武本比登志の端布画布(はぎれキャンヴァス)

ポルトガルに住んで感じた事などを文章にしています。

155. ニンジン Cenoura

2018-07-31 | 独言(ひとりごと)

 日本ではこの夏、キュウリが6割も値上がりしているとか。ポルトガルでもいつの間にかニンジンの価格が上昇している。

 と言っても今までが安すぎたのだ。2018年8月1日、現在の価格が1キロで0,79ユーロだから数ある野菜の中で一番安い。タマネギ1キロ0,85ユーロ。ジャガイモは1キロ0,99ユーロ。尤もジャガイモなどは種類が多くもっと安価な物から様々だが。昨年まではニンジン1キロで0,50ユーロ以下というのがずっと続いていた。僕はこんなにも安くて良いのかなと思っていた程だ。

 

ポルトガルで売られている細くて小ぶりなニンジン

 瑞々しくて(絵は下手くそなので瑞々しくは見えないが)美味しくて、栄養価も高く、生で齧っても幾らでも食べられる。こんなことを書けば「お前は馬か?それとも兎か?」と言われそうだが、ヨーロッパのニンジンは細くて瑞々しくて旨い。

 スウェーデンなどでは子供のおやつとして食べられたりもする、果物の代用とも考えられているのではないだろうか?勿論、野菜ジュースには欠かせられないが、生でポリポリと齧るのも旨い。リンゴを歩きながら齧っているのはよく見るが、それと同様、ニンジンを街角で齧っている姿も良く目にする。

 お昼のお弁当にリンゴの代わりにニンジンの皮を剥きラップで包んで持って行ったりもする。僕もリンゴが切れてしまった時などにはニンジンの皮を剥きそのまま齧ったりもする。

 映画『コールドマウンテン』で、彼は戦場に行ったまま行方も知れず、牧師であった父が死に、世間知らずで何も出来ない娘のエイダ(ニコール・キッドマン)が、お隣の勧めでやってきた流れ者の女性ルビー(レネー・ゼルヴィガ―)の助けを借り、ようやく収穫できた小さなニンジンを、台所で一人、皮も剥かず葉も付けたまま、まるで子兎の様な可愛らしい歯で、安堵の表情を浮かべポリっと齧る姿は寒い冷たい『コールドマウンテン』に一条の光を与える場面である。

 日本ではタマネギとニンジンそれにジャガイモをカレーに入れる。カレーの定番で3つ共家庭の常備野菜として欠かせない。

 我が家のカレーの添え物に欠かせないキャベツピクルスにはニンジンを剣割きにして混ぜ合わせる。

 それに糠漬けである。もっともポルトガルでもヨーロッパでも糠(ぬか)は手に入らないからパンの耳などで糠床を作って糠漬けを作っているのだが、それにニンジンは欠かしたことがない。

 パンを代用にした糠床はかつてパリに住まわれていたフォトジャーナリストの奥村勝之さんが発見されたのだそうだ。バゲットとビールの残りを屑籠に放り込んで置いたところ、翌朝に糠床にそっくりな臭いを発していたのだそうで、これは糠床としていけると直感したとか。それが徐々にパリの日本人社会に広まって、今ではヨーロッパ中から南北アメリカまで浸透している。尤もフランスのバゲットではなくてもどこのパンでも構わない。飲み残したビールを使えば促成に糠床が出来るが、時間さえかければビールは使わなくても一向に構わない。

 我が家ではストックホルムでもニューヨークでもそして今、セトゥーバルでもそんな糠漬けは欠かしたことがない。

 ニンジンも品種改良が進んでいるのだろう。昔はもっと癖があったように思う。そのせいでニンジン嫌いの子供も多かったのかも知れない。ヨーロッパのニンジンは現在、日本で売られているものより更に癖が無くなっている様にも思う。そして細く小さい。

