前向きな人生の整理整頓

人生も後半、一日が短いです。明日やると思っても、若者のようには明日はたくさんないのかもと気づいた今日この頃

席に座り続けた後の自由/尾崎豊2

2009年05月31日 00時28分26秒 | 音楽
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です


どうも調子が悪かったり、クッキーを消したらIDがわからなくなったりして、( 馬鹿なわたし )
ずいぶん間があいてしまいましたが、わたくしごとから・・・はじめます
窓を開け放って、五月のさわやかな風を呼び込みながら古いロングスカートの裾上げ。
BGMはミッシェル・ポルナレフ。風に乗って鶯の鳴き声が聞こえてきます。今年は初めから上手に鳴いていましたっけ。
あーこんな風を感じて、自然に耳を傾けるのも悪くない・・・。あれれっ、わたしってこんなだったっけ?
わたしは田舎育ちのせいか、周囲にいくらでも、どこまでも田舎があるので、わざわざキャンプに行ったり、
山に登ったりする人の気が知れず、アウトドアは好きではありません。いや、はっきり言って嫌い。
それでもって、鳥の声なんぞ騒音にしか聞こえないタイプの人間でした。自然恐怖症みたいなところがあって、
将来はまた都会に戻るつもりでもいました。

まあ、きっかけになったことはここでは割愛。されど、あるきっかけにより、四季のある国に生まれて、
時々の自然の声、色、風などを感じてそれを楽しみ、愛しむ心が芽生え、それによって心救われることも知りました。
先日、以前なら、闇に飲まれていくようでワクワクしていた夜の街を歩いていて、どうも居心地の悪いものを感じました。
これらを総合してつくづく人っていうのは変わるものだなあ・・・と自分の中で不変であるはずであったものが、
意味を失っていく寂しさを感じつつも、それをしっかり認めたとき別の喜びと寄り添っている自分に気づき、まあ、いいものだと思うのです。

色々書きたいことがあるので、話が脱線する前に導き出したい答えを先に書いておきたいと思います。

人は変わるということです。でもそれは変化とは違って、成長するということ・・・いえ、気づくというのが一番しっくりする言葉かもしれません。

さてさて、またわたしの思い込みを書いてみたいと思います。

元々のわたしがそうなのか、『若さ』の劣化によるものなのか、尾崎豊の叫びが無意味な咆哮にしか聞こえず、
しらけた大人になってしまった自分って、ところで話しは終わっていたかと思いますが、
わたしはどこかで破滅型の人に惹かれるところがあります。尾崎豊がそういう人だったかどうかはわかりません
大胆な振る舞いができない者が見つめる、遠い場所にある憧憬みたいなものでしょうか。
その反面、大人やきちんとルールを守って堅実に生きている人を軽視しているような彼の視線が
どうも受け入れられない気がしていたんですよね・・・17才の地図の後半の歌詞を今聴くとそうでもないのかなあ。
尾崎豊が歌っているようなことはわからなくもないんですよ。むしろよくわかるかも。
でも、そんな自分であることを半ばあきらめつつ、必ずしも肯定はしていないから共感に及ばず。

進学校だったこともあるのですが、高校に入学してすぐさま思い描いていた高校生活と違って、
学校を辞めたいと親に呟いたことがありました。どうせ実行力もなく、辞めた後どうするかも
考えていないただのボヤきだということはお見通しだったのに、意外とちゃんとした答え、
「今は一日がとてつもなく長く感じられるかもしれないけれど、一年後にはうんと短くなるから続けてみなさい」
続けました
ある時、授業中にせっせと空想にふけっていると、先生のこんな言葉が耳に入りました。
「君たちは今そこに座って、こんな授業を聞いても将来は何の役にも立たないと思っているかもしれない」
思っているよ・・・
「・・・しかしね、そこに座っているだけでいい 一時間そこに座った、それに耐えたということが
将来の君たちにとって意味あるものになる いつか僕の言う意味がわかる時が来る」
よっしゃ、これからずっと座り続けるよ
こうしてわたしはまた思い描いていたものとは異なり、実現したときには裏切られるかもしれないけれど、後のことは考えず、
ただ進学することを一つ目の目標に、そして席に座り続けることをもう一つの目標にして休むことなく日々を過ごす決心をしました。

