前向きな人生の整理整頓

人生も後半、一日が短いです。明日やると思っても、若者のようには明日はたくさんないのかもと気づいた今日この頃

蔑視されたのだろうか

2021年02月11日 15時24分34秒 | わたしの思い

書きかけの記事もあるのですが、

今とても大変でして、中々更新ができない。

落ち着いてゆっくり更新したいとおもっておりますが、

本当に一日が短い。

わたしの分だけ短いの?

 

でも、やっぱり時間は刻々と過ぎているのですね。

世の中の移り変わりを身にしみて感じるし、

ちょっと疲れ気味で、鏡の中にいる自分が自分の思っている

自分と違ってきたのを強く感じます。

わたしってこんな顔だったっけ?

こんなseasonをみんな通り抜けていくのでしょうね。

ちと、抵抗した方がいいのでしょうかね?

 

世の中は移り変わるものであり、

変ってゆかねばならぬこともある、それはわかってはいます。

なんか、でも森喜朗会長女性蔑視問題を傍観していて、

あ~あ、また言っているなあ・・・で済まされなくなった世の中に

なったのだなと強く感じました。

 

あの方が、言ったことに女性として目くじらを立てなければ

いけないのでしょうけれど、なんか年寄りいじめにちょっと見えてきました。

こんなことを言うと、糾弾される世になったのかもしれませんし、

森さんにも失礼なのかもしれませんけど。

 

多分、わたしはフェミニストではないし、

女性は助け合って生きて行くべきだと思うけれど・・・

あっ、いやはや、こういう人間が女性の地位をおのずから貶めるわけですよね。

すみません、新しい時代に生きるみなさん。

ただ、この世の片隅で、これからを担う程も若くない人間が

ちょっとばかり感じたことです。さみしいね。

 

なんか、いまのこの自分の年頃を

社会のどんな位置に置いて生かしていけばいいのか考えさせられました。

古き世のよさも、新しき世の必然も・・・中途半端にわかるんです。


誰かの側にいるときくらい

2020年09月29日 17時46分55秒 | わたしの思い

もう九月も終わりです。早っ。

 

朝晩がひんやり・・・若かったころ、学校を終えてからは夏が大好きでしたが、

わたしくらいの年齢になると、この少しひんやり、が実にいい。

ただ、さみしくもあります。

このさみしさ、心地よくもあります。

(後日書きたいと思いますが、過去と決別する心地よさです)

 

このところ時間がなくて久々の登場ですが、日々、色々なことを考えます。

みんな心の中にどんな思いを抱えて、笑ったり、泣いたり、怒ったり、しているの?

でも、他者のことはあくまで他者のことで、目に見える表層とは異なり、

こころの中のことは、その人のこころの中だけにあって真実はわかりません。

 

こころの中に何を抱くも自由ですが、

裏を返せば、こころの中からそれを追い出すことが出来ない不自由があります。

こころの中から出ていけない不自由さ。

笑い、微笑み、幸せそうな隣にいるその人だって、それに苦しんでいるかもよ。

誰かを救おうなんて傲慢なことは思いませんが、

誰かの側にいるときくらいは、そのこころの中から出てきて

語りかけてみようかと、思ってもらえるような自分でいたい、かな?

話を聞くだけですけどね。

まっ、誰かの側にいるときなんてそんなにありませんけど。

 

劇的なことは何もない一日が、今日もそろそろ暮れかかる。

これぞ穏やか、幸福と、強く思う今日この頃です。

時間がなくて中々登場できないけれど、

毎日いつもより一時間早く起き、日々を営んでおります。

この涼やかなこころで、明日も頑張れますやうに。


雨雨雨、雨

2020年07月07日 16時00分16秒 | わたしの思い

今日も雨。一番苦手な時期、多分。

しかし、果たしてわたしにそんなに好ましい時期があるのだろうか?

