前向きな人生の整理整頓

人生も後半、一日が短いです。明日やると思っても、若者のようには明日はたくさんないのかもと気づいた今日この頃

いつか独りの日のために/Whitney Houston

2009年08月22日 01時18分03秒 | 音楽
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です


1stアルバムを聴いて、そのジャケットを見ていただけば説明の必要はないのですが、
ホイットニー・ヒューストン/Whitney Houstonの歌声は素晴らしかったなあ・・・。
加えて、とても美しくて・・・

当時何故なのか、聴いているとその後ろに心地よい一陣の風が吹いている感じが好きで
ディオンヌ・ワーウッイク/Dionne Warwickをテープがのびる位聴いていました。
実際には従姉妹だそうですが、当時はディオンヌの姪がホイットニーだと紹介されていたはず。

よく覚えていませんが、何か音楽祭だったと思います。
Greatest Love of All を歌う彼女は微妙にレコード(譜面通り)とは異なる
即興のアレンジで歌っていたような気がします。
人種差別などではなく、彼女の持つ肌の色、彼女に流れている血のなせる業のように思えました。
うまく説明できないけれど、例えばStevie Wonder/スティービー・ワンダーやLuther Vandross/
ルーサー・バンドロス、そして、ディオンヌ・ワーウッイク等を聴く時にも共通する感じあり。

ホイットニーが彼女の母親のことを歌っていると紹介されていたような記憶があるのですが、
実際には少し違っていて、作り手の思いが込められているらしい。ちょっと曖昧です ごめんなさい
ジョージ・ベンソン/George Bensonのオリジナルにある背景は少し違っているかも。
PVを観れば、ホイットニーはお母さんを思って歌っていると思えます。

youtubeでGeorge Bensonやアレサ・フランクリン/Aretha Franklinも聴いてみましたが、
わたしはホイットニーが一番好きでした。

まず、わたしにはこの曲の歌詞が『女性の覚悟』に聞こえるから女性のボーカルが
しっくりするのです。彼女はそこに力強さが加えてくれます。
アレサ・フランクリンは技巧的な感じがしました 一回しか聴いてないけど

この曲がヒットした頃まだわたしは高校生でした。
恋をしたり、夢を見たりという年頃なわけですが、当時は今より女性が社会に出て根を下ろす
という考えは乏しく、短大や女子大に行って、2,3年お茶汲みでもして永久就職、
とういうような考え方も少なくはなかったように思います。
結婚すれば万事安泰というような考え方に対して、捻くれ者のわたしは、
もし結婚相手が突然事故や病気で死んだらこの人たちはどうするんだろう?とか
結婚しても、子供のいない生活もあり得るし、とか、忍耐不足や見当を誤って、
一生添い遂げることができず、破鏡したら・・・とか、あれこれ考えたものです。

      人生のどこかで、独りきりになる時のために、覚悟が必要だ
         まだ子供のくせに可愛くない、夢のないことを考える自分がいました まるでそれが前提みたいにね
とてつもなくそれは不安。でも、自分は一人で雑踏の中にいても寂しく見えない堂々とした人になりたいなあ。
だけど、こんな考え方はどこか間違っている気もするし・・・多数決じゃ絶対負けるよ でも強い人になりたい。
トイレに連れ立って行くのは理解できないけど、当時のわたしは電車にも一人で乗れないような人間だった

勝手に拡大解釈したGreatest Love of All の歌詞は、人に何かを期待し過ぎてはいけないと
思いがちだったわたしを励まし、どう生きればいいのかを教えてくれているような気がしました。
こんな感じ・・・・みんなヒーローを探し、尊敬する人を必要としているけど、わたしの求めるような人はいなかった
              独りぼっちで学んだのは自分を頼りに生きること 中略 
              失敗しても、成功しても自分の信じる様に生きたい 例えわたしから何を奪おうと、誇りだけは奪うことはできない
              略  何にも勝る最高の愛は自分自身を愛すること・・・
 

先日、女優の大原麗子さんの訃報を聞き、それを『孤独死』という言葉で
憐れんだ表現をする一部マスコミに物申したい気分になりました。
病気でその姿を見ることがなくなって久しいため、凛と背筋の伸びた美しい印象のまま。
わたしは思いました。勝手ながら・・・・・
大原麗子さんは独りきりで生きる覚悟を人生のどこかでした人だと。
覚悟せずとも、人生で一度もそういう思いに至らず、独りでいることがただ淋しいことだと
単純な発想で文字や言葉にする人にはわからない覚悟のあった人のように思えるのです。
うーん、飯島愛さんにもそんな『覚悟の途中』みたいなものを感じました。
だから、『孤独死』なんて書き方や言い方は彼女達の誇りを傷つけている気がして何だか嫌なのです。

誰かといても、孤独なこともあります。わたしは間違っているかもしれない、
でもずいぶん若いときからそんなことを考えて生きていたみたい。
86年のあの頃から長い歳月が過ぎ、今、Greatest Love Of Allを聴きながらわかったったのは、
こんなに長い時間をかけても、未だわたしにはその覚悟ができていないということ・・・・。