と、まあ大志を持って高校生活を過ごしていたような書きっぷりですが、よく読めば、よく読まなくても、
わかるように、ごく普通に、生真面目に、誰でもやっているように過ごしたわけです。
盲点かもしれませんが、尾崎豊を好んだ人はこんなふうに平凡に、時には不満も持ちながら、
大人しく席に座っていた人たちだったと思うのですよ。
そして、不満の部分を尾崎豊が代弁して叫んでくれていたのではないかと思うのです。
でも、そういう支持者を彼は叩いて、小ばかにしている印象をわたしは受けていたんです。すまんネエ・・・

しかし、尾崎豊とて、いつまでもハイティーンでいられるわけもなく、10代の心のままには
物事を感じられなかっただろうし、気づくこともあったはずなのに・・・薬物に逃避。だと思う いくら何でも、
興味本位でというような馬鹿な人ではないと思いたい


だから思うのですよね。尾崎豊自身が、そんな自分を「かっこいい俺だぜ」と思っていたのか?
自己嫌悪とかなかったのかしら?って。多分あっただろうって。

でね、もうひとつ推論。彼は自分の弱さを単に歌っただけよ。本当、ただ自分の心を歌っただけよ。
『なーんだ、ダメな奴だなあ・・・でも、そんな不満ならわたしだってあるよ』
これが、彼のファンに求めていた反応なんじゃないのかなあ・・・。神様みたいに言われりゃ苦しいよ。

そして、「カリスマとか何かの教祖みたいにみんな言うけど、全然そんな俺じゃないんだぜ」という
尾崎豊なら、それがほんとうの尾崎豊だったならば、案外好きだったかもしれないと思うのです。
多分、聞かれてそんなに考えなければ『尾崎豊?あんまり好きじゃないなあ』と答えると思います。
それはよく考えると、彼や彼の音楽が嫌いというより、その扱われ方が嫌いなんだと思い至りました。

まあ確かに彼の歌唱法や、重苦しいメロディ、作文みたいなちょっと字余りな感じのする歌詞は
わたしにとっては耳障りのいいものではありませんでしたけど。
だから、どこかで流れていたりの偶然以外でちゃんと聴いたこともないので、
かなり誤った解釈をして、かなり飛躍したことを書いているやも知れません。

卒業して思い出以外残るものがあるとしたら、『耐えてみる』という試みによって
『気づく』を知るのもその一つだと思うんですけど。
実際、同じ『卒業』を歌うのも、若い尾崎豊と晩年?の彼と聞き比べて、後の方が数段良かったですよ。
自分の中に間違えをみつけたり、ちょっぴり寂しげにも見えたり、諦念という人もいるのかもしれないけど、
刺々しさが消えて、ツッパリ棒を外した彼は同じ歌詞を歌うのに不思議な優しさを感じました。
『支配』とは歌詞を作った時とこの時では彼の中では異なるものになっていたようにも聞こえます。
これなのですが、いつ頃でしょうねhttp://www.youtube.com/watch?v=Phx4y8xhhlg

わたくし、今までも、これからも尾崎豊を愛聴することはないと思います。
しかしですね、これだけは自信を持って言えるんだなあ・・・
偶然、河村隆一が I love you を歌っているのを聴いたんですけど、
また、他の人が尾崎豊をカバーしたのを耳にすることが、極たまにありますが、
尾崎豊の曲は尾崎豊が歌うのが一番いい。正解でしょう?彼の心を歌うのは彼が一番でしょう。


Arlo Guthrie が古い映画で言っていましたうろ覚えです
嫌なことをしないのが僕の人生。その嫌なことから逃れることができたと思ったら、
今度は何をしていいのかわからない。耐えることのできた人にしかわからないことがある