季節に関係なく、こころ軽やかな時が自分にとって良い時期なのだと

思いますね。でもお日様の力はやっぱりすごい。

どんなに気持ちが沈んでいる時も、ぱっと薄日が差し込むと、

こころの中にほんのりと灯がともる気がするから。

 

でも、また雨。

 

また熊本・・・。

雨、水の大切さはわかるけれど、

この数年、水の被害が多すぎる。

世の中進み過ぎて困ることも多いけれど、

こういう雨が降ることはすでに予測できるのだから、

『避難しなさい』だけでなく、何とかその雨を

コントロールすることのできる時代が

やってくるのではないかと思いました。

・・・・・・・・

やってはいけないことで、

お金もかかるのでしょうけれど。

こういうことで苦しい目にあう人のことを考えると

そんな風に思います。

いつも言うけれど、たまたま自分が被害に遭わないだけで、

次は自分かもしれない。

何の力にもなれなくてすみません、こころの中で詫びるわたしです。

 

この時期、いつもわたしが取り出してくるのは、

前にも書いたと思いますが、

伊東静雄の「水中花」という詩です。

読むと何故だか落ち着きます。

 

今年の梅雨はまあまあの精神状態。

多分、この数カ月、毎日一時間ほど、ストレッチやトレーニング

体操を欠かさずにできているからだと思います。

すごく面倒に思い、やりたくない日もありますが、

一度決めたことはやり通す、あと二カ月は絶対続けると

自分に言い聞かせて、とにかくやりはじめます。

はじめは辛くて、痛くてきつくて仕方なかったけれど、

随分楽になりました。

おかげで毎晩眠くて眠くて、読書ができない。

一頁で寝てしまう日々です。

 


気が緩んでいました

2020年05月15日 17時48分38秒 | わたしの思い

色々私的なことで時間がなく、更新するのは久しぶりになりました。

この辺りでは、コロナも落ち着いてはいますが、みんな気を付けています。

先日、ちょっと人の車で出かけて、色々おしゃべりして

外食はお店も開いていないし、お弁当を買って食べることにしたのですが、

そこでうっかり、車から降りる時、マスクを外していたことを忘れて

入店、しかも、わたしが払うの、相手が払うのと、やりとりして、

迷惑な客になってしまいました。小さな田舎町のスーパーだったのですが、

みんな秩序を守っている中の出来事だったので深く反省、と、

あまりの暑さでマスクを外していたこと、そのまま降りたこと、

今までだったら考えられないことなので、あー気が緩んでいる・・・

それを自覚して、気を引き締め直しました。

 

もうずっと感染者が出ていないので、この界隈では安心して

気が緩んでいました。

今日は買い物に出かけたら、県外ナンバーが何台も目につくようになりました。

折角みんな頑張っているのに、自分が迷惑をかけるようなことだけは

しないようにしようと心に誓いました。

 

それにしても、マスク、暑いですね。

ずっと自作のマスクをしていましたが、暑いので、残してあった

小顔用の不織布マスクを久々に使用、これも同じくらい暑かった。

顎が小さいので、この小顔用が顔には合いますが、

ゴムがきつくて耳が痛くなるから長時間使用は向きません。

ズレなくていいのだけど、耳が痛いの😢

着なくなった、夏ブラウスを壊して、夏用のマスクを作ろう。

アベノマスクはまだ頂いておりませんが、ガーゼは冬はあったかだけど、

夏場は暑いだろうから、届いたらリメイクして使うつもりです。

色々あらが隠せていいけれど、いつまで続くかね。

 

落ち着いても、マスクはしばらくはするようにと決めて欲しい。

 

 


季節が生み出す感慨

2020年05月03日 16時05分51秒 | わたしの思い

終われば元の生活に戻れる。否、

この生活よりも、おさまった後のことを考えると、

かなり憂鬱で不安な気持ちになります。

 

わたし個人の不安からは離れることにして、

わたしには関係があまりなさそうなことを少し。

学校の問題です。

昔、島崎藤村や夏目漱石を読んでいましたら、

少しばかり違和感を感じました。

そう、大学は秋から始まっていたのです。

その時初めて、日本もアメリカみたいに九月入学

だった時期があったことを知ったのでした。

ちょっとハイカラよね、などと思った記憶があります。

詳しくは知らないし、思い違いかもしれませんが、

徴兵の関係などから今の四月新学期になったとか?

