前向きな人生の整理整頓

人生も後半、一日が短いです。明日やると思っても、若者のようには明日はたくさんないのかもと気づいた今日この頃

理想の秋の世の過ごし方

2020年10月02日 17時46分15秒 | 昔の話

チェット・ベーカー/Chet Baker のMy Funny Valentineが

深夜ラジオで流れていた。

遠い昔、公演に行ったような覚えがある・・・。

凄く曖昧、まだわたしは十代の終わりだったかもしれないし、

二十歳くらいにはなっていたかもしれない。

 

秋の夜長、と言っても最近は疲れていてお布団に入ったと思ったら

直ぐに眠ってしまうので、音楽を聴いていい気分という

感じではないのだけれど、チェット・ベーカーの若い歌声って結構好み。

いまさらそんなことに気づくのであった。

 

当時はあんまり歌っている印象はなかったなあ・・・

何故、聴きに行ったのかもよく思い出せない😢とにかく昔のこと。

写真より年寄りだなぁ‥なんて思ったっけ?

(多分、五十代だったと思うけれど、失礼)

 

トランペットを吹いていたボーイフレンドがいたけれど、

周りの人の話では恰好ばかりつけて(笑)、あまり上手ではないとか

言っていたっけ、下手かどうかもわたしにはわからなかったけれど...

だから、チェット・ベーカーの吹くトランペットの味もわたしにはわからない。

でも、なんか歌はいいよねって思った。

 

スタンドの灯りだけで過ごす時間に合う。

On the rocksと一緒なら、尚よい。

ステアしないのが我がスタイル。

つまみは、美しい月。

これぞ、理想の秋の世の過ごし方なり。

今夜はどうかな?できるかな?

 


戦争に負けた日

2020年08月17日 17時27分21秒 | 昔の話

75年前の今頃、日本中の人は、どんな気持ちだったのでしょう。

戦争が終わった、ホッとした?これからどうなるのだろう?

 

八月十五日、終戦の日と皆言いますし、

捉え方として、現代人は戦争の終った日ですよね。

でも、厳しい言葉を使えば、敗戦の日。

戦争に負けた日。

負けはしたけれど、傷ついた人、亡くした人、

引き揚げ、抑留、戦争はまだ75前の今頃、

気持ちの上では続いていたと思われます。

 

家を失っても、体の一部を失っても、当時は保障もなく

みんなどんな思いで生き抜いたのか。

それを思うと、今の自分が情けなくて、息苦しくなります。

 

今は、みんなコロナで大変だけれど。

これはいいとか、悪いとかではなくて、

コロナで国に補償を求める声を聞く時、

今の人は、声を上げることができるだけでも、

幸せなことなのではないかと思うのです。

 

よく、先の戦争で尊い犠牲を・・・とか、

当時があったから今があるとか、この時期聞きますが、

75年経った今、若い頃には思わなかった、

意見を言える、訴えることができる尊さを感じています。

 

毎年思うことは、あと数か月早く、戦争が終わっていたら、

いえ、降服していたら・・・と。

そうしたら、多分わたしは生まれていないと思います。

父が別の場所で暮らして、母に会うこともなく、

人間界の片隅で別の広がりが展開されたことでしょう。

 


夢の途中にいる気分

2020年06月21日 23時49分59秒 | 昔の話

2009年に金環食を見るつもりで買ったの、

あれなんて言うの?日食用の眼鏡。

やっと利用できました。もう十年以上前だわ。

曇り空が具合よく、時間になると明るくなって太陽が出てきました。

感動、とまでは言いませんが、堪能。

 

今日、調べ物をしていて、地図を見ていたのです。

わたしが二十歳の時に住んでいたとある場所、

取り壊されて、高級なマンションが建っていました。

暫し、唖然・・・。

と、いうのも、取り壊されるほど古い建物ではなかったのですよ。

グーグルマップで、当時散歩していた場所をしばし、、散策。

結構建物は変わっていましたし、お店も。

きっと住んでいる人も変わっているのでしょう。

三十年の時は大きいです。

 

真っすぐ進むと、○○○通りにぶつかる道。

そこに大きなお屋敷があって、いつもしみじみ眺めつつ、

沢山、夢を見ていました。

一体どんなひとが住んでいたのでしょう?

