前向きな人生の整理整頓

人生も後半、一日が短いです。明日やると思っても、若者のようには明日はたくさんないのかもと気づいた今日この頃

鼻歌は気まぐれ天使

2019年03月18日 16時44分00秒 | TV番組・CM
体調は良くないし、あれこれ忙しくて、(忙しいって言葉使いたくないのだけど)
最近はずいぶん洗濯物をため込んでしまいます。

あっ、下着やハンカチはお風呂に入った時に
洗ってしまいます。

ためてからやると、干すのにも時間、畳むのにも
仕舞うのにも時間ですが、良く晴れた日は
またそれも気持ちよいものです。

その時つい鼻歌が出てくるのです。
今日はジーンズを洗ったから、

♪ はいてたジーンズが短くて あの娘に声をかけそびれたのさ


歌いながら、古っ・・・でも、わたしよくこの歌を気づくと歌っています。
べつに、好きでも嫌いでもないのにねぇ。
うんと子供の頃に覚えた曲で、全部覚えているわけでもないのです。

ドラマの主題歌で、ドラマも時より観ていた気がするけれど、
全然内容は覚えていなくて、大原麗子がナンシーというラジオのDJで
石立鉄男がナンシーのファン、覚えているのはそれだけ。

何しろ、わたしとて子供だったもので。小学校の低学年だと思います。
そして、お二人とも、すでに旅立たれ、天使に。
時の流れを感じます。

現代人はジーンズなんて言わないみたいだし。
短いと女の子に声をかけそびれちゃうような時代でもなさそう。

でも、これからもきっとわたしはこの歌、口ずさむことでしょう。
いま、ちゃんと聴いてみましたよ。

こんな午後、誰も知らないこころに沈めたでっかい夢を取り出し
あれこれ考えるわたしなのでした。

お父様へ、明日は天気が良くないし、お中日は避けたいから、
19日お墓掃除に行きます。

ひとの心の中は変えられない

2017年10月01日 17時48分31秒 | TV番組・CM
Yahoo!のニュースに保毛尾田保毛男の文字を見つけました。
正直なところわたしはあまりとんねるずは好きではありません。

あ、でも好きではないということも書いてはいけないのかしら?と、実のところ少し戸惑います。
昨今の風潮が怖いです。でも感じることの自由は許されていますよね。

そう、とんねるずは好きではないけれど、その昔保毛尾田保毛男というキャラを見て笑っていました。
それも結構おなかを抱えて・・・。だけどその笑いの中には誰かを差別したり、蔑視した思いは皆無でした。
でもこれを見て不愉快に思ったり、傷ついたりする人がいたということにも思いは至りませんでした。
単純に面白いものを見て楽しい気持ちになっていたということだけでした。
むしろもっと他の点でとんねるずの振る舞いが気になることはありましたけど。

同じ頃?少しずれがあったらすみませんが、ウッチャンナンチャンの番組で九州男児というキャラが
同じように楽しかった覚えがあります。
わたしも九州生まれですが、別にこれを見てバカにされた感も不快なこともありませんでした。

ひとは不快を感じるツボはそれぞれに異なるでしょうし、わたしだって他の人は思わなくても、
言われたら嫌なことはあります。でも、それが嫌だったから、いちいちその人に誤ってくれとは言いませんし、
例え、そういって誤ってもらったとしても、その人の心の中にあるその考えは変わることはないでしょう。

そう、この『思っている』という点が今回の問題なのでしょう。
これを観て差別意識を生み出すという点です。言い直すと、『思い始める』心を生み出すという点です。

Sexual Orientationは人それぞれで努力で変えられるものでもないので、
わたしは人それぞれでいいではないかと、ずっと10代の時から思っています。
なのに保毛尾田保毛男を観て笑いました。
もう一度自分に問い直してみても、保毛尾田保毛男を楽しいと思っただけで、
そこに差別意識を探してみても自分の中にはやっぱりみつけられません。
笑ったことが差別なのだと言われればもう返す言葉はありません。

最近は子供が真似をしたら・・・という言葉をよく聞きます。
昔も言っていたかもしれません。
でも、それを真似するのがいいのか、悪いことなのか判断できる人に育てることが
大人の役目なのではないのかなぁ。と、子供がいないので、批判されるかな。

ちょっと前に『意地悪ばあさん』の漫画を懐かしくて読んだのですが、
巻末に現在では不快に思う人がいるかも云々、作者はすでに故人で云々という
断りの文章が保険みたいに書かれていて、かえって気が重くなりました。

こういう謝罪とか断りが表現の世界に常に介入してくることは由々しきことなのでは。

最後にもう一度、謝ろうが何をしようが、その人の心の中は変えることはできません。
誤ってもらいたいあなたの心の中が自由で変えられないのと同じでその人の心も自由だから。
謝らせて解決するわけではないとわたしは思います。