 1970年代、フォルクス・ワーゲンのマイクロバスでキャンピング旅行をしていた。基本的には自炊であった。1972年のことである、スペインからジブラルタル海峡をフェリーに乗りモロッコに渡った。モロッコでは観光客に対して何でも5倍に吹っ掛けると聞いていた。何かを買おうとする時、先ず10分の一に値切る。売る方もそれでは駄目だから少しづつ値段を下げる。やがて最初の言い値の5分の一になったあたりで折り合いをつけ買うことになる。

 その調子で何でも買っていた。ある時、普通の露店で老婆がニンジンを売っていた。泥と葉の付いた小さなニンジンの束である。いつもの癖で10分の一に値切ってしまった。普通の野菜などは観光客は買わなくて、地元の人向けの値段なのだから値切る必要はなかった訳で、老婆はポカンと口を開けたままであった。すぐに気が付いてそのままの値段でニンジンを一束買ったという苦い経験がある。ところが苦い経験はそれでは終わらなかった。そのニンジンの食べられる部分は周りのほんの少しだけで中心にはとても歯が立たない木質でガチガチの繊維があった。

 第2次世界大戦でアメリカ人が日本の捕虜になり、ゴボウを食べさせられて「日本人は捕虜に木の根っこを食べさせる虐待をした。」と言って怒ったと言う話を聞いたことがあるが、モロッコではニンジンの繊維をしゃぶらせられた。

 昔、僕が未だ 18~9 歳の頃だが針中野駅前商店街にあった『花時計』という喫茶店でバーテンダーのアルバイトをしていたことがある。お客の殆どが主婦と子供連れの買い物客だったが、そこのスパゲティは評判が良かった。ケチャップにニンジンを入れてミキサーにかけるのである。ニンジンの繊維が適当に残ってケチャップが麺に絡まりやすくなり、旨味が増す。今も我が家ではスパゲティにはニンジンを摺り下ろして入れる。

 ニンジンといえばジュール・ルナールの小説『ニンジン』(1894年)を思い浮かべる。フランス語で(Poil de carotte)。ルナールの子供時代の自伝的小説だが、主人公ニンジンはそばかす顔に髪の毛がニンジン色だからニンジンなのである。

 ニンジン色の髪の毛のイメージはルナールに始まったのかもしれないが、モンゴメリの『赤毛のアン』(1908年)やリンドグレーンの『ピッピ・ロングストロンプ』(1945年)など、そして映画の登場人物でもよく描かれているのが、他人とは違う奔放な人物のイメージに仕立て上げられることが多い。

 赤毛のアンもピッピ・ロングストロンプもニンジン色の赤毛でそばかす一杯の少女である。『ニンジン』の主人公(フランソワ・ルピック)は男の子だが他人とは変わっているがために親からも兄、姉からも意地悪をされる。でもその意地悪を意地悪とも思わず、明るく奔放に生きていく姿は読む者に勇気を与えてくれる。ルナール自身により戯曲化もされ上演され、世界中で翻訳された。

 その後、残念なことにルナールの父親は自殺、母親も自殺かどうかは定かではないが井戸に落ちて死亡している。

 そう言えばヴィンセント・ヴァン・ゴッホは子供たちから「フーリー」などと言って囃し立てられる赤毛であった。アルルで自分の耳を切り、オーベールでは烏の群れ飛ぶ麦畑で自分の胸にピストルを押し当て発射している。

 イングランド時の王様ヘンリー8世とアン・ブーリンとの間に生まれ、後に44年間の永きに亘り女王として君臨するエリザベス1世もニンジン色の髪の毛、赤毛だった。母親のアン・ブーリンは姦通罪でエリザベス1世が未だ赤ん坊の時に斬首処刑されている。

