前向きな人生の整理整頓

人生も後半、一日が短いです。明日やると思っても、若者のようには明日はたくさんないのかもと気づいた今日この頃

Kissing to be cleverを買う / Culture Club 3

2008年11月26日 23時32分21秒 | 音楽
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です

83年の何月号かは不明ですが、感嘆するわたしに友人はVIVAROCKの表紙
を破ってくれました。後に極、近所への引越しを含め5回棲みかを変えましたが、
どこに住む時も持って行ったし、今でも大切にしています。
多分スー・クローズのシャツに黒いベスト、髪に、これまたスー・クローズの
黄色いハギレを巻いて、赤い帽子を被ってこちらを見ています。

更に・・・・
実はわたしは唯一Colour by numbersだけレコードを持っていないのですが、
それもその友人が、Colour by numbersを持っている男の子をみつけて
自分の分とわたしの分をテープに落としてくれたのでした。
そのテープもちゃんと今も持っています。

当時、NationalからANGROM(オングロム)というテープが出ていてそれを使って
いることでも自分の熱の入れ様がわかります。中学生には高級な品だったはずです

志摩あつこさんが当時描いていた8ビートギャグという漫画がありました。
カーマのビデオに登場するジョージの姿が描かれた志摩さんのカセットレーベル
がビバ・ロックの付録になっていて、そのレーベルを使用しています。
着ている物、メーク(シャドウや口紅の色)、髪のリボン、帽子につけた装飾品、
おまけにポージング 全部忠実に描かれています


録音して貰った日付が書かれています。数字で見せつけられると時を感じますね。
'83.12.1と当時の子供っぽい字で書かれています。
あららっ、カラーの綴りがColorって書いてあるよ。
まっアメリカのカントリーの歌手だと思っていたくらいですからね

今、手元にある4thアルバムの年表(大好きなDJ矢口清治様が作成してます)
みたら2ndはイギリスで83年の10月に発表、22日付けでNo.1。
日本ではいつ発売だったのかな?
12月ならまあ、案外早く手に入れていたことになりますね。
少なくとも、『カーマ』が全米チャートに上がるのは翌年の2月なので
アメリカ人達よりは早くキャッチしていたことになります。
というより、先にアメリカでは『ボイズンマインド』がカットされていたみたいですけど。

そのテープを手に入れてからはもう、それはそれは毎日聴いて、
うるさいと家人に怒られたことは言うまでもありません。
おまけにその年、わたしは受験生だったようです。

自覚がなかったのか、それほど成績がいいわけでもないのに
余裕だったのか、それでもめげずに雑誌を買いこんでいました。
ついには1stアルバムのKissing to be cleverを購入します。
当時、レコードは2800円でした。子供には高級なものでした。
でも、何とかやりくりして買っていましたね。

そのやりくりというのは、こんな感じ。

お世話になった友人と、Colour by numbersのレコードを貸してくれた男の子に
今度はお礼にKissing to be cleverをダビングしてあげるというやりとりでした。
当時は今のように一曲ごと破格でダウンロードなんてできませんでしたからねえ。
そういったやりとりで、visageとか、Heaven17だとか、Human League
だとかを好き嫌い関係なく、入手して聴きましたねえ。
なつかしや、なつかしや。

今頃の季節になるとすごく近くにあの頃を感じます。
無理だけど、あの頃から生きなおしたい。
無理だから、ほんのりあの頃のように希望をもってみたりするのです。
         あの黒い帽子
                       つづく




彼がBoy George?/ Culture Club 2

2008年11月26日 01時33分50秒 | 音楽
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です

その当時のわたしにブリティッシュアクセントなんぞわかるはずもなく、
今もわかっちゃいないと思いますが、カーマの発音でアメリカ人じゃないことくらいはわかります
頭の中ではどちらかといえば、当時の言葉で『ダサい』
アメリカ人のカントリーミュージック風の人を想像しました。
あのハモニカの音のためかもね
ジーンズにチェックのフランネルシャツを着て、瞳はブルー金色のサラサラの髪。
まあそんなイメージを抱いたわけです。

程なく、ミュージックビデオの一部を観る機会がありました。
随分厚化粧をした、しかし随分きれいな顔をしたひと(女性)が
帆布をかけた駱駝のコブのようにみえる何かの上であの癒しの声に合わせて
口パクしているではありませんか。実際、ジョージは何の上にのって歌ってているのか今でもわかりませんよ
そう、この時はジョージのことをビデオのためのモデルさんだと思ったのです。

再び友人登場、「あの人がボーカルよ」
「えっ あの人がボォイ・ジョウジ?」「そうよ」
わたしの頭の中からダサぃカントリー歌手が退散。
「あの人男なん(恐る恐る)・・・?」
「そう、女に間違われたんで、名前をボーイ・ジョージに変えたらしいよ」
そして見せて貰ったのがビバ・ロックの表紙でした。
カーマのビデオと違ってかなり薄化粧で、何て何てかわいい顔。美人。
ちっちゃい口、ちょっと悲しげにも見える目。アイリスの色はグリーン。

世界一の美人、リズ・テイラーより美人じゃないの。
いや、この頃は世界一はブルック・シールズでしょうか
そう思ったのはわたしだけですか???
わたしだけですか?わたしだけですかっっっっ?

