前向きな人生の整理整頓

人生も後半、一日が短いです。明日やると思っても、若者のようには明日はたくさんないのかもと気づいた今日この頃

ピート・バーンズ/Pete Burns旅立つ

2016年10月30日 15時04分11秒 | 音楽
ピート・バーンズ/Pete Burnsが亡くなった。

最近、身近なひとや、かつて仕事でお会いしたことのあるひと、友人
あの頃(っていつ?若かった頃です)輝いていたひとの旅立ちが、
寂しく、せつない。

そしてある種の覚悟がわたしの中に芽生え始める。
50歳も近くなれば、準備が必要だと常々思っては来たけれど。
今年も終わりが近くなり、それは少しだけ『準備』から移行して『覚悟』として
わたしの中に根付こうとしている。

ピートがフロントマンを務めたデッド・オア・アライヴ(Dead or Alive)のことを少し。
以前にも書いたことがあったかもしれませんが。

出てきたころ、わたしは多分そんなには売れないだろうなと思っていました。
当時のイギリスのバンドとちょっぴり違って見えました。
そして、ピートバーンズは肌理の粗い肌をした、下品な表情で歌うひと。
これがわたしの第一印象。声はちょっとおじさんぽくって(ティーンエージャーにはそう聞こえた)、
だけど伸びやかで素晴らしい声量。

ボーイ・ジョージ/Boy Georgeと比べられることも多くて、そっちが真似したのこっちが真似したの
言っていたような気がしますが、晩年は仲も悪くなかったみたいです。
ジョージのインタビュー記事が『僕』なら、ピートは『俺』って感じで荒っぽい印象でしたが、
段々それも変わっていきました。ある変化と共に。

そんなこんなで、日本はバブル期を迎えます。
そして、あれ?いまごろ?っとDead or Aliveがよくかかっているのを耳にするようになりました。
世界的にヒットした頃と少しずれがあったと思うのですが・・・・?
そして、肌理の粗い肌をした下品な表情で歌う男は(しつこい)
パンツ一丁で歌う男(わたしのイメージ)になり、それを通り越すといつの間にか麗人みたいになっていました。

ここまでがわたしのよく知っていた頃のピート・バーンズ
モリッシーとも仲良しで雑誌に一緒に出たりしていた記憶が蘇ります。

そして、近年のピート・・・・・ずっと冗談のような気がしていました。
本気でこうなりたかったの?冗談でしょ?そのせいか、何だか見ると笑ってしまうことしばしば。
嘲笑とか悪い意味ではなくて、楽しい気分にさせてもらえる笑いでした。
それは本人がやはり真剣だったから、ホットな笑みが沸いてきたのだと思います。

ドラムのスティーブや元奥さんのリンさんとのパーマネントな関係を見ると、
このひとの人柄や魅力が豊かなことが伝わってきます。
わたしの記憶では、スティーブはピートのバンドに入りたくてドラムを覚えて、
リンさんはピートと出会ったとき、ちょっと普通の関係とは違うかもしれないけれど
一目で恋に落ちたと・・・。
若い頃はこの奥様のセンスがファッションにも表れていたと思います。

亡くなったことは新聞記事で知りました。
そこにはあの頃のピートではない写真。
冗談が続いているみたいなそんな気分で記事を読みました。
Remixedに頼っていたような後年ですが、それができるのは改めて聴いてみると
ヒット曲が結構あって、ノリの良い曲であるからだと思います。

Turn Around And Count 2 Ten がわたしは一番好きかなぁ
なんか元気が出ます。
さて、これを聴いたら掃除機をかけて干しているお布団を取り込もう。

そう、向こうを向いて10数えてみて、只々愛してくれる唯一のひとを失う前に
ありのままのあなたが好きだというひとを 過去になんて拘らずに・・・

ピート元気をくれてありがとう。わたしはまだ冗談を聞いていて、
まだあなたが元気でいるような気持でいます。

Dead Or Alive - Turn Around and Count 2 Ten

彼女が好きだった音楽

2016年10月22日 17時41分12秒 | わたしの思い
彼女の好きだったサザンオールスターズの曲が
ラジオから流れてきた

小脇にLPレコードを抱えて
素敵に夏の制服を着こなしたあなたは
スカートを翻し 長い脚で颯爽と歩いていた

この二十余年 一度も思い出したことがなかった
そのひとの 制服姿や話し方
妙にありありと胸に去来
音楽の力ってすごい

忘れる
思い出す

すっかり忘れていたのに・・・
いや ひとには思いをしまう場所がある
それがはっきりわかった

あれもこれも処分しなきゃと思う昨今
こころの中は全部取っておいていいのだ
少しうれしい

途絶えたままに/T-BOLAN Bye For Now

2016年10月20日 17時56分51秒 | 音楽
T-BOLAN レンタルで借りてよく聴いていました。
歌詞が随分優れていますよね。
希望を持った別れを歌っている感じもします・・・が、気が付きましたわたし。