 欧米には元々、金髪の人も居れば赤毛の人も居る。北欧の人にはむしろ黒髪に憧れる人も居た。昔の日本人の美人の象徴として<髪は烏の濡れ羽色>と言う言葉がある。

 日本人でもその後は少し栗色に染めたりはしてお洒落を楽しんできたのだろう。

 帰国して驚くことに金髪や赤毛の人があちこちに居ることだ。サッカーの本田選手は以前から金髪にしていたが、今回のワールドカップで長友選手までもが金髪にしていた。

 50年も前にタイムスリップしたならば「どうしたのですか?その御髪(おぐし)。火事にでも遭われたのですか?それとも何かご病気?」などと言われたに違いない。

 さて食料としてのニンジンの話である。原種ダウクス・カロータの根は小さく白か紫で僅かに黄色いものもあり、それに品種改良を重ね、甘くカロチンの高い、そして大きくいわゆるニンジン色の品種がオランダ辺りで出来上がったのは何でも16世紀頃だったとか。

 ゴッホの時代にはニンジン色のニンジンは存在しただろうけれど、エリザベス1世の時代には未だなかったことになる。

 僕は花ニンジンを作るのを得意としている。和食に花ニンジンは欠かすことが出来ない。煮つけにも刺身のワサビの下敷きとしても茶わん蒸しにも花ニンジンは彩を添える。

 欠かすことが出来ない、と書いたがそれは言い過ぎで、そんなことはない、無くても一向に構わないものだ。それに「ニンジンのあの色が嫌いなのだ」と言う人もいる。

 ポルトガルで売られているニンジンは瑞々しくて美味しいが細すぎて花ニンジンは作りにくい。ニンジンは今も品種改良が進み、時代と共に変化し続けているのだろう。

 そしてニンジン色のニンジンは何時頃から日本に存在していたのであろうか。などと想いを巡らすが、古典落語にニンジンが出てきた記憶はない。

 ニンジンはセリ科、ニンジン(ダウクス)属、学名:Daucus carota、英名:Carrot、葡名:Cenoura。アフガニスタン原産で東に西に長い年月をかけて広がって行ったのであろう。ポルトガルにも原種は至る所に繁茂し、葉や花などに触れると爽やかな良い香りを発する。

 そして今、安くて食べられる食材として有難さを噛みしめたいと思う。VIT

 

 

 寅さんの主題歌に『♪目方で男が売れるなら、こんな苦労もかけまいに…』という歌詞があるが、一概に野菜も目方だけでは比較できないところがあるものの、最近買った野菜をキロ換算価格順に並べてみた。参考のために米、スパゲティ、パンも加へた。単位は1キログラムあたりである。

付録:最近の買い物から野菜価格/Kg単位価格順(含米)

ニンジン0,79€/kg。スパゲティ0,79€/kg。タマネギ0,85€/kg。オレンジ0,89€/kg。キャベツ(コラサオン)0,95€/kg。ジャガイモ(赤皮)0,99€/kg。カリフラワー0,99€/kg。トマト0,99€/kg。バナナ1,05€/kg。米1,12€/kg。緑パプリカ1,30€/kg。サツマイモ1,35/kg。桃(パラグアイ)1,49€/kg。蕪1,59€/kg。米ナス1,59€/kg。リンゴ(富士)1,59€/kg。白菜1,69€/kg。インゲン豆1,76€/kg。ブロッコリ1,78€/kg。大根1,96€/kg。セロリ1,98€/kg。レモン1,99€/kg。リンゴ(ガラ)1,99€/kg。パン(リオ・マヨール)2.20€/kg。フランスネギ2,48€/kg。イチゴ2,58€/kg。セレージャ(サクランボ)2,99€/kg。オランダキュウリ3,45€/kg。チェリートマト3,56€/kg。ガーリック3,70€/kg。アボカド3,99€/kg。ブラウンマッシュルーム5,60€/kg。ルッコラ9,90€/kg。

 

 

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154. エストレラ山旅日記 Diario de Serra da Estrela

2018-07-01 | 独言(ひとりごと)

