前向きな人生の整理整頓

人生も後半、一日が短いです。明日やると思っても、若者のようには明日はたくさんないのかもと気づいた今日この頃

季節の外側にいたような日々の後

2016年09月27日 22時40分58秒 | わたしの思い
わたしの現在の心境として、前回からの続きになります。

夏が終われば秋が来る。そんな当たり前の繰り返しを来年また必ず体験できる保証は
どこの誰にもありません。でも、健康な時は誰もそんなことを深くは考えはしません。

季節は必ず巡り来るけれど、その季節の中に必ず自分がいるとは限らず、
あと何度、その巡り来る季節の中にいることができるのでしょうか?
必ずしもそれは楽しく、幸福ばかりがあるわけではないこともわかっています。

でも、植物、風を感じること、青空、太陽の眩しさといった気にもかけなかったことが、
大事だな、有り難いな、気持ちいいな、美しいなと思うようになったことは、
病気と年齢を重ねたことによるものだと思っています。

たった10分の早歩きの中で、一歩一歩踏みしめている自分に気づきます。

病気のときの痛みと苦しみ、地獄にいるみたいで、いつになったら治るのだろう。
明日目が覚めたら、少しでもいいから楽になりたい、そう思ったものです。
季節が変わっていくのを感じながら、別段これといった希望や楽しみがある
わけではないけれど、この痛みや苦しみのない世界に戻りたい。そう願ったものです。

そう、まるで季節からも取り残された別の世界にいるような気持でした。
戻りたい、そう思うのです。

これから現実には苦手な寒い冬が巡ってくるでしょう。
それでも、その季節の中にまたいることができる、そう喜びたいと思うのです。

お彼岸も過ぎて、それでも花は道々で赤くおしゃれしています。
雨が残念ですけど。

江戸時代の俳人でしたでしょうか?

心なき人には風情を隠し
こころあらん人には風情を顕はす
只その人の程々に見ゆる成るべし


少し細部が間違っているかもしれませんが、風情を感じられる人に近づきたいものです。

病気は嫌です。多くの人がどこかしら故障を抱えて戦っているいる今日。
でも戦いの後、ひとは深くなれる。と、浅はかなわたしは思いました。

たった10分のウォーキングに物思う我

2016年09月25日 22時22分50秒 | わたしの思い
病気をしてから夏が苦手になりました。
でも、寒いのはツライ。そう思います。

夕食後、10分間姿勢を正して、呼吸、特に吐くことを意識して
ものすごい勢いで早歩きをします。
たった10分間なのですが、面倒だなぁと思うこともあります。

でも、一度決めたことは続けないと。
ここ数日異常に血圧が低く、久々片頭痛に悩ませれて、休みたいと思いましたが、
一つ励みになることがありまして少し歩幅を落しても頑張ります。

毎日楽しみにしていることがひとつ、
もうそろそろ、その楽しみも終わりが近づいたかな・・?とこの2、3日思っています。

てくてく歩いているとふっといい香りがする場所があります。
いつもそこで足を止めるのですが、どこから香ってくるのかわかりません。
ちょっとスイカズラ(忍冬)に似たような香りです。
でも、そんな季節じゃないし、こういう季節に(ちょっぴり肌寒い)
香る香じゃないなあと思いながら、数日過ぎ、雨が続きました。

雨や風でてっきり、カンナだと思っていた背の高いその花は、頭を擡げて、歩道に倒れてきていました。
今まで、歩道の明かりが及ばず、暗がりでよく見えなかったのです。

ジンジャーリリー/Ginger lilyでした。

和名、花縮砂(はなしゅくしゃ)というそうです。知りませんでした。
そして、ジンジャーリリーが香ることも知らなかった・・・・いい年してだめだなぁ
知った以上は毎日そこを楽しく通ります。

