前向きな人生の整理整頓

人生も後半、一日が短いです。明日やると思っても、若者のようには明日はたくさんないのかもと気づいた今日この頃

R.I..P/Michael Jackson 3

2009年06月26日 23時59分09秒 | 音楽
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です


こんな一日がやってくるなんて20余年前には思ってもいませんでした。

いえ、昨日も勿論思っていませんでした。
「子供の頃の美空ひばりと、マイケル・ジャクソンを見ると、才能を持って生まれる
っていうのはああいうことを言うんだと思うよ あのリズム感、凡人には真似できないよ」
そんな会話をしたのが、昨日の夕方のこと。
ついでに何故そんなことを喋ったかと言えば、その前夜あのSusan Boyle/スーザン・ボイルの
ライバルと言われていたShaheen君がWho's Loving youを歌っていたの聴いて、
Jackson Five時代のMichael Jacksonを聴きたくなって聴いたばかりだったからです。

そして今朝、まだ寝ぼけているわたしの耳に入ってきたのは「マイケル・ジャクソンが死んだよ」
えっちょっと待って・・・・ええっと「ファラー・フォーセットじゃなくて?」
昨夜、ファラー・フォーセットの訃報を聞いて眠ったので、そんな返事を返して、
「ええっと・・・・マイケル・・・マイケル・ジャクソン」まだ寝ぼけています。
「マイケル・ジャクソンが死んだ?嘘だ、嘘 コンサートしたくなくなってそんなこと言って・・・」
寝ぼけた頭で必死に妙なことを考えて、事実からの回避をはかるもすっきりしません。
勿論、日本語はわかります。しかし、もうすでに寝ぼけてはいませんが、それが事実として理解できない・・・。

だから、本来ならここで、『巨星墜つ』なんてタイトルで書き始めるところですが、
今日はとても出来そうもないです。

7月のロンドンでのコンサート、ロンドンに行けるでもないのにとっても楽しみにしていたんです。
世界中が注目していたから、その様子はほんの少しでも何らかの形で伝わってくるだろうと
そのおこぼれに期待していたんです。今はやりかけで、逃げ去られた気分なのです。

もし、神様が本当にいるのなら、神様はどうしてもマイケルにコンサートをさせたくない理由が
あって連れて行ってしまったのではないだろうか。もし、予定通り行われていたなら・・・
今は冥福を祈る以外には何も考えられませんが、そうすることにどうもためらいを感じてしまいます。

だから、もう少し気持ちが落ち着いたら、続きを書きます。
以前、マイケルについて書いたものです
http://blog.goo.ne.jp/hachimitsu80anaemic/e/42fa5de4662ec0ce238d399a2e672e9b

美空ひばりは52歳で亡くなっています。そしてMichael Jacksonはもうすぐ51歳のはずでした。
2人の年齢がほとんど同じなのはちょっと意外 才能ある天使はそのくらいの年なのかな ? 
ひばりさんが亡くなった時、日本では昭和が終わり、平成が始まっていました。
アメリカでは、バラク・オバマ氏が黒人として初めての大統領としてこの1月から始動し、
マイケルが亡くなりました。こじつけかもしれませんけどね。
始終世の中も時も動いている。昭和が遠くなったのと同じく、80'sもとても遠い場所に
なってしまったのだと改めて深く感じています。

マイケル・ジャクソンが最高に輝いていた時から随分遠くまで知らぬ間に旅してきました。
かわいい天使の歌を聴きつつ、   つづく


Who\'s loving you - Jackson Five

   









六月だから/太宰治

2009年06月19日 03時19分15秒 | 四季折々
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です


全国の皆さん、( 大げさな) お久しぶりです。少々更新を怠っておりました。理由は六月だからです
本日はちょっと80'sネタからは離れます
 

毎年六月になると無性に死にたくなる、と言ったのは太宰治。お誕生日ですな、ご存命ならば100歳とか 
何年か前、桜桃忌は止めて生誕祭とか ? 呼び方を変えると言っていたけど、結局、桜桃忌で通っていますよね ?

「生まれてすみません」とかも言っていましたけど、これは剽窃、まあ、パクリらしいです。
それもまたよりによって似たようなタイプの人のをね

人間誰しも、いや、多くの人は太宰治チックなところがあるんだと思うの。
だからいまだに支持を受けるんでしょう。極めて、極めて健全な人はきっと大嫌いだと思うの。
その二通りの内わたしは前者かな。「トカトントン」なんて年がら年中鳴っています。
そんなわけで若い頃は結構好きでした。それなのに今はあんまり好きじゃないなあ・・・
奥さんは別として、彼に関わった女性も(有名どころ)好きじゃない。特に最後の人は大嫌いです。
ちなみにあれが心中の定義の内、情死を意味するものではないと思っています 
マイヤーリンクみたいに男性が道連れにしたというのとも違うと思っています むしろ ・・・・・ 
長くなるし、研究者ではないので、推理ゆえ割愛


すべてのものは吾にむかひて 死ねといふ、 わが水無月のなどかくはうつくしき
    これは伊東静雄の『水中花』という美しい詩の結び。
太宰チックな部分を脱ぎ捨てて、季節や生きること、そして死、そういうものを深く、美しく、切なく
この詩のように感じられるようになりたいここ数年のわたし。
もっとも、太宰治だってそれのできる人だったはずです。昔はあまり魅力を感じなかったので
あまり読んだことがない活動中期には正にそういう視線で仕事をしているみたいです。
富士には月見草がよく似合うには感じ入って、その一行からしばらく先に進めません。