そのお屋敷ももうありません。

これから出会うであろう人、邂逅するであろう事象に思いはせて。

今はもう、夢見ることもなくなりましたが、

いや、まだ夢の途中にいるようなそんな気持ちかな。

 

はぁ~タメイキ。

実は今とんでもない困りごとが起きていて、逃避タイムでした。


loveと刻んだ若者は今?

2020年01月12日 00時16分21秒 | 昔の話

先日、とある手術を受けました。

まだ良くなっていないので、このことについては後日改めて。

通院ではわたしは車を使わないので今回も電車で。

実際、自分で調べ知った内容よりハードな展開になって

帰りは運転が難しかったと思います。

 

電車の中ではほとんど高校生や大学生はスマホいじり。

高齢の人は黙って座っています。

わたしもその口で、車窓を眺めるのが好き。

 

田舎の電車は都会から払い下げられたようなものや

とにかく、古ーい車両もあってガタガタいっている物も。

むかしは小さなテーブルがついてたのが取り外された後があります。

あのテーブル便利だったのに。

瓶のビールやジュース用の栓抜きもあったね。

今の若者にはわからないでしょう。

洋服や荷物かけは昨日乗ったのにはついていました。

 

窓の枠に昔の高校生?が彫った文字。

59.10.8(月) I love さゆり

きっとこれは昭和59年に間違いない

この日は月曜日でした。

1984年だからざっと36年前、

この頃はまだ昭和が終わるなんて思っていなかった若者。

今頃は五十代も半ばのおじさん。さゆりとはどーなったことやら。

あれこれ物語を考えます。

 

時代は変わり、瓶のコーラもないけれど

こういう車中の過ごし方がわたしは好きです。

スマホ、結局ほとんど使わない・・・

車中で時間を確認しただけ。別に腕時計見ればいいのだけど。

 


電話のこと

2019年10月27日 18時02分51秒 | 昔の話

 時間もありませんが、書くようなこともなく更新をお休みしました。

先日、夕食を食べていたら電話が鳴りました。

固定電話にかかってくるのは大抵がセールス。

子機を取り損なって電話が切れてしまいました。

まっ、どーせセールスだからいいかっ。、用がある人ならば

かけ直してくることでしょう。

 

我が家はナンバーディスプレイは加入していません。

(月々余計な費用は出せません)

 

結局、誰からもその後かかってきませんでした。

 

ふと思い出した大昔の話、我が家に電話をかけてきた人が

話が終わって、受話器をきちんと切らずに上がった状態になって

いたようで、、その後こちらが電話を使いたいのに受話器を取ると、

話し中のツーツー音がしてかけることができません。

 

仕方なしに両親は隣の家に行き電話を借りて、電話局に何とかしてほしいと

連絡しました。

何でも警告音を電話局が相手方に鳴らして、気づかせるシステムが

あるとのことでした。暫くして電話がかけられたので、

相手が気付いて受話器を置いたのでしょうね。

何より、遠距離電話が切れていないと大変なことになります。


その後、何時の頃からか改善されて、

今は相手が切っていなくても、そのようなことは起きませんよね。

まだ発展途上の時期、そんなことがあったのですよ。

わたしがまだ子供の頃のことです。

 

農集(農集電話)と言って、多分一つの電話回線をその地区の複数の家庭で

使用するシステム(と、わたしは理解しているが違うかも)も確かあって、

「〇×ちゃんの家は農集だから中々つながらない」とか言っていた記憶も

よみがえりました。

 

何にせよ昔のことです。

今は高校生でも自分の電話がありますものね。

わたしにしょっちゅう電話をかけてくる同級生の男子がいました。

それを取り次ぐ父は彼がわたしのボーイフレンドだとずっと長い間

思っていたみたいです。大変な誤解、別の人だよ。

こんな誤解も今は生まないね。

 

良いのか悪いのか。すべては昔のこと。

何もかも昔のこと・・・。