と、席に座り続けることの意味は人それぞれ違うでしょうし、答えもしかり。
でも、逃げて得た自由は(something wrong)何か具合が悪い。やり遂げた爽快感、
自分の中で自分をとがめる気持ちがないことをわたしはひとつの自由と感じ、ひとつの自由と呼びます。
いつかわかると仰っていた先生の年をそろそろ追い抜いての、わたしなりの解釈かな・・・
尾崎豊の言っていた支配とは意味が異なるのかもしれないけれど、彼も自分の心からの解放を
どこかで感じ始めていたのではないでしょうか。

実に長くなりました。もうお気づきでしょうが、これは尾崎豊を非難するために書いているのではありません。
逃避癖のあるわたし自身への覚書として書き留めておきたかったことです。

でも一つだけ年寄りとして、非難させてもらうよ、豊くん。それはあなたがいないことです。
わたし自身10代の頃に大好きだった人たちが、様々な変化をとげていて、がっかりしたり、
胸が熱くなったり、時の重さを感じたりと色々ですが、そういう思いを包み込む
一番大きな思いが活動を続けてくれていることに対する喜びです。
尾崎豊はもう二度と誰かをがっかりさせるようなことはないけれど、40過ぎの尾崎豊が、
20代、30代を終えて気づいたことを歌ってくれないことが、ファンだった人は本当に残念でしょうねえ。


話を前回の冒頭に戻して、デビュー当時の吉川晃司はきっとアイドルみたいな扱いに対して、
いくらかは忍の字でいたと思うのです。
そこを耐えたから、やりたいと思って計画してきた方向を向いて、
今は気持ちよく進めているのではないでしょうか。
山登りの嫌いなわたしが言うのもなんですが、自分に対する厳しさを道連れに
耐えた者、登った者だけが見ることのできる頂上を目指して精進している印象を受けました。
尾崎豊が無計画だったかどうかはクエスチョン。
ifは決してないけれど、もしがあるなら、道の途中で計画をたてることもあったはずです。

と、ここまでで、それこそ無計画なわたくしの思い込みによる話は終わります。

この先は思い出の中のくだらないおまけ話

就職して間もない頃だったでしょうか?職場に或る特徴のある電話が時々かかってきました。
その特徴については書くことができませんしかし、その電話の主が名指しする人物は運悪く、いつも不在でありました。
あるときの会話、
「○○×さんからお電話がありましたけど、○曜日はいらっしゃらないとお伝えしてよろしいですか?」
「ああ、○××さんね。お会いしたときに○曜日はいないと言っておきます」
「○××さんでしたか・・・」
わたしはいつもその方の特徴ゆえに名前を聞き間違っていました。そこで、その特徴の理由を教えていただき、納得。会話は続きました。
「○××さんはさんのなんですよ」 詳しいことは書き控えます
 の  をなさっていてね・・・」 「 の ですか?」
「そう、でも今度ねもっと若い・・・何ていう人だったかしら、Kさん(わたくしのことです)ならご存知じゃないかしら、素敵な方よ 」
と、わかりづらい会話ですみませんが、その若い素敵な方と新たに仕事を始められることをはうれしく思っていらっしゃるようでした。
そして、上品な言葉の中に登場する『素敵な方』の特徴を繋げると、その人物が尾崎豊ではないかという結論に至りました。
「そうそう、たしか尾崎豊さんでした」 このとき写真集か本がどうのこうの言っていたような気がするようなしないような
目の前にいる年嵩の美しく、穏やかな人の語る人物と、わたしが勝手に抱いたイメージの乱暴者の、
暴れ者の尾崎豊との隔たりが大きく、別人。実際に乱暴者で、暴れ者だったわけではありません
尾崎豊よりの方に幾分興味があったわたしですが、ならば、尾崎豊ファンの友人のために
いつか、ライブでもあればチケットをお願いできないものだろうかなどと思ったものですが、
尾崎豊の経歴を見てみるに、それはとても短い期間だったようです。

しかし、考えてみると声しか知らない人から数人を介在して、わたしにとっては
尾崎豊が一番身近にあった瞬間と言っていいのかもしれませんね。
それから600日も彼はこの世界にいなかったのですから・・・   Fin