この時はジョージが、どんな大男かも知らず、
あの声にして、ぷりてぃふぇいす あんじぇりっくふぇいす・・・
と二度目の衝撃・・・本当、天使かとも思いましたもの。

でも、今思うと姿形からではなく、culture clubに出会えたのはとても
ラッキーだったと思います。 これは純粋に彼らの音楽が素晴らしいと
いうことを証明している意味になると思うのです。

Kissing to be cleverを買うつづく

癒しの声に出会う / Culture Club

2008年11月24日 19時05分34秒 | 音楽
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です

11月もじき終わりますねえ。
1983年の11月、わたしは当時も今も大好きな、culture clubに出会いました。
その時点では、Boy Georgeの声に出会ったといったほうが正確かな。
何日だったかまでは覚えていないのですが、その日は学校が休みでした。
多分、日曜日。あるいは勤労感謝の日だったのかもしれません。

夕方、聴くともなしにラジオを聴いていました。
「あーまた明日から学校か 寒くなってきたし嫌だ」などと思っていた記憶があります。
そこに、何とも爽やかで心癒すそれはそれは優しげな声が聴こえてきました。
山間部のためラジオの入りがすごく悪くて、そのうちにガーガーピーピー
向きを変えたり微調整していると、優しげなその声が『カマ、カマ、カマ』
と歌っているのが聴こえ、再び聴こえなくなりました。
再び聴こえた時にはもうその曲が終わっていました。
実際にその歌声をちゃんと聴けたのは一分にも満たないはずですが、
わたしの心に、何といったらいいのでしょう・・・豊かなものを植えつけて
日曜日の(あるいは祭日の)夕方のメランコリーからわたしを救ってくれました。

別にいじめられていたわけでも、極端に勉強が嫌いだったわけでも
ないけど、毎日学校に行きたくないと思っていました。
理由もないので休むわけにも行かず、渋々登校していたわたしですが、
翌日はめずらしく学校に行くのが嫌ではありませんでした。
何故なら、ラジオから流れてきたあの曲の正体をつかむため友達に会う
必要があったからです。今のように、メールもなければネットで検索もできませんし 
わざわざそんなことで電話するわけにもいきません


多分、前日聴いたラジオはヒットチャートか何かの番組で、キーワードは
『カマ、カマ』
あっさり解決しました。「カーマは気まぐれよ カルチャークラブ」
そう教えてもらったわたしは多分その後、うっとうしいくらいに、
前日の感動をその友人に語りました。
さらに歌声の主の名、「ボォイ・ジョウジ」を何度も聞き返した覚えがあります。

この日から、まだ見ぬこの歌声の主に、
ほとんど恋心にも似た想いを抱いたのはいうまでもありません。

人の声には1/fゆらぎ なるものが存在し、日本では徳永英明などがその代表らしく、
人の心を癒す効果があるそうですが、ボォイ・ジョウジなる人物は
わたしの心を軽やかにして、さらに励ましてくれる声の持ち主だったわけです。
実際Boy Georgeの声がそのゆらぎを持っているのかはわかりませんが、
なかったとしてもわたしにはそれ以上の絶大な効果がありました。

           次回 彼がBoy George ?つづく



伝説の飲み物 CM / SASUKE 3

2008年11月24日 03時05分07秒 | 飲食
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です

当時は観た記憶が全くないのですが、田舎では放映されなかったのか 単に見過ごしたのか
youtubeでサスケのCMをみつけました。
jp.youtube.com/watch?v=xILN55aM-Kk
なんじゃこりゃ
一番初めに書きましたが、サスケにはお洒落なイメージを抱いていました。
なんとなく、それも欧米チックな・・・・
それなのに、それなのに、これはもろに日本風ですなぁ。

つまり、わたしがサスケに抱いたイメージとサスケを売り出そうとしていた人達
との考えに齟齬があったことが二十年以上経ってわかりました。

CMはつづくとなっていたけど続いていないみたいだし、
仙道敦子さんもあっさりとやめてしまいましたね。
この方、結婚しても続けていくタイプだと思っていました。

サスケはすっかり影も形もなくなったようです。
そうよね、忍びの者は消息を残さないものです。

ただね、あの味は思い出の中でドンドン強烈になって、
極めて一部の人々によって、語り継がれることでありましょう。

わたしもその伝説を担うひとりになれてうれしいよ。

                              

不気味な味??? / SASUKE 2

2008年11月19日 19時46分44秒 | 飲食
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です

今となっては、それが不味かったのかどうかも正確には思い出せない
のですが、味わったことのない不気味な味でした。
ただ、不気味イコール不味い、といっていいものかはクエスチョンマーク。

正直な感想は『気持ち悪い』でした。

なぜそう思ったのかというとですね、勝手にライバル視されて
いたと思われるコーラを当然基準に考えます。それもコカ・コーラ
これを飲み慣れていると、ペプシ・コーラを飲んだとき違和感がある
じゃないですか。
その違和感にもっと大きな衝撃を加えた感じ。
思っていたのと違うから、色はコカ・コーラと遜色ないのに気持ち悪い。
その気持ち悪さの機軸となっているのが、風味つまり、フレーバー。
飲み物では当時の人間には馴染みのないフレーバーでした。
桜餅を飲んでいるみたいとでもいえばいいのでしょうか。
今思うと、チェリー・コークってところだったのでしょう。

