武本比登志の端布画布(はぎれキャンヴァス)

ポルトガルに住んで感じた事などを文章にしています。

196. 節約 Poupança

2022-05-01 | 独言(ひとりごと)

絵の具に関しては節約をしないでたっぷりと使いたい

 コロナ禍以来、そうとうの節約をしている。節約がもう殆ど趣味になりつつある。

 スーパーのチラシなどには必ず目を通す。それぞれのスーパーで何が安くて何が高いかを比較検討する。スーパーでは急いで買い物をしない。じっくりと値段を確かめる。1センチモでも安いものを買う。保存の効くものなどは特売日などに纏め買いをする。スーパーのクーポンなどは最大限に利用する。生鮮食品以外など保存の効くものは10%引きクーポン、15%引きクーポンがある時に纏めて買う。酒肴品、例えば珈琲豆やワインなども少々品質が落ちても一番安い物を買う。慣れればそれでも結構いける。メーカー品は避けスーパーのプライベートブランドがあればそちらを選ぶ。メーカー品と比較しても品質はさほど落ちることもなく、たいてい格安だ。

 そしてグルメなどは禁句だ。

 コロナ禍で出かけられないと言うこともあるが外食は殆どしない。勿論、旅行にも行かない。

 コロナ禍がそろそろ終わるかなと思っていたら、ウクライナ戦争で、蟄居生活がまだ続きそうだ。ウクライナ戦争の影響もあり物価は相当上昇している。ポルトガル政府はインフレスパイラルだけは絶対に避ける。と言っているが、3月は5,3%、4月は7,2%のインフレだったらしい。

 そもそも今までもヒマワリ油は殆どがウクライナからの輸入だったそうで、1,5倍の値上がりでスーパーの棚にヒマワリ油は既にない。それに連れてオリーヴ油も値上がりだ。

 アレンテージョの酪農に使う飼料も殆どがロシアからの輸入だったそうで、当然、食肉の値上がりは必至だ。

 天然ガスもロシアからの輸入なので使えない。電気もガスもガソリンも値上がりで出来るだけ使わない様に努力をしている。

 例えば朝食のトーストを焼くには電気を使う。トーストを止めてサンドイッチにした。サンドイッチにはキュウリとチーズそれにハムを挟む。でも今まで食べていたどっしりパンに比べると食パンは安い。朝食準備は慌ただしいのでサンドイッチは前夜に作ってビニール袋に密閉しておくとパンがしっとりとなじんで旨い。朝食はかえって豪華になった。

 もう随分以前から昼食はカレーと決めている。毎日、カレーを食べていると風邪は引きにくいし、夏バテもしない。元気が出る様に思って続けているが、お昼は何にしようなどと考えないで済む。只、カレーのヴァリエーションは幾つかあるので飽きることはない。

 カレーは10日分ほどを纏めて仕込む。牛のバラ肉か豚の三枚肉などで作ると旨く出来るが、1年ほど前に鶏の砂肝を使うのを思いついた。最寄りのスーパーでは1キロで2ユーロ以下と格安なのだ。フライパンで炒める時に水分が出て少々難儀をするが、最近は巧くいきつつある。鶏肉なら崩れてしまって巧くないが、砂肝は長時間煮ても形が崩れないで食べる時にとろける食感で案外といける。特許ものだ。

 なるべく安価で栄養価の高いものを選ぶ。バナナもリンゴも安くて栄養価が高く欠かしたことがない。それにキャベツやニンジンなども欠かしたことはない。1キロで0,78ユーロと野菜の中ではニンジンが一番安い。時には2キロで0,98ユーロという特売の時もある。そしてベータカロテンやビタミンAなど栄養豊富で、抗発ガン作用や免疫賦活作用で知られている。皮なども出来るだけ工夫して残さず全部を食べる。ミキサーにかけてカレーに入れるのだ。タマネギも欠かしたことがない。血液をサラサラにしてくれるので高血圧や動脈硬化予防にもなる。ニンニクや生姜も欠かしたことがない。いかにも元気が出そうだ。以前には出かける予定がある日などにはニンニクは控えるようにしていた。やはり口臭が気になる。でも今はマスクをしているので気にならない。ニラとイタリアンパセリはベランダで育てている。無料だ。野菜くずも工夫して使う。生塵はできる限り最小限に抑える。

