前向きな人生の整理整頓

人生も後半、一日が短いです。明日やると思っても、若者のようには明日はたくさんないのかもと気づいた今日この頃

未来に待っていたのは?/玉置浩二&石原真理子

2009年02月28日 02時47分46秒 | Weblog
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です

今より昔は報道の在り方にモラルを問われることはなかった気がします。
ワイドショーなんかでは、タレントの私生活や恋愛問題など、ひとつ何か次が起きるまで
それはそれはしつこく扱われていたように思います。
今はああいった番組がすくなくなりました。
てっきり噂好きの人が減ってしまったのだと思いがちですけど、それはそうではなく、
テレビのワイドショウなんて観なくても、こういった媒体を通じてもっともっと語られているのかもね。

先日、玉置浩二と石原真理子がなんと結婚したそうで、ちょっと驚きました。
80年代のワイドショーを彩った人です。
玉置さんは安全地帯で成功していて、石原真理子も当時は結構売れっ子の女優さんだったと思います。
まあ玉置さんについて言えば、当時はちょっと黒めのファンデーションを塗って
鼻筋を目頭のほうから書くような当時の坂本龍一なんかもしていたようなメイクがちょっと嫌でしたねえ。
ニューロマンティックとか、大好きなのに?といわれるとナンなのですけど、要するに似合うにあわないがあるんですね
ジュリーなんかも大好きなんですよ でも今日テレビで観たXのトシでしたっけ?ヒデでしたっけ?ご存命でボーカルの方 
のメイク、はっきり言っちゃいます「こりゃひでぇなあ」と思いました 実に似合っていなかった 素顔の方がいいです

石原真理子はロングヘアーの美しい女優さんでした。
既に奥さんのいた玉置さんとの交際が報じられて記者会見をした時、涙を隠すように
会見中後ろを向いた彼女の長い髪をよーく覚えています。あれからもう24年だそうです。
その間、玉置さんが三回も離婚したことは知っていましたが、石原さんの方も一度離婚したそうでこれは初耳。

玉置さんのほうは24年の間に結婚したり離婚したり、離婚したり、結婚したり、
ソロでもひとつ、ふたつ売れた曲があったり、ドラマや映画に出たり、
私生活は決して誉められたもんじゃないけど、芸能活動の上ではそれなり。

石原さんのほうはプッツン女優とか言われて、しばらく海外で暮らしていて、
(その間にかの地のかたと結婚して離婚したとか)
この24年で話題になったのはヌード写真集を出したときだったと思います。
久しぶりに見たら年取ってて、日本語がフランス語訛りか英語訛りみたいになっていて、
あんまり美しくなくなったなって思いました。
で、その時確か石原真理子じゃなくてこれからは真理絵だと言っていたのに、今は真理子じゃん。
その後、女優さんの仕事をしていたのを見たのはふぞろいの林檎だったかな?
看護婦さん役で出ていたのと二時間もののワイド劇場で一度見たくらいです。
でも、雑誌で占い師みたいなことをしていました。
多分タロットを使っていたような気がします。自分の結婚についても占ったのだろうか?
そして、暴露本の執筆。
そのおかげで?「玉置さんて善良そうで人当たりも良さそうなのに何でしょっちゅう離婚するんだろ?」
と思っていたなぞが解けました。

それを一番知っているはずの真理子さん、何でいまさら結婚を?とちょっと思ったし、
あれこれ噂したい気分ですわ。
あったあったと思い出したのが、真理子さんが腰の骨を折ったこと。
階段から転落とかいってたような気がしたが?玉置さんのせいだったとか。
普通は絶対そんな男性はゴメンだと思います。
そういう部分って直りにくいと思いますから。まあ、これを縁があったからと言うのでしょう。


あの頃、石原真理子はずいぶんお姉さんなイメージがあったから
もう50くらいになっているのかと思ったけど、45才ですと。案外若いんだ。

80年代の懐かしい風を最近身近に感じるんです。
結構それはそこここに吹き荒れていて、この二人の周辺にもこの懐かしい風は吹いてしまったのかもしれない。
SeikoさんとGoさんのとこにも吹かないかしらなんて噂好きの人はいうかもしれない。
 
