前向きな人生の整理整頓

人生も後半、一日が短いです。明日やると思っても、若者のようには明日はたくさんないのかもと気づいた今日この頃

より良き日本になるために

2011年07月13日 02時29分37秒 | 美容・健康
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です

16才のとき初めて献血をしました。
このときは、風邪をひいていたこともあって、献血後気分が悪くなりました。
それはそれは、気分が悪くて周囲に迷惑をかけてしまったので、献血は体調を整えてやるべきと、
その後20才まではしませんでしたが、大学の構内に献血カーがやってきて2年ほど参加しましたので、
今回がそれ以来、4度目の献血でした。

今回は献血ルームにての参加だったこともありますが、昔の献血カーの狭い粗末なペットとは大違いで、
テレビやビデオを見ながら、飲み物なども、自由に飲めるリクライニングソファ。
過去の献血手帳も、もはや使えなくなっていましたし、
事前の問診アンケートも画面をタッチしていくんです。年寄りはついていけませんな。
一番の変化は、200、牛乳瓶一本ですね。過去三回はこれでしたが、200は初めて献血する人のみで、
後は400か、成分献血なのだそう。400っていうと昔は強靭な男子だけがするイメージで躊躇しましたが、
結局体重が50キロないとできないそうなので、血漿成分献血ということになりました。
それと、成分献血が初めての人は、心電図を撮ると言われてもう逃げ帰ろうかなと思ったんですけど、これも昔と違っていました。
昔は冷たいゼリーをぬりぬりして、上半身裸にされて、これが嫌でした。
今回、ブラジャーの下まで服を上げるだけですみました。
脈が人より多いのは自覚していますが、ここまで程ほどに健康なのに、
この心電図と子供の時分から聴診器をあてるときっと検診に引っかかっていたので、益々ドキドキしてしまいます。
成分献血だからなのか、昔の献血みたいに親指を織り込んで、残り四本を閉じたり開いたりする必要もありませんでした。
結構その行為がわたしは血を絞り出しているみたいで、気持ち悪くて嫌だったのでしなくてすんでよかったです。

結局、身長と体重の関係から、大した量は提供できなかったみたいですが、どこかでお役に立てていたら幸せです。
飲み物や記念品まで頂いてしまいました。

確か、最後に献血したときから、エイズに関しての検査の希望有無を問うようなった気がします。
それも時代ですね。初めて献血した頃から、エイズという病気が浮き彫りに。
検査のために献血する人がいるなどという噂もありました。
心当たりの人はその日の内に電話をして採血番号を連絡をするようにとのことでした。

今回思ったのは、昔病院で嫌だなぁと思っていたようなことが、ほとんど解消されていることでした。
受付も、医師も看護士さんもみんな親切で丁寧でしたよ。
カードの渡し方が悪いと、暴れた御仁がいたとのこと。一体どんな扱いを受けたことやら だからといって人を傷つけてはいけない
余談ですが、昔役所に行って証明などを取るとき、とその対応の仕方にうんざりしていました。証明を出してやっているという何様な態度。現在はそういったところも親切になりました。それが当たり前で昔が間違っていたんですけどね

過去に執着しがちなわたくしですが、良い方に改善されていくことは大歓迎です。
↑の御仁は余程感じやすい人なのか、あるいは余程な扱いを受けたのか正確なところがわからないので、何とも言えませんが、どんなところも訪れた人が気持ちよく帰っていけるようなより良い日本であってほしいと思うのであります。
自分自身も他者に対して気持ちの好い人でありたいと心がけていますがね・・・イライラしてそうも行かないときだってあります。ごめん。
わたし、図々しい人が嫌いです。人との距離間の取り方が自分と違う人が苦手です。
昨日から、この図々しい男にうんざりしています。
全然関係ないことだけど、ここで叫んですっきりさせてください。
人が答えたくなくて口ごもったことを何度も何度も会うたびにしつこく聞くな 大体何でもかんでも個人的なことを聞いてくるな 営業手段で親しくすると、馴れ馴れしいのは違う、馴れ馴れしい言葉遣いや人のプライバシーに踏み込むのはやめて わたしはあなたの友達じゃありません もう少し察するということを身に着けてほしい あーもう早く転勤してくれないかなぁ できれば別の人に担当になってもらいたい  多分わたしがどれだけ不愉快に思っているか全く感じていないであろう銀行員のことでした。この人が転勤するまで、これ以上通帳増やすのも難だし、利子なんてないも同然だし、郵便局だな。
三月でいなくなるだろうと期待していたのに、まだいてがっかり、次の三月までまたなきゃいけないの?

