武本比登志の端布画布(はぎれキャンヴァス)

ポルトガルに住んで感じた事などを文章にしています。

146. 扇風機 Ventilador

2017-07-31 | 独言(ひとりごと)

 ポルトガルに来て、すぐに買った扇風機の羽が割れてしまったので、買い替えた。昨年の話である。

 

買い替えた扇風機

 羽が割れてしまったその扇風機は未だセトゥーバルの下町、アロンシェス・ジュンクエイロ通り47番地に住んでいた時、家からほんの5分程の、クエベド駅の踏切を渡った新しいビルの1階に店を構えていた、いわゆる町の電気屋さんのショーウインドーに展示されていたものを買ったものだ。幾らであったかは忘れたが、扇風機とはこれほど安価なものなのか、と感じたことだけは覚えている。今ではその踏切もなくなり、線路の下を潜る道路が出来、立体交差になり、電気屋さんもなくなってしまっている。

 当時、ショーウインドーに展示されてあったと言ってもカッコよいものでも当時の最新式でもなく、要するに安価であったから買っただけの代物であった。それでも風の強さは3段階に切り替えができたし、首振り装置もあったし、ぜんまい式のタイマーも付いていた。買ったものの使うのはひと夏の内、10日くらいのものだったのかも知れない。そしてその安価な扇風機が26年も長持ちしたことになる。

 ポルトガルの夏の太陽は厳しく真夏の外出などは控えなければならないものの、陰に入れば涼しいし、部屋の中は窓を開ければ熱風が入って来て却って暑くなるけれど、窓を閉め切っていれば案外と涼しく殆どエアコンなども必要がないほどである。実際、我が家にはエアコンはない。だから扇風機程度で事足りる。

 だがその扇風機が曲者なのである。窓を閉め切って扇風機を使うわけである。強中弱の一番下の弱で使っても結構うるさい。そうして30分も使っていると、何だか次第に身体が熱くなってくるのを感じる。部屋の気温が上昇しているのだ。それは数年経ったある日ようやく気が付いたものだ。

 扇風機はモーターによって羽を回し、風を起こし涼しく感じさせる。だからスイッチを入れて暫くは涼しい。それが羽を回し続けることによってモーターが次第に熱を帯びてくる。気が付けば部屋中に熱気を撒き散らしていることになる。

 日本でなら扇風機を使う時、大抵は窓を開け放している。尤も網戸なるものを閉めてはいるが風は通り抜ける。モーターの熱も一緒に外へ出しているのかも知れない。いや、やはり日本製は優秀なのだろうと思う。音は静かだし、モーターに熱など生じさせない仕組みが出来上がっているのだろうと思う。

 今でも帰国の際、時々は扇風機を使う。真夏に日本に居ることはないが、5月頃でも暑い日があるので、少しは使う。それこそ、ポルトガルに移住するずっと以前、今から30年以上も昔に買ったものだ。点けているのを忘れるくらい音は静かで、モーターの熱など感じたことがない。それが当たり前だと思う。

 ポルトガルの扇風機では数年間も使い続けてからふとアイデアが浮かんだ。扇風機のモーターの上に冷凍庫で凍らせたおしぼり(小型のタオル)を乗せておくというアイデアだ。これは功を奏した。なかなか良いアイデアであった。おしぼりは3つ4つを凍らせておいて、氷が解けて乾いてしまえば次々に交換をする。モーターは熱くはならずに、気のせいか心持冷たい風を扇風機は流してくれる様に感じた。

 昨年、その扇風機の羽が折れて壊れてしまったのだ。それで仕方なく買い替えることになった。大型スーパーの電化製品売り場、そして日曜大工店。26年前の物とは違うだろうと思っていた。相当技術も進んで、モーターが熱くなる扇風機など、恐らく過去の物なのだろうと思っていた。

 

扇風機正面

 日本では最近はエアコンの弊害から扇風機が見直されているとか聞いた。エアコンは消費電力も大きいし、足元ばかりが冷えて使い続けていると身体に不調を来す。やはり夏は夏らしくある程度の暑さを感じるのが身体には良い。それで扇風機が見直されているとか。その扇風機もいろいろと様変わりした物が登場している。羽のない扇風機などもある。