わりと最近のこと、某所でご当地サイダーを飲みました。
でも、そのサイダーが、サイダーとしては覚えのない風味なんですよ。
気持ち悪いなあと思いつつ半分くらい無理して飲んだのです。
ちょうど二十数年前に初めてサスケを飲んだ時と同じでした。
ビンもちょっとレトロな洒落たラベルです。
見るとの味のようです。
ハーン・・・梅だと知って飲めばゼリーとかあるしね。
気持ち悪いとは思わなかったかもしれません。
でも、サイダーだと思ったし、実際サイダーだし

それに、梅のフレーバーも天然ではなく、人工的なものかもしれません。

そうなんです、サスケもそうでした。
決して天然ではこの世に存在しない味。このサイダーとも似ているかも。
梅と桜の違いです。

一度気持ち悪いと思ってしまったものは中々取り消せません。
それが何本もあるわけです。困りました。

父を恨みましたよきっと文句もいいましたし、
当然父も何本かは飲んだはずです。
何人かの友達やお客さんに犠牲になっていただきましたし、
わたしも頑張って飲みましたが、秋が来ても終わりませんでした。
お洒落なはずのビンがいつまでも冷蔵庫の中に座っていました。

わたしの記憶の中では、サスケと夏目雅子が同じシーンにいます。
多分サスケを飲みながら、ワイドショーを観ていたのだと思います。
彼女が、結婚した年か、亡くなった年かのひと夏の思い出です。

       もうちょいつづく

お洒落な市松模様 / SASUKE

2008年11月19日 00時03分44秒 | 飲食
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です

洒落た物が好きでした。
都会的なものに憧れました。

当時あの白と黒の市松模様がおしゃれで、都会的に見えたのです。
まだペットボトル入りの飲み物なんてない頃でした。
だからあのビンはとっても魅力的だったのです。
どんな味なのか是非とも飲んでみたいと思いました。

何のことかわかりますか?
80年代にたったひと夏だけ?!存在した清涼飲料水があったのです。
その名をSASUKEといいました。

覚えている人も飲んだことがある人も極めて少ないはずです。
自慢ではありませんが、わたしは随分飲みましたよ。
決して、好きだったわけでも、おいしかったからでもありません。

ただ飲んでみたかっただけなのです。
そう一本でいいからあの洒落たビンに入った洒落た飲み物を・・・・・

雑誌の片隅に小さな記事を見つけました。
コーラに取って代わるような飲み物だと紹介されていた気がします。
何度もいいますが、小さな写真の中に白と黒の市松のお洒落なビン。

コンビニなどまだ田舎町には普及していない時代でした。
発売元は・・・多分サントリー。サントリーってことは、お酒。
そう、こんなときジュースを買うのは酒屋、酒屋。
仕事の帰り道に酒屋があるので、父に買ってきてと頼みました。

この時わたしはとても大事なことを言い忘れていました。
「一本試しに飲んでみたいから」
これをいい忘れたため後で後悔することになります。
ダース買いして来るんですよ。
何でも、かんでも・・・。
あれが欲しいと箱の中のひとつを示していったら、その一箱全部
買ってきてしまう人なんです。決してお金持ちなわけではありません

あの時もそうでした。しかも1ダースではなかったと記憶しています。
まあそれでも、そのときは洒落た飲み物を手に入れたことを喜んだはずです。
一本飲んでみるまでは・・・・・

      その味については、次回につづく




インド・秋の死 / 中川勝彦 3

2008年11月14日 20時27分42秒 | 音楽
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です

さて、NHKのスタジオライブは月に一度ゲストを迎えて放送されていたようです。
というのも、「来月は渡辺美里です」「二月は中川勝彦でした」とライブの後、
誰だか知らない司会の人が喋っている部分が残っていました。

いつの年かははっきりしないけど、二月だったということは間違いありません。
おそらく86年か85年でしょう。86年より後ということは考えにくいです。

そんなに声量のある方じゃなくて、声も伸びにくく、途中で力尽きるのを避ける
ような粘度のつよーい歌い方だと思っていました。 滅茶苦茶な表現ですみません
でも、一度聴いて嫌ってしまうようなタイプではなかったんでしょうね。
覚えている曲があるということは何度か聴いているわけですから。

実はYoutubeでPlease understand meのプロモーションビデオがあったので観たんですよ。
(http://jp.youtube.com/watch?v=wzptt9Rknfw)断然、ライブの方がいいです。
もしも、これを先に聴いていたらもう絶対その先は聴かなかったと思います。
なんてねっちょりした歌い方なんだ。この時の声も好きじゃないです。
おそらく、この時から数年のキャリアを積んで歌もうまくなっていたと思うのですが、
ライブの方がもう少し、声も歌い方も男らしいです。
この人、外見は女性的で軟弱にさえみえるけれど、
実際はいわゆる男気のある人だったのではないかと思っています。