あー言いたいこと言って少しすっきり。
おやすみなさい。目覚めたらお金持ちになっていますように。


吝嗇ノススメ

2011年07月07日 02時10分15秒 | 節約
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です

今夜も雨が降っています。まだ梅雨。
嫌だなぁ。早く明けないかなぁと、思ってはみますが、
時はまばたきする間にも過ぎています。

わたしの場合、もう随分と節約生活が続いているので、クーラーを入れないなど
別に我慢でも何でもありませんし、扇風機も嫌いなので、団扇、団扇。
車も窓を開けて走ります。
聴いて驚くなかれ、美容院へ最後に行ったのは92か93年のことだったと思います。
映画館で映画を観たのも、同じくらい昔のことです。
あまり、食べることに執着がないので粗食ですし、近年は滅多に外食もしません。
昔は着道楽で、読書が人生、というくらいの唯一の楽しみだったので、
洋服と本にはお金を使っていましたけど、
最近はユニクロの下着(これも高いと思うようになった)を
つけて、お気に入りのインド雑貨屋で買ったものを着て(何年もよ)、リフォームもします。
古本屋で本を買い(これも最近は物が増えて嫌)、立ち読みもします。
まだまだ、色々ありますが、わたしがケチだと言いたいわけではないのでこのくらいで。

確かにケチだなあと我ながら思うときもありますけれど、もう、今持っている
物だけで暮らしていけるのではないだろうかと思ったのです。
そうやって暮らしていく中で、不足し使えなくなった時だけ追加する暮らしを
しようとここ二年くらい考えるようになったのです。
というのも、わたしは物が捨てられない性質なので、当然、物が家に溢れています。
最近、断舎利とかいって、捨てること推進本みたいな新聞広告を見ます。(内容は?)
さも、良いことの様な見出し、でもわたしはそうは思わないし、実行できそうもないですし、
しようとも思わないです。
わたしは、むしろ捨てないことが日本の文化だと思うのですね。
こういう本が流行るのはどこの家も物が溢れているのだとは思いますが、
捨てる前にどんな物も、役目はないかもう一度考え、使い切って役目を終える
まで使ってあげて欲しいです。
今回の震災で、家庭で眠っていたそういう物が思わぬ形ですが、活躍できたと
いうこともあったはずです。捨てていたらそれはなかったはずだから。

ちょっと話が横道にそれました。
世の中は、わたしがせこせこ生きて、瞬きしている間にも進んでいます。
ここが今日のテーマのはずでした。
先日わたしは、献血に行ってまいりました。
直接的に震災に遭われた方々に結びつくことはないかもしれませんが、
夏になると不足するとのことだったので震災直後からずっと考えていました。
約二十年ぶりの献血でした。
ここでわたしが感じたことを今日は書くつもりだったのですが、わたしの吝嗇ぶりを
披露したことで、遅くなりましたので次回に書きます。

本日の最後に、確かに今のわたしは、92年以前よりかなりかなりケチな暮らしをしているかもしれません。
でも、酒のつまみの話題がイタリア製のバッグやアクセサリーのことなんてとてもかっこ悪い時代です。
そんな話題の持ち主より、母のお古のサマーバッグを引っ張り出して、
これ使えると思っているわたしの心は結構豊かだとわたしだけは思っているのです。
本気で。つづく