前向きな人生の整理整頓

人生も後半、一日が短いです。明日やると思っても、若者のようには明日はたくさんないのかもと気づいた今日この頃

it's you/山本達彦2

2009年07月28日 00時41分22秒 | 音楽
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です


先ず、前回終わりの方で皆既日食と書きましたが、わたしの住む地域では『皆既』を見られるはずもなく『部分』です
専用のグラスを準備していたのですが、雲間からチラチラという太陽の現れ方で専用グラスでは真っ暗。
ニュースなどで絶対駄目だと注意されていましたが、サングラスでよく見えました。


閑話休題
多分、オードリー・ヘプバーン/Audrey Hepburを嫌いな人は滅多にはいないと思うのですが、
  どうでしょうか?     わたしは大好きです。

It's(イッツ)という清涼飲料水のCMに彼女が登場したのは87年の春だったと思います。
いや、もっと前から流れていたのかもしれませんが、それ以前少しの間テレビを観ていなかったもので・・・
映画、ローマの休日/Roman Holidayでアン王女が街の美容院で髪を切るシーンを扱ったCMで、
そのバックに流れていたのが山本達彦、フェアリー・プリンセス/Fairy Princess(it's you )でした。

調べたわけではありませんが、おそらく、あて書きというか、
すでにCMの構成が出来上がったうえで作られた歌ではないかと思われます。
Fairy Princessという言葉が妖精といわれた、ヘプバーンを意味している気もするし、
it's you ~ 君はFairy Princess夢を見ずに入られない~というような歌いだしだったのですが、
"it's you" っていうのが、多分、『君だったのか』みたいな驚嘆を含んだ意味か、
あるいは『いいね、よく似合ってるよ』という意味だと思うのですが、使用されている
髪を短くしたシーンにはどちらの意味にしてもピタッとはまっていましたし、
曲調も軽やかで、春めいた気持ちになれる印象的なCMで、覚えている方も多いことでしょう。
埋め込みができないのでのせることはできませんが、youtubeで見ることができました
しかし、商品の方は飲んだことがないので??どんな味でした?いくつか味がありましたっけ?

わたしにとっては思い出の曲でもあります。
一人ぼっちの上京、「心配ないよ」とは言ったものの、すごく不安でした。
到着したら右も左もわからない世界だ、このままずっと飛び続けていられたらいいのにと
飛行機の中で思っていました。そこに吹いて来た一陣のさわやかな風のような曲。
機内で流れた曲の一曲がそう、あのCMのFairy Princessだったのです。
『ああ、美しい人のままでいてくれ、for me』女性を称えているような歌詞に励まされましたっけ。
『人生という長いバカンス生きるのよ』まるでティファニーで朝食をのホリーみたいだなあ・・・。
クヨクヨしがちな心に不安が加わって重苦しい気持ちでいたのに、心を軽やかにしてくれる
曲調に癒され、不安を振り払ってこの世界でがんばってみよう・・・と思ったのでした。

さらに、空港からモノレールに乗り込むと、例のジュースIt's(イッツ)の大きな広告
微笑むヘプバーンが車窓に流れていきます。


この経験がなければ、前回書いたコンサートの誘いは多分断ったでしょう。
実際、この曲とシージャックを題材にした映画のテーマLast good-byしか知りませんでしたから。
残念なことに、Fairy Princessの演奏はなかったと記憶していますが、
とてもいいコンサートで、他に誘われて断った人に山本達彦氏の素晴らしさを延々と語りました。
行かなかったことを悔しがらせるつもりでしたが、逆に彼女たちの行った合コンに行かず、
ライブに行ったわたしに「どこがいいのか全然からん」とか足蹴にされてしまいます。

そうかあ・・・わたしも行く前はタイプじゃないし、と思ったものね。
ミュージシャンはそれぞれに特有の世界を持っていると思います。
コンサート会場というのは彼らが作り上げる小さな惑星なのかもしれません。
どんなに言葉を尽くしてもそこに足を踏み入れた人にしかわからないものがあるのです。
なので彼女たちに延々語ったようなことをここに書いても仕方ない。
でも、あの日あの時、あの場で沢山頂き物をしたような気持ちになって帰ったのをよく覚えています。
ちっとも邪魔になることなく、今まで持ち続けてきたその中のひとつを眺めています。
それは『思い出』・・・色んなことが思い出されます。時折取り出して眺めるその景色の眺めは極上。
「It's you 何で歌わないんだろう」アンコール前だったかな?後ろの席でぼやいている人がいたっけ・・・これはくだらない記憶

