものに比べると色に青みが少なく、赤みが強く、ピンク色のものが多い。なるほどこれが酸性土壌とアルカリ性土壌の違いなのかとつくづく感心をして見てしまった。

 露店市の花屋でもきょうはアジサイが売られていて、随分と花色が赤く、アジサイとは思えない程の濃い色合いをしていた。水切れで少し萎れていたし、買っても留守が多くて育てられないので買うことはできないで見るだけだ。

 

赤いアジサイ

 アジサイは元々は日本からやって来た植物だ。でもポルトガルでも多く植えられていて立派に花をつけている。しかもポルトガルでの良いところは、花が終った後でも花を切らずにそのまま放置しておくとドライフラワー化していつまでも楽しむことが出来ることだ。日本では花が終った後は花殻を切ってやらないと雨などに当たって汚くなってしまうが、その時期雨のないポルトガルでは種が出来、ほんのり色の付いたドライフラワーになるのである。そして夏の間から秋、冬までも楽しむことができる。

 以前によく行ったカルダス・ダ・モンシックという温泉地がある。お気に入りのレシデンシア(宿)があって、そこの風呂に入ると肌がすべすべして、プールに入っても同様になり、なるほど温泉なのだと思った。部屋には広いベランダがあり、裏庭に面している。ベランダの寝椅子に寝転がっていると、屋根の上に孔雀が現れて興味深くこちらを伺っていたりする。裏庭には熱帯植物などが植えられて趣があるが、そんな中にアジサイの植栽があり、実に見事に花をつけていた。そのレシデンシアが気に入って何度かは訪れたがその後、残念ながら廃業してしまっていた。

ブーゲンビリアと鉢植えのアジサイ

 それは南のアルガルヴェ地方の温泉地だが、東のスペインの国境付近にもテルマス・デ・モンフォルティーニョという温泉地がある。その温泉地に先日、エストレラ山に行った帰り、久しぶりに寄ってみた。ホテルはネット予約である。以前に泊まったことのあるホテルだと思って予約したところすぐ隣のホテルであった。フロントには1930年と1940年の写真が掛けられていて女将は老舗を強調していたが、古いだけのホテルであった。もう少しアンティックな良さが出せれば良いのだが、いろいろと中途半端なところがあってなかなか難しそうだ。

 そして以前に隣のホテルに泊まった時よりも随分と町全体が寂れているように感じた。以前に泊まった隣のホテルの前まで行ってみたが、張り紙がされてあって売りに出されていた。その閉ざされた入り口の横に大株のガクアジサイが植えられていてここでも綺麗な花を咲かせていた。

 

廃業したホテルの入り口で咲いていたガクアジサイ

 何軒ものホテルやペンションがある温泉町だが少し埃っぽくて寂れた感じは否めなくて、手が行き届かないのであろうか、雑草が生い茂ったのを草払い機で刈ったのだろう、草がそのまま放置されていた。そんなところを歩きながら「勿体ないなあ。せっかくの温泉地なのに。せめて町じゅうにアジサイでも植えれば感じは随分と変るだろうに。」などと夫婦で話したものだ。

 僕はポルトガルに来る前は13年間を宮崎の山の中で暮らした。山の中といっても国道10号線に面した長距離トラックなどが頻繁に走るところだ。長距離トラックが途切れると、川向こうには山猿の群れが現れ木々を揺さぶって飼い犬を脅し、庭を猪が横切り、川ではカジカが囀り、アカショウビンが窓ガラスに激突して気絶する。そんなところでお店をやっていた。川に取り巻かれた敷地が1500坪あり、その他に隣接する国有地の1000坪ほども併せて管理していて、休みの日にはその庭の手入れや芝刈りなどに追われていた。庭には500本の薮ツバキを植え、エビネを5万株、その他にカンアオイなども栽培して楽しんでいたが、川沿いにアジサイを植えようと珍しい花の枝を貰ってきては少しずつ挿し木で増やしていた。そんな矢先、ポルトガルへの移住を決めたものだから、アジサイに関しては中途半端な気持ちだけが残っている。