こういうことを考えないで過ごせる一生は幸福なのかもしれません。
だけど、わたしは何度生まれ変わっても考える自分でいたい気がします。

歌い出しは、 子供達の未来を信じているから、正しく教えて良き先導をしてもらわないと・・・・ っていう感じなのですけど、
良い子はわたしの様な考えを持たない方がいいのかもしれないね。
独りきりにならないための努力といものが多分あると思うから・・・。そちらを身につけた方が良い
  年老いて温まりたい者は、若いうちに暖炉の用意をしなさい なんて言葉もありますよ

家族内のことはわからないけど、某大物俳優さんはこの努力を 若き日の家庭で怠ったのかもしれない
ちょっびり非道だという印象を受ける娘さんの在り方について、中々できる事ではないが、
全くわからないとも思わない そしてその胸にはきっと痛みがあるはずです


ちなみに88年の日本武道館でのThe Moment Of Truth Tour に行きました。
そのことで是非書きたいことがあるけど長くなりすぎたので次回 あなたならどうする? つづく


君なしで生きる/禁煙

2009年08月16日 01時30分39秒 | 美容・健康
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です


『それなしでは生きていけない』
そういうものはできるだけ持たない方がよい。これからの人生、
どんなシーンに遭遇するともわからない。身軽に生きたい。

2008年の冬、taspo(タスポ)なるものが導入されて、
コインだけでは自販機で煙草が買えなくなりました。
それよりずっと以前、一部地域では試験的に導入されていたと思われます。

『窮屈だ とにかく、そんなものが必要になる前に煙草をやめよう』

煙草を吸う人全てとは言いませんが、喫煙者=駄目人間と思う人もいるでしょうし、
どんなに欲目で自分のことを見たとしても、立派な人とは言えないもんなぁ。
更なる値上げも考えられるし、スモーカーの肩身は急速に狭くなる一方。
遠い将来、合法でなくなる日が来たりして・・・いい機会かも。

こうして、タスポ試験導入期間から禁煙を決意。
もともと、ヘビーなスモーカーではなかったし、基本的に自分の部屋以外では吸わない、(人前で吸わない)
というルールを自分の中で持っていたので、吸いたいなぁと思っても我慢はできました。
イライラすることや、煙草、たばこ、タバコと始終頭を離れない期間もありましたが、半年間禁煙。
でもでも、しかし、しかし折角半年吸わなかった煙草に再び手を出してしまうのでした。

理由は・・・・・肥るから。それが嫌で中々止められない部分もありました。
アホな理由です。勿論イライラもしていました。

煙草を止めてから2㌔肥ってしまいました。
仕方ないかな・・・とは思ったけど、ある日人から肥ったと指摘を受けて、
イライラ吹き出物が出つつも頑張っていたのに、肥ったですと・・・・ぉ。

三箱購入。『また会えるなんて思わなかった』
禁煙すれば、自分は2㌔肥ること、自分がどんな状態になるかもわかっています。
そんなわけで三箱の煙草が終わるまでに3㌔体重を落とすことにしました。

最後の一本を終える日が来ました。(体重も落ちた)
『案外長い付き合いになってしまったね 今度こそお別れ 
みんなあなたのことを悪く言うけど、いろんな場面で助けてもらったね
    これからはあなたなしで、やってみようと思う 暫くさよなら』
暫く、という点が味噌。永遠になどと言って自分を雁字搦めにはしないのです

こうして、タスポ導入に間に合って喫煙者ではない日々を送っています。

が・・・一年半も経った今でも夕暮れ時なんかにふと恋しくなることもあります。
「バージニア・スリムライト一箱」とか店で言うのも面倒だし、誰もそんなこと思いやしないけど、
この人、女の癖に煙草吸うのかとか思われるのも嫌。我慢、我慢。

止めたばかりの頃は、フリスク(FRISK)やミンティア(MINTIA)で乗り切っていました。
メンソール系の煙草を愛する人にはこの方法、向いていると思います。

煙草を止めて嫌だったのは、体重を気にしなくてはいけないこととイライラの2点。
良かったことは痰がからまなくなった、煙草代が要らない、部屋が臭くない、
病気にかかるリスク減、火事の心配が減った、煙草を吸う時間の節約、
極力かけないようにしてきたけど人様に迷惑をかけなくていい・・・など

なぜ煙草を吸い始めたか・・・好奇心?もあったかもしれないけど、
引越しの荷造りを夜中までしていて、そのストレスからでした。
初めは、すぐ止めるつもりでした。というより続けることの方が無理と思いました。
銘柄はよく覚えてないけど、PHILIP MORRISだったような・・・
『オエッ』というフレーバーで2本吸って捨てました。
ところが、ずっと寄り添うことになるバージニア・スリムライトの
メンソールが口にあってしまい気づいたときには・・・やめられなくなっていたわけです。