でも、風は吹き去ってしまう。
おめでたいことだし、24年もかかって実るというのも素敵だし、二人はずいぶん大人だけど、
何か危なっかしくって気になる話題でした。
それでいて、
『未来にこんなことが待っていたんだ』とうれしかったりもするんです。
何だか変なの。中々風邪を退治できず喉が痛くて仕方ないです。





本日ライブに行く / Culture Club 6

2009年02月20日 00時37分01秒 | 音楽
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です

夢を見ました。
culture clubのコンサートに行く夢。
なにやら突然誘われていくことになったのですが、
わたしとSさんともう一人誰かわからない(大学のころの友人かと思われる)
女性と三人は河原のようなところをてくてく歩いて会場に到着。

結構大きいホールで、普通は席について待ち遠しいなあっていう時間があるもんだけど、
着いたかと思ったらもう幕が上がっていました。
何とわたしたちは上手の一番前の席でした。
それには理由があって、一緒に行ったSさんは実は映像カメラマンでそのライブの模様を
映像におさめる使命を持っていたわけです。
実のところわたしはSさんには直接お目にかかったことはなく、そんなに彼のことを知っているわけでもないのに
夢って変なもんですね。ついでにSさんの職業はカメラマンではありません。

ステージの上にBoy Georgeのシルエットが浮かび上がりました。
扇型のスポットライトがあたっていました。
そこにいたのは現在の肥った彼ではなく、まぎれもなく80年代のBoyGeorgeでした。
なんと振袖を着て片手にマイクを持ち、両手を広げて立っています。
振袖は淡いブルーとも、ライトの加減では藤色にも見えます。
例の黒い帽子を被って、お化粧は初来日した頃の感じで、ちょっと眉が細め。
足元は赤いボクシングシューズかごっついスニカー。
Boy-Boy-I'm The Boy を歌いながらステージを降りてきました。
なんとなんと、私たちの横をあのBoyGeorgeがにっこり微笑みながら通っていくのです。
Sさんは突然のことにあわててカメラを肩に乗せてGeorgeの後姿を追うことになります。
ラーメン屋の店長みたいな黒いTシャツ姿のSさんがGeorgeの姿に重なって邪魔。
そこに演奏以外のうるさい騒音がジリジリ。くっそーわたしの目覚まし時計でした。
しかも今日に限っていつもより三十分早め。
もう、寝直して続きを見ようかと思ったくらいですが残念。

でも、ほんの少しでもculture clubのライブを楽しめたので良しとしよう。
Sさん、ありがとう。また連れて行ってね。
塀の中のジョージは洗い物や給食当番?みたいなことをして服役中らしい。
もうひと月過ぎたし、がんばれ、がんばれ。
そしていい曲聴かせてね。

癒されますか?/Enya

2009年02月17日 19時54分20秒 | 音楽
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です

もう絶対非難されること間違いないけれど、こんなところでいい人ぶっても仕方ないし、
嘘つく必要もないので正直に書いちゃう。
自分は少数派だとあらゆる場面で実感することはあるのですが、みんなが癒されるというEnya
聴くと反って軽いストレスを感じているかもしれない。
積極的には自分からは聴かないので、たまにどこかで流れていてもストレスとまではいかなくても、
心地いいとか、癒されると思ったことは一度もありません。

時は、80年代も終りが迫った88年頃でした。
それなりに都会生活を楽しみつつも、少々お疲れ気味でした。(多分今と違って遊ぶことに)
そしてみんな癒されたがっていました。でもそれが現在ほど切実なものであったのかは今となっては疑問です。
ヒーリングとかいう言葉も、何かお洒落な流行物のような意味合いで使われていたかもしれません。
初めてOrinoco Flowを聴いたとき、癒しだの、壮大だのという前置きがなされていて
一体どんな曲なのだろうとちょっと期待しました。
期待→感動→和む、はずの予定でしたが、いつまでたっても矢印は動いていきません。
感動が始まらないうちに????????のまま終わってしまいました。
今もって、オリノコ・フロウに限って言えば楽曲的に優れているのかもしれないけれど嫌いな曲です。