 

そして今、コロナの問題で入学時期について論じられることに。

就学は考えられないし、子供もいないので全く関係ないので、

聞かれたとして、賛成も反対もない立場ですが、

ハイカラよねと思った十代や二十代の時なら、考えもなく

多分賛成。

 

そして今、反対と言ってしまう程の強い思いはありませんが、

軽く、できれば今のままがいいと思っています。

実利的な立場ではないからこんなことがいえるのでしょうけど。

ここまでの文化が壊れていくことが少しだけ嫌なのです。

 

何でしょうねぇ、例えば歌とか物語とか、

春だから感じていたものが、同じ卒業や入学でも

与える感覚が違ってきて、新たな世代には

理解してもらえなくなるような

寂しさを生むのではないかと思うのです。

寒い冬をこらえて、芽吹く感覚。

 

賛成派の多くが口にすることは、

世界基準から外れている、留学に不利という言葉。

確かにそうかもしれませんが、

言わせてもらえば、みんながみんな、留学するわけでもなく、

長い一生をこの国だけで終える人もいますし、

その人が、留学した人に劣るとも思いませんし、

日本独自の事象でたくさんいいことだってあります。

何かそれを劣ったり、遅れたりしていると捉えるのは少し嫌。

 

しかし、この問題が長引けば、学校での学びの時間、

学びの質、量には差が生まれてしまうので、

新たなスタートは仕方ないのかもしれません。

 

そして、渦中の受験生は不利な巡り合わせに

不安になっているでしょう、過去の歴史を考えると、

東大の紛争の入試中止。人によって捉え方は異なると思いますが、

長い一生を思うと、今回の件も歴史的事象であり、

これによってこの期間の学歴や履歴書が傷つくとは思いませんし、

そういう見方をすべきではない。

でも若い子はみんな不安になっているのでしょうね。

今しか見なければ誰だってそうです。

いつかの日、此の年はこうだったのだよと語る大人になる。

元気で大人になるためにもこの巡り合わせに負けてはいけない。

 

以前、美輪さまが、戦争は文化や芸術を排斥したというようなことを

仰っておりましたが、あるいは戦争に匹敵する非常時なので、

四月入学の感慨を持ちだして軽く反対、などというのは

不謹慎なことだとはわかっています。

でも、わりと若い世代にも反対だという意見もあるのが

意外でした。どんな理由からなのかはわかりませんが。

 

さて、あとはお偉い方々が決めることなので、それが最善と思い

見守るまでですが、九月スタートになれば、また新しい感慨を生み、

文化を生むことでしょう。

今年はゆっくり桜も見ることができませんでしたが、

そうなれば、桜を見る時の心持も少し違ってくるのかもしれません。

 

いつの時代もわたしは人の心が生み出すものが好きで、

そういう物に励まされてここまできました。

コロナがそういった文化を飲み込んでしまいません様に。

物価が高騰しません様に。

 

最後に、この時期、『桜の実の熟する時』や『三四郎』など

教科書代わりに読んで、新たな学期のスタートに備えてはいかがでしょうか。

子供の頃から本が好きでしたが、藤村は大人の小説を

意識して読んだ初めての一冊でした。

 

以上、どうしようもなおばさんの思いでした。

 

 

 


大人しく退屈し、マスクを着用する

2020年04月28日 23時52分13秒 | わたしの思い

わたしは泣いたことはある、

だけど、退屈したことってないのでは?と思った。

子供の頃にはあったかもしれませんが、

一人でやること、家でやることが大いに好きなので、

家にいてやることがない…退屈だと嘆くことはないわけです。

実際やることもたくさんあります。

というか、退屈だなんて言っていられる人は幸せですよね。

罹患して苦しんでいる人、医療関係の方、

生活に直結するインフラを支えて下さる方々、

そんな現場のことを考えると、意味もなく出歩くことはしないで、

大人しく退屈しているのが、何もできない身としては最低限のできることかも。

 

決してこの状態でとどまっていていいとは思わないけれど、

この静けさ・・・落ち着く。

忙しく命のために働いている方々に申し訳ないけれど。

(こんなこと言っているから、滅多に食べないアイスを食べて、
罰が当たってお腹を壊した)