その後は縁がなく、山本達彦さまとはお目にかかることなく今日に至っておりますが、
CDは持っています。昔のものだけど最近の様子は少しばかりネットで知るのみ。
しっとりと大人が楽しめる雰囲気のコンサートの様子はライブハウス規模なのでしょうか?
かつて貴公子と言われた人は昔と変わりなく、どう言えばいいのか・・・上質な印象。
仕事振りは勿論、着る物、身のこなし、自分の流儀を持つ上等な男性って感じです。
こういったわたしの持っている身勝手な印象が似合う年齢になられたかな?
年取ってくるとあれこれ拘るのが面倒になる場合もあったりしますが、
この方は肩肘張って拘っているのではなく、身についていて自然で、余裕のある大人に見えるんです。
ただ、拾い読みしたブログではたまたま病気をしたことが目に留まり、
そこに見え隠れする不安感に胸が痛くなったりもしました。体の方も労わりつつ活動していただきたい。
わたしの知っている曲、持っているCDでは作曲と時に編曲で作詞したものはないのですけど、
ブログには独特の流れがあって、歌詞を書いたらこの人のもっと深い世界が伝わったてきそう。
わたしが知らないだけで、書いているのかもしれないし、音楽作りのみに徹しているのか?
あればどなたか教えてください。

前回も書きましたが、昔のコンサートでの最も大きな頂き物は『夢見る気持ち』
山本達彦は今も尚、女性に夢を見せてくれる人のままいてくれる。
今、Ladyを聴きながらそんなことを思っています。
こう言うと女性限定の人みたいに聞こえちゃうかもしれませんね 男性ファンにはどんな印象の人なのでしょう?

すごく近くでみていても、誰にも独り占めできない、ちょっと遠い感じがいい。
そして自分も襟を正さなきゃ、きちっとしなきゃと言う気持ちになったのを今思い出しました。

わたしの住処ではまだ梅雨があけきらないのですが、雨が似合うしっとりした曲も結構あります。
20余年前に見知らぬ世界に飛び込んだわたしを励ましてくれた曲と合わせて
山本達彦を知らないという世代の人にも聴いてみてほしいなあ・・・・・。

持てる者/山本達彦

2009年07月22日 02時09分27秒 | 音楽
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です


お付き合いで出かけるコンサートってありますよね。
そんな場合、わたしはとてもいい席につけることが多くて幸運なのです。
まあ、お付き合いなので曲も知らないし、興味のないまま最後までということもありますけど、
思いの外、楽しめてしまう場合だってあります。

「知ってる曲は2曲しかないし、全然タイプじゃないけど折角だから行ってみるか」
そんな気持ちで中央のかなりよい席につきました。(ステージからの目線と同じくらいの位置でした)
当時シティ・ポップスの貴公子などと言われていたはず?のその方の登場時点からもうドキドキ、
胸が高鳴ります。

その方の名は、山本達彦。

1954年生まれということなので、そうだなあ・・・その頃おそらく30代前半だったかと思われます。
わたしははまだ二十歳前だった と思う 人と場合によって、その年頃の女の子から見れば、
おじさんに見えても仕方ない年頃だったかもしれません。当時はね
しかし、ステージ上の山本達彦さまは、洗練された大人の雰囲気で、汗を流しても暑苦しくも、
むさ苦しくもなく、MCでは、ポツリとそこにいる女の子達が喜ぶ言葉を漏らしていましたっけ。

わたしは思ったのです。
「きっとこの人モテるだろうなあ・・・美女を侍らせ、夜の首都高をドライブしたり、
一流ホテルのバスローブを着て高いブランデーを飲んでいたりしそうだ・・・」
ずいぶん貧相な妄想をしたものです
実のところ、他に行く人がいなかったので、さほど親しくしたこともなかったわたしを誘った
クラスメイトでしたが、彼女も横で溜息。ちなみに彼女は華奢でお嬢様然として、山本達彦が似合っていた