大体くぐもってボーカルが聞こえないんですよ。透明感のある歌声とみなさん仰るけど、
エコーとかがかかった機会処理された声みたいで、本当の声が遠くの方にあって聞こえない。
その声を聞こうとするからかかえってそれがストレスになるような気がします。
この方が生で歌うことってあるのでしょうか?
昨年の紅白もどうもlip syncだったように思いますし、ああいう音って生では再現しにくいボーカル
だと思うんですよね。洞窟の向こうの方で歌っているのが聴こえてくるな響きの声です。
つまりはバックの演奏とか、音響処理に頼ったもので、それなしでは成り立たないというか。

いや、これは素人のわたしの言うことなのでわかりません。あてになりません。
何の処理もせず生で歌っていてあの歌声なのだよということだったりするかもしれません。
コンサートとかするんでしょうか?CD歌手だったらいいですけど、
もし、コンサートで口パクだったら、それだけは許せません。

人それぞれですけど、みんなは重ね録りしたようなボーカルに機械が作った響きを加えた
(?かどうかはわかりません わたしが勝手に思っている)
ような歌声に本当に心癒されているのでしょうか。リラックスするのでしょうか。
完成された音楽としては素晴らしいのかもしれませんが、癒しとなると疑問?
あんまり、『癒しの』とか『ヒーリング・ミュージック』とかの前置きがあるゆえに
もしかしたらそうなのかなあという気になっている人も1人くらいいませんか?
ボーカルがよく聞こえない。聴いていても全然癒されないという人はわたしの他にも
1人くらいいませんか?I want to be your friend.

いま、『ありふれた奇跡』というドラマのエンディングでDreams Are More Precious 
という彼女の新しいアルバムの中の一曲が使用されていますが、
脚本の特徴で言葉を単語で切ったり、言ったの言わないの、
気にするのしないのと普通なら心の中で処理することや、
動作だけでよさそうな細かいことまで台詞で説明する会話に多少イラついて
観るのをやめようかと毎週思いつつも、仲間由紀江演じる主人公の秘密みたいなものが気になって
先週までは観続けていました。それもわかったので今週はどうしよう。
結構毎週イライラする展開のなさ、セリフの違和感。そして、最後はエンヤの歌で締め。
和むというより、暗い気持ちになります。

とは言っても、人間て職場だとか学校だとか、所属する場所以外で出会うことはあっても、
その出会いを一回だけでなく持続した関係に持って行くことの難しさを
話はずれるけどよく表現していると思いますです。
何処かで誰かに合うことはありふれたことだけど、
そこから永続的な関係を保つことは奇跡みたいなことだとわたしは思います。

Dreams Are More Precious という歌でエンヤが何を歌っているのかはよく聞こえないので
わかりませんけど、そこから響いてくるものの中に相変わらず何かを見つけることはできません。
リラックスやリフレッシュに繋がる感覚は残念ながらありませんね。

繰り返しますが、わたしはかなり少数派だと思います。
みんなが癒されるというエンヤを聴くと自分の孤独感が増します。


そもそも結果的に癒されることはあっても、
癒されようと思って音楽を聴いてはいませんでした。
それなのに、「ああ心がヘトヘトだから癒してよ エンヤ」といったわたしの
向き合い方が悪かったのだと思います。
結果自分にとって好ましい歌声や曲ではなかったわけなんですな。
でもそれは宣伝の仕方や売り方にも問題があると思うな

そんなわたしが癒されるというより、聴くと元気になるのはジョージ・ハリスン
不思議ともう少し頑張れるかもという前向きな気持ちにしてくれます。
まあ、人それぞれです、ものの感じ方などというものはこの一言に尽きる。

なあんだか今日は80年代の話になっていませんが、
正直になって「みんなそうなの?」と一石投じてみたくなりました。

おまけ
どうも疲れています。頭が痛いです。
まとまりがありません。ごめんなさい。
わたしはアレルギーがひどく、その薬を飲むと倒れ込むほどの眠気に
襲われます。(おそらく体重に薬の量が合わないものと思われます)
アルコールには滅茶苦茶強いのですが。
こんなことを言って庇いきれるものではありませんが
中川さん、男らしくて好きだったのに残念です。
                                       おしまい



