前向きな人生の整理整頓

人生も後半、一日が短いです。明日やると思っても、若者のようには明日はたくさんないのかもと気づいた今日この頃

いつもと違うわたし

2019年02月01日 18時18分50秒 | ファッション
今日のわたしはいつものわたしとちょっと違う。

去年シーズンオフに買った裏起毛の細見パンツをおろした
のですが、丈が短いく足首が寒い・・・別にわたしの足が長い
わけでは決してありませんが、スースーして、失敗したと
肩を落としていました。

下履きにすればよいのではないかと思い直して、
海外土産にもらってに三回しかはいてないR.M. Williamsの
ジーンズを引っ張り出してきました。

細見で、ローライズが好みなので、boyfriend denimという流行
のタイプはいつの時代でも自分では選びませんでした。

誰もわたしの姿など想像しないことでしょうが、
ベルボトムのジーンズにピタッとしたとっくり、いえ、
タートルネックを着た痩せた女、自分ではそうは思っていませんが、
ちょっと変な?風変わりな服装を好むひとが、
どこにでもいるでしょうが、恐らくわたしはそのタイプだと思います。

ベルボトムなんて、時によっては壊滅するときもありますけど、
わたしはいつの時代でも好きですね。

なので、ボーイフレンドもいないわたしが、今日はboyfriend jeans
を履いています。
はい、借り物ではなく、土産物です。
短かった裏起毛パンツに重ねると調度よい感じです。
まだ、バグバグしていますが、こんな着方でいいのしょう?
違うのかな?馴染みがないもので変な感じですけど。

山に雪が積もって、冷たい風が吹き下ろしてくるから、
二枚重ねの防寒スタイルとしていいのかもしれません。

買い物の日でしたが、
今日のわたしはいつもと違うんですよっ。
多分誰も気にはしていないでしょうし、
いつもより目立たないかもしれません。

今日捨てたもの

タイツ二枚、スカートを冬場履かなくなったので古い分。
       引き出しが広くなりました。
刺繍糸を入れていた缶、大きすぎで必要ない。
ブラジャー一枚、よく見たらくたびれていますので。
タオル一枚、雑巾格下げ。

美について語る

2011年08月10日 03時21分41秒 | ファッション
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です

わたしが感じるだけかもしれないけれど、最近の日本人のセンスは如何なものかと。
特に『美』に対する感覚です。
若い男性の髪型、なんであんなに不潔っぽい感じにわざわざするのか疑問。
ついでに言うと、男性が眉毛を細くするのも好きではありません。
個人をどうのこうの言うのはあまりいいことではないので、悪いと感じることは、
書きひかえているのですが、うまく例えることができないので、例を挙げると、
テレビ朝日の『陽はまた昇る』というドラマを観ているのですが、声が女の子
みたいな『花より男子』のつくしちゃんの弟役だった人(名前も知らずごめん)
あんな感じの眉の上も下も剃ってその部分が白々としているのはどうも
わたしには、あくまでもわたしにはですよ、不潔っぽく見えるのです。
あるいは、公演中で眉を落としている歌舞伎役者がテレビ出演のために
間に合わせに書いた眉毛みたいな・・・おまけに眉山までつけてる。
昔の不良たちの眉の方がまだ美的だったような気がしますが。(あくまでも主観)
故に、同ドラマの中でまじめな優等生役がいるでしょ?
(これまた名前知りませんが)
彼、実にわたしにはさっぱりすっきりして高潔な印象です。

どーせわたしは古っーい人間なので、美的感覚も古いです。
世界一のハンサムはアラン・ドロンで、世界一の美女はエリザベス・テイラーだと
いわれれば、納得できるぎりぎりの世代です。だと思う・・・
でもって、世界一の美少年はビョルン・アンドレセンです。

もちろん、そういう人たちを美しいとは思いますが、より美しいと思うのは、
雰囲気や佇まいが、美しい人です。自分に合うスタイルを知り、凛としている人は
実に美しいと思います。
髪型にしろ、お化粧にしろ、本当に自分がしたくてしているのかも近年は疑問。

今、『原節子 あるがままに生きて』貴田庄 著という本を読んでいるのですが、
内容自体は、原節子本人があまり自らを語ったり、さらけ出した人ではなかった
ようなので、文章の終わりが憶測で〆られる点が多いのが気になっていますが。

原節子については説明するつもりはありませんが、伝説の美人女優。
今の基準で見ると、この方をみんながみんな、美人というかはわかりませんが、
わたしは美しいと思います。それは、姿も美しいと思いますが、
それ以上に映画を観れば佇まいの美しさがわかりますし、この本を読んで思って
いるのは、自分のスタイルを決して崩さない人で、
美しさにはそれが現れています。
また、頑なに意思を通す人ってわたしにはとても美しく見えます。

雰囲気の美しい人って、しゃんと一本、身体の芯に目に見えない意思という
支えがある気がします。

わたしが、美しいなと思う人をここで何人か思いつくままに挙げてみますね。

まず、海外女性、ジュリエット・ビノシュ、オドレイ・トトゥ、チェ・ジンシル
バーバラ・ストライサンド、シャーロット・ランプリング、ジュリー・デルピー
イザベル・アジャーニ、ケイティ・ペリー、マレーネ・デートリッヒ