 買い物に行くのにもクルマは使わないで歩いて行かれれば運動にもなり良いのだろうけれど、我が家は丘の上の家で長い坂道はちょっと無理だろう。どうしてもガソリンを使う。でも遠出はしないで近場で済ませる。それにクルマはたまには走らせないとバッテリーが上がってしまう。

 この冬はことのほか寒かったのだが、オイルヒーターを我慢して、あるだけの厚着をし、湯たんぽで通した。さいわい風邪も引かないで良かったと思う。薬も殆ど飲まない。クリニックへも運転免許更新時以外は全く行かない。気が張っているから病気にもならないのだろうか。病気にでもなれば節約など吹っ飛んでしまう。

 その他にも他人には話せない様な節約はいろいろと工夫して、そこまでやるか。と言うところまでしている。

 何故これほどまでにして、節約をしなければならないのだろう。

 コロナ禍以前には毎年1回、2~3か月を日本に帰国していた。2020年の2月29日の帰国便をキャンセルして、2年が過ぎたが、ずっと蟄居生活が続いている。その前の1年を足すともう3年も帰国しないでセトゥーバルの我が家に居る。

 コロナ禍以前に毎年帰国していた折にはその1年間にVISAカードでポルトガルで使う金額程度を日本の銀行の定期預金から普通預金に移してからこちらに戻って来た。それが帰国しないからできないのだ。VISAカード引き落とし口座にはあまり残金は残っていないはずだ。

 コロナ禍以前には、スーパーの買い物も、レストランも、旅行の際のホテル代もガソリンも殆どをVISAカードで支払って日本の預金口座から引き落とされていた。現金は露店市の買い物、メルカドの買い物、カフェくらいだ。

 ポルトガルの銀行にも口座はあるが、電気、ガス、水道などの光熱費はそこから引き落とされる。

 だからコロナ禍以後はVISAカードを使わないで、ポルトガルの銀行に残している光熱費と同じ預金からムルチバンコで全てを使っている。それは節約しているお陰で未だ当分は大丈夫だろうと思うが、蟄居生活がいつまで続くか判らないので、出来るだけ長く使えたらと思って節約を心がけている。

 宮崎の自宅も数年前にリフォームし、そろそろ日本に引き揚げをと考えていた。だからポルトガルに置いてある預金も減らしつつあった。

 そんな矢先のコロナ禍だが、蟄居生活を過ごす内にむしろ蟄居生活の快適さ、何もしない快適さを肌で感じているのかもしれない。マスクをしての外出も案外と快適だ。セトゥーバルでも良いな。もしかしたら日本に引き揚げしないでも良いのでは?などとも思い始めている。

 コロナ禍ではセトゥーバルの人達の親切にも思いもかけず触れることが出来、セトゥーバルで良かったなと何度となく思った。

 宮崎に帰っても自宅からの見晴らしは良くはないし、別に何もすることはないし、と考えてしまう。その点、セトゥーバルの自宅からの眺めは飽きることがない。季節の移ろい、野鳥たちの囀り、人々の動き、それにセトゥーバル港に出入りする貨物船、漁船、観光船やヨット、たまにはカラベラ船やサグレス号もやってくる。きょうも2本マストの大型帆船が入港した。

 4月24日の真夜中、日付が替った0:00に漁港あたりからの豪華な花火が10分間続いた。我が家の寝室のカーテンを開けるだけで真正面の1等席だ。大晦日のカウントダウンの花火は自粛で今年はなかったのだがその分で『革命記念日』に打ち上げたのだろう。

 セトゥーバル港などを歩けば自分自身が住民にも観光客にもなれてしまう。大きすぎず、小さすぎず、ひととおり何でも揃う。労働者の町なので物価も安い。本当にセトゥーバルで良かったな、と今更ながら満足している。

 家にばかり居ても絵を描いたり本を読んだり、パソコンをしたりと1日が瞬く間に過ぎて飽きることがない。そして節約も苦にはならない。いや、節約を楽しんでいる。お金を使わない。

 でもお金は使わないとあの世までは持ってはいけない。自分で稼いだお金は自分で使わないと、とは思っているが、ケチが身についてしまいそうだ。

 だが、ポルトガルに置いている預金には限度がある。出来れば帰国して定期預金を普通預金に移し、VISAカードでたっぷりと使いたい。この生活がいつまで続くのだろうと心細くもある。

 

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