ご先祖様/Strawberry Switchblade

2009年02月13日 20時24分35秒 | 音楽
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です

Jolene つって思い出すのは誰ですか?
Dolly Parton
Olivia Newton-John
いいえ、80's世代ならこの方達 Strawberry Switchblade
オリジナルは先に書いたドリー・パートンなんですけど、そりゃもう色んな人がカバーしております。

頼むからわたしの男を取らないでよ、そんなのあんたにとっちゃーたやすい事だろうけどさ 
あんたは格別にきれいで 髪はどーで、肌はどーで 瞳は・・・エメラルドみたいで
みたいなことを歌っているのですけどね。
今回上に名前を挙げた三組についてはこの歌詞を歌っても説得力ないかもしれません。
むしろ、『あんたらがジョリーンなんじゃないの?』
『わたしの彼をとらないでとか言われたことはあっても、言ったことはないんじゃないの』
と、世代別に素敵な女性ばっかりでございます。

ドリーとオリビアについてはまた別の機会に書きたいと思うのですが、
一つだけ、ドリーのジョリーンにはよく耳にするのと、
前奏がもっとゆっくりの別バージョンが
あると思うのですが、これはどちらかがセルフカバーなのか、
わたしの聴き違いなのか不明。誰か知っている人がいたなら教えて欲しいです。

Strawberry Switchblade の話をここからはいたします。
まず、グループ名ですけど『イチゴの飛び出しナイフ』何のこっちゃ?
Switchbladeという単語は米語で英国では別の意味があるのかもしれませぬ。詳細は不明。
はっきりいって二人の名前もよく知らないんですわ。
ぱっと出てきてすぐに消えちゃったんです。
1人はお人形みたいに華奢でちっちゃいの。そのせいでもう1人がやや肉感的に見えます。
それでもって、85年頃?当時どっちかがすでに結婚していたはずです。
その頃の田舎者のわたしにすると、結婚している女性はもっとおばさんみたいな(いくら若かったとしても)
格好をするものだと思っていた(それが普通なんだと思っていた)のでなんて自由なんだと、
社会主義の国にいるような視線で水玉模様のフリフリドレスの彼女達を見ていました。
当時のイギリスの女の子はすごくお洒落だと思っていましたが、この二人組みと、少し前に活躍していて
多分こちらも知らぬ間に消えたHaysi Fantayzee Kate Garner とがわたしにとってのお洒落さんの双璧です。
Haysi Fantayzee についてはまた別の機会のネタにとっておきたいと思います。

話があちこちしてしまいますが、彼女たちはアメリカのチャートには乗っていないと思うのですけど、
初めて動く雑誌やジャケットではなく彼女達を観たのは『ベストヒットUSA』だったと記憶しています。

恐らくこれがその時の映像↓ 克也さんの声が聞こえます。

Let Her Go -- Strawberry Switchblade


ゴシックロリータ?さん方や最近だったらアゲハさんたちのご先祖様みたいな感じ
ではないでしょうかね。
エイミーさんにも見えたりしますが・・・・
ビジュアル系とかいわれる人たちが出はじめた頃も彼女達のことを思い出したのですが、
20年も前なのですけど、全然古い感じがしないのです。
なんかこのビデオに限って言えば、ウインクの動きにこんなのがあったような気がします。
曲の方はまあ、一度聴いてみなさいなってお勧めしたい。
わたしはこういう女性ボーカル結構好きです。
ちっちゃい方がメインボーカルだったようです。

ビジュアル系とか、アゲハ嬢とか、西洋諸国で受けていて、日本に行きたいとか、
日本は自由でいいだとか言っている英国人や仏人の若い子をテレビで観ました。
まるで、二十年前のわたしが、かの国の人たちに感じていたようなことをです。
驚きです。驚愕です。時代は変わったんだとつくづく思います。
輸出していたものを逆輸入してくれているみたいです。
そんな、若い世代に是非とも知ってほしい気がします。

日本の若者文化は『円』以上にその評価が高くなっているようです。
こんな時代が来るとは・・・・うれしいような複雑な気分。
その分日本の若者は夢や憧れを語らなくなり、この不況下で、現実を見つめて堅実を目指しているカナ?。