日本女性、佐藤友美、大谷直子、梶芽衣子、吉永小百合、蒼井優、鈴木京香
南野陽子、市川春代、高嶺秀子、岡本夏生、中森明菜、夏目雅子、松雪泰子、

と、ここまで書いて今夜は扁桃腺が腫れて痛いのでもう休みます。
全然まとめができていないけど
後日、男性や追加を書きます。

ちなみに80年代きってのハンサムはルパート・イベレットだと思っています。
現在はルパート・エヴェレット/Rupert Everettと書くのが定まっているみたい。
かわいい女の子はエイス・ワンダー/Eighth Wonderの
パッツィ・ケンジット/Patsy Kensit
当時は同じ年頃なので、彼女みたいな女の子になりたかったけれど、現在は、
今のパッツィみたいになりたいとは思いません。

人目を引くけれど・・・/coup de pied 

2009年04月14日 02時04分52秒 | ファッション
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です

桜もすっかり散ってしまって、日中は汗ばむ陽気です。
日曜日、すっかり散ってしまったはずの桜の木に、花の残った小さな枝を発見。
残っているというか咲き遅れたのでしょう。
いえ、咲き遅れたんじゃなくて、それが彼女たちにとっての『その時』だったのでしょう。
その後、緑の桜を見ました。
『いつ咲こうが、何色だろうが関係ないじゃん 個性よ、個性
 だれも不愉快にはならないでしょ きれいでしょ』そういわれたような気がしました。

数年前、とある地方のある街でのこと、大きな交差点を渡っていたときに地方では珍しい、
所謂ゴスロリファッションの女の子二人がわたしの前を歩いていました。
『まあまあ、かわいいこと。ちょっと感動的だなあ。でも右の女の子はちょっと太目すぎ、
 背中のジッパーがはちきれそう。ダイエットした方がかわいいね』心の中で呟いていたら、
わたしの隣を歩いていたおばさん二人組みの一人が、大きな声で、
『まあまあまあまあ、みっともないわぁ。なんて格好。親の顔が見てみたいわぁ』とのたまった。
『そうかなぁ?街中でそんな大声出す方がみっともないと思うけど。
 むしろわたしはあなたの子供の顔が見てみたい気がします』心の声。
この国では知らない人を大きな声で批難するようなことはあんまりないと思っていたので、残念。

昔、coup de pied (スペルに自信なし)クー・ドゥ・ピエというブランドがあって、
装飾的で、とても魅力的な洋服を作っていました。おそらく、80年代も後半だったかと思います。
ちょっとその辺りの記憶がごちゃごちゃなのですけど、代官山にお店があって、
その当時駅が改装中で仮設のベニア板張りみたいなのを歩いた記憶があるんですが。
うーん、それに取り壊し前で空いた同潤会アパートがあったような気もするんですが。夢か幻だろうか?
壊すの勿体無い。こんなところに住んでみたいと見上げた記憶があるのですけど、
同じ頃だったのかはちょっと曖昧で当てにならない記憶です。

街もおしゃれの代表みたいですが、とにかく素敵な洋服だったんですよ。
お店の前を通るだけで特別な空気を感じていました。
きっと今でも愛される雰囲気なのですけど、儚いブランドでした。と、思う。何故だったのでしょう?
思うに、ファッションは流れるものであり、変わっていくのをみんな追いかけていますが、
このブランドには決定的な完成したイメージがあり、それは変えようがなく、
変えてしまったらクー・ドゥ・ピエじゃなくなってしまうし、利用者も変化を求めることより、
好きなものを着ることに重点を置く人たちだったのではないでしょうか。あくまでも推測
だから変わらずに立ち去っちゃった。

いつも奇抜で個性的な装いで目立っていたクラスメイトが大好きだったクー・ドゥ・ピエ。
彼女は隔てなく誰とでも接する人で、クラスや学食で顔をあわせて話をすると楽しい人でした。
不思議なことにくだんのおばさんの様に彼女の個性的な姿を批判する大人はいませんでした。
時々心配されることはあっても、大学の先生やアルバイト先の上司といった目上の人にも愛されていたようです。
それは彼女がどんな目立つ格好をしても、常識や気遣いを知っていて、みんながそれを理解していたからです。
例えば、煙草を吸わない人の家で煙草を吸う場合、ベランダに出て、
その吸殻を紙に包んで持って帰るようなところのある人でした。
読書家で知識も豊富で、それひけらかすでもなく、彼女のそんな知的な部分も好きでした。
それと、どんな個性的な格好をしても絶対下品にならないセンスを持った不思議な人でした。
tpoもわきまえていて、大切な場面でその個性がはみ出すことはありませんでした。

当時はデザイナーズブランドが華やかなりし頃でしが、学生が毎日着るのには贅沢。
クー・ドゥ・ピエを愛しつつ、古着を上手に着こなしていた彼女、元気にしているでしょうか?

もうクー・ドゥ・ピエを知っているひともあまりいないと思います。
どんな洋服なの?と問われても上手には説明できそうにありません。

個性的な色をした緑の桜は大胆にも花びらは八重。
クー・ドゥ・ピエも八重桜みたいにデコラティブで目を引くけど、前に出過ぎない
甘くも幼稚にもなり過ぎず、上品で、色使いのせいなのかなあ、目立つけれど嫌味はなくて、
アンティークな味もあったような。女性でいることを楽しませてくれるような洋服でした。

当時持っていた人はきっと今でも手放せずにいるんじゃないでしょうか。
だって古着とかで出ているのを見たことがないし、それとも高くて売れてなかったのかな?
子供に見せて自慢しているかも・・・。
coup de piedを愛した人は街中で大声をあげて、他人を批難するような母親にはなっていないと思います。
多分・・・きっと。

遅咲きの桜、緑の桜、古き友、そしてcoup de pied。
共通項は人目を引くけれど、でしゃばりではないということです。

あー一体何が言いたいんだろう・・・・まとまりませんねえ。