 焼け着く太陽によってすっかり枯れ野原になってしまった平地を諦めて、標高の高い、ポルトガルの最高峰エストレラ山に行くのがこの時期の恒例になっている。最高峰と言っても高々1993メートルしかなく、クルマで頂上までも行くことができる。

 それでも今年に限ってなかなか腰が上がらなかった。

 4月25日に日本からポルトガルに戻って、いろいろな手続きを済ませ、クルマのオイルチェンジとメンテナンスも終え、もう既に18年も乗っているクルマの車検も一発で合格し、既に出発の準備は整っていたはずなのに、なかなかエストレラ山麓のホテルの予約に踏み切れなかった。

 と言うのはこの春がことのほか涼しかったからか、平地、つまり日帰りで行くことが出来る、或いはほんの15分~30分のところの野の花が未だ新鮮な姿で咲いていたからだ。

 ポルトガルに戻って1か月半を近場の野の花観察に費やすことになり、初見花も多く観察することができた。

 そしてようやく6月16日になってホテルに予約を入れた。うかうかしていると又天気が崩れる予報だ。最近はエストレラ山の7合目あたりのペーニャス・デ・サウデのルナホテルと言うところによく泊まるのだがあいにくとその週は満室で、以前によく泊まっていた標高600メートル程のコビリャンのホテル・エウフェミアに2泊だけ予約を入れた。45€x2泊=90€(朝食付き)

 ペーニャス・デ・サウデならホテルの敷地内でも野の花観察が出来るし、頂上までを何度も往復しても大した距離ではないが、コビリャンからならかなりきつい坂道の上り下りがあるが仕方がない。

 最低でも3泊程度はするつもりだが3泊目以降は様子を見てどこか違う場所に移動しても良いし、今回はスマホを確保しぼちぼち使い慣れ始めたので旅先からでもホテルの予約が出来る筈だ。

2018年6月17日(日)快晴。

 いつも通り7:00起床。朝食を済ませ、メールを開いてみると群馬県で震度5弱の地震。当地に住まれているTSさんにお見舞いのメールを送信してから出発。8:50出発。セトゥーバルの街を抜けるのに、今朝は日曜日で通勤がないので空いていると思っていたが案外とクルマは多かった。セトゥーバルの出口にあるジュンボのガソリンスタンドで満タン。14,59Lt x 1,592=22,31€。

 1時間ほど走ったヴェンダス・ノヴァスのビッファナス店で最初のコーヒー休憩。店に着くと何と3台もの観光バス。人で溢れ返っていた。いつもならここでコーヒーとバカラウコロッケを食べるところだが、レジの前が満員。テーブル席も満席。仕方なくトイレだけ使わせてもらって出発。

 コーヒー休憩はアライオロスの5キロ手前、キノコ観察にも良く通ったパルケのドライブイン。コーヒーx2=1,20€。ナッツをまぶしたお菓子(ボーロス・デ・フォルノ)1,30€。合計=2,50€。

 エストレモスからポルトアレグレ、更にアルパリャオンも過ぎ、途中も野の花を観察しながら、スケッチをしながらニーサまで頑張って走る。

 あいにくニーサのいつものレストランは休み。日曜日は定休日なのだろう。その隣のレストランで昼食。ニーサでお昼になることが多いのか、このレストランも以前に一度入ったことがある店。フランゴ、バカラウ、パン、オリーブ、ノンアルコールビールx2、デスカフェイナードx2。合計=16,80€。隣の人は骨付き羊のオーブン焼きを注文していたが、あれでも良かった。

 ニーサにはエストレラ山の行き帰りでなくても何度もスケッチに訪れている町。石の産地で、以前に彫刻家の中岡慎太郎さんから聞いた話だが、その当時のニーサ市長が女性でそのご主人が日本人の元石工、当時は彫刻家だと言うこと。お会いしたことはないが、今もニーサにお住まいなのだろうか…。などと思いながら食事。それにしても暑い。いつもの天気予報でもこの辺りがポルトガルで一番暑い。そして山火事も多いところだ。