思うに、ニコチン中毒もありましょうが、その時間になると一服と習慣になっていたものが
なくなると何か物足りないという感覚もあります。

利にならない、害になる馬鹿なことを始めてしまった人間はおそらく
一生これを耐えなければならないのだと思います。

病気になったり、犯罪者になったりしては自分だけの問題ではなくなります。

そんなわけで、害になるようなものを習慣にはしないこと。

初めに書いたように、『それなしでは生きられない』となると、こんなに災害の多い昨今、
避難生活を強いられたらとても困る・・・と、何かを止めるには自分を
意識的に追い込む必要もあるのかもしれませんね。雁字搦めは嫌だと書いたばかりだけど

本日は80年代を離れて、何かに依存することの愚かさ、それによる悪循環、
窮屈さについてでしたが、こじつければ細くて、長く重過ぎないメンソールの煙草、
わたしの好きだったバージニアスリムライトは
80年代前半に女性をターゲットに売り出されたものだったようです。
まあ、その頃は自分がスモーカーになるなんて思ってもなかったけど
今では、そういうタイプの煙草も色々あると思います。

お盆も終わりようやく日常に戻ります ホッ 
戦後64年、今年は夏らしい夏がないまま終わろうとしている 
わたしの曾祖母や大叔母も戦争被害者で悲しい亡くなり方をしている 
会ったこともないけれど、一年に一度でも思い出し、感じることが供養だと思っている












西洋への憧れ/星降る夜にきかせてよ

2009年08月03日 00時54分53秒 | 本・漫画
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です


昭和52年ということは・・・・西暦だと1977年。
その頃イギリスにあった『ジェット』というお店にPANNY・RAIN / ペニーレイン
というアマチュアバンドが出ていました。
メンバーはローリエ、クレランス、ナルシスの三人。('79年にジュリアンが加入)
美しい彼らは女の子に大人気でありました。

「そんなバンド知らないなあ・・・」
・・・でしょうね。彼らは漫画の中の登場人物。実在のバンドではありませんから。

見なきゃ見ないでも暮らせるのですが、ついついパソコンを開くとインターネット。
自分がいつも見るところを一巡りすると結構な時間。
就寝前の読書の時間がこれでいつの間にかなくなって久しいいことに気づきました。
そこで、夜はパソコンに触れない日々を数日過ごしてみました。
結果のんびり過ごせます。そこで、若返りたくて漫画なんて読んでみます。

星降る夜にきかせてよ/ 一条ゆかり
これは昔、『りぼん』の付録についていた文庫本で、小学生の頃初めて読みました。
その後、続編の『ハスキーボイスでささやいて』を加えた単行本を買って読んだのは
もう大学に行っていた頃だったかも。

あらすじ ですが知りたくない人は読まないように、
知りたい人はマウスで反転させると読みやすいです。


憧れのウィルソン画伯の講義が受けたくて、イギリスに留学してきたフランス人の女の子ジュール。
しかし、画伯は事故死。夢はかなわなかった。おまけに人気バンドペニーレインの親衛隊に加入することを拒絶したため、
寮を追い出されるはめに。寒空の中、見知らぬイギリスで倒れたジュールを救ったのは故ウィルソン画伯夫人。
夫人に気に入られたジュールは下宿させてもらうことになる。
が、そこに帰宅した一人息子はジュールが寮を追い出される原因となったペニーレインのローリエだった。
毎夜帰宅が遅く、時に泥酔。人気物のローリエは、ジュールの目には軟弱な遊び人にうつっていた。
しかし、しかし、ローリエには秘密があった。軟派な男に見えていたローリエこそ真の男だと気づくジュールであったが・・・・


と・・・これくらいにしておきましょう。知りたい人には個人的に教えてあげます

不思議なもので小学生の頃に初めて読んだときと、いつの間にこんなに年をとったのか
しらないけど、現在の自分とで、読後感はあまり変わらないので、我ながら驚き。
一条ゆかりさんは大人っぽい絵柄の人でしたから、(内容も)小学生時分は苦手だと
いう人もいましたが、今でもちっとも古臭く感じません。
ヨーロッパの映画を観ているような間や雰囲気が好きでした。
西洋への憧れは、映画でも音楽でもなく、わたしの場合は漫画から始まったのかもしれません。

いい年して、漫画を読んで楽しかったってことで終わるのも如何なものかと思いますが、
その昔、『漫画を読むと馬鹿になる』などと大人が言っていた時代がありました。
しかし、大人も大人の今思うのは、漫画には知識や教養が結構散りばめられていまして、
そこから得たものって結構ありますよ。問題提起もあって考えさせられることもありますしね。
考えることや読み解くことが苦手な人は、昔の漫画から入ってみるのもいいかもしれません。
まあその分勉強する時間は減るけど、インターネットの時間くらいなものです

わたしが漫画を読んでいたのは80年代までのことでそれ以降のものには
責任は持てませんし、語ることもできません。
でも、そこから得るものを一つでも漫画好きの人には見つけて欲しいな。

今後も時々80年代、それ以前の漫画について語っちゃうよ