吉川晃司と尾崎豊/尾崎豊

2009年05月20日 20時35分18秒 | 音楽
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です


先週か?先々週の土曜日。NHKの番組を何気なく聞いていると、吉川晃司がデビュー25周年にして、
やりたいと計画していたことの半分もまだできていないという風なことを話していたかと思います。
彼が世に出てきた当時、顔はかっこいいのかどうか正直わかりませんでしたけど、
やっていること、見せてくれることがかっこいい人だなあと思ったものです。
というか、当時はミュージシャンというより半ばアイドルみたいなちょっと中途半端な立場にあって、
おそらく本人の意向は違っていたと思うのですが、アイドル扱いされることとうまく融合して、
それまでの歌番組の世界にはない、新しい世界を見せてくれるタイプだったと思うのです。

そして、ふと思いました。25年も前から計画を持ってやってきたなんてすごいことよね。
ん?はたして尾崎豊はそのような綿密な計画を持っていたであろうか?

     時は25年遡ります 思えば、尾崎豊が生きていたのに迫る歳月です

ある時、友人に借りた雑誌だったと思うのですが、吉川晃司と同じ年で、身長も同じくらいで、
尾崎豊というイカした奴がいるというような記事があって、吉川晃司自身の尾崎豊との遭遇、
奴には負けたくない、という意識みたいなことも書かれていたような気がするんだけど・・・
何か夢みたいにぼんやりしていて、暗い印象の記憶であてにならん
まあ内容はよしとして、この時まで尾崎豊なんて名前も聞いたことがなかったし、この時点では
どんな歌を歌うのか、どんな容姿をしているのかもわからず、ただ長身の人を思い浮かべていました。
でも、とにかくすごいヤツだということだったので、まだわたしの中に存在していた
新しい物好きの軽薄な好奇心が騒ぎ出し、尾崎豊の捜査が始まりました。

程なくして、ある漫画を読んでいたら、17歳の地図だったと思うのですが、尾崎豊と書いてあって、
ああ、これがあの噂の尾崎豊の歌詞かあ・・・と読んでみるも理解不能。わたしが馬鹿なだけかもしれないけど

段々と尾崎豊の全貌が明らかになってくるわけですが、80年代のファッションといえばゴテゴテして
わたしは嫌いではないのですが今となっては自慢できるものでもありませんけれど、尾崎豊はといえば、
とてもシンプルな装いで、素敵ですけどね当時の基準で言えば、ファッショナブルではありませんでした。
人それぞれ好みはありましょうが、顔だけでどちらか選べというなら、吉川晃司の顔の方が好きですし、
単に歌っていることも、歌い方もわたしの肌に合わなかっただけのことですが、
どうしてあんなに騒がれたり、崇め奉られたりするのかが全然理解できませんでしたね。

大体、当時はまだ出来合いの歌を歌っていた吉川晃司と比較すること自体が違う気がするなあ・・・と、
もう誰だか覚えていないけれど、わたしに無駄なエネルギーを使わせたライターを恨み、早々捜査終了。

尾崎豊のことを時代のヒーローみたいにいう人もいるけれど、わたしはそうは思わなかったなあ。

わたしの尾崎豊像は、自己管理が苦手で、反抗っていうとかっこいい気がするかもしれないけれど、
我慢が足りず、愚痴っぽく、嫌なことから逃避する不満の多い人。 歌詞からの印象ですわ

詳しいことは知りませんけれど、彼の死もどこかそういう自己管理を怠ったことによる
印象と連結して考えてしまうんですよね・・・。

でも、人間みんな心の中のイライラを爆発させたい願望もありますから、
それを押し通して、成功してたことをみんな崇めたんでしょうか?
わかんないなあ・・・。そもそもわたしの彼に対する印象そのものが誤りかもしれませんしねえ・・・。
所詮わたしは、行く先も決めずに、バイク盗んだり絶対しませんからねえ・・・乗れないし