 ニーサからテージョ川を渡りパルプ工場のあるヴィラ・ヴェーリャ・デ・ロダオン。そのテージョ川にあぶくが一杯の垂れ流し公害のニュースが先日あったばかりだが、運転をしながら川を覗いてみると既に綺麗な水に代わっていた。

 そのヴィラ・ヴェーリャ・デ・ロダオンを通り抜け、スクットに入り込まない様に注意を払いながら、カステロ・ブランコのジュンボのガソリンスタンドで再び満タンにするつもりでIP2をカステロ・ブランコ・イーストで降りる。

 IP2は高速道ではなく一般道でこの辺りは高速道とも平行に走っているが一般道と言へども時速100キロ以上も出すことが出来る。いつもはノードで降りるのだがカステロ・ブランコの街を通り抜け、いいところがあればスケッチをするつもり。でもイーストでは大回り過ぎる。しかし思いがけずカステロ・ブランコの鉄道駅も写真に撮ることができた。お陰でガソリンがぐっと減ってしまった。

 カステロ・ブランコの工場地帯にあるジュンボのGSでガソリン満タン。16,03Lt x 1,484=23,79€。セトゥーバルからカステロ・ブランコまでで16リッターを消費したことになる。

 カステロ・ブランコのショッピングモール・アレグロでトイレ休憩。アイスクリームを食べる。ピスタチオ1b=1,50€。チーズレモン1b=1,50€。合計=3€。

 昼をたっぷり食べたので夕食は入らないし、レストランが開く19:00まで待つのは疲れるので最近、夕食はスーパーでワインとツマミ程度を買ってホテルの部屋で済ますことにしている。

 フンダオンのリードゥルでその夕食用の買い物。ポテトとツナのサラダ250g=1,29€。パイオ・ヨーク・ハム200g=1,29€。チェリートマト500g=1,29€。箱入り白ワイン1Lt=0,95€。ル・トック・クラッカー100g=0,99€。ミックスナッツ200g=2,59€。アーモンドチョコレート250g=1,49€。パン(ビジョウ・インテグラル)0,07x4個=0,28€。合計=10,17€。

 フンダオンのセレージャ市でセレージャ(サクランボ)。1箱5ユーロからあったが折角だから大きくて立派な一番上等を買う。(1箱2kg)=8€。

 コビリャンのホテルの前を素通りしてコビリャン駅へ。駅を撮影してからホテルへ。フロントの小父さんは僕たちの顔を覚えていた。過去の記録にもあるのだろう。宿泊料金は既にネットで引かれている。部屋は表側の6階。部屋でゆっくり。ニュースでサッカーワールドカップロシア大会日本の初戦。コロンビアに1対0で勝ちとの報にびっくり。昼の外食がたっぷりだったので夜のツマミ程度さえあまり入らない。暑くてエアコンを入れる。山だからと分厚いパジャマを持ってきて失敗した。

2018年6月18日(月)晴れながら風が強い。

 朝はいつも通り7:00起床。すぐに部屋のテレビを点けびっくり。大阪の高槻を震源とする、震度6の地震。高槻に住む妹にスマホからメール。高槻は停電とのことだから届かないかも知れない。大阪の実家近くで喫茶店『英登』を営む幼馴染のモミジさんからメール。揺れは怖かったけれどモミジさんのところも僕の実家も大丈夫とのメール。それに対して返信メール。

 ホテルは静かだったので泊り客が他に居るのかな?などと思いながら7:50朝食サロンに行くと泊り客で一杯。朝食係は以前とは代わっていたが感じの良い、人の良さそうな小父さん。たっぷりと食べ、たっぷりと飲む。

