武本比登志の端布画布(はぎれキャンヴァス)

ポルトガルに住んで感じた事などを文章にしています。

140. セトゥーバルの公害 Poluição em Setúbal

2016-11-30 | 独言(ひとりごと)

 キノコを観察する為に森に入った。その森はセトゥーバルの郊外、町の東側にある。

 我家は町の西側の丘の上。自宅を出て、町を横断し、アルト・ダ・グエラあたりの工場地帯の縁を通って森までやってくる。工場地帯を過ぎたあたりには少し湿地帯があり、廃工場の煙突の上にはコウノトリが巣を架けている。湿地帯はコウノトリにとっては餌場になるのだろう。

 森はコルク樫と松の混生林で、アンズタケやチチタケに混ざってテングタケ、ドクササコ、タマゴテングタケなどの猛毒キノコの宝庫でもある。広い森でぐるりとひと回りするだけでも数時間もかかってしまう。その先には葡萄畑があり今は丁度紅葉が美しい。更にその先に塩田が作られ、その向こう側にはサド湾が輝いている。10月中旬から3月頃まではピンク色のフラミンゴの群れが姿を見せる。そしてそのあたりは自然保護区となっている。

 

葡萄畑の紅葉

 森は手付かずのままの様相で刺が厳しいウレックスなどが繁茂しキノコ観察の行く手を阻む。そんな中にヒースや紫色の優しい花弁と長く垂れ下がった雄蕊が際立ったオレンジ色のサフランがぽっと咲いていたりもする。

 森に入ってからは匂いはしないが、途中、アルト・ダ・グエラあたりでは悪臭を感じた。締め切ったクルマの中までも侵入してくる。パルプ工場の悪臭だ。

 セトゥーバル半島は首都リスボンの南に位置し、4月25日橋かヴァスコ・ダ・ガマ橋で、或いは渡船に乗ってテージョ川を渡らなければならない。橋を渡ったあたりにはアルマダ、セイシャル、バレイロ、モイタ、モンティージョ、アルコシェッテなどというリスボンの衛星都市がテージョ川沿い、セトゥーバル半島の北に連なりリスボンへの通勤、通学のベッドタウンとして今尚増幅を続けている。一方セトゥーバルはセトゥーバル半島の南に位置し、通勤、通学には不可能ではないが、少し距離がある。しかしセトゥーバルだけでも機能している都市といっても差し支えないほど商工業が発達している。

 セトゥーバルを含めこのあたり一帯をコスタ・アズール地方と呼ぶ。日本語に訳すと青の海岸、フランス語ではコート・ダ・ジュールと言う美しい響きになる。

 セトゥーバルの歴史は古く、古代ローマ時代にまで遡る。古代ローマ時代にはセトブリガという名前でその頃からイワシが大量に獲れたらしく、イワシの塩漬け加工窯やローマ式風呂などの遺跡も残されていて、大規模に魚の加工が行われていたことが覗われる。遺跡として所々残されているローマ街道を伝って、塩漬け魚は内陸部へと運ばれていたのだろう。

 セトゥーバル郊外では今も大規模な塩田が営まれている。イワシの塩漬けはその後、オイルサージンの工場へと姿を変え、つい最近までそんな魚の缶詰工場は幾つもがあったし、工場跡は廃工場として今も残っている。その一つは博物館として改装されオイルサージンの工場の様子などが展示されている。

 

廃工場煙突のコウノトリ

 セトゥーバルは活気のある町で古代ローマ時代から、ムーアの時代、レコンキスタを経て、中世、近代そして現代へと脈々と受け継がれた労働者の町ということになる。

 そんな労働力を見込んで幾つもの工場が進出している。一つはフォードとフォルクスワーゲンの自動車工場。そしてセメント工場。これは丸ごと石灰岩のアラビダ山を削っての工場である。画廊のペドロは「あと10年でセメント工場の操業は終る。」と言っていたが、あれから10年を過ぎた今も終りそうにない。そしてパルプ工場。アレンテージョには成長の早いユーカリがたくさん植えられていて大型トラックでユーカリ材がセトゥーバルに大量に運ばれてくる。ユーカリはパルプになる。パルプにされたものは遠く日本にまで輸出されているそうである。

 セトゥーバルには広い湾と良港があり、タグボートに誘導され大型の貨物船がひっきりなしに入港、出航している。パルプもセメントも自動車もそしてワインもコルクもこの港からどんどん運び出されている。時折巨大な大型タンカーも入港してくる。石油精製工場もあるのだろう。そして潜水艦や軍艦までも入港する。土日にはたくさんのヨットが浮ぶ。勿論、中小漁船の出入りは多い。対岸トロイアとを結ぶフェリーや渡船と共にイルカウォッチングの船も行き来している。イルカも住み着いている。

 セトゥーバルに住んで26年が過ぎた。「何故、セトゥーバルに住んでいるのだ?」とよく言われる。工場労働者でもないのにセトゥーバルに住む必要はないのかも知れない。ポルトガル人から見れば不思議なのだろう。そして左派政党が強い町らしい。でも「住めば都」とは良く言ったものだ。他の町を知らないから言えるのかも知れないが、「よくぞ良い町を選んだものだ」と思っている。物価もリスボンなどに比べると少し安い様だ。

 26年前に選んだ理由として、それまで宮崎で13年間を山の中に暮らしていたので、次は海の見える港町。と思っていた。日本との往復に必ず使うリスボン空港からそれ程遠くはなく。そして小さ過ぎず大き過ぎず、一応何でも揃う生活臭のある町。と漠然と思っていて、その通り選んだだけだ。そしてたまたま部屋が見つかっただけ。それから27年目である。