ママの選ぶドレス/ 岡田有希子2

2009年02月07日 00時41分38秒 | Weblog
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です

今となって考えてみると当時感じていた違和感は思春期の心のバランスの悪さだったり、
タレントはそれを見せない方がいい、均衡を保とうとする必死さだったように思えます。
隠そうとするから余計変に見えちゃうような。そこの部分むき出しのほうがむしろ人間的なのにね。
その方がもっと好感を持たれたんじゃないでしょうか。

ファンでなくとも当時は今のようにお笑い番組に席巻されることなく、歌手、
の中でもアイドルといわれる人たちが活躍できる歌番組が幾つもあって、
食事時など、テレビの中で岡田有希子の活躍ぶりを見る機会は結構ありました。

岡田有希子を思い出す一番の印象は奇妙なダンス。
下半身の動きに上半身や首から上が取り残されているような変な感じで、
擬音をつけるなら、モッサリ、モッサリ、ギクギク。
彼女は運動が苦手だったのではないでしょうか。そう言える確信はかく言うわたしが
運動神経が悪いから。運動オンチのひとの動きって何となくわかってしまう。
だから、妙に生真面目に振り付けを再現しようとする彼女を見ていて痛々しく見えました。
低音を伸ばすとき音程が不安定になるけど声は素直で聞きやすかった。
そして難なく歌いこなすのにいっぱいで歌にいまいち情感が足りなかった。
でもこれは、無理してあの奇妙なダンスをやっていたから、そっちに気を取られていたためだと思います。
振りなどない歌を歌えたらよかったのにね。

視線にも定まらない何か奇妙なものを感じていたのですけど、歌の途中で瞬間、瞬間に見せる
笑顔には素直な印象が感じられて、それが一番の魅力だったはずです。
でも笑顔が翳った瞬間の、何かをまだ言い足りないという不満をためたような
口元とちぐはぐでこれまた不自然な違和感。

当時は無個性に見えたのですが、
どうありたい、どうしたい、どう見られたいの自意識の強さの現われが、
あの違和感の中に詰まっていたことに当時の映像を見て気づきました。
とにかく、彼女はいつも必死で一生懸命だったのだと思います。

色々言われているけれど、彼女の死は『叶えたい自分』とか『なりたい自分』から
少しずれたことに端を発しているのではないでしょうか。
大抵の人は甘受する術を持ち、諦めることも知っているけど、何に耐えたとしても
それだけには耐えられない激しさが、あのこころもとない風情の中にあったのではないでしょうか。
極端に言えば、ゼロか全てのどちらかしかなくて、『なりたい自分』以外なら終り。
未遂を犯して、付いてしまったシミのせいで尚更、終わらせなければならなくなってまったのではないでしょうか。

だから、彼女の心の中ではどうであれ、現実には昨年鬼籍に入られた
Mさんは直接的には関係ないと思います。
当時この方の記者会見を見た覚えがありますけど、答えようのないことを質問されて、
当惑していたように見えましたし、故人の思いを傷つけまいと気遣いもあったように思います。

以上、
思い込みの激しいタイプの人間が思い込みの激しいタイプ
ではなかったかと思われる人を分析してみたたわごとです。

ファンでも何でもなかった人間がこれほど長々と語れるほどの衝撃を残した事件。
その影響ゆえに長い間、岡田有希子という名前は封印されてしまいました。
今ではあり得ない、最後の姿を週刊誌にさらされてしまったことも影響になったかもしれません。
かくいうわたくしも、教科書を買いに行って、みんなが買っていたフォーカスだか、
フライデーだかを一緒に買って来てしまった。
その時つくづく思ったのが、肉体は単なる入れ物なんだということでした。
もはや、輝いていたアイドルではなく、そこに詰まっていた肉体を制御するもの、
理性とか、知性とか羞恥心とかを失った単なる物体で、その扱われ方も物に対するそれのようで、
それを見てしまっている自分に罪悪感すらありませんでした。
もし、肉体を離れた魂というものが存在するならば、あんなふうに扱われたことは
さぞかし、辛かったはずです。
細かいことを言えばきりがないのですが、あんな晒し者にされてせめて下向きでよかったよ。
スカートの裾が乱れないタイトでよかったよ。本当に本人だったのだろうか?もう少し、年かさの女性のように見えたよ。 