実のところ、わたしも学校が嫌いで、管理されることも嫌いで、我慢も足りないし、
どちらかといえば、尾崎豊に共鳴するタイプじゃないかしらん?と考えてみたりもするので、
わけもわからず書き散らすのはいかんと思い、25年前の捜査以来、
17歳の地図を聴いてみることにいたしました。

これなんですけど  http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=SJqIHUEfhL0
彼の言っている『自由』って一体何なのだろう?『偽善的恋愛』?そんなのあるんんだろうか?
偽善という時点で恋愛としては成り立っていないような・・・変な言葉。
『俺たちが何とかするって・・・』何をどうしたかったの?今が17歳だったらなら、理解を示せたのでしょうか?
彼はわたしより年上でしたが、とっくの昔にそんなの追い抜いてしまっている今のわたしには
ガキの戯言にしか聞こえないのですよね・・・・

んーいかんいかん、これじゃ子供の話をまともに聞こうとしない大人です。
すっかり、彼が嫌っていた『大人』というのに成り下がっているようですなあ・・・いやいや、
こんな、荒捜しみたいなことを本当は言いたいのではないので後日に続きますが、

こういうことを言う大人に対して、確信を持って説得力ある反撃をしてくれる、
40過ぎの尾崎豊に、ここにいて欲しかったと思うんです。
「貴方の言っている自由は何?」と問うわたしに対して、自信を持って答えて欲しかったのです。
だってぇ・・・の尾崎豊だったら、「自由っていやぁ自由だよ そんなもんもわかんねえのかよ」
とかいって誤魔化されそうに、ただ尖がってるんだもん。怖いよ。

本日の締めとして、
そういう凶暴というか、乱暴な感じは10代だったとしても到底受け入れられず、
誰かの作った絵空事を歌っていた吉川晃司の方がスマートに感じられて、
当時のわたしの好みには、幾分か合っていたという気がします。
二人は仲良しだったそうですね。

                                         つづくよ・・・



香りに纏わるエトセトラ/PSSST!2

2009年05月13日 00時54分33秒 | 美容・健康
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です


連休中しばし、家を空けていたのですが、街ですれ違う若い女の子の香りは、
フルーツ(ベリー系)やバニラ、ココナッツといった甘ったるいものが多い気がしました。
バブル期に街を歩くと、プアゾンの香りによく出くわしましたが、香りにも流行ってあるんですね。

今、街に蔓延っている若い子たちの香りは、考えてみると過去には存在しなかった香りのように思います。
残念ながら、わたしの嗅覚にはバブル期のプアゾンと等しく好ましくない香りですけど。
ちょっと余談ですけど、プアゾンの女達とベリー、バニラの女達は時代は違えど、同じ年頃かと思われます。
そう考えるとプアゾンの女達は老けてたなあ・・・プアゾン自体も老けたマダムぽい香りだね。愛用者の皆さんごめんね。

そんなわけで、嗅覚くらい極端に一人、一人の感じ方が異なる感覚もないのでは?

でもね、でもね、確かめようがないことをいいことにここで断言致します。
PSSST!/ シー のコロンの香りで不快感を抱く人は一人もいないと思うのです。

誰かが言っていました、愛する人に、自分の香りはこれなのだ!と記憶してもらえるように、
女の子は生涯でひとつの香りをまとうのがよいと。できることならばシーを生涯のひとつにしたかった・・・

資生堂にビバーチェという製品があったのですけれど、黄色とピンクの瓶のみの時代だった頃、
そのどちらかがシーに似ているかもしれないと思ったのですが、ブルーだかグリーンだかが加わった頃、
お店で試していてどうも香りが違う気がしました。それで首をかしげていると店員さんがやってきたので、
「以前とどうも香りが違う」と言ってみました。すると「そうなんです」と・・・「すごくいい香りでしたよね」とわたし、
「すごくいい香りでした」と店員さん。以前と同じつもりで買って、香りが違うので使用しない人もいるとのこと。
是非とも以前の香りの復活をと頼むと、同年代の店員さんは理解が深く、メーカーに伝えますとのことでしたが、
なんのなんの、その後ビバーチェ事態がなくなってしまいました。