 住んでみて前にも書いたが「よくぞ良い町を選んだものだ」と思っている。それは第1に、アレンテージョ地方への玄関口に当たり、交通の便が良いこと。僕の絵のモティーフはアレンテージョの田舎町が多い。

 でも予想をしなかった事柄が一つある。それは悪臭公害である。1年の内7日~10日くらいだろうか?続けてではなく断続的だが、パルプ工場からの悪臭がこのセトゥーバルにたちこめる。たいていが雨季に入った今頃、秋から冬に多い。気圧が低く、大気は上空へと逃げない、どんよりと曇った朝などに窓から悪臭が侵入してくる事がある。それでも1日中という訳ではなく午後には消え去っていることも多い。それは四六時中ではなく365日の内ほんの7日~10日ほどに過ぎないからあまり気になる程でもない。慣れてしまっているのかも知れない。

 かつて宮崎の日南市もパルプ工場の悪臭に悩まされていた。でも現代の悪臭除去システムによって全く悪臭はしなくなっている。だから設備さえ整備すれば悪臭はしなくなる筈である。セトゥーバルではそれをしない。費用の面などがあるのだろう。

 

夕暮れのセトゥーバルの町と商工業港、そして工場地帯。(我家のベランダから)

 パルプ工場は我家から見れば町の反対側でその高い煙突も煙もここから見える。風向きによって悪臭が運ばれてくるのだ。悪臭は秋から冬に多いので元から窓は閉め切っている。そしてそんな日には洗濯物に臭いが移りはしないかと少々心配ではあるが、今までそんなことは無かった。慣れてしまっているからかもしれない。

 セメント工場はサン・フィリッペ城の裏側だからここからは見えない。でもフィグエリーニャの海水浴場に行く時はセメント工場のパイプラインの下を潜って行く。そのあたりではやはり粉塵があって街路樹などは埃っぽい。セトゥーバルまでは粉塵は来ない様だが目に見えないものもあるだろうし、こればかりは判らない。

 もう20年くらい前になるのかも知れないが、EU先進国のイギリスあたりから環境保護の調査員がセトゥーバル沿岸のヘドロを採取しに来た事がある。大きなニュースにはならなかったから重金属などの公害物質は検出されなかったのだろう。もし重金属などの公害物質が検出されていればメルカドの魚介類は食べられなくなってしまう。

 ジュリア・ロバーツ主演の映画で「エリン・ブロコビッチ」(2000年アメリカ)というのがあった。ジュリア・ロバーツにとってもアカデミー主演女優賞を獲った映画だから代表作と言えるのかもしれない。あらすじは失業中のシングルマザーが交通事故で信号無視してきたクルマにぶつけられてしまう。勝訴確実と保険会社の言葉にも拘らず、相手は医者で社会的立場の弱い失業中のシングルマザーは「当たり屋」呼ばわりされ敗訴してしまう。

 保険会社に交渉に行くわけだが、そこで無理やり割り込んで仕事を確保。そして保険会社でも棚上げになっていた難しい地元の公害問題と取り組むことになる。素人のシングルマザーの勉強、奮闘振りは見ていて胸のすく気持ちの良いもので、ぐいぐいと引き込まれていく。最終的には重金属を垂れ流していた企業から多額の保障金を確保するという話。これは実在の人物と事実を映画化したもので難しい公害問題を扱っている映画にも拘らずジュリア・ロバーツの明るさも手伝って痛快な映画に仕上がっている。

 日本は公害先進国と汚名を着せられている。明治時代からその公害を数え上げるとキリがないほどだ。そしてその対策も先進国の筈である。そんな技術をセトゥーバルに輸出して貰いたいものである。

 セトゥーバルでは重金属などの公害物質は検出されなかったとのことでほっとしている。

 セトゥーバル郊外のキノコの森にはコリジオラ・テレフィイフォリア Corrigiola telephiifolia という植物が今丁度、花を付けている。花の直径は2ミリほどでよく目を凝らさないと全く目に入らない地味な花だ。うっかりすると踏みつけてしまう、いわば雑草の一つである。でもデジカメで撮ってよくよく見ると見事な5弁花をしている。この植物が実は重金属などの公害物質を吸収する可能性があると研究がすすめられている。

 すぐに除草剤の対象になる、いわゆる雑草扱いされている植物も、人間を殺してしまう猛毒キノコと言へども付き合い方さえ間違わなければ、地球上のあらゆる物に無駄は一つもないのだ。と今更ながら思う。

 重金属同様、或いはそれ以上に恐ろしいのが放射能汚染、そして原発事故だろう。

 ジャック・レモンとジェーン・フォンダ主演で『チャイナ・シンドローム』(1979年アメリカ)という映画があった。もう一度観てみたい映画だが、原発の管理のずさんさ、メルトダウン、利益優先の隠匿など2011年の福島原発事故を彷彿とさせる。この映画公開の12日後、スリーマイル島で事故があった。更に7年後、チェルノブイリで、そして32年後の福島である。映画の教訓は残念ながら生かされていない。

 ポルトガルには原発はない。ポルトガルをクルマで走れば判るが、国中いたるところで発電用風車が回っている。そして巨大なソーラーパネルのメガソーラーも目にする。セトゥーバルでは古代ローマ時代から波力を利用した水車(Moinho de marē)や丘の上の風車(Moinho de vento)がパンの粉を挽いてきた実績がある。VIT

 

葡萄畑の紅葉とフラミンゴやイルカの住むサド湾

 

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コメント (1)
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