前向きな人生の整理整頓

人生も後半、一日が短いです。明日やると思っても、若者のようには明日はたくさんないのかもと気づいた今日この頃

初恋の人

2018年05月18日 17時33分27秒 | 音楽
西城秀樹さんが亡くなった・・・・嘘でしょう?
Yahoo!ニュースを見て目を疑いました。

わたしの初恋の人でした。
まだ学校にも上がっていなかった頃の話です。
考えてみると、長身で細身、ロングヘアのひとがこのころから好きだったみたいです。
一条ゆかりさんの漫画に出てきそうな雰囲気です。
歌声も好きでした。
子供の目から見ても、パワフルでキラキラ輝いてカッコいいという言葉がぴったり。

でもそういう人気絶頂の頃って、カッコよさばかりに目が行って西城秀樹がどんな人
なのか見えても来なかったし、あまり知ろうとも思いませんでした。
まあ、子供ですからねぇ。
病気をしてからの方が人柄を感じました。

きっと若い頃一杯働いて、無理を沢山していたことだと思います。
わたしがすごいなぁと思うことは、昔アイドルと言われていた人の多くは
すでに歌をやめて、俳優やバラエティのひな壇に座ったりして、
芸能活動を続けているけれど、
ヒデキはずっと歌手ですよね。もちろんドラマや映画バラエティーにもに出ていたけれど、
あくまで歌手でした。

後の人は少し売れると詞は自分で書くとか、作曲しましたとか?
純粋に歌手、歌うという表現方法だけで立っている人が演歌歌手以外
ぱっと思いつかなくなりました。
歌番組も少ないし、今同じ時に生きていているみんなが知っている歌というのが
今この時にはない気がします。
あの頃ならYOUNG MAN(Y.M.C.A)は子供も大人も知っていたようなね。

あの頃のことなので大ヒットはしていないかもしれませんが、
『ブルースカイブルー』がわたしは大好きです。
『遙かなる恋人へ』も好きだなぁ。
YOUNG MANの前の二曲でちょっとパワーダウンした印象で
ばーんとYOUNG MANで突き上げて印象の薄い曲ですが、
時が過ぎるほどに良い曲だなあと思います。
『ラストシーン』『若き獅子たち』も当時を知らない世代の人に聴いてほしいです。

歌がある限りわたしたちは秀樹さんを思い出しますね。
できることならば、子供の頃に戻って林檎の家に入ってみたかったなぁ・・・。
ときめきをありがとう。合掌


なんと、所感です

2018年05月11日 15時15分06秒 | わたしの思い
所感・・・ことに触れ、感じたことを述べるということが難しい時代に
なってきていることがちょっと怖い。
時代は進めば、当然人もその行いも良き方向に進化、発展するものなのだろう
と思いたいけれど、今の世の中には未熟な批判が溢れている気がする。
かくいうわたしのわたしの所感も裏を返せばそうなのかもしれないけれど・・・

わたしが常に思っていることを今日は書いてみよう。
できることならば、人は本当に『いい人』になる努力を日々重ねるべきだと思う。
そう、本当に『いい人』とは、『いい人のふり』をすることではない。
だから、本音を言わず、思ってもいないのに世の中が決めた正しいとする意見を
心からの考えのように語ることは嘘つきなだけ。
多くの支持する意見が正しいとせざるを得ないことが、自分の意見を持たない
判断ができなくなるなるなどの未熟な人間を作っていくのではないかと懸念する。
同様に、自分の考えとちょっと違うと強烈に批判し、人の考えを改めさせようとする
のも理論武装の中に自己中心的な未熟さまで着込んでいる気がする。

ある意味後者は手を挙げて自分の意見を言っている。
しかし、この行動が恐ろしく、面倒で前者は本当のことを言わないようになる。
そのうちニュースや新聞も本当のことを報道しなくなり、小説も読んで気を悪くする人が
いたからと廃刊になったり、新薬みたいに慎重に世に出てくる時代になるのかも。

わたしは最近の若い子を見て、礼儀正しくて気持ちよく働いていて成熟した時代だなと
ちょっと前まで思っていたし、それを気持ちよく見守っていた。
最近は見方が変わって何にでもmanual、つまり手引きがあってそれに従えば失敗ない。
それについていけない世代がその働き方に憤慨したりしている。
経験が生み出し、手引きのないものもあるから仕方ない。
自分がその仲介をする世代なのかなと思うようになった。