今回、曲名のわからない初めの曲とパラノイアの棲む街がとてもいいなあと思いました。

ここでひとつ疑問に思ったのは、この人は単にシンガーだったのか
ソングライターでもあったのかということです。
外見的なことで注目を受けてしまったけど、自分の容姿に固執する様子もなく、
世の中に向けて言いたいことや、自分の考えがちゃんとあるタイプのようなので、
与えられたものを歌いなさいといわれて、その中だけに収まってしまうとは考えにくいから。

このようにわたしが思うのには一応理由があるのです。
さらに数年後の話になるのですが、それは偶然立ち読みした雑誌の対談でした。
対談の相手は織田哲郎。結局、立ち読みでは飽き足らず購入しました。
理由は中川勝彦ではなく、ずーっと織田哲郎ファンだったからです。それも大変な

この頃織田さんは作曲やプロデュースはしていたかもしれないけれど、
自分のシンガーとしてのライブ活動などは休眠中で、恋しくなってこの雑誌を
買ったような記憶があります。

あまり細かいことは覚えていないけど、記事以外にも随分長い対談になったようで、
二人はソルティドックとお茶を飲みながら話していたとか。
もちろんわたしは織田哲郎中心に読んだはずですが、とても興味深かったのは、
中川勝彦の語るインドを訪れた際に彼が感じた当時のインドについてでした。

現在インドは中国と同様、二十年前では考えられない発展をしています。
しかし、当時のインドといえば、貧しい人は絶望的に貧しかったはずです。
当時のわたしのイメージですと、歩いていると物乞いの人に延々と服を引っ張られ、
怖くてとても行ってみようとは思わないようなところでした。
そこを旅した、中川勝彦は教育の大切さを語っていたように記憶しています。
ちゃんとした教育がないと、ちゃんとした政治は成り立たないだったか?
ちゃんとした教育がないから、ちゃんとした政治がないだったか・・はて?
卵が先か鶏が先かみたいですが 彼のいっていることはわかりますよね。
この対談で、彼はわたしにとても男らしい印象を残しました。

そして更に時は過ぎました。中川勝彦という存在を忘れつつありました。
元々がそんなにメディアに登場する人ではなかったので、ライブハウスや、
俳優もしていたので舞台などで活躍しているのだろうとどこかで思って
いたのもしれません。

ある年の秋を感じ始めた頃でした。新聞で彼の名前をみつけます。
歌手 中川勝彦・・・訃報でした。とってもとっても、驚きました。
白血病でしかもまだ32才。
何度読んでもその記事が変わるはずもないのに、何度もその新聞を開いてみました。
佳人薄命という言葉がこんなににぴったり当てはまると思ったのは、
偶然にも同じ病気で亡くなった女優の夏目雅子の死以来でした。
愚かにも似合いすぎるなどと当時は思ったものですが、
今考えると、そんなに美しいものではなく、きっととても大変な闘病生活
だったのではないでしょうか。
まだまだ、表現したいこともたくさんあったはずです。
加えて、わたしの知らないところで父親でもあった彼には、子供に残す
思いもきっといっぱいあったはずです。

だから、翔子ちゃん頑張ってね。影ながら応援しています。
それと、あなたのお父さんは品も格も具えたとても素敵な人だと思います。

                                      おわり




佳人 / 中川勝彦 2

2008年11月13日 19時40分50秒 | 音楽
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です

きれいな人が嫌いだっていう人はそんなにいないでしょう。
だから、きれいな人には目が行くのは当然。
それだけ(単にきれいなだけ)かどうかはその後の判断。

男性に対して美しいという表現が許可されたのは80年代ではなかったかと
勝手に決めています。はい。それまでは『きれいな男』なんていなかったんです。
いや、男がきれいでいてはいけなかったんです。
いや、じゃあジュリーは?美輪さまは?ジュリーは知らんが、時代的に美輪さまはきれいなことで
迫害を受けなかっただろうか、何せ戦中、戦後男がきれいであることは許可されない時代だったでしょうから

中川勝彦は上品なきれいな顔で、しかも慶応ボーイだったと記憶しております。
田舎娘のわたしから見ると世の中にはこんな人もいるんだなあという感じで、
当時もう一人いた美少年?本田恭章とはまた違った意味で素通りしていたように
思いますが、そのことはまた機会があれば長々と。
FMを録音したのは単なる興味本位で、一体どんな声でどんな歌を歌っているのか
聴いてみたかっただけでした。
カセットテープにも色々ランクがありましたが、当時使用していた中でも
最低ランクのテープに録音されているところをみるといかに熱の入っていない
ことが伺えます。

sonyのテープを好んで使用していたのにこれはTDK。
かけてみました。
ギャーっ
「ビーツソーロォンリイ」なんじゃこりゃあ・・・・
チャーリー・セクストン・・・・ですよ。
「ろみえんだじゅりえっっ にこらすえんあれきさんだ」いつまで続くのか
消してしまったようです。
しばし、チャーリ・セクストンを懐かしんでいると、頭が切れているけど、
残っていましたよ・・・・続きに。良かった。

オリジナルの、つまり当時販売されていたレコードの音源を聴いたことは一度もなく、
このスタジオライブとテレビで歌っているのを何度か観ただけなので、曲名も
実はよくわからないんですが、ちょっと調べたり、多分そうじゃないかという予測。

