前向きな人生の整理整頓

人生も後半、一日が短いです。明日やると思っても、若者のようには明日はたくさんないのかもと気づいた今日この頃

クリスマスイブに中華丼

2017年12月23日 16時35分52秒 | わたしの思い
残り少なくなってきた2017年。
平成も残り少なくなってきました。それでも三十年。
物事の価値というのもすごく変わった気がします。

明日はクリスマスイブ。
わたしの青春期はバブル期と重なっているので、クリスマスというと
どこか一人で過ごすことが、情けない雰囲気はあったかもしれません。
わたしはそんな風には思いませんでしたけれど。
そもそも、一日は一日であって日々に位はありませんからね。
輝く日も、暗い日も一日は一日。
そのようにすごく感じたバブル期のキラキラのクリスマスイブの話。

その年のクリスマスイブ、友人が遊びに来ることになって、駅まで迎えに行きました。
駅前の中華料理屋さんであらっ~っと思ったわたし。
作業服をを着たお兄さんが三人くらい中華丼を食べていました。
まだ夕食には早い時間、これから仕事なのだ、ほーらイブなんて関係ないね、
着飾って出かける人もいれば、これから腹ごしらえして仕事の人だっているのだから。
おっその奥に毎朝駅で会う男性の姿も。
いつも思っていたのですが、当時流行のトレンディドラマに出てくるような
雰囲気の人で、年の頃は30前後、このお兄さんはいったい何しているひとなのだろう?
スーツの日もジーンズの日もいつも着こなし上手。
やっぱり中華丼を食べています。
みんないつもの日と変わりなく、さりげなくてなんかいい・・・。
わたしも、食事の用意をしていなければ友達を誘って中華丼を食べたくなりました。

電車で20分も行けば、電飾輝く街もすぐですが、何も特別な1日ではない。
そう思った数人の男性によるクリスマスイブの光景。
その日も働いているひとがわたしは好きだった。

次の年のクリスマスイブ、翌日帰省するので荷物用意や掃除をしていると電話。
友達からパーティの誘い。しかも家から歩いて行けるところ。
全然知らない人の家でのクリスマスパーティに参加。
まあまあ楽しかったけれど、一人で掃除していても別に良かったかな。
その日も変わらず働いているひとがまだまだ好きだった。

そして、バブルも雲行き怪しくなりにけり。崩壊。

時は過ぎゆきて。

今はクリスマスを一人で過ごす族のための趣向満載成り。
ちょっといいじゃない。そういうの。一人好きのわたしは思うのであった。
ダメ?そんな考え。

今年の投稿はこれが最後にしようかな。気が変わらなければ。
一応こんなわたしでも年の瀬でやることがありますから。
何かめんどくさ~。これがいけないのだろうけれど、
だってお正月だろうが何だろうが1日は1日なのだもの。
いや、いや頑張りますよ明日から。

このままではならぬ・・・今が嫌ならそれを変えるためにはね。

通りがかりに読んで下さった方々、コメント下さった方々
此の年1年ありがとうございました。
来たる2018年が恙なく過ごせますように。


わたしのやり方 さよならじゃ終わらないを聴いて

2017年12月21日 15時14分23秒 | 整理整頓
不調のまま今年を終えてはならない・・・
そう思いつつも、あまりよろしくないなぁ。

先日、本棚の整理をしました。少し処分しないと、そう思って。
だけど、一度整理して残したものなので、、そこからの処分となると難しいのです。
まあ、インテリアの本とかもうわたしには必要なさそうなので処分できました。
小説は吟味して残したものなので、もう少し置いておこうかな。読み直したいものもあるし。

悩み中のものは・・・どうしよう。うーん・・・。
昔の仕事柄のものとか、デザインとか絵画の関係のもの。
もう絵を描くこともないかなと思ってみたり、いやまた、描きたくなる時が来るかもと
思い直してみたり。絵具類は思い切って捨てたしなぁ。
こういうものを見ていると昔の自分を思い出すのがツライし。
今、もし自分が絵を描いたとしても、以前とは全く違うと思うし。
さてどうしたものか。
しかし、よくまあこんな小さな本棚にこれだけの本が入っていましたこと。我ながら感心。

わたしは今、 中森明菜 /さよならじゃ終わらない を聴き乍ら書いています。
なんかグッっときますね。
以前はパンチのきいた曲の方が彼女の良さが引き立つと思っていましたけれど、
この曲せつなくていい。