むしろおずおず何事にも気を使って優等生発言する若い子たちの心の中が気になります。
あれから30年何も言えなくなる時代が来る気がしてちょっと怖いです。

いつもこころに青空を

2016年03月15日 18時32分56秒 | TV番組・CM
先日、楽しみにしていることについて書きましたが、今、毎日楽しみにしている
テレビドラマがあります。
BSで放送されているドラマありがとうの第一シリーズ<警察官>です。
結構な年なので、生まれてはいましたが、リアルタイムで観るのは少々無理でした。

第二シリーズのありがとう<看護婦>は、学生の頃再放送を観た記憶があります。
その頃はバブル前夜~バブル全盛期だったと記憶しておりますが、記憶違いの可能性もあります。
しかし、まあそのような上向きの風に乗っていた頃だったもので、まだ終わっていなかったかもしれない
昭和の風味を古臭く感じ、トレンディドラマというのに心奪われていた頃でした。
人って感じ方が時によってずいぶん違うものですね。
昭和も終わり、平成になって二十余年の今、劇中に出てくる小物までつぶさに見つめて楽しんでいます。
生活の中で、そういった物も人も趣があって、季節を大切にしていて、豊かではないけれど、
きっちり生きているのが美しく、青空のように清々しい。

プロデューサーの関係か、渡る世間シリーズを想像して、熱心に観る気はなかったのですが、
はまりにはまっております。渡る世間のような意地悪がないのがいいです。
あれはとても苦手、書き手が余程意地悪なのかと思ってしまう。
韓国ドラマと同じで最後まで観ることができないのです。

てっきり『ありがとう』にもそんなイメージを持っていたので損しました。
初めから観ればよかったなぁ。

で、この中で特筆すべきことは、主人公、光を演じる水前寺清子の歌唱力のすごさです。
何を今更って言われても、すごくすごくかっこいい。ロックです。こころが揺れます。
水前寺清子 ありがとうの歌 高音質0:45~0:58辺りこころが遣られました。



もうひとつは、その光の恋のライバル雪乃役の佐良直美の美貌です。
この方は80年代色々ゴシップがあって、芸能界から距離をおいてましたが、
時折、動物の番組などで見かけますね。

昔のイメージはとにかく、ボーイッシュで、教養もあって知的な優等生。
司会もそつなくこなし、言うまでもなく歌が上手な歌手。
当時はロングヘアの似合う麻丘めぐみのようなお姉さんに憧れていたので、
男っぽい感じのこの人をちゃんと見ていなかったのでしょう。

何を今更って言われても、大変な美人さんではありませんか。
色白の肌、優し気な目元、すっとした鼻梁、かわいい口元、品のある顔だちです。
ショートカットで丸出しのはずなのに、このヘアスタイルが彼女の美しさを隠していました。

だけど、だけどねこの『ありがとう』もあと少しで終わってしまうのです。

楽しみを更に探さないと。いつもこころに青空を持つためにも、只今わたしの楽しみ募集中です。

僕のこと知ってるでしょ?/ヤヌスの鏡

2010年05月28日 00時47分46秒 | TV番組・CM
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です

親しげに笑いかけてきた人に見覚えはなかった。さっさと用を済ませようとするわたしに、
「どこかでおねえさんと会った気がするんですけど」彼は首を傾げた。
「えーっ、?そうですか」わたしは笑って俯いた。
あまりまっすぐ見つめられるのは苦手だし、ちょっと厭なことを思い出したから。
ずっと昔に会った陰気で、粘着質な男の眼差し。
懸念は無用だった。彼はそれ以上何も追求することなく、さわやかに去っていった。
きっと、自分の記憶違いに気付いたのだろう。まさかナンパでもあるまい。
それならばもっと若い子相手にするだろう。おばさんと呼ばれなくてよかった。(ホッ)

夏の午後だった、門扉に手をかけて庭に入ろうとした時、後ろから声がした。
「ちょっと待って」
若い男が自転車に乗って追いかけてきた。(ついでにわたしも若かった)
「僕のこと知ってるでしょ?どこかで会ってる」
どこから追いかけてきたのか知らないけれど、息が上がって汗ばんだ男の神経質そうな顔に見覚えはなかった。
眼鏡の奥の思いつめたような目の中に、何らかの魂胆を探ったがよくわからない。
大体、僕のこと知ってるでしょ?って何なの?
「さあ・・・知りません」
あまり関わりたくないと思ったし、買い物帰りで荷物が重かった。
「駅でだったかな、S駅の」
「・・・・・・?」
いつも利用する駅の隣駅だった。時々買い物に出かけることはあったけれど、目の前にいる男が視界に入ってきたことはない。
毎朝駅で会う、知らない人だけれど、知っている人々の顔を思い出してもみたが、そのメンバーに男の顔はなかった。
「ここに住んでるんだ」
まずいことに家を知られてしまった。普通ならばそんな男は無視するだけのことなのだ。
90年代に入り、世の中の軽薄さは深まっていた。普通に家から駅に行くまでの間や
コンビニから出てきたところで、この類の男にでくわすことはたまにあったが、もっとみんなカラッとしていた。