山本達彦は女性にモテるだけでなく。持てる人でもあるようです。
世の中には生まれながらに洗練された環境にある人というのがいるようで、
Steinwayを弾く人と、もらい物のオルガンを弾いて育った者とでは、努力ではどうにも埋まらぬ
ものがあると思いはしましたが、そういった自分の生まれながらに備わった豊かな環境を
フルに活用して身につけたものによって、ひと時の素敵な夢をみせてくれる人だと思っています。
因みに元々首相の安倍さんと同窓だとのこと。
タイムリーに麻生さんも持てる環境に生まれた人のようでしたが・・・そこから導き出したもので国民に何かを見せてくれたでしょうか
でも、ものすごく主観ではありますが、運はよさそう・・・それにしても暑い時期に選挙ですねえ・・・さわやかに汗かいてみるのか 


話がそれたところで、山本達彦の曲について書きたいことがあるのですが、長くなるので今日はここまで、
皆既日食に備えて寝ます・・・。見れるか見れないかは微妙ではありますが。 つづくよ



再び我が元に/F.R.David

2009年07月18日 00時40分29秒 | 音楽
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です


過ぎ去りし麗しき日々は、再び我が元に返り来たらず アルフレッ ド・テニスン
 まあそうでしょうけど・・・ね。
だけど、だけどあの頃の風、あの頃の思い、あの頃のままに心に飛来することがあるのです。
『あの頃』を連れてきてくれたのは長い間聴くことのなかった曲。

先日、ふとしたことで、とても懐かしい曲を耳にしました。
でも、わたしはその曲を歌っている人も、曲名も知りません。
色々考えてみましたが、口ずさんでいたことを体が覚えているから好きであったことは確かです。
しかし、興味を持てば徹底追求する性格のわたしがそれ以上知ろうとしなかったのは 
残念ながら興味がなかったということになるのでしょう。

ここのところ日々の暑さに体力を奪われています。
そんなわたしの耳に飛び込んできた曲は、何故だか懐かしさと同時に冬の匂いを纏っています。
別に歌っていることと言えば、愛を伝える言葉がみつからんというようなベタベタなラブソング。 だと思う
冬なんて言葉は一言も出てこない。故に、わたしがその曲を聴いていた頃が冬だったのかも。

一体当時どうやってその曲を知ったのか?それが問題。
まあ、答えとして考えられるのはラジオですが、テレビCMのような気もします。
だって、妙に短いフレーズばかりが頭を巡るんですもの。

便利な箱のおかげで、80年代の冬を運んできてくれた曲の捜査は案外容易かった
F.R.David という人のWords Don't Come Easy  82年のヒット曲です。
FR david words


82年というと微妙で、洋楽を少しずつ聴き始めたばかり。本格的には聴いていなかったかも。
だとすると、CMで聴いた可能性も捨てがたい。

少し調べてみましたよ・・・・。でもCMという線は引っかかりません。。
なんか、カップラーメンとかホットドリンクとかじゃなかったっけ?湯気が立つイメージ 似たような別の曲かなぁ
調べ方が悪いのかな?この方の他の曲はCM使用されたようなのですが。

この曲と共にあるすごく懐かしい心の背景、それは幸せな気持ちなのにねえ。
82年はわかっても、その年のいつ頃日本でヒットしたのかも調べがつかず、
単にわたしが『冬』と激しく思い込んでいる可能性も大きいですねえ・・・

そもそも↑のプロモーションビデオも初めて見ましたし、
ぼんやり歌詞を覚えていたことで調べがつきましたけど、F.R.David という人を知りませんでね。
調べによるとフランスの方ということで、あー、だからなのかなぁ・・・・。
英語の得意な日本人が歌っている感じがしないでもない・・・ような聴き易さ。母音が強いのかな よくわからないけど

調査の中で気になったのは、日本を含めた各国で愛されたようですが、
アメリカでは売れなかったという点。
大体、アメリカでの成功が、最も尊いものであると考えるのが間違い。わたしはそう思います。
アメリカ人が世界で一番、いい耳をして、最も優れた感性を持っているわけじゃないでしょ。
この曲を知らずに過ごしているアメリカの人を気の毒に思うし、
まあ、知ってても素通りしてしまう感性とは気が合わないかも。
そういえば、当時、全米チャートより、全英チャートの方が楽しみでした。