1.曲名不明 
2. クール・ロマンティック
3. してみたい
4. 曲名不明
5.パラノイアの棲む街
M C
6.Please Understand Me

5と6の間のMCで
「今日は一時間どうもありがとう。音楽って好き勝手にやるものだから・・云々」
と言っているので、時間的に1の前の何曲かがチャーリー・セクストンによって
消されていることがわかります その消されたうちナンシーChangという曲があったのは
間違いありません。変なタイトルだとずっと思っていましたから。
ずーっと調べるまでは『ナンシーちゃん』と頭の中で表記してました。
曲名不明の1と4ですが、ファンならきっとわかるでしょう。
1は全てが思い通りにならない君にI love you ~ 東の空に流れ星が ~
というような歌詞です。
4が問題ですねえ・・・サビのこの人の声聴きづらいし、聞き取りにくいんですよ。
ピンナップガール ピンナップガール?いやあ・・・Be my girl,Be my girlにしておきます。
心を脱いでダンシング?欲しがる同士セクシー?ちょっと変な気もするけどとそんな風に続きます。

このテープを久しぶりに聴いて思ったことや感じたことと、
もう少し後にもう一度中川勝彦という人について、きれいなだけの人ではないと
知る機会があったので、そのことについて次回は書きます。つづくよ



アメリカとソ連が・・・/ 中川勝彦

2008年11月12日 23時43分15秒 | 音楽
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です

突然ですが、未だにロシアのことをソ連といい、JRのことを国鉄というわたしは
もはやふっるーい人間ですね。

80年代、いや、もっと前からかソ連とアメリカは仲が悪かったのです。冷戦時代
映画『ロッキー4』にもその辺りのことがでてきました。

そんなことが言いたいのではないのですが、先日次期アメリカの大統領が、
バラク・オバマさんに決まり、それはアメリカの人々にとっては
歴史的なことなのかもしれませんが、普段肌の色がどうので、
人を判断することなどない意識する必要がない日本人にとって、
それほど大きなことのようには感じられず、わたしなどは
単に任期満了、人気不良で、次期大統領になり、政権移動があった
くらいにしか受け止めていないようです。

アメリカはずぅーっと世界のトップを走り続けて、敗戦以来、日本はかわいい
卑屈なポチを続けてきました。今後はどうなるのかはわかりませんが、
あの頃は今以上に浅くしか世界を見ていませんでしたから、
「アメリカとソ連が戦争をしたらどうしよう」なぁーんて思ったこともありました。
そんなことを考えていた頃を今回のアメリカ大統領選を見ていて思い出しました。

アメリカとソ連が男と女がテレビで喚くそんな歌を口づさんでいる自分に気づきました。
この歌を知っている人どれくらいるでしょう。中川勝彦『Please understand me』
彼は今も若くて、美しいままファンの心の中に存在しているはずです。

最近だと、中川翔子ちゃんのお父さんという方が、認知度が高いのかもしれないです。
わたしは取り立ててファンだったというわけでもないのですが、確か彼がデビュー
した頃、RIOという雑誌があってすぐになくなったと思うのですがそれに取上げられていた
ような記憶があります。あるいは、ROCK SHOWだったかなあ?
CULTURE CLUBのライブの前座を務めたことも有名でした。
日本的なとてもきれいな顔立ちで目を引きましたね。
おまけに曲のタイトルが『してみたい』だって。一体何をじゃって感じですが

何年か前、翔子ちゃんが彼の娘だとインターネットの掲示板で知って、
独身だったと思っていたからちょっと驚きました。同時に、あまり似ていないなあ、
多分お母さん似なのだろうと思いました。人によっては良く似いるという人もいます。
後に実際お母さんをテレビで拝見する機会があって、やっぱりお母さんに似ているって思いました
お父さんは端整で、女性だったら、美人さんタイプでした。そうだなあ・・・
福山雅治をもう少し細くして、色白面長にしたようなイメージでしたかね。
翔子ちゃんは美人というより、とてもかわいいお人形タイプではありませんか。
そして、彼女の存在をちょっぴりうれしく思ったのも追加。

とまあ、中川勝彦についてそんなに知っているわけではなく、雑誌やテレビ
で時々見かける程度の存在だったわけです。
加えて、邦楽にあまり興味がない時期でもありました。

でも、わたしの手元に奇跡的に一本のカセットテープと確か『クールロマンティク』
という曲を歌っているビデオが残っています。歌い終わった後、コーラスの女性と
手をつないで引っ込んでいった記憶があります。いつか確かめてみます

カセットの方は、NHKのスタジオライブです。FMをエアチェックしたものです。
当時はカセットテープは貴重だったので、繰り返し重ね取りをして、
一応取るだけとって、興味のないのは消されていました。
エアチェックしたものは、その大半が、受験講座の録音で消されたはずなので、
これは本当に奇跡的に残ったものです。

まずは、このテープを聴いて寝ることにするね。

その内容、次回はお話します。つづく








謎のStarman / David Bowie 5

2008年11月11日 19時39分43秒 | 音楽
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です