 ホテルを9:00に出発。ペーニャス・デ・サウデに着くまでにも数か所で観察。いろいろと咲いている。最初はイヌノフグリの1種だと思って小さい花を撮影していたが、MUZが「これはスミレじゃないの」と言う。よく見てみるとなる程スミレだ。ひ弱な極小だが確かにスミレだ。勿論、初見花である。しかし風が強くてなかなかピントが来ない。いつも立ち止まり観察する場所には必ず止まったが、それ以外の場所でも貪欲に観察を試みた。

 ホテルでの朝食はたっぷりと食べ、なかなかお腹は空かなかったが、昼も夜もスーパーで買った物では楽しみもないので、昼食にはエストレラ山を反対側にかなり下ったところにある町、ロリガまで行くことにした。ロリガにも以前には泊ったことがあるし、そのホテルのレストランはなかなか良い。ロリガには天然のプールがあって、観光客にも人気の場所だが、暑い時にはプール客が居るので野の花観察などは出来ないが、プールシーズンでない時には水が豊富なので植物相も少し異なり魅力のある観察場所である。しかしきょうは暑くプール客がいる筈なので野の花観察という訳にはゆかない。でもロリガに下る途中にも野の花観察場所は多くある。

 ロリガのレストランで昼食。子牛のステーキ10,50€。ペスカダ10,50€。ノンアルコールビール1,50 x 2=3€。ミネラルウォーター1,5Lt=2€。オリーブ/パン=1,10€。プリン2,45 x 2=4,90€。デスカフェイナード70 x 2=1,40€。合計=33,40€。チップ2€。ステーキが3枚も付いて半分も食べ切れなかったのでポンフリと共に包んでもらって持ち帰る。アルゼンチンからの女性客2人が天然のプールに行ってきたと言って、レストランの隣の席に着いたが、天然のプールは人で賑わっているのだろう。

 エストレラ山の頂上付近には未だたくさんの雪が残っていた。暑かったので触ると気持ちが良かったが、この暑さではすぐに溶けてしまうのだろう。

 エストレラ山の頂上トーレには古い天文台と土産物屋、流行らないレストラン。それにポルトガル唯一のスキー場があり、それ用のリフトがあるが、勿論今は動いてはいない。

 喉が渇いたので頂上トーレのレストランでノンアルコールビール2,20x2=4,40€。

 夕食はホテルの部屋で映画を観ながらツマミ程度でワインを一杯。3泊目はどこか違うところのホテルと思っていたが、明日の予定を考えるとここまで戻って来る方が帰りは楽になるかな?と思いもう一泊、今泊っているホテルをスマホから予約。暑くてエアコンを点ける。

2018年6月19日(火)晴れ。

 7:00起床。8:00から朝食。宿泊客は昨日とは全く違う顔ぶれ。今朝もたっぷりと食べ、たっぷりとコーヒーを飲む。9:00出発。マンテイガス方面へ。

 ペーニャス・デ・サウデを過ぎたロータリーから右折、この道は狭く片側は断崖、だが交通量は少なく、ゆっくりと走れる。最初のキャンプ場で野の花観察。この辺りからの眺めの頂上付近にも未だ雪が残っている。平日だし朝が早いので観光客の姿は殆どなし。いろいろと咲いている。

 マンテイガスまでの道沿いは水が豊富で植相も少し他とは違って楽しみな道だが、今年は更に水が豊富で、あちらこちらに滝が落ちている。クルマを停めて野の花の観察をしていると地元の小父さんが隣にクルマを停めてペットボトルに山からの湧水を汲んでいた。我々も空きペットボトルを満タンにする。

 マンテイガスの少し手前から山に入る道があり、その先には『地獄の入口』という名前の滝がある名所がある。以前にペーニャス・デ・サウデのポウサーダ・デ・ジュベンチュードに泊まった時にフロントの人が「是非行ってみなさい。」と教えてくれたところで、その途中の道も野の花観察には魅力的なところでエストレラ山に来たならば必ず訪れる。