F.R.David 過ぎ去りし、麗しき日々を連れ、我が胸に舞い降りたり

そうそう、近年の声も聴いてみましたが、声質もあまり変わることなく、そこが素晴らしい。
この曲以上のヒットはないようですが、他にも聴き心地のよい佳作もみつけました。
これを機に彼のその他の曲を過去に探しに行ってみようっと・・・。
おっと、いつも後ろ向きのわたし 新しいのも聴かないとね

今更ですが音楽っていいですね。
忘れていた心の深い底の方にまで連れて行ってくれて、そこでみつけたものが、
わたしを楽しませたり、幸せにしたりしてくれる。

最後に CM だったならば、何のCM だったのか誰か情報を下さい もっともっと、懐かしがりたいので

運命の人/眺めのいい部屋

2009年07月08日 20時41分33秒 | 映画
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です


七夕でしたけど、今回は運命の人についてです。

「誰にも言ってないけど、運命の人を見つけた」隣の席に座っていた彼女は言った。
「ええっ、運命の人?」彼女の話を聞くうちにわたしはその運命の人が誰だかわかってしまった。
彼女が運命を感じたはずその時、その運命の相手はわたしのすぐ側にいた。
いや、そこには他にもたくさんの人がいたのに、不思議なことに彼がその人だと確信できた。

「多分、わたしはあの人と結婚すると思う」彼女は言った。
なぜだろう、わたしもそれに答えたと思う。その確信は正解だと。
その時二人はまだ言葉も交わしたことがなかったというのに。

確信通り二人は恋人同士になった。
わたしは彼女の話を聞くのが楽しくて、うれしくかった。
『運命の人』がこの世にいると思わせてくれる逸話のように思えたからだ。
ここまでならば、子供のたわごとだ。

別に何があったわけではない、時が過ぎて生活の場所が変わり、彼女とは音信が途絶えた。
わたしは人との関係が長続きしない。時には恋愛を放棄し、時には友情を諦めた。
不思議と気の合った彼女も同じく、そうだったのかもしれない。

さらに時は過ぎた。
ある不幸な事件を介して、わたしは彼女の運命の人の消息を知った。
彼は結婚していた。彼の名前の横には妻の名前があった。
・・・それは、間違いなくわたしの隣の席にいた彼女の名前だった。
ああ、十代の頃に確信したことは現実になっていた。
偶然に、そして一方的に知ることになった事実。それでいい。
あの頃から後の、物語の続きをを知りたいとは思わない。それは彼女の人生だ。
わたしは彼女の隣の席にいたという以上の関係を望まない。

ハッピーエンドで終わった物語の続きは、延々と幸福ばかりではないことを
この年になれば知っている。それが人生。

『運命の人』を信じますか?と誰かに聞かれたらわたしはこの話を取り出してくる。
そして答える、
「いる人にはいるけど、いない人にはいない 信じられるか、そうでないかだと思う 信じたいとは思うけど」
だけど、この世ですれ違うだけでも、それは何らかの運命なのかもしれない。

 ここまでは個人的な思い出話

もうすっかり内容は忘れてしまいましたが、87年『眺めのいい部屋』/A Room with a View
という英国映画を観ました。
旅先で運命的に出会った男女の話だったと思うのですが、身分(階級)が違ったり、婚約者がいたり、
恋愛が成就するのは困難。でも男性は女性に向かって確かこんなことを言います、
「正しい相手に巡り合うのは幸運なことです」
この『正しい相手』という台詞、まあ、字幕を読んだんですけどね強烈にわたしの心を打ちました。

人はあるいは、正しくない相手と誤って暮らしている場合があるかもしれません。
わかっていながら、感じながらもやり通せたなら、それはいつか本物になるのかもしれません。
まあ、そんなこと若い頃には思えませんでしたけどね
破鏡し、軌道修正というのも今の世では珍しいことではありません。