20代前半は、すごく背伸びしていたので、シーのようなさわやかな香りからは遠ざかっていて、
成人して初めて出会ったのはキャシャレルのアナイスアナイス( CACHAREL / ANAIS ANAIS )でした。
そしてもっと背伸びして、エルメスのカレーシュ( Hermes / Caleche ) を結構長く使っていました。
人によってはおばさまっぽいという人もいますけど、品のいい香りで、特にラストノートがせつなくて、
せつない恋を思い出します。 これぞ、プルースト現象か

で、時は過ぎ、woods of windsor(ウッズ オブ ウインザー) という英国のブランドで、
ミモザの香りを非常に気に入っておりましたが、ある時忽然とデパートの売り場から姿を消してしまいました。
都会に行けばまだ手に入るのかと思っておりましたが、どうやら日本ではもう買えないようです。
Woods of Windsor のホームページを見る限りでは、それらしき商品はみあたらないので、
イギリスに行っても生産中止で手に入らないかもしれませんねえ。
何でも英国ウィンザー城傍にある建物の屋根裏部屋から発見した覚え書き?
ブレンドの処方のようなものをもとにエリザベス1世時代の香油などを再現しているようなお店だったかと・・・。

ここで、シーに学んだことは、好きな香りに出会ったならば、少しお金はかかるけれど、
纏め買いしておくべし。濃度は濃くなるかもしれないけど  アナイスアナイスも最近手に入りにくくなった気がします

香りとの出会いは、擦れ違うほんの一瞬だったりで、留めている様にあっても
それに対する記憶は実に曖昧なものだし、こうしてもう二度と会えないっていうのは、
人とおんなじで、恋焦がれても縁のない香りとは縁がなく、チャンスと同じで取り逃がしたらおしまい。

それにしてもです、マダム・ジュジュとかクラブのホルモンクリームとかよくもまあ強烈な
マダムの香りのまま生き残っていられますなあ・・・
ああいった奥様系の香りは生き残っているのに、たかだか20年くらいで、わたしにとっての良い香りは、
ラズベリーやバニラの香りに取って代わられてしまいました。

所詮、時代遅れな人間ですよ・・・out of fashion ~♪ そうそう、George 出所おめでとう 

余談ですが、もう一度会いたい香りとしてもうひとつ、カオーフェザー のクリームシャンプー
ずっと、ロングヘアーなので生産されなくなるまで愛用していました。これもミモザの香りだったようです。
あと、一度聞いてみたい香り、川端康成の浜千鳥(続・千羽鶴)に出てくる香り。
主人公が妻になった女性に「ゆき子はプリンス・マチャベリィとかいう香水を使っているのか」と問いかけます。
一体どんな香りなんだろうと20代の頃からずっと思っています。想像するに奥様系の香り?
後に確かロシアの王子様がアメリカで作ったブランドPRINCE MATCHABELLI / プリンスマキャベリーと知りました。

ぐだぐだ書いたところで、情報求む
嗅覚、記憶力に自信のある香り好きな方で、80年代初めから中頃まで存在したカネボウPSSST!
に現存する香りで『これが似ているよ』というものがあれば是非、教えてくださいませ。

香りに纏わることを色々書きましたが、いつかシャンプーなどについても書いてみたいです。


自分だけのものを探していた/PSSST!

2009年05月08日 21時31分33秒 | 美容・健康
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です


紅茶に浸したマドレーヌの味が遠い記憶を呼び起こす プルースの『失われた時を求めて』の冒頭ですが、
この書き出しに因んで、嗅覚や味覚などにより、過去の記憶が呼び覚まされる心理的現象のことを
プルースト現象と呼ぶそうです。
マドレーヌと紅茶の味や香りでぐんぐん過去に心が連れ戻されるようなドラマティックな経験はないにしても、
香りや味の中に懐かしさを発見することはありますよね。
そしてその場合の懐かしさは『好ましい懐かしさ』の方が多い気がします。わたしの場合はね