若い頃のわたしはあまり花になど興味がありませんでした。
今も興味たっぶりというわけでもないけれど、
季節の花くらいは知っています。

若い頃は夏が終われば秋が来て、また来年もその次も・・・
そう思っていたはずです。意識したこともないですけれど。

・・・・・もう少し書きたいけれど、息切れするくらい
きついので、改めてにします。いつもの貧血でしょう。


何でもできて、一人でいて淋しくない人になりたい

2016年09月16日 18時11分48秒 | わたしの思い
一人で何でもできるように成りたいと思っています・・・って、いい歳して当たり前のことじゃない。
まあまあまあまあ、そう言わないで下さいな。
人間、躊躇することってありますよね。

わたしは、学校を出たり、寮を出たりする以前はできないことが多くて、
アイスクリーム屋、サーティワンみたいなお店でアイス一つ買うのに躊躇していた頃もありました。
今ではラーメンでも、牛丼でも何でも来い。
今は外での飲酒はいたしませんけど、ワインくらい一人で飲みに行くのも平気でした。

とにかく、はじめはかなり躊躇しますが、えいっと飛び込めば平気になっていくもので、
まあ、慣れですね。
群れるのが嫌いな以上、何でも自分でできるようにならないと、という気持ちが背中を押してくれますし、
実際何でも手続きとか、一人できないと困ることってたくさんありますものね。
頼れる人がいる人はいいでしょうけど・・・そうじゃないし。

そんなわたしが、ずっと躊躇していたことがあります。
でも、思い切って飛び込んでみました(大袈裟)
どこへ?ガソリンスタンドです。セルフの。

空いているような店を手始めなので、ターゲットに。
さすがに誰も出てこない。暫し立ち尽くし、機械を眺めフムフム。
何だ、大したことなさそうだなと操作開始。
いくらやってもポイントカードが飲み込まれて行かず、
結局店の人を呼ぶ羽目に・・・・
「そこは店専用のカードを入れるところ、持ってないの?ここ良く通る?」
『はい、まあ時々・・・』
「じゃカードあげましょう」
カードをくれたら、またさっさと去ってゆく。
さて、わたしの一人で何でもできるようになる旅は再開。
キャップが堅かったけど、なーんだ今度からはもう一人で大丈夫。

こうしてまた大人(充分大人)に成りました。
この方がお得でもありますからね。節約の上でもできるようになって良かったです。

そしてこう思います。
 助けてくれる人はいないと思っても、必ずいるから、困ったときは周囲にいる誰にでも尋ねてみる。
         きっと教えてくれます。
         そういうことが恥ずかしい季節はすぎましたし。
だけど、頼り過ぎない。そうするとまた、次もってことになりかねないので。

最近多いと思いますが、病院の自動支払機。
年配の人は、ドギマギしてできるかしら?大丈夫かしら?と心配しています。
こちらから、「一度一緒にやってみますか?一度覚えたら次からは心配しなくていいでしょう」
と声をかけました。すると、ぱあ~っと明るい顔になって
「本当に、時間は大丈夫?」ととても喜んでもらえました。
そのやりとりを聞いていた別の二人が、わたしに色々尋ねてきます。

心配な人が結構いるのです。
そんなとき、尋ねやすい雰囲気の人でいたいです。
どこかでこんなふうに、自分の親もお世話になっているかも、そして自分も将来そうなるかも
と思いつつ、
でも、よく道を聞かれるんですが、これは下手なので誰かを探してバトンタッチ。

思い出しましたが、スーパーの自分でやるレジ。
これは、すぐやってみようと飛び込んだら、いつも教えてくれる係りの人が
あんまり世話を焼いてくれて、自分でやらせてくれないものだから、慣れるのに時間が
かかりました。程々に。頼り過ぎない。これですよ。