人って不思議ですね。
今は落ち込むだけ落ちこみたい。しんみりしたい。
膝を抱えてこんな曲を聴いていたい。
そのうちまた立ち上がって陽だまりで体を温めて歩き出すのです。
今は何度も、何度も中森明菜を繰り返し聴くのだな。
彼女は太陽みたいな眩しさではなく、月みたいな輝きで美しいですね。
痛みとか、悲しみって辛いだけではなく、この人が表現すると美しいですね。
そういうものを含んだ美しさってありますね。
ずっと新月続きだけど、そろそろ、またあの輝き見たいな。
いや、それは本人のこころ次第でいいこと。

色を作るときグレーを混ぜ込む、ほんの少し。
それがわたしのやり方だった。


わたしだけの不安

2017年12月02日 15時18分46秒 | わたしの思い
昨夜は突然発作に襲われてしまった。
あ~あやはり治りきれないかと観念。
幸いすぐに落ち着いたのでホッとした。

大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせる。
頼りたくないけれど、薬の力を久々に借りる。

あのときの不安はわたしだけの不安だ。

少し落ち着けば、どうすればよいのか考えられるのに、慌ててしまう、
落ち着け落ち着け、長ーく息を吐いて・・・
これをその時の自分に言ってあげたい。
忘れぬようメモメモ。


告げ口する歌

2017年12月01日 14時55分48秒 | 音楽
十二月、師走。今年も残り僅かです。
ちょっと街に出るとクリスマスの雰囲気漂う今日この頃。
お決まり定番のクリスマスソング達が聴こえてきます。
80年代フリークならばやっぱり、ワム!/Wham!のラスト・クリスマス/Last Christmas
なのですが、今日はこの話はしない。
ジョージ・マイケル/George Michaelのことも書きたいけれど、これも今度に。

今日はケアレス・ウィスパー/Careless Whisperが頭に流れてきましたので。

ふと、告げ口って嫌だなあと思っています。
日本にも告げ口ソングがあるんですよね。わたしがそう思っているだけかもしれませんけどね。
個人的にはすごく告げ口を短い歌詞で表現しているのが素晴らしいと思っています。
研ナオコ/窓ガラスです。中島みゆき作詞作曲。
よくこんなことを考えついて歌詞にできたなあ・・・実体験?などとあれこれ思うわたくし。
でも、別に傷ついてなんていないよと実際は傷ついているだろうに淡々と歌う研ナオコさんの
才にまた脱帽です。

ひとは、こんな時強がるものです。どこか別の方向を見てカッカとしてみせたりはしないものです。
この歌は短い物語をとても上手く描き、とても上手い表現者を得て、わたしは頷くばかりです。

しかーし、よく考えてみると、告げ口する人って敵かね?味方かね?
すまなそうに、つらそうに話し、善意で話してもね。
知らなければよかった、聞かなければよかったと思うことだってあります。

実際あの人がこう言っていたよ、あー言っていたよと耳に入ることは気持ちの良いことではないなぁ。
一度だけわたしもそんなとき「知りたくなかった」といったことがあった気がします。

昔、キャンディキャンディだったかなぁ?
イライザがテリーにキャンディのことを告げ口するような場面があったようななかったような・・・
かなり曖昧な記憶なので記すべきでないか?
・・・そんな場面で、テリー(だったと思う)が今の自分の顔を鏡で見てみろ、
いいことを教えてくれているつもりだろうけど、とても醜いっていうようなことを言っていた
ような記憶があります。

告げ口ってもしかしたらいい気になってしている時があるのかもしれません。
あまりしないことだけど、気を付けないとね。
忠告として自分の言葉に直して伝えるべきかもね。誰それがとかをなしにして。
だって絶対告げられる人は傷つくし、絶対いい気持ちは残さないから。
傷つくことを眺めているのって悪趣味だと思うのです。
それがわかっているから、言われた人は笑って見せるんです。
味方の顔をしているその人の前でも強がらないといけないのです。
雨雲が気にかかるふりでね。
何度も言います。中島みゆきさん作詞作曲の研ナオコさん歌う窓ガラスはすごいです。

ずっと来なかった仕事がちょっと来てくれました。
昨日街で自分の仕事したものを使っている人を初めて見かけました。
今まで一度も遭遇しなかったのに・・・
それ、わたしが作ったのとこころで呟き笑顔になりました。
さて、一仕事です。頑張ろう。