人間ってただ、年をとるだけのようですが、年をとるだけでわかることってあるものです。
だから、彼女には一瞬を耐えて年をとって欲しかった。色んな未来があったでしょうから。
前回も書きましたけど、その達観ができたら、きっと今頃素敵な女性だったと思います。
わたしは観たことがないけど、ドラマとかに出ていたので、女優として活躍とかもしていたかもね。

楽しい思い出の多い80年代の中で、話題として取上げるのには迷ったのですが、
暫く封印されていた彼女の姿を再び見ることのできる時代になったので、
知らない世代の人たちにも、違和感を覚えるほど懸命な姿を知って欲しいと思いました。
ちなみにわたしは『ママの選ぶドレスは似合わない年頃よ♪』(ごめん!タイトルがわからん)と
最後の化粧品のキャンペーンソングしか知らなかったのですが、
summer beachという曲がいつになく伸びやかに歌っていていいと思いました。
ダンスはちょっと・・・・でしたが。とにかく一生懸命です。

最後に
『ママの選ぶドレスは似合わない年頃よ♪』(ごめん!タイトルがわからん)はすごくこの人に似合う歌だと思いました。
脱皮しようと必死で、自由を求めていて、恋心を抱いていてでも、どこか遠慮がちでそれを大声では言えなくて。
窮屈な『ママの選ぶドレス』を着ている心の中には叶えたい思いが一杯詰まっている。
そうそう、思い出したけど、当時東京を目指す女の子の憧れのひとつ『南青山に住むこと』
(林真理子の小説『南青山物語』の影響か?)
その夢を岡田有希子は叶えたばっかりだったはずです。 終り



可愛い人 / 岡田有希子

2009年02月06日 02時16分54秒 | Weblog
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です

毎年、化粧品会社が春の口紅のキャンペーンをしますよね。
????最近は昔ほど盛んじゃないかな?第一最近は口紅の色が美しくない。
もっと言うなら汚い。自然とかナチュラルと言って色味を抑えすぎです。
それが似合う人もいるかもしれないけど、肌の色なんかも考えないと、余計くすんだ肌に見えます。
くすんでいるとき普段より明るい口紅は肌をきれいに見せる応急措置
吹き出物のあるくすんだ肌で、グロスだけだとフライドチキンでもかぶりついて来たの?
って感じで不潔っぽくみえます。と、まあここまではおばさんのたわ言。

80年代のひとつの春、幾つかあった春の中でも特別に印象深い出来事がありました。
その出来事の後ろには春の口紅のキャンペーンソングが流れていました。
86年の春、出来事の中心には、わたしより年上の18才だったその人がいました。
2O年以上たった今もおばさんになることなく彼女は18才のまま。
存命ならばどんな40代の女性になっていたことでしょう。
あの一つの春のたった一瞬をもし彼女が乗り越えていたなら、
恐らく本当の意味で不惑の素敵な女性になっていたのではないかと思います。
その人の名前は岡田有希子。

その日は学校が始まったばっかりで模擬試験か何かを受けに行って、普段より早く
家に帰っていた覚えがあります。
前日遅くまで勉強していた疲れか、妙に開放感に浸って家で昼寝をしたのは確かな記憶。
目が覚めて、テレビで彼女が自殺したという報道が流れていてどうせ未遂だろう、
明日学校で大騒ぎになるだろうなとぼんやりしているところに、
仕事を中断して母があがってきたのでお茶を飲んで、この辺りでようやく覚醒。
「岡田有希子、自殺したとか言ってたけど」
「飛び降りたらしいよ」
まだ、この時わたしは病院に運ばれて命を取りとめたと、勝手に信じていました。
報道で使う『自殺』と『自殺未遂』の意味の違いを初めて区別できるようになった事件でした。
最近では三浦和義氏の『自殺』報道のとき「ああ亡くなったのか」
とすぐに思いましたが、この頃のわたしはそうではありませんでした。「死んだよ」と聞くまでは。