 

例年だと、五月の連休は非日常で、

自分を失う日々ですが、

今年は自分にできることを精一杯やって、

節約して、料理のストックなど作ります。

後は片づけと、掃除ね。

 

それと、どんな人もマスクはつけた方がいいと思います。

買い物中、していない人に出くわすと緊張します。

それでどうこうないのかもしれないけれど、

その人の意識をそれでつい判断してしまいます。

お店のレジの店員さん、ゴムの手袋の中が

汗で辛そうでした。やりづらいでしょうね。

こういう人達を守るためにもマスクはつけた方が

絶対いいと思います。NOマスクの人を見ると

一瞬でも不安な気持ちになると思うの。

 

 

 

 

 

 


不潔恐怖症が功を奏す

2020年04月13日 00時15分59秒 | わたしの思い

I’m busy. 

忙しい、忙しいというのが嫌いだけど、とても忙しい。

こんなことは当分ないと思うけれど、

掃除もしていない埃だらけの部屋にいて、夕方になって

自分の仕事部屋から出てくると声がかれています。

その代わり誰に会うこともないので、良いのかもしれない。

 

どんどん大変なことになって、田舎と言っても心配が。

ほぼ、都会からの持ち込みです。

疎開とか言って保菌者がやってくる可能性もあります。

周りは高齢者が多いから、心配です。わたしだって若者ではないし。

 

わたしは元来、不潔恐怖症で、手は荒れるほど洗うし、

ドアノブは触らない、外から帰ったら着替える、

直箸はノー、等・・・そして、大勢の人、いや、

少数でも、できるだけ人は避けるし、

ソーシャルディスタンスと言われる距離は身も心もかなりな歩幅です。

 

いつも通りの生活していればいいわけですが、

どこで、どんなことになるかわかりません。

誰もわたしに近寄らないでください。

(仕事や買い物の必要な外出は仕方ないけど)

ずっと家にいるなんて耐えられない・・・

そんなことを言う人の気持ちが全然わからない。

家にいないと死ぬよ。家にいないと誰かを殺すよ。

感染するかもしれない、感染させるかもしれないって

そういうことでしょう。

 

もう一つ、色々事情はあるでしょうけれど、

保障してくれるなら、締める、という言い分。

これも道理の通っている人もいれば、少し疑問?

に聞こえる人もいます。

どうこうしてくれるなら、という以前に

死ぬかもしれないし、殺すかもしれないという

ことをわたしは考える・・・。

思うに二週間くらいジッとしていられないものでしょうか。

もともと、お金もないので切り詰めて生きることも

何ら変わりないわたしの言うことなので・・・例外か。

 

特に田舎にいると、もし万一自分が持ち込んで、

誰か亡くなるようなことがあったら・・・

考えるだけで怖い。すごく迷惑をかけてしまう。

村八分にされても仕方ない。

そのくらいの気持ちで、二週間は過ごそうと思っています。

 

 


巡り合わせ

2020年03月14日 16時47分55秒 | わたしの思い

仕事中、夕方でもないのにお寺の鐘が鳴り始めました。ゴーンゴーン。

急ぎの仕事中で、気持ちがトゲトゲしないように気をつけないと

と思っていた矢先で、一度視線を上げました。

程無くして、サイレンが鳴り始めました。

嗚呼、そうだった・・・手を止めて、暫し黙禱。

 

あれからもう9年も経ったのか。

ざわざわしている状況の中で、時の重みを感じました。

 

前回、高校野球、無観客について少し触れたら、中止になってしまいました。

何とかならないのでしょうか?一度しかない機会ですから。

 

一生の間には巡り会わせというものがあって、

今この時を生きているから、不運や災害に遭ってしまいます。

生きるって言うことは、思ったり、望んだりすることを

忠実にたどるのではなく、思ってもなかったことを受け入れたり、

それに立ち向かったりすることなのかもしれません。

人によってそれは悲しみや苦しみの場合もあり、

喜びや、幸福の場合も。

 