まじめに結婚を考えているんだ、何が悪い、と言われるかもしれませんが、
最近よく言われる『婚活』という言葉にわたしは違和感を覚えます。
はやりのキーワードみたいな扱いの場合には違和感以上の嫌悪感すら感じます。
そういう商売や本など、結婚を煽る社会現象?には気分が悪くなります。
そんな風に世が焦らせては『正しい相手』に会う前に、会う機会をなくしちゃうよ。
正しい相手に巡り合うことはそれだけ難しい時代なのかもしれませんけど。

いつもわたしを助けてくれたある人が、お見合いをすすめられてそれを断った際に言いました。
「まだ結婚する気もないのに、人の顔を立ててお見合いなんかすると、
本当の結婚相手に出会ったとき間違っちゃうからそういうことしちゃ駄目なの」
その方、わたしから見ても納得、というようなぴったりな人と結婚しています。

運命の人、正しい相手、本当の結婚相手と言葉は変えましたが・・・
わたしが何を言いたいのか、それは・・・・・わたしもよーわからん。誰かフォロー頼みます

ついでにわたしが運命の人に巡り合えたか?って・・・・・それはですね、

とにもかくにも、『婚活』って言葉には買い物に行って
マイバッグ はお持ちですか?」そりゃあ、わたしにとってはマイだけど・・・と言われたり、
「最近エコが流行っているから」と環境問題まで流行で片付けられることに似た違和感があり、
婚活、コンカツと乗り遅れたらお仕舞いだみたいな煽りにのって、
『正しい相手』を見誤るでない、ということで〆ます。

そして、「わたしにも運命の相手がいるのかな」などと相手が
「いるに違いない」と肯定するのを期待して質問しないように。
そんな人は眺めのいい部屋でも観て見なさい。なんのことやら・・・・完全にぼやきでした。






『かわいい』よ何処へ/Gremlins

2009年07月02日 21時01分10秒 | 映画
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です


少し前になりますが、女性タレント3人が円高を利用して海外でお買い物をするような
番組をやっていました。ちゃんと観ていなかったので詳細不明 そのような番組だったかと
ここではそんな番組の内容はどうでもよくて、観ていて気になったことなのですが、
3人の内一人は20代で、見る物、見る物全てを「あっ これかわいい~」「かわいい~」の連発。
それにつられてか、年嵩の2人も洋服を見ては「かわいい」靴を見ては「かわいい」
そのうちに全員、便器を見ても、棺桶を見ても、お墓を見てもかわいいというんじゃないだろうか?
そんな勢いと大きな声で「かわいい~」を連発する日本人を見て、
彼の国の人々は「いいカモ」くらいにしか思ってないだろうとうんざりしてスイッチオフ。

ここで悪い癖が出て考えました。「かわいい」って何よ?暫く考えます

後日、年嵩の内の1人が某バラエティ番組で取っている態度が気になり始めます。
念のため、普段、彼女に対して悪い印象は抱いておりませんでした
番組の中で一般人が出てくるコーナーがあって、その人物が出て来るやいなや、
女性タレントは「かわいい~」と声を上げました。
えっ?まだちゃんと顔もよく見てないじゃん。それにそんな大声を上げる程に、
驚嘆する程にかわいいだろうか?ごく普通の女の子ではないか・・・・・。
そんな顔もよく見てもないうちから、とってつけたようなことを言うより、
普通に拍手でもして迎え入れた方が余程好感が持てる気がします。

またもや考えます。「かわいい」って何よ?
かわいい、かわいい・・・・うーんそれは・・・それは、ギズモのことよ。

 ギズモ/ Gizmoが何かを語る前に「かわいい」を辞書で調べてみます。
[1] 深い愛情をもって大切に扱ってやりたい気持ちである。
[2] 愛らしい魅力をもっている。主に、若い女性や子供・小動物などに対して使う。
[3] 幼さが感じられてほほえましい。小さく愛らしい。
[4] 殊勝なところがあって、愛すべきである。
[5] かわいそうだ。いたわしい。ふびんだ。             大辞林

1小さいもの、弱いものなどに心引かれる気持ちをいだくさま。
2物が小さくできていて、愛らしく見えるさま。
3無邪気で、憎めない。すれてなく、子供っぽい。
4 かわいそうだ。ふびんである。                   大辞泉