 

石造りの建物を彩るアジサイ

 最近はアジサイもいろいろな品種改良が進み、珍しい新品種が花屋の店頭に並んでいるようだ。

 ポルトガルに移り住んで、ちょうど日本に一時帰国中だった。大阪の父と近くのスーパーに買物に出かけた。買い物が終ってクルマに戻ろうとすると父はクルマとは反対の方向に歩き始めた。そこに小さな花屋があるからだ。父は晩年、花屋を覗くのが何よりも好きだった様だ。そして幾つかの鉢植えを買い求める。そのスーパーの隣の花屋には立派な今までに見たこともない珍しいアジサイが店頭に並べられていた。父は暫くその場所から動こうとはしなかった。花屋の主人は父には愛想が良い。いつも買っているからお得意様なのだろう。でもそのアジサイには7000円の値札が付いていた。僕も驚いたが、父にとってもアジサイの7000円は少々高かったのだろう。だいぶ考えて迷っていた様だが、僕の「やめとき」のひと声で諦めが付いたのかも知れない。あの時の父の悔しそうな顔は今も忘れることが出来ない。

 

鉢植えのアジサイと様子を伺いにきた犬

 花が終ってから地植えすることの出来る庭があればまた来年が楽しめる。でも父の家には庭がない。その年限りの鉢植えになってしまうかもしれない。それでも毎年幾つかのアジサイを買っていた様だが、花が終ったあとは兄が持ち帰って自分の庭に地植えしていたとのことだ。

 大阪の実家の界隈、下町では玄関先の軒下に所狭しと鉢植えを育てている家が多い。そんな中にアジサイも数多くある。ポルトガルに戻ってくる前には既に小さな蕾が顔を覗かせていた。

 

アジサイ寺ならぬアジサイ教会

 牡丹を見に長谷寺に行った。牡丹寺として有名で多くの観光客が訪れていたが、長谷寺はアジサイ寺としても知られている。牡丹の時期のアジサイには未だ蕾さえも見えなかった。

 ポルトガルでは大西洋の真ん中に浮ぶアソーレス諸島がある。火山島で温泉もある。そこにはアジサイが多く植えられている。中でもその一番遠い西の端にあるフローレス島(花の島)のアジサイが有名で、その観光パンフレットなどには必ずアジサイのある風景が使われている。

 父は新居浜で生れ、大きな屋敷と広い庭のある中で育った。子供の頃から植物が好きで、その頃は未だ珍しかったバラをいち早く育てていたという。バラや牡丹、洋蘭、ヒマワリなど豪華な花も好きだが、野草など可憐な花にも目を向けていた。そしていろんな花を油彩にした。「バラは花屋で買うてきたバラを描いても良い絵にはならん。自分で庭で育てたバラを描いてこそ面白い絵ができる。」

 でも父のアジサイの油彩だけは見たことがない。もう少し長生きをしてくれていれば父のアジサイを観ることが出来たのかも知れない。いやそれは無理だ。父は100歳まで生きた人だ。(VIT)

 

アジサイ(紫陽花)

アジサイ科(Hydrangeaceae)、アジサイ属(Hydrangea)、日本原産の落葉低木、

学名:Hydrangea macrophylla、和名:アジサイ(紫陽花)、

英名:Bigleaf Hydrangea、French Hydrangea、Lacecap Hydrangea、Mophead Hydrangea、Penny Mac、Hortensia、

葡名:Hortênsia、Hortência、

原種は日本に自生するガクアジサイ(萼紫陽花)学名: Hydrangea macrophylla f. normalis である。

 

サッカーの国際試合を応援するポルトガル国旗とアジサイ

©2016  MUZVIT (掲載の写真は全てMUZVIT)

 

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コメント (2)
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