 その入り口手前で地上蘭 ダクティロリザ・マクラタ Dactylorhiza maclata が見えたので停車。やはり開花時期が例年とは違い、昨年に観察した場所では未だ花茎は上がっていなかったのにここでは今が丁度見ごろ。昨日観察の リナリア・エレガンス Linaria elegans もいつもの場所には殆どなく、それより100メートルほど標高の低いところで群生していた。

 停車した反対車線のPに沿道の草刈りの人のクルマが停まって休憩をしていた。そして我々の様子を興味深そうに眺めていた。昨年の悲惨な山火事を恐れて沿道などの草刈りを丹念にして少しでも山火事の被害をなくそうと言うものだ。それは良いことだと思うが、我々の目的の野の花も刈られてしまう。刈られてしまうより前に野の花観察をしなければ。

 途中の道は更に狭く、片側は断崖で対向車が来たならばどちらかが譲らなければならないが、きょうはクルマが本当に少ない。途中、一か所テーブルとベンチがある場所があって、そこで昼食。レストランはマンテイガスの町まで行かなければならないので、きょうはレストランには入らない。傍の地面にクロノボリリュウタケが生えていた。その間に草刈りの人のクルマが先に行ってしまった。

 初見花は殆どが今まで見過ごしていただけの地味な花で、これと言うほどの花はない。滝の水量も例年より遥かに多い。沿道はあちこち刈られているがその先は大丈夫で野の花は残っている。以前には原種の白いバラが咲いていたその反対側にピンク色のバラが咲いていた。接写をしたいところだが谷底に落ちそうで危険だ。枯れ枝を拾って、バラの枝を引き寄せMUZに持って貰って接写する。『地獄の入口』の滝からの帰りも殆ど対向車には出会わなかった。マンテイガスにはいかないで、同じ道を帰る。

 昼も夜もツマミ程度という訳にはいかないので、コビリャンのショッピングモールで食べることにする。ここなら食事時間(19:00から)ではなくてもいつでも食べられる。

 18:00夕食。サルシーシャス(ソーセージ)サラダ(レタス、玉ねぎ、ニンジン、キュウリ、トマト)ポテトフライ、アロス=5,20x2=10,40€。ノンアルコールビール1,75x2=3,50€。合計=13,90€。いつでも食べられるし、とにかく安くてお腹は一杯。喉が渇いていたのでノンアルコールビールが殊の外旨かった。ホテルに戻ると駐車場はほぼ満車。狭いところに停めようとすると、前に入った人が「トラックの後ろが空いているよ」と教えてくれる。そこに移動しようとするとトラックの人達がやってきて出て行く様子。空いているよ。と教えてくれた人のクルマと並べてトラックが出た後に停める。ホテルの部屋に戻って熟睡。

2018年6月20日(水)晴れ時々曇りのち一時雷を伴う大粒の雨。

 7:00起床。8:00より朝食。9:00出発。追加の1泊分はネットでは引かれていなくてカードで支払う。1泊分=46,80€。昨夜一緒に並べて停めたクルマの家族は未だ出発はしていない。

 帰るだけなら勿体ないのでフンダオンを過ぎた山道からペナマコール方面へ寄り道をすることにする。ペナマコールも行ったことがある町だが、この道は恐らく初めての道だ。横道にそれたすぐのところに リナリア・トリオルニトフォラ Linaria triornithophora の群生がある。

 途中、思わぬところに『駅はこちら』の標識。こんなところにも鉄道が走っていたのだ。無人駅だが今も使われている。敷地内にもいろいろと花が咲いている。駅の敷地も野の花観察の場所として見逃せない。そしてセレージャの大木が2本。赤く色付いたサクランボが一杯に実を付けている。ちぎって口に含んでみると甘い。そんなことをしていると踏切の警報が鳴り始めた。列車が来るのだろうか。ホームで待っていると黄色い保線車両がやって来た。線路に散水をしながらあっという間に行ってしまったが、手を振ると、運転手たちも手を振って応えてくれた。今回の旅でも思いがけず5つの駅を撮影することができた。