わたしなど、何のために生きているのだろう?としょっちゅう思いますが、

生まれてきたからには、生きなければなりませんし、

様々な巡り合わせでここまで来たのだと思います。

高校球児は今回のこの巡り合わせを嘆くか、

これによってより強い心を育むか・・・。

それは、時が教えてくれます。きっと。

 

少々疲れております。

いつも以上にまとまりなし。

 

 

 

 

 

 


決してnonchalantなわけでは

2020年03月05日 17時35分39秒 | わたしの思い

案外呑気な人、疲弊してしまっている人、こんなことが起きるとは誰も思っていなかったから、

長い予定を立てて生きている方には、先が見えなくてお困りのことと思います。

 

昨日、ニュースを見ていたら、答弁中にソワソワして大急ぎでハンカチで口や鼻を覆って、

くしゃみをする安倍首相の姿。涙目だし、随分お疲れの様子。

何がいいとか悪いとかではなく、最良の方法を考えなければならない人。

決められたら、それを守らなければならない人。

それがこの国にあるということ。

足並みを揃えなければ、おさまることもおさまらないのだと思っています。

 

ただ、人の意識というのはそれぞれで、難しいですね。

どうなってしまうのでしょう?

かく言うわたしだって、こんなに問題が大きくなって、長引くとは思っていない、

蚊帳の外にいるつもりでした。

そもそも、普通の風邪をひいた程度の感覚で、案外身近にいて

ただ自分は感染していないだけなのかもしれない・・・なんて思ったりして。

 

卒業式、はたまた高校野球まで・・・

ただ、彼らのことを可哀そうに😢などとは思いません。

(なにっっっぃ、だから親になったことのない奴は・・・と思う人は思って構いません)

これで、卒業できなかったり、中止になったというならば、

いくらわたしでも文句を言います。

が、親ではないけれど、一人の大人として、

ずっと、時が過ぎて思い出す時、他の人より大きな思いが飛来すると、

自分ができなかったことや、あきらめざるを得なかったことを

思うと確信します。

その思いがいい方向に作用する大人になってほしいなぁ。

(お前に何がわかると思う人もいるかもしれませんが。)

わたし、nonchalantなわけではないの。それに憧れますが。

その頃わたしはお婆さんです。いや、この世にいないかもしれない。

 

どーなっていくのか?

悪いことにはならないと思うよ。きっと。


変な危機感漂う

2020年02月28日 14時53分48秒 | わたしの思い

今日は買い物日でしたが、何だか人がやけに多くてザワザワ。

まだ備蓄はあるけれど、サバ缶とかチンするご飯とか、品薄な気配。

 

何故かな?もしや昨日のニュースのせいかな?

 

すると、レジで後ろに並んだお姉さまが、何かあるのかな?

と仰るので、多分、学校が休みになったから、お店まで規制されて、

休業になるのではという危機感では?と答えると、

意を得た様子で、通りで、

トイレットペーパーもティッシュももう全然なかったよ、とのこと。

消費税が上がる前に随分買い込んで、倉庫に詰め込んだので、

溜め込み癖が今回は役に立ちそうです。

だけど、そんなに長引くのでしょうか?

出来ることと言えば、自分が運び屋にならないよう注意することしか

ないのですが、今朝のお店の異常な感じを見て、午後から頭が痛いです。

今、みかんを食べてビタミンCを補給しました。


GUのセルフレジにて思ふ

2020年02月24日 17時34分31秒 | わたしの思い

ちょっと前の話ですが、病院に行った帰りのこと。

わたしの苦痛の訴えは聞き入れられず、様子を観ましょう状態に

落ち込んで、トボトボ歩いていました。

朝早く田舎から出ていくのは大変なのだからね。

なのにほんの数分で、トボトボ帰っているわたし。

待ち時間だらけです。

都会と違って、電車の待ち時間もかなりな時間です。

 

通り道に100均があったので、拡大ミラーを買いました。

老眼でお化粧がし辛いの。大した化粧ではないけれど、

見えていないから、おばさんが厚化粧になるわけが最近よくわかりました。

 

先に進むとGUがセールをやっているので暇つぶしに見ていくことに。

昔からわたしは人と同じものを着ることが嫌、(制服も好きではなかったなぁ・・・)