Bye For Now  いまのところは、ひとまずは、 とりあえずは、一時はという感じ?
今はひとまず別れましょう。なんて言えるのは若かったからです。

"素敵な別れさ 出会いの未来があるから
夢かなう日まで 今はここでそうBye For Now


そんなぁ、出会いの未来って・・・もうおばあちゃんになってしまいますよ。
夢かなう日って・・・・目標ならあるけど、もう夢なんて見ていられる余裕ないし。

すごくいい曲だなあって思っていましたが、若い頃に出会った曲だからです。
つくづく思います。
音楽も本も大切な人も、若い頃に出会うべきだと。

年を重ねると、もちろんいいことだってあります。
でも、『感じ入る器』はどうも成長せず、小さくなっていくみたいです。
ロマンもなくなっていきます。ときめきも。

あの頃をやり直そうなんて、誘って欲しくない。
わたしはもう、静謐な暮らしを望んでいる。
過ぎたときは、過ぎ去って二度と戻ることはないのだから。
途絶えた関係は、途絶えたままにして置きたい。
今の時代はそれを許さず、みんながすぐに繋がろうとする。

うら恋し さやかに恋と ならぬまに 別れて遠き
さまざまな人
                  若山牧水

こんな歌も今じゃ詠まれることもないでしょう。

だけどね、T-BOLAN の Bye For Now がいい曲であることには変わりありません。

ある頃から、ふっと消えてしまって、あんなにいい曲ばかりなのに
売れなくなったとは思えないし、ボーカルの森友嵐士は大学に通っているとか、
噂で聞いていたような気がしました。
実際は歌えなくなっていたそうなのですが。

そうですよね、あんなにいい曲を持っていて歌わないなんて
そんな理由でもなければ考えられませんものね。

大成功、傍から見ればですが、
その後、ひとは色々あります。
別れた後、追求しないで。
そっと置く。
それを望むひともいます。
それが素敵な別れの場合も。

T-BOLAN Bye For Now

手を振りあって別れた日々

2016年10月15日 00時46分56秒 | わたしの思い
足腰の弱ったおじいさんを必死に世話をしながら、電車に乗り込んでくるおばあさん。
目の不自由な人にぴったり寄り添い、凛として通院の手助けをする盲導犬。
秋風の中でわたしはせつない気持ちで、いくつかの光景を見つめていました。

相変わらず、電車に乗り込むと同時に、高校生達はスマートフォンをいじっています。
放課後のおしゃべりとか今はなくなって、24時間あの小さな機械で連絡を取り合えるのかな?

たくさんの高校生が下車した駅。
通路越しのわたしの横に残ったスマートフォンを見つめている男子高校生。
ホームを歩いていた別の男子高校生が、窓越しに彼をみとめて窓をコンコンと叩いて、
手を振ると、スマートフォンから顔を上げてにっこり笑って改札を出ていこう
とする友人に手を振り返していました。

たったそれだけの事、たったそれだけの時間。
いつか忘れ去ったころ、彼らはそれがとても貴重な時間だったと思うはずです。
また翌日も彼らはそうやって手を振りあうことでしょう。

わたしにもそうやって手を振りあって、10代の夕刻をともに過ごし、
翌日教室に行けばまた顔を合わせる友人がいました。
彼女は余命の宣告を受け、その命の灯はもう間もなく燃え尽きようとしています。

わたしにとって、高校時代は苦痛の多かったもう二度と戻りたくない時間です。
でも、彼女の余命を聞いて思い出す彼女との時間は、楽しい思い出ばかり。
当時から人とベタベタした付き合いが嫌いだったわたしにそれを許してくれた人。

秋風の中で、わたしはせつない気持ちで、目に映るあらゆるものを見つめている。




物思ふ秋に、彼女が嫌われる訳を考察

2016年10月09日 22時32分48秒 | ニュース
Yahoo japan!をホームページにしています。最近新聞をあまり見る暇がなくて、
世の中の動向をざっとこのホームで確認するのですが、
一体なぜ?というくらい藤原紀香が厳しく叩かれいます。