わたしにはひとつ忘れられない香りがあります。
もとい、その香りを忘れられないというより、その香りがすごくいい香りだったことを忘れられないというべきかな・・・。
だってもはやその香りは存在しないし、今嗅いだとしても「あ、これこれ、この香りよ」
と断定する自信はないからです。

これも断定はできないのですが、82年ぐらいからの数年間カネボウにPSSST!(『シー』と読みます)
という若年層向けのラインがありました。
同時期の資生堂が価格や同じ位の年齢層を的にパーキージーンを発売していた頃です。
こちらの方が、CMにジェニファー・ビールスを起用していたり、いきも長かったような気がするので、覚えている人は多いことでしょう

そのシーからコロンが出ていたのですが、実にいい香りだったんです。
フローラル系で、試供品で頂いたのをとても大切にしていました。

当時の中学生が、『香りもの』として使用するのはせいぜい8×4のブルーかピンク、
資生堂のシャワーコロンといったところだったでしょうか。

香るか香らないかの自分にしかわからない程度のごく微量をチョンっと手首に落として首筋につけて
学校に行ってしまったところ、もうすでにラストノートであるにも拘らず、
それに気づいたクラスの子が「いい匂い、何をつけているの」とそれはそれはしつこく聞いてきました。
でも、なぜか教えたくなくて、「さあ、何かなあ?髪の匂いじゃないかなあ」
とね当時使っていたシャンプーや小学生の時から、今現在も使用しているブラッシング・ケア
の名前を出したりして誤魔化しました。ごめんね だって自分だけのものにしておきたかったんだもん
しばらくして、微量を再び学校につけて行ってしまいました。また同じ子が、
「本当にいい匂い、何の匂い?」「だから・・・・」わたしはまたおんなじ返答。
「いいや、違う」と敵。やっぱり・・・
『やっぱり、真似されると思ったら案の定だ』心の声。すぐさま彼女はわたしと同じシャンプーを試したらしい・・・

おしゃれとか流行りものとかに敏感で豊かだったので、もしあのときわたしが『シー』の名前を出せば
すぐに彼女はコロン以外の商品も購入したことでしょう。別のところで聞いた話によると、シャンプーなどもあっていい香りだったらしい

彼女が利用して、さらに広まると何だか大切なものがつまんないものになってしまう気がしたんです。
それに、何事につけても人と同じがいい人もいるけど、わたしの場合は
『人と同じでいたくない』10代を過ごしていました。自分だけのものを探していた頃だったのです。
『人と同じ』になったとたん、わたしにとって輝いていたものが色あせてしまう・・・

多感ですね。振り返ってみると多感過ぎて、自分勝手に色々なことに傷ついたし、
こだわりが強すぎて、いろんなことに疲れていました。もっと言うなら自分に疲れていました。
今考えると面倒くさい奴だと馬鹿みたいに思える部分もあるけれど、
相も変わらず居座って時折顔を覗かせるそういう部分・・・でも、それがわたしなんだな・・・・。

今年のゴールデンウィークはわたしにとっては最悪でした。
一生懸命やったことが ( それもすごーく嫌なことだったのに ) 無為になった。残ったのは物凄い疲労と悔しさと、情けなさ。
傷ついてしまった心を癒そうと、今日はおやつにアールグレーを入れてマドレーヌを食べました。
安物だったからか、外袋ばかりがベルガモットが香り ( それもきつく) お茶にはいまいち風味が足りませんでした。
傷は深く、怒りを含んだその感情は紅茶とマドレーヌの香りでも彼方に運んではくれそうもなく、相変わらずわたしの周囲を旋回しているのです。
自分の心には正直なので、謝ってもらってもその場しのぎに 「 はいそうですか 」 なんて絶対言わないの。
許してもないのにそんなこと言えない。大人気ないと言われても、「 この傷ついた心は暫く癒えそうにはない 」と抵抗を返すしかできません。
と、公の場 ? を借りて宣言しておくからな !


話がそれたところで、もう少しPSSST!については話がつづく