GUやユニクロは下着を買うのが主です。

最近はユニクロは高く感じるし・・・

 

以前にも書きましたが、わたしはジーンズはローライズが好みで、

近年また上深めが多くなってきましたが、わたしは、わたし。

服装はちょっと『変な人』くらいが好み。

な、もので下着もはきこみの浅いショーツがいい。

これにはもう一つ理由があって、腹筋のため。

浅いショーツの上に出てきた下っ腹が乗る、これが大っ嫌い。

なので自然と腹式呼吸でお腹に力が入るので、

努力なしのトレーニングになります。

はきこみが深いと安心して下っ腹を突き出してしまうし、ジーンズから

ニョキっと下着が上に出て、それでは別の意味で『変な人』になります。(笑)

結局、浅めに慣れてしまっているため、はきこみの深い物は

着心地も馴染めない。もう一つのこだわりを言うならばクロッチ、

つまり、股布の幅が狭いのはダメ。

 

田舎のスーパーではおばさん、お婆さん用のはきこみの深いズロース系は

案外あっても、ローライズ用は街に出た時の方が選択肢が多し。

 

うれしいことにSサイズセール品が二枚ありました。

さっととってレジへ・・・・。

そうだった、GUはセルフレジでした。やめようかなと思ったけれど、

一度やっておこうと思い進みます。

スーパーはいつもやっていますが、これは初めて、(遅っなんて言わないで)

眼鏡がなかったもので、間違ってタッチパネルを触ったみたいで

中国語がヒャンヒョンヒャンヒョン言ってます。

もちろん、中国語なんてわかるはずもなく、

この時点でかなり恥ずかしい人(-_-;)

しかし周りの反応は冷たく、

困ってきょろきょろしても、みんなわたしのことを中国人と

思ったのでしょう。素知らぬふり。

まあ恥もかいてみるものだと冷静になりました。

うれしくもないけれどね。

お店の人に声をかけようかとも思いましたが、

隣の機械に移動して、目を細めて一からやり直しました。

大体、商品を入れる引き出し?箱?がどこかも戸惑ったよ。

ノロノロと、必要もないのにバーコードを上向きに商品を入れ、

会計を済ましたら、

そそくさと袋に詰めて帰りました。

袋はまだ無料で良かったのでしょうか?多分何も機械は言わなかった。

 

機械に振り回され、田舎者の年輩は生きづらくなります。 

わたしが望み欲する唯一は安全、正確な運転をしてくれる車だけです。

これからはどんどん操られるのでしょう。

 


迷惑な読者

2020年02月22日 19時02分06秒 | わたしの思い

お久しぶりです。って、誰に言っているのやら・・・・・・。

流行には疎くなっていくばかりですが、ウィルスの流行はどうなのでしょう?

田舎に居るからあまり関係がないような気がしていましたが、

段々とそうとも言っていられなくなってきた気がします。

 

ここのところあまりいいことがなくて、体調も最悪だったので、

外出もあまりしません。

書くこともそんなわけでない。

 

最近、できるだけ本を読む時間を多くとるようにしています。

何故かというと、読みたい本リストが凄く増えて、増えるばかりで

消すことができていないから。

残りの人生だとかを考えると出会えたなら、即座に読もうと、思うわけです。

だけど、読みたい本が図書館にないことが多くて、

新しいものは、空いている時にさっと借りないと、ねえ。

 

昔は本と洋服にはお金を使っていました。

今は本も高いと思うし、何より処分が嫌なのです。

 

このところずっと痛みと戦って、やっと体が動くようになったので、

また少しずつ処分、の別れの作業を始めました。

だから、絶対もう本は買わないのです。

作家の方々には迷惑な読者かもしれませんね。

 


頑張って生きる

2020年01月05日 18時08分25秒 | わたしの思い

年末からずっと肩が凝っています。

頸椎を痛めているのでちょっと無理をすると、腕まで怠くなって

しまいます。

 

そろそろ、多分明日から月曜日なのでお正月モードも終了ですね。

本当は昨日から、平日モードに切り替えるつもりだったのですが、

急遽、新年会に御呼ばれして寝るのが遅くなってしまった。

そして肩が凝っています。

ため込んでいた洗濯をして、色々と頭の中を整理。

 