ただこんな年になって言うのも変なことだけど、年長者の言うことはやはり一理あるし、
敬いたいと思う。
ちょっと前たまたまこんなネット社会ではなかった頃の方がたくさん働いていた
というような書き込みに対して、若い世代が、その時代の人はコピーを取ったり、電話したりと
やることに時間がかかっていただけで、機械処理によりそんな手間がなくなったことで
同じ時間働いているとしたら、現代人の方が余程頭を使う時間は長いとの意見。
この意見だけなら成程ねと思うけど。
どうも言葉の付け足しにそんな時代と一緒にするなといった愚弄を感じた。
だけど、わたしが思うのは不便さを味わった人がいるから、
そこをよくしようとした結果の今だと思う。
もっと古い話をすれば、炊飯器もなく、洗濯機もなかった時代がありその時代の人が
水が冷たくて大変だったと言ったことに対して、専業主婦で結構というような棘を返すような
ものかな・・・そういう人がいたから女性が社会に出ていける時代になったと今のわたしなら思うけど。

昔仕事である出版のお手伝いをした。今なら考えられないことだが、資料の書籍が
ダンボール二箱。出版社の方がそれを取りに来た。
「お車ですか 下までご一緒します」
と言うと、登山用のリュックを取り出し、
「電車です 慣れてますから」
と、背負って軽快に去っていった。

頭を使っていないから大変じゃないという書き込みを見たときこの光景を思い出した。
何がいいとか悪いとかじゃないし、自分の意見を持つことは大事だけど、
人を愚弄する感じの悪い書き込みは損だと思う。
その感じの悪さに押されて、
素直に感じたことを言えなくなるような今をみんなで考え直せたらいいのに。
まあ、意見の合わない人と論議しても仕方ないというのが一番平和なのかも
しれないけど。


五月の風に吹かれて

2018年05月04日 15時35分46秒 | 四季折々
風が強い。
五月の風と言えばさわやかじゃないですか。でも少し肌寒い。

あーちょっとコーヒー淹れて来ようっと

五月・・・このぼくがかえぇるまばゆいごがつと『五月のバラ』が歌いたくなります。
忘れないで忘れないで 時は流れ過ぎても・・・か

この連休はギフトなのかのんびりできています。
身体が悪いので無理できないこともあったし良かった、ありがたや。
体調は良くはないけれど、こころが穏やかなのでつらさは軽減。

お陰で思考は深くなって、色々なことを考え、最近できなくなっいた読書も楽しいです。
時間があるとわたしはつい昔のことを考えてしまうのが良くないことかな。
だけど少し違うのは、嫌なことを考えるのではなくて佳きことを考えていて、
自分の表情が柔らかいことに気づきます。

やはりこころが安定している時っていうのは思考も悪い方に向かないのでしょうね。

人にとって帰属する場所を持たないことは冷静に考えるととても不安なことです。
誰かを見て可哀そうだと思う瞬間、わたしはなんて自分が傲慢なのかと反省します。
何ができるわけでもないくせに、他人のことを可哀そうなどと思える立場かと・・・
誰かがわたしの不安を可哀そうだと思って見ているかもしれません。
わたしは可哀そうなんかではないと強がって見せるでしょう。

でも、今日買い物をしている時にふと落ちてきた思いがありました。
あ、生きているから可哀そうだと思うのかと。
うまく言えませんが、自然の摂理に整理がつかなかった思いが整えられた感じ。

そろそろ四十代にお別れしようというこんな年になって、
こんなことに気づくなんて。
自分のことすらこうなのに、わたしたちは他人の真実など到底たどり着けるはずないですね。

いつも笑顔で頑張っている人、楽しそうに弾んで喋っている人、
言葉にしない真実に触れたとき、いえ、触れたような気がしたとき
わたしは何だかホッとしますね。

誰もが人として生きているから感じる思いがあるのですね。
いーえ、動物だって感じているよと、猫が言ってます。
ごめんごめん、ほんとそーよねと答えるわたし。

そんなわけでこの連休は四十代を振り返っています。
五十代ってどんな?でしょうね。
この四十代後半は、もう新しい物、自分に出会う必要もないと思い生きてきましたけれど、
まだ変わることができる余力が残っているのかもしれません。
ウエストが太くなるような変化はお断り
身体を丈夫にしないと。今はストレッチすら息苦しい。

庭は五月のバラが咲いています。
出先でもおにいさんが風に吹かれるバラをたくさん売っていました。
五月の風、悪いことは全部吹き飛ばしておくれ~