 ポルトガルでもいろいろと店頭には並んでいた。でも意外と僕の条件に合った物が少ない。条件は第1に風の強さを3段階に調節できること。第2にタイマーが付いていること。第3に首振りが付いていること。特別な物はない。26年前の扇風機にも備わっていた条件である。それが現代の扇風機には意外と少ない。あちこち見回ってようやく決めたのが、何だか新しそうな扇風機であった。一応風の強さの3段階はついている。タイマーも30分、1時間、2時間、4時間と付いている。ゼンマイではなくプッシュボタン式である。首振りはないが羽の前面のパネルが回転し風の方向を変えるという方法である。モニターも付いていてベッドから起き上がらないで切ったり、点けたりと調節が出来る。モーターは薄い器具の中に隠されている。持ち運びにも軽い。これなら何だか最新式でまさかモーターの熱を撒き散らすことはないであろう。と信用して買った。

 出来れば日本製を買いたいと思ったが、最近は本当に日本製を見かけなくなった。以前ならサンヨーとかシャープなどの電化製品も売られていたが全くと言ってよいほどポルトガルにはない。そう言えば以前には良くあったオランダのフィリップ製の電化製品も近頃は見かけなくなった。昨年買った扇風機はメイド・イン・PRCと書かれているがどこ製なのだろう、東欧あたりかな、思ったら、何と中国製であった。People’s Republic of Chinaの略。

 以前の物同様音がうるさい。そして30分も使い続けると、残念ながら部屋の温度は上昇していることに気が付く。モーターが熱くなっているのである。そのモーターが器具の中に隠されているから凍らせたおしぼりを乗せることも出来ない。

 その扇風機を買った昨年は冷夏で殆ど使うことはなかった。

 今年は6月に記録的な猛暑がやってきた。セトゥーバルでも41度にもなった。その同じ日エヴォラでは44度であった。そして北の内陸の村では山火事が起こり大変な犠牲者を出した。6月でこれならこれからどうなるものか。と心配をしていたが7月は涼しすぎる日々が続いた。7月下旬になってようやく夏らしい暑さが戻ってきたと思ったら、また山火事である。そして我が家の側での火事である。1日で収まったが、その日は大騒動であった。テレビでも臨時ニュースを流し「セトゥーバルで火災。住宅に迫る恐れ、住民500人が避難」という見出しで大きく伝えた。僕たちも避難した。

その日の詳細報告 2017年7月26日

 我が家の最新式の扇風機ではおしぼり作戦は使えないので、それではなく、保冷剤作戦というのを思いついた。保冷剤とは四角いプラスティックの容器に青色の液体の入った物であるが、よくキャンプなどで使うあれである。それを4個、冷凍庫で凍らせている。

 

扇風機の後ろ側に保冷剤をぶら下げている。

 その1個を扇風機の後ろ側に紐でぶら下げておくという作戦である。解ければ交換する。カッコは悪いが我ながら良いアイデアだと思っている。でも保冷剤自体が不良品なのか早く溶けすぎる。VIT

 

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145. その日の詳細報告 2017 年 7 月 26 日

2017-07-28 | 独言(ひとりごと)

 昨夜、我が家は大変でした。夕食を摂っている時です。「何だか煙臭い」と思っていました。その内、雪の様な灰が降り出したのです。我が家から北側の牧場のあたりから出火したらしく、煙が上がっています。かなり離れていましたので、それ程は心配ではなかったのですが、炎も見えています。

牧場が燃えているのが見えるが、かなり距離は離れている。(我が家のベランダから撮影)

 やがて消防車のサイレンです。これで安心と思って高峰の見物をしていました。でも風の強さは尋常ではありません。窓ガラスを叩く音は台風並みです。そしてこちらがまともに風下に当たります。その内、あちこちに飛び火しているのも見えました。ホテルからは宿泊客が走り出てきています。炎が丘を駆け上ってきている様です。

お向かいのお屋敷に入り込んで消火活動を始めようとする消防車。かなり煙が立ち込めている。(アトリエから撮影)