共通の入り口から入り、中庭を挟んで一軒の家とアパートがあり、わたしはアパートの一室の住人だった。
部屋を知られたくない。どうやってやり過ごせばよいものやら・・・。
中庭から家の方に進んでやり過ごすか、いやいや、付いて来たら他人の家に入っていくわけにもいかない。
「話がしたいんだ」
「ちょっとここじゃ困るんですけど」
暑さと、困惑でわたしは顔を抑えた。当時、いつもMr.ロンリーとの思い出の指輪をしていた。
細く狡猾そうな男の目がその指輪を捕らえたらしい。
「結婚してるの?」
とっさにわたしは嘘をつくことができず否定した。しまった、肯定すべきだった。
「結婚はしていないけど・・・とても好きな人がいるから」
そんなことを言って通用する相手でないことはわかっていた。一見、大人しそうな勉強ばかりしているような風貌だが、かなり図々しい。
下手な鉄砲数打てば・・・と、手当たり次第に同じようなことを言っているに違いない。
あるいは、性格異常者か・・・何にしても好きになれない目をしていた。

さて、どうしたものか・・・・
仕方ないので、少し歩きながら話をすることにした。どうも男はその界隈の土地勘はないらしいことが歩いているとわかった。
通りを一本変えて、わざとちょっと複雑な住宅街の中を歩いて、駅前の喫茶店にでも捨ててこよう。

しかし、この男、本当に見かけによらず、まるでモテ男みたいな振る舞いで、たった今会ったばかりだというのに
肩に手を回してきたり恋人気取りなのだ。そう、まさに『僕のこと知っているでしょ』状態で、まるで長い付き合いみたいに。
わたしにとってはまるで見知らぬひとだ。触られるのは抵抗がある。大体、この生活圏で、知っている人に見られたらどう説明すりゃいいの。
その頃のわたしはMr.ロンリーとの将来ばかり考えて、他の男なんぞ目にも入らなかった。
わたしにそんなことしていいのはMr.ロンリーだけだ。
「やめて下さい 困りますから」
ここで男は豹変。下手な鉄砲が外れたゆえの怒りか、男はわたしを罵倒し始めた。それもすごい剣幕で。
いやぁ、だけど本当に軟派な男ならば、こんな場合あっさり引き下がってさらりとしているはず。
たかだか触るなと言われたくらいで、ものすごい剣幕と形相。やっぱり性格異常者か。
腹は立つは、気味悪いは、暑いは・・・もう我慢ならぬと、その場に男をうち捨てて踵を返した。
この間わたしは無言だった。かなり頭にきて、腹が立っていたので喧嘩してもよかったが、言葉がでないくらい腹が立っていた。
初めからそうすればよかった。無言の勝利。無言の力を思い知る。男は追ってはこなかった。

冷たいものを買ってきたのがぬるくなってしまった。
変てこな男にちよっぴり傷つけられた収まりのつかない心。

その後、男が自転車を取りに来て、道に迷うのをチラと目撃、いい気味だった。


その昔、「ヤヌスの鏡」('85~'86)というドラマがありました。原作は漫画でした。
漫画はともかく、ドラマは言い方は悪いですけど、ちゃちなお粗末な、わざとらしい、くっさーい作りでした。
それなのになぜか見てしまう・・・魅力がありました。
まじめな主人公の中に宿る、もうひとつの人格が夜の街で暴れまくる?ような話だったような?
その『もう一人の人格』になったときのメイクは、笑いたくなる過去とか、
古くさっというレベルのものではその当時からなかった気がするので、今見たらもっとすごそう。
声もぜんぜん別の人が吹き替えていて、そうだなあ・・・
韓国とか台湾のドラマ(あまり見たことがないけど)を吹き替えでみているみたいな
ちょっと口元と音がずれているみたいな違和感がありましたっけ。

そんなわけでこれ名場面集 http://www.youtube.com/watch?v=jrI3Ewwp-T0&feature=related
今観てみたら、思っていたほどひどくありませんでした。
変身場面  2:41~3:46
わたしが一番印象に残っている場面  4:16~5:37


「僕のことしってるでしょ?」
「もしかして、夜の街で暴れまくってるわたしを見ましたか?」
と、でも言ってみれば逃げ出して行ったかもしれない。ところで、本当に暴れまくっていないよね?わたし。
今ならば、「知るわけないでしょ」と即答だ。