STARMAN - Walk Hard:The Dewey Cox Story David Bowie

まず、これは何なのでしょう?観ていて笑ってしまったんですが。
ふざけている訳でも何でもなく、至極まじめに歌っているようですが、後ろの踊りはロボットみたいです 
高見盛みたい・・でもないか

詳細は不明です。
深く調べてみる気もありませんが、なんだか純粋に楽しませていただきました。

問題はこの動画のことではなく、歌詞についての謎なんですよ。
この画像をみつけるずっと以前のことなのですが、starmanの歌詞を検索しました。
その時のこと、一番初めに行き当たったところなのですが、
( http://www.lyricsmode.com/lyrics/d/david_bowie/starman.html )
歌い始めのDidn't know what time it was the lights were low oh how
の前にGoodbye loveがついているのです。
どういうことなのでしょうね。ずっと疑問でした。
David Bowieは・・・わたしには『えななっ えなな』といっているように聴こえます。
Boy Georgeは『あっああ』といっているようで、
布袋氏はこれは間違いなく『らんらんらん』です。
まあわたしもそう思いますよ。そうっていうのは、
えななっ えななは、らんらんらんみたいな感覚ということです。
だと思っていたのです。

しかし、Goodbye love Goodbye loveとこの謎の動画は歌っているではありませんか。
検索では、David Bowie starman lyricsでみつけたはずなんですがね、
David Bowie自身が、Goodbye loveと歌っているのって聴いたことありませんよね。
ねっ、ないよね。といっても誰も聞いてはいないが。

 孤独な夜です。

ときめきのシルバースターについてはまだ探し出して読んでいないので、
いつかにつづく

カバーされたStarman / David Bowie 4

2008年11月09日 01時19分46秒 | 音楽
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です

結構色々なカバーがあります。わたしのお勧めは三つだけにしておきます。
まずはculture club
http://jp.youtube.com/watch?v=0ZpsjONkOiU

バンド自体の説明は必要ありませんよね。好きな人も、
嫌いな人もそれぞれにたくさんいると思います。わたしはだぁーい好きでした。
ボーカルのBoy GeorgeにとってもBowieはヒーローだったみたいです。
culture club再結成の折、彼らにとっての5枚目のアルバムに収められました。
久しぶりに聴いたときには、昔と比べると声が伸びなくなったかな
と感じましたが、その分優しい声で、デビット・ボウイに対するオマージュ
とでも言えばいいのでしょうか、とてもまじめに、丁寧に歌い上げています。
本当に丁寧に、丁寧にね・・・。
culture clubについてはまだまだ費やして書きたいことがありますがそれは
今日は我慢して別の機会にします。
ただ、このアルバムを聴いたとき、また会えたことのうれしさに加えて、
スターマンが収められていたことに対する喜びは大きかったです。

次は、http://jp.youtube.com/watch?v=U7N3ec_BGOM
松山千春ではありません。Magni Ásgeirssonアイスランドのミュージシャン
残念ながら、スタジオで録音されたものはないみたいです。
元モトリークルーのトミー・リー、元メタリカのジェイソン・ニューステッド、
元ガンズ・アンド・ローゼズのギルビー・クラーク彼らが審査員によるSupernovaというバンドの
ボーカルを選ぶためのアメリカのRock Star という番組内での演奏です。
日本で言えばスター誕生みたいなものでしょうか 毎週生き残りをかけて、視聴者投票で一人づつ消えていくらしいです
調べてわかったのですがRockstar Supernova のこのライブの音源を買うことは
できるみたいですね。今まで知らなかった。
審査員に間違いをしてきされたりしていましたが 歌詞を飛ばしちゃったね

はじめは嫌いなタイプかなと思って観始めたんですが、Guns N' Rosesとか嫌いだったので
ストレートなロックで最高でした。すごくかっこいい男っぽいスターマンです。
この週の演奏には楽器を持たずに登場しているのも良かった気がします。
礼儀正しいところもよろしい。好感がもてました。

この後、Magniというアルバムを手に入れたくらい最近滅多にないお気に入りです。
これからの人生、思い出の曲だけで生きていけると思っているわたしがですよ
ちなみにボーカルには選ばれなかったようです でも、選ばれた Lukas Rossi より他の週の演奏もよかったのに


最後は80年代に活躍した女性ボーカルのバンドです。
当時も歌はうまいのか下手なのかわからなかったんですが、
とにかく雰囲気があった。顔も美人なのか、かわいいのか、そうでないのか
よく見ると何とも言えないのですが、当時はとっても魅力的な女性に見えました。
バンドの名前はNENA。ドイツのバンド。
http://jp.youtube.com/watch?v=7_tDFDupDJw

このバンドのことは別の機会に書きます。
当時のドイツは東西に分断されていましたが、その壁もなくなり、
いつの間にか、多分21世紀になってと思われますがNENAは復活していました。
NENAという名義が昔のメンバーのままなのか、そうでないのか
はたまた、一人NENAなのか詳しくは知りません。
偶然見つけたカバーアルバムで懐かしい声を聴きました。
彼女のスターマンは物憂く、けだるく、そういった点では本家を踏襲しているのかな。
女性が歌ってもいい感じじゃないと思わせてくれる。アレンジも好きですよ。
ないと思っていたけど動画も発見。久々に会った彼女に驚きです。
奇跡的に昔と印象が変わっていません。
もう、40代も後半のはずだし、子供も何人か生んでいるはずだし、
おまけにドイツ人。それなのに体形も維持していますよ。
変わらずにいてくれてうれしいよNENA