 我が家の前にも消防車が2台とパトカーも1台やってきました。ホテルの裏に回って消火活動が始まりましたが、ますます火は勢いを増しています。我が家の窓に当たる灰も白いのではなくもっと大きな黒いのが大量に当たる様になりました。警察は規制線を張っていますが、我が家の建物の前は人々でごった返しています。

 婦人警官がお向かいのお屋敷のドアを叩いています。避難を呼びかけようと思ったのでしょう。でもお留守の様でした。男たち5~6人がお屋敷に走りこみました。物置小屋を開けようとしましたが鍵がかかっています。窓をこじ開け、窓から侵入し、ホースを取り出しました。そして裏の方に放水している様子ですがここからは見えません。

 若者が走り出し、黄色い叫び声を上げました。どこかに飛び火した様です。裏の松の木を見ても大丈夫でした。北東側のお隣の間の灌木に火が付いた様で、そこから煙が立ち始めました。

 マンションのお向かいが我が家をノックして「避難した方がよいよ~」と促してくれました。その前から、昨年の教訓から服を着替えて靴を履き、貴重品の入ったリュックを担いでいました。避難しようと思いましたが、避難する前にベランダから風呂桶に貯めておいた水をバケツに汲んで、5杯も6杯も放り掛けました。灌木の火は消えた様でした。下に居た若者にもどっぷりと水は掛りましたが、若者は「良くやった~」と言わんばかりに白い歯を見せ親指を立てました。

 それからクルマで非難しました。マンションの住民は既に全員が避難を終えている様でした。家は燃えてしまうかも知れないという不安は残りました。でも命はこれで大丈夫です。

 町に降りていくとあちこちで交通規制がされていました。町の中心のボンフィム公園に行きクルマを止めておいて我が家が見える別の水道橋の公園のところまで歩いて行きました。そこには火事を見ている家族づれが何組もいました。我が家がシルエットになって黒々と見えます。

公園から見たホテル(右)と我が家のマンション(中央)(水道橋のある公園から撮影)

 我が家の下の方にも飛び火して炎が大きくなるのが見えた時、家は駄目かも知れないと思いました。でもやがて一瞬に消えるのが見えました。消防士が気づいて消火したのでしょう。

 かなりの時間、その場所で見ていましたが、小水がしたくなったので、カフェに入りました。カフェのテレビがその火事の模様を臨時ニュースで伝えていました。野次馬だと思っていた住民たちが、消防士の指示でホースを運んだり、はしごを運んだりとボランティア活動をしているのが映像にありました。でも映像は同じものを繰り返すばかりでした。カフェのテレビと後ろを向けば実際の黒々とした煙が同時に見えます。カフェでコーヒーを飲み、小水をして再び我が家が見える場所まで戻りました。

 既に火事を見ている人は1人だけになっていました。煙も幾分少なくなってかなり収まったと思ったので帰ろうと思いクルマに乗って帰ろうとしました。でも家の近くには交通規制がまだされていて、近づけませんでした。先程の公園は薄暗いのでもっと明るい港近くまで行って交通規制がなくなるまで待機していようと思いましたが、今夜は規制が取れないかも知れないと思い直し、その港の前にあるホテルに部屋を取ることにしました。

 私たちの前にも3人の家族連れがチェクインしていましたが、部屋着のままで、荷物も何も持っていませんでしたから、恐らく避難して来た家族なのでしょう。

 部屋に入ってみると南向きの港の見える部屋です。普段なら1番良い部屋なのでしょう。でもすぐにフロントに引き返し「反対側の部屋に替えてください」と言いました。最初は「もう満室でありません」と言っていましたが、「私たちの家のすぐ側が火事で部屋からその様子を見たいのです」というと、もっと上階の北側の部屋に替えてくれました。我が家は角度が少し違い直接は見えなかったけれど煙がもうもうと上がっているのが見えました。まだまだ鎮火には時間がかかりそうだと思いました。拙速にホテルを取ることにして良かったなと思いました。

 真夜中のニュースでもセトゥーバルの火事は取り上げられていましたが、昨夜は全国で10か所の山火事だそうです。その夜はぐっすりと眠りました。気疲れがあったのでしょう。朝は起き辛かったです。