わたしは彼女のファンではありませんでしたが、年も近いそのひとの死に
何故?何故?何故?の疑問符ばかりでした。
個人的見解ですが、ちょうどその頃の彼女は芸能界で絶頂の域にまさに手をかけよ
うという寸前だった気がします。
望んでその道に入って、それなりに欲も持っていて、望み通りの場所にに立とうとしていたのに。
今なら山は登ってみないとそこから見える景色は云々・・・と思ったりしますけど、
当時はそんなことわかりませんでしたし、死の理由は今もって謎とされています。

好きも嫌いもなく、正直何故人気があるのか全然理解できませんでした。
ただ、わたしは岡田有希子 というひとに何か違和感を持っていました。
何か変、どこか変。だけど一体どこが変なのかどう変なのか説明できませんでした。
同じ教室に彼女を嫌いないわゆるアンチの子がいたのですが、嫌っているのに、
彼女の出ている番組をチェックして、ちゃんとドラマとかも観ていて
毎日飽きもせず、悪口、(といっていいのかわかりませんが)熱く語っていたのを覚えています。
席が近かったので聞くともなしに聞いていたのですが、どうも彼女のその悪口が
わたしの感じている違和感と重なるところがあって、内心おかしくなって笑いたくなる時もありました。
嫌いと言いつつ、その違和感に引きつけられて、目が行ってしまう。
ちょっと不思議な魅力があったのかもしれませんが・・・。

だからと言って特別な感じは全くしない印象でした。
わたしの周りで彼女のファンを名乗る人は仲よしだった男の子が1人だけでした。
彼はアイドル大好きさんで、松田聖子の大ファンだったのですが、確か当時結婚したばかりで
活動が控え目になっていた頃だと思います。
そんな彼が次に見つけた『聖子ちゃん』の代わりが岡田有希子でした。
コンサートに行った彼は、どういう経緯だったかは覚えていませんが、
運良く本人と会うことが出来て直接お話したそうです。(こういうところ、当時は緩やかだった)
その時の服装とか帽子とか(タータンチェックとかいってなかったかな?)彼女がどんなにかわいいか散々聞かされました。
ほとんど覚えていないけど今のように携帯電話がある時代でもないのにわざわざ電話で
『あのこは本当にかわいいよ』といった声のトーンを今でも覚えています。
しかもアイドルなどに全く興味のないわたしを相手にですから、よほど可愛かったのでしょうね。

特別美人というわけでもなく、歌も格別に上手いわけでもなかったし、個性的でもなかった、
松田聖子をブリッ子の王道としよう。中森明菜なら歌いっぷり。小泉今日子の圧倒的個性。
ファンなら語れるのかもしれないけど、確かに岡田有希子を説明せよといわれたら、
その友人の言葉を借りて『可愛い』と答えるかもしれません。

彼にとっては手を伸ばせばもしかしたら届くんじゃないかって感じの可愛さで、
悪口を言っていたクラスの女の子にしても、ちょっと頑張れば、自分もなれそうな、
そんな当時の平均的な体形の普通の可愛い女の子っぽさが魅力。
磨かれていく最中で、わたしたちはその過程を見ていたのかもしれません。
完成をみることないまま。

現れた時は空前ではないけど、その去り方は一定の年齢層に絶後の印象を残しました。

                                   つづく

いい曲は歌い継がなきゃ/Paul Young 3

2009年02月05日 02時19分14秒 | 音楽
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です

Wherever I lay my hatですが、そもそもどなたのカバーでしょうか?
多分Marvin Gaye さんではないかと思うのですけど、今の今まで一度も聴いたことがありませんでした。http://www.youtube.com/watch?v=SEoTO6C_MLM これ聴いて驚き。
切なさが足りん。こんな明るい曲だったっけか?
曲調も速くて、Paul Young が6分近くかかって歌い上げるのを、たった2分10秒余りで歌っちゃっています。http://www.youtube.com/watch?v=t27etzk6eH8&feature=related あえて曲のみ ロングバージョンかも?
実はプロモーションビデオもYouTubeにはあったんですが、今まで一度も観たことがなくて、
このストーリー仕立てブロモの初めと終りに違和感がありました。
どう言っていいのか・・・ポール・ヤングらしくないとでも言えばいいのかな。
この曲については、というか、どの曲もそうなのですが、単なる好みの問題で評価させていただきます
ポール・ヤングの方を聴き慣れてしまって、(それも長いこと)この曲はこんな調子だ、
と思っている自分がいるのでポールに一票。 