何が変わったというわけではないけれど、

自分のこころの持ちようで、世界は違って見えるはず。

最近、色々な方のブログを見て回って、

物の考え方、取り組み方、気の抜き方、

学ばせていただいています。

 

さてっ、明日から平日モード、頑張って生きる。

 


家族写真入りの年賀状、処分にためらう

2019年12月22日 18時49分41秒 | わたしの思い

前回の年賀状について続きですが・・・

毎年、わたしの場合、お年玉年賀葉書の抽選確認後、

此の年の分をいつもしまっておく場所にしまい、前年の物を処分します。

 

ここで、いつも思うことがあります。

家族写真入りの年賀はがきです。

 

何度も言わなくていいのですが、

わたしは今現在、結婚していません。そして子供もいません。

そういう写真を見て、羨ましいとも思いません。

そういうのに嫉妬するのだと思われると心外なので、

ここのところは、はっきりとさせておきたいの。

だって、そのご主人と結婚したいなど思わないし、

誰かの子供を見てカワ(・∀・)イイ!!とか

そんな思いも希薄で、どこか自分は欠けているのだろうと

反対に悲しくなるくらいです。

 

そんなわたしがいつも家族ポートレートの処分の時に思うのが、

おそらく、家庭の幸福を披露してくれているであろう写真を

どうやって処分すればよいのだろう?ということなのです。

近年は個人情報に神経質じゃありませんこと・・・。

ポイッと捨ててしまうわけにいかないから

シュレッダーの出番。

でも、この幸せ家族をサクサク切っちゃって、

何か不幸が及んだりしないだろうか?

そんな余計な心配をするの。

昨年は見えない紙袋に入れて、ガムテープでぐるぐる、

ゴミ袋の真ん中の方に沈めました。

ほんと、余計な心配なのでしょうけどね。

みんなどうやって処分するのでしょう。

 

考えてみたら、もし子供がいて、素敵な旦那様がいても、

わたしは、葉書は作らないだろうなぁ・・・

近年は身近な人には、メールで送って、こういった

年賀状も減っているでしょうし、実際、

子供のいる知り合いもいない年頃に自分がなったことで、

減りましたが、一応処分には気を使っています。

 


表も裏も印刷の年賀状、一言と言っても・・・

2019年12月21日 18時44分51秒 | わたしの思い

年賀状の季節、積極的には数年前から書きません。

どうして?

経済的な理由もありますが、心情からの方が大きいかな。

表も裏も印刷の年賀状が目立つようになった頃から

疑問に思うようになったのです。

 

「あー、年賀状書かないといけない」

こんなセリフを耳にするでしょう。わたしも言ったかもしれない。

無理して書かないといけない物なのだろうか?

こんな印刷物を明日会う人とやり取りするより、

直接、会って言えばいい。

この思いを率直に語れる人には伝えて、賛同してくれた人から

少しずつ書く枚数を減らしてきました。

 

元々、人付き合いの悪いわたしですし、

遠い親戚などには、生きているよという知らせのつもりで書いたり、

電話であいさつしたり、クリスマスカードを送ったり、

そして、どうしてもの人には、寒中見舞いではなく、

節分に立春大吉のご挨拶をします。

この方が落ち着いて書けるから。

言うまでもなく、クリスマスカードも、立春大吉も全て手書きです。

 

表も裏も印刷の年賀状について、

出さないよりマシ、という方がいます。

世間からピントの外れた人間の考えなので聞き流してもらいたいけど、

わたしは、そうは思わないの。

わたしはそういう年賀状なら出してくれない方がいいです。

そこに一言添えるから、という人もいます。

この一言もそこに心はあるのかい?の、書きなぐりのお元気?

ならば、無理しないでくださいとわたしは思うのです。

 

届く人には申し訳ないから、書かないといけない

そんな気持ちになるのです。

 

わたしの認識が正しければ、明治から始まったこの風習、

表も裏も印刷ならば、改元した今年、もっと考えて

みるのもよいのでは?

この話は次回へつづく。