 朝にもうっすらと煙は上がっていました。ホテルは朝食付きなので、7時半からゆっくりと朝食を摂りました。でも早く帰って確かめてみたい気持ちがありましたので、すぐにホテルを出ました。ホテルは12時まで使える筈ですので、チェックアウトをする時に、「もし規制線が張られていて帰れなかったら戻って来て12時まで部屋を使って良いですか」というと「13時まででも良いですよ~」と言ってくれました。

 家にはすんなりと帰ることが出来ました。マンションの住民は未だ誰も戻ってきていない様子でした。屋内の筈の階段にも灰が一杯積もっていました。ベランダにも一杯です。ベランダを掃除していると我が家から見える空き地で煙が少し上がっているのが見えました。これは自分で消火した方が早いな。と思いましたが、我が家からは断崖になっていて直接行くことは出来ません。6リッターの水タンクを2人で4本階段を持って下り、クルマに乗せて、大回りしてその場所に行きました。煙が上がっているのは、昨夜、下の公園から見ている時に燃え上がって、一瞬に消火された場所だと思いました。その煙に6リッターの水4本、合計24リッターを全部撒きましたが一向に煙は消えません。

 家に戻って再びベランダから様子を見ていましたが煙は同様です。きょうは風は穏やかですが、強風が吹くとまた火が付くかも知れません。ホテルの先の牧場でも煙はあちこちで未だ上がっています。ヘリコプターが何回も何回もサド湾の水を汲み上げては消火活動をしています。ホテルには消防士の姿も見えました。テレビが消防士に取材をしていました。ホテルに行ってみると、そのあたりは真っ黒です。ホテルのすぐ側まで火が迫っていたのが判りました。そしてお向かいのお屋敷の垣根が少し燃えた後がありました。昨夜、お屋敷に侵入した男たちがこれを消火したのだと判りました。消防士に我が家の下の煙のことを言ってみることにしました。テレビ局は目の色を変え「火は大きいのか」と私に聞きました。「いや煙がほんの少しです」と言うと、テレビ局は興味を失ったようでした。

 でも消防士は3人が小さな消防自動車に乗りすぐに出動してくれました。我が家の前でガレージへ入る道に入ろうとするので、「ちがう、ちがう」と言って「大回りしなければ」と言いました。そして私も道案内するために消防自動車に乗り込みました。現場まで案内すると煙はかなり少なくなっていました。消防士は「これかね」と言いながら大きな岩を靴でどかして土を踏み固めました。そうすると煙はすぐに消えました。ああそうか、水を掛けるばかりではなく、土を踏み固めれば良いのだ。と思いました。

 その後、午後からはやはり風が強く吹き始めました。我が家の西の方で又、煙が上がりました。風向きは我が家とは違う方向なのでその煙は心配ではありませんでした。消防車がすぐにやってきましたが、煙はますます大きくなり、炎まで見え始めました。一旦、消火したと思ってもなかなか完全に鎮火は難しいものです。消防車が次々にやってきます。ヘリコプターも又、出動です。

消火活動をするヘリコプター。散水を終えてサド湾に水を汲みに行く途中。町の中心と下はボンフィムサッカー場。(我が家のベランダから撮影)

 火事場とサド湾を何度も何度も往復しては水を撒いていましたが、なかなか消えるものではありません。ようやく鎮火したのは夕方近くなってからです。

 私たちにとっては、昨年に引き続いて命が縮まった一日でした。VIT

 

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144. インターナショナル・セトゥーバル・タトゥー・ショーInternational Setubal Tattoo Show

2017-07-01 | 独言(ひとりごと)

 アトリエからふとホテルの入口を見ると『インターナショナル・セトゥーバル・タトゥー・ショー』という横断幕が掛けられているのが見えた。

 

ホテルの催し会場入り口の横断幕

 最近、このホテルではいろんな催し物に会場が貸し出されているようで、結婚式もあれば定期的に『ヨガ大会』なども行われている。その時はサリー風の衣装を纏った軽装の男女が折りたたみマットの様なもの持参で大勢集まってくる。かと思えば新車の発表会や銀行や保険会社の説明会などもある。選挙が近づけば政党の演説会も行われている様だ。たいていが看板か横断幕や幟が取り付けられるのですぐに判る。