と、イギリス、アイスランド、ドイツまだまだ他にもあるんですけど、
世界中の人がこの曲を好きなんだということを言うために長くなりました。
一生懸命聴いているとアクセントの違いが微妙にわかりますね。
そういや、わたしは一年半ぐらいドイツ語を勉強したことがあったのでした
今じゃ挨拶と自己紹介、買い物するくらいしか覚えていないのですが
バスメヒテンズィーなあんてね・・・

本当は日本人なのでお勧めの中にHOTEIを入れるべきところですが、
いけませんでした・・・あくまでもわたしにとってはです。
何とも軽々しく、もっとかっこいいのかなあと期待していたので、
ヒョコ、ヒョコ ヒョコみたいな打ち込みの音アレンジにちょっとがっかりです。
どうせなら日本語で歌った方が良かったんじゃないでしょうか。
すたーまーんは待ってるんだぜぇいとか、
2チャンネルをひねってみなよとかね
しかし、今ひねるようなチャンネルはないですね

そんなイメージで結構好きだったんですけどね。
starmanはいけませんでした。

次は謎のstarmanについてです。




Starman / David Bowie 3

2008年11月08日 00時56分02秒 | 音楽
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です


China Girlのミュージックビデオを観てきました。
やっぱりDavid Bowieは素敵ですね。
昔は確か、日本ではカットされたバージョンしか観ることができなかったそうです。
わたしも大人になったので、問題の訳20秒くらいを注意して観てみましたが、
そんなに大幅には違いませんね。
それにしても I just like the way that his laughs.

China Girlは置いといて、本日はStarman です。

わたしが手元にCDで持っているのはBOWIE THE SINGLE COLLECTIONという
長年を通してのヒット曲(シングル曲)ばかりが入った二枚組みの音源です。

自分の耳を頼りにする限りでは、この録音とは違うものが
あるんじゃないかと思うのですが。微妙に違っている気がするのですけど・・・
詳しい方がいれば教えてください

さらに別のBowie At The Beeb - The Best Of The BBC Radio Sessions 68-72
という多分二枚組みの中に入っているスターマンが個人的には一番かっこいいと思います。
Radio Sessions となっているのでスタジオライブかな

(このTop of the Popsの画像が上の音源に近い気がします)
David Bowie-Starman (Top of the Pops)

わたしが少女漫画で見ていたジギーそのまんま。
漫画の登場人物より本物の方が断然かっこいいです。
当時としてはきっとものすごい格好だと思われていたことでしょう。
こんな人が一体どんな歌を歌うのだろうとみんな思ったに違いありません。
でも、想像するよりうるさくないし、初めのギターなんて大人しいもんですよ
耳障りもとってもよろしい。
サビの部分しか知らなかった子供時代を経て、現在のわたしが当時の人々
になり変わったつもりで思うことです。

直接的にはそんなことは歌っていませんよ。でも、
この歌は自分の置かれている現状に違和感を持っていたり、
どう脱皮していいかわからなかったり、ひどく心の中は孤独だったり、
人間実はみんなそういう部分があると気づかないほど若く、
自分は特別に格別に少数派なのだと思い込んで、とんがっているけど
実はとっても不安だったりする人々への応援歌みたいに感じます。
空で待っているだけの何にもしてくれない存在かもしれないけど、
派手派手な格好で、大丈夫、大丈夫、これでいいのだ・・・と
勇気を与えてくれる応援歌みたいでわたしも大好きなのです。

前にDavid Bowieの印象を優しい人と書きましたが、
そう感じるのは、隔てのない心で人を見ているように思えるからかもしれません。
空の上からは世界の片隅にいる人も中心にいる人も同じなのでしょう。

BOWIE THE SINGLE COLLECTIONのライナーノーツにStarmanは特に
日本で人気があると書いてありましたし、他でも同じ事を目にした覚えがあります。
しかし、そうでしょうか・・・

特に日本と言わず、世界中の人が好んで、評価していることは間違いないと思います。
そうじゃないとみんなカバーしませんよね。
たくさんの人にカバーされています。

その中のお気に入りについてをつづきで 


すたぁーまぁーん /David Bowie 2

2008年11月04日 19時42分26秒 | 音楽

現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です

少女漫画の中では・・・

David Bowieの数ある曲の中で一番好きなのは?問われれば、
迷わずStarmanと答えます。

80年代になってDavid Bowieを認識したとは言えども、Ziggy Stardust の
ことはそれよりずっと以前から知っていたのです。
ちゃらん、ちゃらんちゃらんちゃあっはちゃらん、ちゃらん、ちゃらん、
ちゃっちゃ、ぅぜざすたぁーまん、ういてぃん、いんざすかい

謎なんですが、ここだけどうしてか知っていました。

そもそも、スターマンを歌っていた頃、ジギーの活躍していた頃、
物心がつくかつかないかの頃ですから、リアルにはやはり知らないのです。
でも、小学生になるとわたしは漫画ばかり読んでいました。
今ほどには贅沢でも、豊かでもない時代でした。でも幸せな時代でした。
貸し本屋というものがありまして、土曜日だけ漫画を借りることを親が許してくれました。 