 ペナマコールについて少しスケッチ。入ってくるときに見かけたピザ店に行ってみる。ピザとテントには書かれていたが普通のポルトガル料理もあるかも知れないと思ったからだ。入り口には黒板があってポルトガル料理が書かれてあった。同時に外国人観光客らしき3人の女性が入って行った。1階はバルで食堂は2階になっている。幾つかのテーブルが片付けられないままになっていたが席はある。先に入った3人の外国人旅行者がメニューを手渡されて立ったまま見ていたが、諦めた様子でそのメニューを僕たちに渡して出て行ってしまった。ピザが食べたかったのかも知れない。ピザはなくポルトガル料理だけであった。ピザと書かれたテントは多分古いものなのだろう。こちらとしてはポルトガル料理のみの方が良かった。すぐにテーブルが片付けられ座ることが出来た。

 テレビではサッカーワールドカップロシア大会をやっている。それもポルトガルとモロッコの試合中であった。7~8人の労働者風の男たちが食事中であったが、意外なことにあまりテレビには注目していない。テレビはビデオではなく中継である。クリスティアーノが1点入れた様だ。テレビの画面を一番前に居たウエイトレスのお母さんがウエイトレスの赤ん坊をあやしながらなんとなく眺めているといったところ。

 セトゥーバルなどは応援のポルトガル国旗だらけで、ポルトガル人は今回のサッカーワールドカップロシア大会には国民を挙げて夢中になっていると思っていたものだから意外である。そう言えば以前に、画廊のペドロが「僕はサッカーも闘牛もあまり興味がないのだよ」と言ったことを思い出した。そんな人もポルトガル人の中には居るのだ。

 エントレコスト(スペアリブ)=7,50€、ドーラーダ(クロダイ)=6€。ミネラルウォーター1,5Lt=1€。イチゴとチョコレートのムースx2。デスカフェイナードx2。合計=14,50€。安いのにびっくり。

 レストランの中も暑かったが外に出ると尚更蒸し暑い。

 カステロ・ブランコに向けて走り出したが何だか雲行きがおかしい。これでは野の花観察どころではない。その内大粒の雨。以前にも長いドライブ旅行の帰り道。大雨に遭って、クルマの屋根の上に大きなコウノトリの糞がべっとりと付いていたのが大雨で綺麗に洗い流されたことがあったが、今回はコウノトリの糞こそないが、虫の汚れが沢山ついていたのでそれが洗い流された様だ。

 カステロ・ブランコに着くころには雨は上がっていた。がここにも降った形跡はある。

 カステロ・ブランコのジュンボのGSで満タン。27,06Ltx1,484=40,16€。カステロ・ブランコのGSでガソリンを入れたのが16:38もう帰るしかない。

 途中、エストレモスのコンチネンテで明朝の朝食用買い物。バナナ915g=0,96€。リンゴ1,512kg=2,40€。パン(セーラ・ファティーダ)550g=1,08€。ついでにHallsのど飴32g=0,79€。喉が渇いたので生ジュース(リンゴ、ニンジン、生姜)1Lt=1,29€。合計=6,52€。前回割引分5€。支払合計=1,34€。たったの1,34€の支払いをヴィザカードで。苦笑いするしかない。

 エストレモスのコンチネンテを出たのが20:30。

 家に帰りついたのは22:00を回っていた。

 帰って暫くすると追いかけて来た様に雷と大粒の雨。撮って来た写真を挿入したものの稲光がしたのでパソコンをすぐに閉じなければならず見ることは出来ない。風呂に入りぐっすりと眠る。

 続き2018年6月21日の日記は 1481.タヴィラの町角 へ。

 

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