 勿論、ホテルとして宿泊客を受け入れるのが本業なのだが、運動選手や自転車競技の人たちが団体で泊まっていたりすることもある。有名なサッカーチームが宿泊している時はホテルの前にはサポーターや報道陣が詰めかけていたこともあった。

 僕たちが引っ越して来た当初、ホテルは未だ工事中であったが暫くしてホテルの開業へとなった。

 開業した当初は5つ星ホテルであった。ペドロの画廊からの依頼で僕も個展を催したこともあった。生涯で一番近い個展会場になった。その後、経営者が変わったのか、名称も少し変わって今は4つ星ホテルになっていて、スペインなどからの団体客も多く宿泊している様だ。そんな時は狭い住宅地の道路に大型観光バスが無理やりの如く入ってくる。

 宿泊客ではなくて上記の様なイヴェントの時は自家用車がひっきりなしに入ってくる。セトゥーバル周辺だけではなくリスボンあたりからもやってくる様だ。我が家の前の路上駐車スペースはたちまち満車になってしまう。ホテルにも専用駐車場はあるが、とても賄いきれない。ホテルの前までやってきた車は狭いところでUターンして少し引き返し何処かしら路上駐車スペースを確保して歩いてホテルまで戻ってくる。

乳母車を押してタトゥーショーに参加の人たち

 タトゥーショーでは腕や脛に目いっぱいに入れ墨をした男女が歩いて戻ってくる。驚いたのは子供連れや乳母車を押した人たちまでもが多数居たことだ。

 やはり腕と脛に入れ墨をした、如何にもプロレスラーの様ながっしりした体格の男がホテルの入り口のところで交通整理をしていた。「もう中は一杯だからどこか下の路上に止めて来てください。」などと説明している様だ。

交通整理のタトゥースタッフ

 尤も入れ墨は入れ墨とは言わないでタトゥーという代物だ。流行なのか、おしゃれのつもりなのだろうか?現代のロック歌手などの多くが入れ墨をしているし、かつてサッカー、イングランドチームのベッカム選手が首筋や腕にタトゥーをしていた。その後もサッカー選手でタトゥーをしている選手は多い。ポルトガル代表で人気のあるクァレスマ選手などは腕や脛だけではなく顔までにもタトゥーがある。

 日本のサッカー選手ではタトゥーといえども入れ墨は入れ墨でやはりやくざのものであるというイメージはぬぐい切れないからかあまりいないのだと思う。

 北野武が面白いイラストを描いたのを見たことがある。入れ墨のヤクザが背中を見せて勢ぞろいしているイラストだが、なかなか面白いと思った。

 日本の温泉などでは『入れ墨はお断り』の張り紙があったりする。少し前になるが、橋下徹が大阪市長をしている時であったと思うが、大阪市役所の職員が子供に入れ墨を見せて凄んだという事件があって、橋下市長は職員に対して入れ墨のある職員は申し出ること。そして移動をさせた。などという騒ぎがあった。

ホテルの入り口で受け付け

 ホテルの『タトゥーショー』は3日間も続いた。次から次に人が押しかけて来た。音楽ショーなども催された様で、何とも賑やかな3日間であった。

 3日目の日曜日に僕はたまたまクルマの掃除をしていた。僕のクルマは部屋の真下、ドン詰まりのスペースで、もし空けていたとしても他所からの人は止めにくい場所だ。そこは1階のマリアさんの寝室の真ん前である。僕が掃除を始めるとマリアさんが窓から顔を出して「この3日間はとても騒々しかったわね~。腕や脛にタトゥーをした人が大勢で、いや~ね~。でもきょうは最終日であと少しの辛抱ね。」と僕に言った。ポルトガル人にとってもお洒落とは感じなくて、やはり嫌な人はいるのだ。

 でも露店市などを歩いているとタトゥーをした人が実に多いのに気づく。老若男女、「こんな人までも~」と驚く。花柄や人物の顔、タトゥー独特の模様などワンポイントを入れている人も居るが、意味が判っているのであろうか?漢字なども多い。『愛』『和』『福』などは分かるが意味不明の漢字などもある。