80年代のヒットムービー(グレムリン/Gremlins)のギズモは大辞林の[1]~[5]、大辞泉の1~4の
「かわいい」の意味する全ての要素をわたしの中では完璧に備えたスーパー可愛い存在であります。
心を込めて言います。「ギズモ、カカ !」 映画を観た人にはわかります じゃなかった、「ギズモ、可愛い
この、かわいいには「愛」がある『可愛い』を使いましょう。
差し詰め、世界でも最近は通用するというかわいいや、女性タレントの言う
「かわいい~」はカワイイとでも表記しましょう。さすれば、わたしの気も少しはおさまります。
そうだなぁ、英国人が使うlovelyみたいな感嘆を表す表現に育ってきているのでしょうか?
そのうち「いいですね」みたいな同意の意味を持ったりするようになるのかもしれないなあ。
もはや、大辞林も大辞泉もわたしの頭も古いのかも知れませぬ。

でもねぇ、心無い「かわいい~」の連発はやっぱりやめてほしい。
タレントなんかで、何見てもそう言っていればいい人に見えると思ってるならそれは間違い。
こういうへそまがりもいて、段々聞き苦しく腹が立ってくる人間もいるんですよ。だから程々にね。

それと何でもかわいいで片付けてしまうせいか、わたしが年とったせいなのか、
最近あまりテレビは観ないけど、たまに観てて、若い女の子がみんな同じに見えて、
次に見ても、きっともうわからないだろうなと思うことがあります。
これも、何でもかんでも「かわいい」で片付けてしまうが故、絶対的な美貌とか個性とかが
脇に追いやられ、言わば、民主的で、平等にどこにでもいるような子に「かわいい~」
というチャンスが与えられているせいじゃないかしら?と思ってしまうのです。

せめて、品物を見て「かわいい~」の前に理由を述べてみるべし。うーんそれも違う気がするか・・・
何故ならば、それは湧き上がる感情のはずだもの。理由などない。
そう、心から湧き上がる「可愛い」を体験したい人は、グレムリンを観るべし。
きっと「かわいい~」と言ってしまうはず。
そのとき心の中にあるものこそが、可愛いという言葉の意味なのであります。

何ともいじらしく、「かわいい」が内包する[5]や4の意味が知らぬ間に飛来。
そして、こう言うのです。きっと、「ギズモかわいい

歌うギズモ         http://www.youtube.com/watch?v=eWTi137wU6w&feature=related
グレムリン2から踊るギズモhttp://www.youtube.com/watch?v=jIwrP1Od0Qw&feature=quicklist
頑張るギズモ        http://www.youtube.com/watch?v=fDiMhsn1upk&feature=quicklist

そう言えば、先日子供の頃のマイケルをかわいいと書いたっけ、小さい見た目だけじゃなくて、
そこにもいじらしさがあった





ただ夢を・・・/Michael Jackson 4

2009年07月01日 02時18分48秒 | 音楽
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です


それ以前にも何度か観たことがありましたが、数年前、ルキノ・ビスコンティ/Luchino Viscontiの
ルードウィヒ 神々の黄昏/Ludwig完全版を観ていたときのことです。
若いころ見た時はだだ、ただ耽美な世界に見入っただけでしたが、この時はルートヴィヒ2世に
ついても多少は知っているつもりでいたので、内容以外の細部に目が行きました。
衣装の仕立ての良さ、色調、贅沢な調度品、ヘルムート・バーガー/Helmut Bergerのマント姿、
ロミー・シュナイダー/Romy Schneiderの黒衣の装い、召使役まで完璧のマルク・ポレル/ Marc Porel 。

確か、リンダーホフ城の洞窟(人工の鍾乳洞)にアヒルいや、白鳥の船をぷかぷか浮かせているシーンを観て、
「こんな人、他にもいたなあ、誰かに似ている誰だったっけ? 」 そうだ、そうだ、マイケルだ マイケルみたいだ。
ネバーランドで子供たちとジエットコースターに乗るマイケルと、人工鍾乳洞でアヒルじゃなかった、
白鳥の船を浮かべてそれに乗るルートヴィヒを重ねてみたことを思い出しました。

浪費、極端に何かに入れ込み、信用できる人がいない、いや、お人よしに信じてみたら、
手痛い裏切りに合う、そしていつしか変わり者扱い、等など。
King of pop マイケルと夢の王ルードヴィヒ2世に重なるものを見たのはわたしだけではないはず。

