前向きな人生の整理整頓

人生も後半、一日が短いです。明日やると思っても、若者のようには明日はたくさんないのかもと気づいた今日この頃

さよならだけが人生

2016年03月31日 22時17分26秒 | ラジオ
とうとう楽しみだったラジオ、ミュージックプラザが終わってしまいました。
紹介される葉書やメッセージは一様にこの時間をとても楽しみに、大切にしている
ということを感じるものばかりでした。

そして、どこかでまた再び・・・・とみんな思っているのではないでしょうか?
すっきりする別れもあれば、再会に心寄せる別れもあります。

さよならだけが人生とある詩人は言いました。
確かに誰といても、どんなに楽しい時でも、ずっとそこには留まれないし、
こころの片隅にいつも、いつかは別れないといけない日が来るのだという思いが
膝を抱えてこちらを見ている気がします。

その思い故に、わたしは一瞬、々を楽しめない面を持っています。

その思い故に、わたしは人生の断片を無駄にし、大切にできない側面があります。

どこかで永遠を求めているのかもしれません。ないと知りつつ。

ずっと終わらないとは思っていなかったけれど、ミュージックプラザとは突然、
別れが来たように思えます。ふいをつかれたという感じです。

最終回、不思議な縁を感じました。
ミッシェル・ポルナレフのシェリーに口づけが流れたのです。

これは、わたしが中学生の時、初めて自分で買った洋楽のカセットでした。
もうすでに、リリースされて随分たった古い曲でした。(当時の感覚で)
ある番組で紹介されて、一度で好きになった曲でした。

DJの矢口清治さんは言いました。
1969年の曲だけど、番組が始まったときにこんな曲を紹介していきたいと思う、
というような話しをしたと。

中学生だったわたしが、この曲を知った時の様に、若い世代の人たちが、
どこかでこの番組を聴きながら、古い曲の中から、自分にとっては新鮮な曲を
見つけたかもしれません。
そういった役割を担っていた番組だったとつくづく思いました。

さよならだけが人生かもしれない。
でも、同じ時間に別の場所で、ラジオを聴いていた人たちと、
滅多になく思うのです。また会いたいと・・・・
孤独しか財産のないわたしが。




クヒオ大佐じゃないよね/ショーンK

2016年03月17日 23時30分00秒 | ニュース
ショーンK氏の学歴詐称ニュース驚きでした。
初めてこの方を朝の情報番組のコメンテーターとして見たとき、
なんか作り鼻をつけているのだろうか?と違和感を覚えました。
スポーツか何かで、鼻を折って手術でもしたのかな?
スポーツマンに見えたので勝手にそう決めました。

コメントはさっぱりしていて、当たりさわりなく、まあ的確な感じで、
礼儀正しく、わたしとしては、好印象のひと。
色々な都合があって、その番組を観なくなったので、最近はお見掛けする
こともありませんでしたし、どんなコメントをその後していたのかも知りません。

大変な経歴の持ち主ということでしたが、それらの全てが偽りということに、
本当に驚いたし、よくも今までどうにかなっていたものだということが驚き。

ひとは過去の自分の形跡を消し去ることってできません。
絶対昔の自分を知っているひとがいます。
そういう意味でいつも落ち着かない日々を過ごしていたことでしょう。

わたしがすぐに思ったことはまるでクヒオ大佐みたい。
まあ何かを騙し取ったりはしていないけれど、自分でない自分を作り出していること
が、あわれで、せつなくもあります。

最近昔の知り合いのブログを見ることがありました。
とても頑張っていることはわかるし、わたしも見倣いたいことがたくさんありました。
本当にわたしも頑張ろうとやる気をもらった気がしています。

元々、華やかなひとでしたが、益々キラキラ☆彡しています。
反面、そのひとを知っているということが邪魔になって、そこに書いていること全てが
全て素のままとしては受け取れず、多少の誇張や演出も見え隠れするのです。
まあ、この人の場合は嘘は書いてないと思います。
よく言えば、悪いところは書いても面白くないし、悪く言えば、格好つけて、
いいとこばかりが見える書き方です。

そして、それもいいと思えました。
公的にはそれでいいのです。
ショーンさんの場合もそれがエスカレートしてしまって『自分はそういうひと』を
ちょっとやっているうちに大きくなってクヒオ化してしまったのかもしれませんね。
でも、過去の自分を消し去ることなんてできません。経歴とは重ねていくものです。
わたしの知人の場合はその重ねたものがすばらしいと思うので、見倣いたいのです。

ショーンさんは、クヒオ大佐の様に結果的にひとの心を傷つけてはないよね?
どうかな?