こんなこと大袈裟に書くことかと仰る人もいるでしょうけど、
生まれたときから、そういうものとのお付き合いのある世代とはやっぱりちょっと違います。

でもね、はじめてやることってすごく脳に良いらしいです。
ドーパミンがそのときでるそうです。

最後にわたしは、
頭山満翁の
一人でいて淋しくない人になれ!という言葉が好きです。
ここでも、時々自分の孤独癖のようなことを語ったりしていますが、
意見の合わない人と無理して群れることより、自分が正しい、自分がこうありたいと
思ったら、気弱なのに孤立を恐れずにきたつもりです。
これからも、それを貫こうと思っています。
一人で淋しくないためにも、できることを増やしていく、そんな考えもあります。

 

もう一度カレーシュ

2016年09月02日 21時47分34秒 | 美容・健康
以前、香りについて書きました。それもずっと以前のことです。
http://blog.goo.ne.jp/hachimitsu80anaemic/e/68aee26a9e8291e2971c1a0879481e4b

http://blog.goo.ne.jp/hachimitsu80anaemic/e/d282213e3726e18fe8cd15f34738c2ed
ただ香りの好みは時代がどうのでは変わることはありません。

まだ22、3の頃初めてエルメスのカレーシュを買いました。
どうしてカレーシュを選んだのかは、ここでは省略しますが、
その頃好きだった人はずいぶん年上だったので、背伸びして
大人の女性に近づきたかったのですね。

だが、しかし、・・・・思ったような香りではありませんでした。
ある理由、それもかなり安直な理由で選んだのを後悔しました。

だが、さらにしかし・・・わたしはかなり、かなり、人より嗅覚が敏感なのです。
実はこれで、色々な場面で苦しい思いをするのですが、ここでは省略。
わたしの敏感な(と、自分で思っている)嗅覚は気づいたのです。
実は、カレーシュを手首につけたとき『何じゃこりゃあ おばさんの香りではないか』
と、トップノートの単純な強いpowder臭にがっかりしたのです。

ところが程なくして、(そんなに長い時間ではありません)ミドルノートというほど
も経っていません。
昭和のおば様、(おじ様とも言えそう)のような香りの中に
幾重にも複雑にラッピングされた香りが
弾けてきました。言葉では説明するのが難しい香りです。
人はこれをオリエンタルとかいうのでしょうけど、深くて持ちの良い香りです。
またその中にわたしをせつなくさせる香りがあるのです。
大好きな猫ちゃんを抱っこしたとき、楠の枝をポキンっと折ったとき、
そんな瞬間、そう、自分が大切にしている一瞬、一瞬が混ざり合ったような香りです。

本当、香りを言葉で説明するのは難しいですね。
カレーシュの香りはそんな当時から、わたしにとって過去において来た香り、
という感じで、湿度の高い時期より、秋から冬の乾燥した時期に似合う香りでもあります。

あの頃よりたくさんの過去を持った今、もう一度カレーシュを身に着けられる女性になりたい
と思うようになりました。

しかしながら、いまのわたしには贅沢品です。
また、バリバリ働けばいいのでしょうけれど、体力もですけど、一番は気力が沸かない。
もう長いことその気力か゛沸かないといことと、もはや戦うことができそうもないという
気弱な自分。兎に角、兎に角気を使って、使い過ぎてへとへとになってしまったから。
ときには気を使い過ぎたことによって、波動の合わない人とは、逆作用で失敗に繋がる
こともあって・・・わたしは傷ついても相手は別に何とも思ってはいないことも。
今では兄弟にまで気を遣うようになってしまって、本当に疲れる。
このことは書けばきりがないので、ここではよしましょう。

ことしは本当にメリっと生活を変えて返り咲こうと思ってきたものの、中々うまくは
いきません。月が変わるたび、焦燥感。
返り咲こう。返り咲こう。
ズバっとうまくはいかなくても、時にはご褒美で小さくうまくいくときもあります。
感謝しつつ大事に一日を生きていこうと思います。

もう一度カレーシュをつけ、背筋を伸ばして颯爽と歩きたい。
『もう一度カレーシュ』この秋わたしはこの言葉を心に秘め細々仕事をします。
ここから、もう一度カレーシュ。