里中満知子、大和和紀、池田理代子、木原敏江、一条ゆかり(まとめて先生方)等等
多分、今は漫画も読まなくなったので今でもご活躍の大御所の方々の漫画を読んでいました。
そこに登場するんですよ。David Bowieらしき登場人物が。

今、Ziggy Stardust だった頃の(演じていた頃)David Bowieを観ると、
コンセプトが理解できているので、素敵だなあ・・・と思いますが、
少女漫画になったジギーは痩せていてエンピツみたいで、頬骨がこけて、
いつも目を閉じたまま、(伏せているとでも言えばいいのでしょうか)
で、眉が薄くて、ときに点々だったりするんです。
髪型は、歌舞伎の連獅子この解釈、結構正解みたいですねか戊辰戦争の時の薩摩軍の人が
被っていた赤とか白の獅子鬘あれは一体何と呼ぶのでしょう 何のために被ったやら・・・誰か教えて
みたいで、そう、絵にすると絵にならないのです。
少女漫画から抜け出てきたような人は、少女漫画にすると納まりきれない。
ま、あくまでもわたくし一個人がそう思うだけでしょうが。

ダービットとか、すごすぎますが星男なんて名前で登場していました。
『ときめきのシルバースター』のディなんて作られたキャラクター
イメージそのまんまですよ。
でも、漫画の絵になると西条秀樹風のタケルの方が断然かっこよかった。

とまあ、幼いわたしから見た感想ですが、当時、そういった漫画のモデルに
なっているジギーという人がいるんだなあという認識をもっていたわけであります。

しかし、starmanについてはどこで耳にしたのやら・・・
年の離れたいとこなどが身近にいたのでその辺りかもしれません。

『ときめきのシルバースター』はどこかにあるはずなので
これから読み返してみることにいたします。

 starman
 ときめきのシルバースター
        等についてもう少しつづく





ジギーはおじさん?お父さん!?だった / David Bowie

2008年11月02日 00時29分37秒 | 音楽
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です


優しい紳士

David Bowie・・・なーんの説明も必要ないと思います。

他のことに先んじて言っておくことがあるとすれば、大好き。
でも、初めからずっうっーと好きだったわけではなく、
わたしにとってのDavid Bowieは初めはジギーでした。
彼の思う壺とでも言えばいいのでしょうか
彼の演じていたジギーがわたしにとってのDavid Bowieだったようです。
このジギーのことはあんまり好きではなかったんですよ。

話せば長くなります。今日は80年代のボウイについてだけにしておきます。

でもって、本物のDavid Bowieを知ったのは、
知ったというか認識したのは80年代に入ってからです。
おじさんだと思っていました。
10代の女の子からみれば30過ぎた男はDavid Bowieと言えどもおじさんに見えたわけです。
『戦場のメリークリスマス』のパプリックスクールの制服姿には無理が感じられました。
息子、当時はゾウイー君(現 映画監督のダンカン・ジョーンズだそうです)
と大して年も変わらないので、お父さんでもおかしくない世代ですもんね。
まぶしいくらいのブロンドヘアにスーツなんかを着始めて、昔からのファンからは
がっかりされたり、ちょっぴり嫌われたり、時代にうまく乗ったと評価されたりしてた頃。

モダン・ラブのビデオを観て柴田恭平みたいだ、などと思ったのはわたしだけでしょうか。

わたしが彼を素敵だなあと思ったのは、バンドエイドに参加しそこなって、
もう一人のおじさん、ミック・シャガーと組んでDancing in the Streetのカバーを歌った
チャリティレコードのプロモーションビデオを観た時でした。遅すぎますね

もうひとつは、ずーっと不思議に思っていた彼のオッド-アイのことを
雑誌のインタビューか単なる記事か何かで読んだ時でした。
昔の喧嘩がもとで、左目の瞳孔が開きっ放しになってしまった、
ということで、衝撃を受けたんですが、それ以上にその時の喧嘩の相手
を恨んでいないし、今では親友だというようなことが書かれていたんです。
まだ10代だったわたしには、随分衝撃でした。

お父さんだと思っていた人がDavid Bowieになったときは多分そのときでした。
カセット・テープを買い求め、友達に頼んでレコードから録音してもらって
彼の曲を聴くようになりました。

お父さん世代と素通りしていた彼を目を見開いて見て、
聴くうちに思うようになったのは、
もちろん音楽も好きですが、彼の雰囲気みたいなものが大好きだということでした。
誰かを演じていないときの雰囲気が大好きです。
何だろう、すごく優しい人に見えるのです。
話し方も好きだし、人の話を聞いているときも好きです。
何か根拠があるわけでも、言うまでもなく、会ったこともないのに優しい波動
を感じてしまうのです。
紳士とはこういう人のことをいうのかなと思っていました。
こう思うようになって、『戦場のメリークリスマス』を観ると全然感じ方が
違いました。最近また観たいなあと思っているのですけど 放送しないかな

    続きます
ジギーとしてのDavid Bowieと出会った小学生の頃の話になります。