 惜しくも亡くなってしまった名優ロビン・ウイリアムスの映画の中で、女性が「腰に素敵な漢字のタトゥーを入れて来たわよ」と言い、それを見せられたロビン・ウイリアムスは「素敵だね」とは言わないで「それはソイ・ソースと言う意味だ」というセリフがあった。女性は訳も判らず『醤油』という漢字を腰に彫り込んだのだった。その後、随分と気にしていた様だ。

 ロバート・レッドフォードの映画の中で囚人たちが刑務所の中でお互いに入れ墨をしあっているシーンがあった。機械も何もない、いわゆる手彫りであるが、入れ墨とは殆ど道具もなしに出来る原始的なものに違いない。でも危険なものだ。

警察官までもが出てタトゥーショーの監視?

 そう言えば以前に画廊のペドロとイルカウオッチングの船に乗ったことがある。イルカウオッチングの船を経営しているのもペドロ夫妻だ。今では50人も乗れる様な大型の船を持って経営しているがその頃は10人乗りのゴムボートであった。乗ったのは画廊のペドロ夫妻、そして僕たち夫婦、それにイルカウオッチングのペドロ夫妻の6人であった。湾の中ほどまでゴムボートが出たときに画廊のペドロが突然ティシャツを脱いで皆に背中を見せた。そこには大きくイルカのタトゥーが描かれていた。イルカウオッチングの船の上でイルカのタトゥーとは思わず僕は手を打ちかけたが、イルカウオッチングのペドロ夫妻は顔をしかめていた。そして僕たちに「嫌だね~。」と目配せをした。イルカが見たら果たしてどう思ったのだろう。

 最近、アメリカ人がタトゥーを入れてその傷が癒えないまま、海水浴をし、ビブリオ菌に侵され死亡した、というニュースを聞いた。

 タトゥーというのも一時の流行なのかも知れないが、その流行が終わった時、飽きたからと言ってタトゥーは消すことは難しい。大変な手術を伴う。

 かつてナチがユダヤ人に対してその認識番号を入れ墨したという。僕も1970年代の旅のころにはそういう人を何人か見かけたものだった。

 入れ墨の歴史は古く日本でも魏志倭人伝の時代の男には皆に入れ墨が施されていたという。

 現存する人類最古の絵画芸術は炭と赤土で描かれたアルタミラ洞窟の絵だとされているが、恐らく旧石器時代、人類が火を使い始めたと同時に身体に施した入れ墨はあったのだろうと推測される。動物とは違い体毛の少ない人類が森で茨などに依って傷を負った傷跡を消し炭で消毒をする。そうすれば入れ墨となる。

 現代のタトゥーは急激に進みすぎた現代社会に対する古代回帰の様にも思える。

 現代人は身体にまで手を加えて個性を象徴しなくても、服装や何やらで充分発揮できるのに、と古い人間の僕などは思う。身体はニュートラルなままで居たい。それでなくても心の傷は絶えない時代だから。

 紛争や貧富の拡大など問題点が多数あるとは言え、現代人は面白い時代を生きているのだと思う。

 サッカー選手でもタトゥーをしない選手も大勢いる。ポルトガル代表のクリスティアーノ・ロナウドもその一人だ。彼は定期的に献血を行っているので、タトゥーはしていないという話だ。

 ホテルでタトゥーショーが行われようが僕には関係のない話だが、ホテルとしてはもっと駐車スペースを確保するとか、公共交通機関の利用を呼び掛けるなどの対策をしてもらいたいものだ。でもセトゥーバルの市バスにタトゥーを施した人たちが大勢乗り込んできたら住民や運転手はぞっとするに違いない。

 そしてきょうは同じホテルの入口付近で本物のパトカーも参加してのテレビドラマの撮影である。最近はポルトガルのテレビドラマは観ていないのでどんなドラマなのかは判らない。VIT

テレビドラマの撮影風景

テレビドラマ撮影スタッフたちには幸いにもタトゥーは見られなかった。

 

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