記事までは読んでいなかったけれど、いつも見出しに登場しているので、
読んでみると随分辛辣なことを言われている様子です。

以前はさっぱりした女優さんだなぁと思っていましたが、
40代を超えても、いつも肩剥き出しファッションで(印象)、
多分スタイルとかを自負してのことでしょうけれど、ちょっと
気持ち悪くなってきました。

この年なので、(まっ、紀香さんと世代的には変わりません)
たまに白髪染めのお世話になるのですが、節約のため自分染めで、
全体を染めるときは、藤原紀香の宣伝している泡タイプが一番の
お気に入りで、自分でも上手に楽勝。
伸びてきた部分を染めるのはもう少し安いのを使います。

って、ここではわたしの貧乏くさい話ではなく、話を元に戻すと、
白髪染めのコマーシャルなのに、なんか、クネクネと品を作った
お色気CMみたいで、嫌になって抗議の気持ちも含めて、商品はお気に入りなのですが、
最近使わなくなっています。
まあ、藤原紀香というより、CMの演出、作り手が悪いのだと思いますけれど。
他にも、そういう理由で買わないものってありますし。

でも、結婚、再婚してすごく幸せそうなところを、世の中から、随分な言われようなので、
わたしが思っているような理由からかなぁ・・・と、特に興味なしでした。

何気なく彼女のブログを見て、あーこの人、かなり自分が好きなんだなぁと・・・
人の為という時も、どこか自分を強くアピールしている印象。
まあそれが、芸能人なのかもしれません。アピールして、気づいてもらわないと話になりませんから。
そして、自分が好きということは、とても生きていくうえで大事なことで、その方が絶対に楽しいはずです。

だけど、それが目に付く鼻につく人がとても多いわけなのですね。

わたしは、昔々観たインドシナという映画を思い出しました。
もう、深い内容は忘れていますけど、とても良い映画でした。
物語の初めだったか?
カトリーヌ・ド・ヌーブが生まれてきた孫を見て、「なんて醜い赤ちゃん」というようなセリフを言って
いたはず?それはなぜかというと、「かわいい」なんていうと神様が羨ましがって連れて行ってしまう
から?だから醜い醜い、っていわないといけないんだと・・・そんなことだったはずです。
(古い記憶なので、いささか自信なし)
まあ、昔は赤ちゃんが育つのが大変で、日本でも一度捨ててくると元気に育つとかで、
わたしの叔母も捨てられたそうです。もちろん、隣人に頼んですぐ拾って届けてもらったとのこと。

何で、こんな話になったのか?それは自分が幸福ならそれでいいのです。
それを過度に表現しすぎるとやっかみを受けるのではないかなぁと。
言い方が悪いけれど、幸福を見せびらかす必要はないということですが、
彼女の場合は芸能人ですからね。多少は仕方ないけれど、わたし個人としては
あーいつも見たいなぁというブログではありませんでした。多分もう見ないけど。
人によっては、彼女の書くことに敏感に反応してしまっても仕方ないと思います。
逆に良い方向にも反応するファンの方もいることでしょうし。

わたしは、ああいった芸能人の結婚会見とかに興味もないので、さっと流し見なのですが、
数年前、ある有名人同士のカップルの花嫁を見ていたら、彼女がとても無神経に見えてきました。
優等生っぽく、一点の曇りもないように語るはいいけれど、結局は自分の幸福が全面的で、
わたしも病気をしていて、そういった人の幸せの披露ををうっとうしく感じた部分もなかったとは言いませんが、
いい印象を受けなかったのを思い出します。
その花嫁の開けっ広げな幸福披露から数年が過ぎて、時折思い出すインドシナのド・ヌーブのセリフがふっと
このカップルに落ちてきた影に対して蘇ってきました。

幸福は見せびらかすものではなくて、静かに受け止めるものなのだろうな。
静かに嚙み締めるものなのだろうな。
そして、それをおすそ分けします。なんてブログには書かないこと
やっています。やっています。なんて言わずに静かに社会にお返しができる、そんな幸せな人にわたしはなりたい。
何故って?わたしも病気や困難を経験する以前、知らず知らず、時には無神経に悲しんでいるひとを見過ごし、
幸福を見せびらかしていたことがあったかもしれないからです。

今のわたしの幸福な時は、お気に入りの毛布にくるまって眠るときです。
あー一番幸せだとそっと呟きます。神様が羨ましがって、寝返りを打った時に
ベッドから毛布が落ちて、明け方のどが痛くて目が覚めました。
もっとそっと、呟かないと幸福は 
秋は色々くだらないことを思うものです