わたしのよく知っているMichael Jackson は間違いなくスーパースター。
一体いつから「ちょっと変な人」になってしまったんでしょう?
一体いつからあんな不健康な印象になってしまったのでしょう?
個人的にはトレンス・トレント・ダービー/Terence Trent D'arby(最近はどうしてるのかな?)
みたいな雰囲気に見え始めた頃からあれれっ?と思っていたのですが、最近ライブを楽しみにしていて
色々な昔の画像を見ていました。中でも下に埋め込みましたCMのかっこよさに ズキューン 
Michael Jackson on Japanese TVCF "SUZUKI LOVE"


目がきれい 50ccに乗るマイケル すごく健康的で溌剌としている印象
http://www.youtube.com/watch?v=aK2WYNBnU40&feature=related

思えば、報道でも「90年代に入ってからは奇行が目立ち・・・」なんて言われ方をしてます。
確かに、人間誰にでも変な部分があるのと同じ以上に、何処とは言いませんが、
特殊なところはあったかもしれません。
しかしです、いつも奇行を説明する時に出てくるドイツのホテルでの赤ちゃんの一件は
大げさに言いすぎだと思います。赤ちゃんをみんなに見せてくれただけのこと。
あと、裁判沙汰になって近年のマイケルの精神面、経済面を最も苦しめた一件については、
個人的には、判決通り無罪を信じています。
狂人扱いを受け、退位に追い込まれたルードヴィヒ2世。
マイケルもどこか奇人に仕立て上げられていった気がしないでもない。
次第に話題になると「今度は一体何を仕出かしたの」と思いつつ、前にも書きましたが、
何でこんな変なことで取り上げられるばっかりで、歌を歌わないの?と、段々変な人にされて、
「変な人マイケル」しか知らない世代が増えてきて歯がゆく思っていました。
だから、本当に楽しみにしていたんです。コンサート。

まだ、マイケルの死について現実味がありません。
プレスリーが今でも生きていて、たくさんの目撃情報があるというように、
今後マイケルを世界中のあちこちで見かけたという話題が出てきそうな気がします。
自分からも、世間からも逃れて自由になるための大掛かりな嘘なのではないかと思ってみたりもします。

オーストリア皇后でルードヴィヒ2世とは縁続きのエリザベートは彼のよき理解者だったとのこと。
ルードヴィヒ謎の死を受け、彼は決して精神を病んでいたのではない、
単に夢を見ていただけだと言ったそうです。
わたしはマイケルのよき理解者ではありませんが、彼は奇人でも変人でもなく、
ただ純粋にみんなに夢をみせようとしてくれただけだと思えてきました。
死後の報道で、ゴシップ以外にコンサート成功に向けて、一生懸命努力していた様子が伝わって
きたことがこんな時に不謹慎ですがとても、とてもうれしかったたからです。
歌わなくなったマイケルを理解できずにいましたが、報道の様子から本当に
体調が悪かったんだろうなあと今は思います。

みんなを喜ばせるためには、自分の中にある理想の自分でいる必要がマイケルには
あったのかもしれません。それも他の人よりかなり極端に。
年を重ねることで、そういうこととは段々折り合いがつくものですが、彼はそうじゃなかった。
あるいは、深みにはまりすぎてつけようにもつけられなくなっていたのかも。
享年50歳、似合う、似合わないなんて言い方は変だけど彼には50歳は似合わない。
それは、40歳だったとしても同じだったかもしれません。
でも年取ったマイケルにバラード集作ってほしかったんだけど
彼がそうありたかった、ピーターパンよりも、わたしには最後は段々、
ボロボロになっていく幸福の王子みたいな印象です。
世界中の人が心待ちにしていたコンサート、どこかでつばめが力尽きてしまった・・・

お葬式でも終われば、その死を受け入れざるを得ません。
日本人としては、亡くなった人を悪く言うことには眉根を寄せてしまいますが、
暫くは、あることないことを書きたてられるでしょう。
残った子供たちが傷つくようなことがありませんように。
余談ですが前回、比較したひばりさんとは命日まで一日違い。天国では言葉の壁もなかろう。
Ben  くらい、いい友達になれるかもしれないよ、マイケル。 左様なら