いつもこころに青空を

2016年03月15日 18時32分56秒 | TV番組・CM
先日、楽しみにしていることについて書きましたが、今、毎日楽しみにしている
テレビドラマがあります。
BSで放送されているドラマありがとうの第一シリーズ<警察官>です。
結構な年なので、生まれてはいましたが、リアルタイムで観るのは少々無理でした。

第二シリーズのありがとう<看護婦>は、学生の頃再放送を観た記憶があります。
その頃はバブル前夜~バブル全盛期だったと記憶しておりますが、記憶違いの可能性もあります。
しかし、まあそのような上向きの風に乗っていた頃だったもので、まだ終わっていなかったかもしれない
昭和の風味を古臭く感じ、トレンディドラマというのに心奪われていた頃でした。
人って感じ方が時によってずいぶん違うものですね。
昭和も終わり、平成になって二十余年の今、劇中に出てくる小物までつぶさに見つめて楽しんでいます。
生活の中で、そういった物も人も趣があって、季節を大切にしていて、豊かではないけれど、
きっちり生きているのが美しく、青空のように清々しい。

プロデューサーの関係か、渡る世間シリーズを想像して、熱心に観る気はなかったのですが、
はまりにはまっております。渡る世間のような意地悪がないのがいいです。
あれはとても苦手、書き手が余程意地悪なのかと思ってしまう。
韓国ドラマと同じで最後まで観ることができないのです。

てっきり『ありがとう』にもそんなイメージを持っていたので損しました。
初めから観ればよかったなぁ。

で、この中で特筆すべきことは、主人公、光を演じる水前寺清子の歌唱力のすごさです。
何を今更って言われても、すごくすごくかっこいい。ロックです。こころが揺れます。
水前寺清子 ありがとうの歌 高音質0:45~0:58辺りこころが遣られました。



もうひとつは、その光の恋のライバル雪乃役の佐良直美の美貌です。
この方は80年代色々ゴシップがあって、芸能界から距離をおいてましたが、
時折、動物の番組などで見かけますね。

昔のイメージはとにかく、ボーイッシュで、教養もあって知的な優等生。
司会もそつなくこなし、言うまでもなく歌が上手な歌手。
当時はロングヘアの似合う麻丘めぐみのようなお姉さんに憧れていたので、
男っぽい感じのこの人をちゃんと見ていなかったのでしょう。

何を今更って言われても、大変な美人さんではありませんか。
色白の肌、優し気な目元、すっとした鼻梁、かわいい口元、品のある顔だちです。
ショートカットで丸出しのはずなのに、このヘアスタイルが彼女の美しさを隠していました。

だけど、だけどねこの『ありがとう』もあと少しで終わってしまうのです。

楽しみを更に探さないと。いつもこころに青空を持つためにも、只今わたしの楽しみ募集中です。

必ず元気でいたいけど

2016年03月14日 17時27分43秒 | ラジオ
万年悩みを抱えて生きているけれど、日々只々憂鬱とやる気のなさ、
いえ、憂鬱故のやる気のなさの中で、一日を終えるのは嫌なものです。

もはや、死ぬまでの人生整理だと割り切ったつもりの中年期ですけれど、
『楽しみにすること』を持ちたいです。それはとてもささやかでよいのです。
そう、例えばこんな感じの・・・。

音楽が好きなので、週に一度楽しみにしている時間があります。
この時間だけはできるだけ他の予定は入れずに、大好きなアールグレーを入れたり、
インスタントはよして、コーヒーを丁寧にドリップして甘いものをいただきながら
過ごす、唯一贅沢な時間。
以前は気にせず食べていましたが、考えたら、甘いものなんて食べなければ
食べなくてもいい贅沢品でした。健康のためにも週一度で充分なのです。

ところが、このたった一度のささやかな『楽しみ』がなくなってしまうのですって。
夕方四時からNHK-FMのミュージックプラザ、矢口清治さん担当の木曜日は
もう何年もわたしにとって大切な時間でした。
他の曜日も時々聴いていますが、木曜日は必ず聴いていました。

誰しもそんな風に思うこがあるとは思うのですが、
わたしの好きなものはどうしてなくなるのでしょう?
このタイトルで書けばわたし、たくさん、たくさん書くことがあります。
ロングセラーになりたければ、わたしから嫌われることだったりして。

矢口さんは毎週番組の終わりに「必ずお元気で」と声をかけて下さるのですが、
ここをしっかり聴いていなかったり、聞き逃してしまうと
腺病質なわたしは体調を損なってしまうことが案外多いのでした。

四月から何か新しい楽しみを探さないといけませんね。
元気でいたいもの。