Oh Girl多分原曲The Chi-Lites  
これは初めのピアニカみたいなところからアレンジも変わらない気がします。
他にもカバーしている人はいますけどその中ならわたしはポール。最近でもよく聴きます。

この方を語る上では絶対忘れてはならないEverytime You Go Away
これは言わずとも知れたDaryl Hall & John Oates のカバー
ホール&オーツのカバーってことは有名でしたが、80年代のあの頃、
大して好きでもない彼らのレコードを買って聴き比べようなんて考えもなく、そんなお金もなく、
80年代も終りか、あるいはすでに90年代に入ってだったか?小泉今日子が学校の先生の役か何かで、
ドラマに主演していて、音楽を聴きながらの入浴シーンで、覚えのある曲が流れていました。
その時自分の知っている、つまりポール・ヤングとは違うなあと思って、
あそうだこの曲はホール&オーツのカバーだったんだって思い出しました。
(ただし、それがH&Oかは不明。多分そうだと思うけど)
その後、少し余裕も出来て聴いてみました。ホール&オーツのEverytime You Go Away
うん、そのあとしばらくそればっかりかけた記憶があります。
http://www.youtube.com/watch?v=PAnZ_mTUP1cDaryl Hall & John Oates
アレンジもシンプルで、ゆったり入浴タイムにぴったりかも ただしせっかちな人には不向き
http://www.youtube.com/watch?v=hlhC57J4x94ちなみに去年よく聴いていたCLAY AIKEN  
また全然違った味わいですわ
Paul Young のアルバムバージョンの間奏が始まるまでの飛行機の音からの部分、
あそこはない方がわたしはいいと思うのですけど。

What Becomes Of The Broken HeartedオリジナルはJimmy Ruffin
http://www.youtube.com/watch?v=8zCz8SKmGek

オリジナルにケチをつける気はないのですけど、いろんな人がカバーしていてそれぞれに
みんないい味を出していて書きたいことは一杯あるのですがほんの一部、まずは、
Paul Young はこちらhttp://www.youtube.com/watch?v=o2_k-SoZnwE
なのですが、Joe Cocker なんかもよく聴いてました。
でもこの曲に関しては、大好きなBoy George がソロになっての二枚目(わが国)で歌っていまして
http://www.youtube.com/watch?v=0MLaBYZ9Gpk&feature=related
振られちゃってどうしょうもなく、『街を彷徨っている感』がダントツ。

余談になっちゃうけど、在りし日の、しかもまだ太っちょのLuther Vandross's と
85年にアポロシアターで競演しているバージョンは秀逸。あくまでも噂でこの時いじめられたみたいな話を聞きましたけど、
そのせいなのか、心なしちょっと元気のないお疲れ気味な感じが、『やりきれないよ感』が滲み出ていていいのです。
ここには載せませんが興味のある方はLUTHER VANDROSS & BOY GEORGEでご堪能ください 
ジョージは当時のLUTHER より重くなっているかも いまならきっと貫禄で歌い上げちゃうかも

Paul Young バージョンは初めのイントロの部分で「マダムヤーン」この意味、わかる人はわかるはず
みたいな感じで、彷徨っているのはアジア地域って感じですね。わたしにはすごく新鮮な感じでした。

前回、Paul Young は優れたシンガーだということを書きましたけど、
いい曲を優れたシンガーが歌うってこれ以上ないすばらしいことです。
いい曲が歌い継がれるのはこれまたすばらしいことですし、聴き比べるのもまた楽しいのです。
美空ひばりだっていろんな歌手が歌っていますよね。また美空ひばりかい

わたしの愛する80'Sソングの数々もカバーされて時に喜び、時に批判したりしつつ
楽しんでいます。
Paul Young のようなひとに今後もまだ知らない過去の曲を教えてもらいたいな。

最近ややブルーな心持ですごしているので、いつも以上にまとまりないけど、
もう寝ないと・・・・