深夜にホトトギスの鳴き声を聞くのが好きで、ついつい夜更かしをしたいところですが、
この辺りから夏の終わりまでは、早寝、早起きをしないと心身共に悪しき方向を向いてしまう
恐れがありますので、更新が滞りがちになるかと思います。
だらだらと、桜桃忌にちなんで色んなものを出してきましたが、要するに苦手な季節が到来して、
心が太宰治チックに悪しき方向を向きつつあるとき、伊東静雄の詩のように
そこにあるものを見つめることが、心のバランスを保つのにわたしには役立っているようです。

一応梅雨入りしたようですが、まだ本格的ではないようです。
さて、明日からは早く寝るぞォ    





森の深さは人それぞれ/ノルウェイの森

2009年06月06日 01時50分13秒 | 本・漫画
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です


村上春樹の新刊 1Q84 はもうお読みになりましたか? わたしはまだ。
   ノルウェイの森が映画化されるそうですが・・・
  うーん、これは積極的に観に行きたいとは今現在は思っていません。

若い頃のわたしは案外読書家で、年間100冊くらいの小説は読んでいたかと思います。
ん?そのくらいで読書家なんて自分で言うのはえらそう。単に本を読むのが大好きでした。
結構記憶力はいい方で、生きていく上では何の役にも立たない余計なことばかりを覚えています。

しかしです、読んだ本の内容がすっかり頭の中から消え去っていることだってあるのです。
かと思えば、大体あの辺りにこう書いてあったとかくだらないことは覚えているんです。

ノルウェイの森は87年に出版されたそうですが、わたしが読んだのはその翌年だったかと思います。
とにかく流行っていたのです。流行り物的な扱いを作家はどう思っていたでしょう。
現在は流行り物とは距離を置くことにしています。年をとっただけかもしれない
流行の渦中より、少し時間を置くことで正当な評価ができるという屁理屈。
鮮度の落ちたものを読んだり、観たりするのです。節約にもなります これをケチともいいます

ノルウェイの森は物語に入る前に、目を引く装丁、(クリスマスカラーとでもいうのか?赤と緑の上下巻に金帯)
著者、村上春樹というところに人々は引かれるわけ。わたしも、『蛍』『羊をめぐる冒険』とか好きでした。

こう言うと、なんですが、村上春樹のちょっとわけがわからない感じなところが当時のわたしを魅了しました。
わかりやすそうなふりをして簡単にわかってもらっちゃ困る、という奥深さが隠れているような、
云いたい事を押し出してはこない、別に何かいいたいわけじゃないんだけど・・・
というふりをしているような世界を感じていましたっけ・・・何のことやら

高校生の頃レイモンド・チャンドラーが大好きだったのですが、大学で初めて村上春樹を読んだときに、
なぜか後ろに吹いている風に似たようなものを感じて、ノルウェイの森に至るまでの作品を
ほとんど読んだ覚えがあります。にもかかわらず、ほとんど忘れているんですよねえ・・・一体なぜなんだろう?
覚えていても断片的で、あれこれ考えてみるに、出た答えは、
村上春樹を読んでいた頃のわたしは気取った鼻持ちならぬ奴だったということです。
心を入れて本を読んでいなかった気がするのです。
冷えすぎたビール、ラバーソウルの靴、100パーセントの女性、カティ・サーク、といった
小説に出てくる小物に洒落たものを感じて(今見ると何でもないのですが)本もファッションみたいなものでした。

また話が脱線。ノルウェイの森に話を戻しますが、学生の頃、確か研修に行った先で、
ハイキングかオリエンテーリングに参加して山道を歩いているとき、友人の一人が
『ノルウェイの森読んだ?』と聞いてきました。『いいえ、まだ 良かった?』
『うーん・・・(ちょっと口ごもる)なんか出てくる人がみんな死ぬの まあ読んでみるといいよ』
とのことでしたが、彼女所有の本は三人くらいの予約が入っていて、回ってくるには時間がかかりそうでした。

程なくして、一般教養の政治学だったかな?の講義中に教壇からの声『ノルウェイの森、みんな読んだかい』
散々何やら語っていらっしたわけですが、結論、『あれは、不能の男女の話だ』
装丁やタイトルから、ビートルズとか、クリスマスとか、北欧とか、樹木を勝手に想像していたわたし。
友人と教授先生の話を足すと、ん?『みんな死んで、不能の男女が出てくる? 一体どんな話やら?』
それから日々は忙しく過ぎて夏休みになり、近所の古本屋さんに並ぶノルウェイの森を発見。
あんまり安くはなかったけど、奮発しました。こんなくだらないことは覚えていやがる

しかしです、『みんな死んで、不能の男女が出てくる』っつう無茶苦茶な先入観がほんと邪魔でした。
何か、自分の頭をそれに合致させようという試みでごちゃごちゃ。
色々期待しすぎてしまったこともあるかと思いますけど、読み終えたときの感想は『こんなもんか』でした。
この作品を否定する気は全くないですよ。言いたいのは人の感想に惑わされたことの勿体無さです。

これから読む方が、万に一つこの駄文を読んで変な先入観を持たないように感想を薄く箇条書き。
『みんな死ぬ話』っていうのは、まあそうねえ・・・。当たらずといえども遠からず。
答えがそこにあったわけではないけれど、誰かの死に対して、
  その乗り越え方について考えさせられました。
恋愛小説ではない。(100%恋愛小説は売り出し文句)
『不能の男女』っというのは・・・言わずもがな、性的にってことなのでしょうけど、
  (うーん?子供だったからぁもう一度読んでみないとわかんないなぁ・・・嘘)
  成り立っていたかどうかは御一読あれ。
あんまりこういう話題は苦手だけど、この本の根幹を成している気もするので、
思い切って触れますが、この作品の性描写には好感が持てませんでした。
主人公がどちらかと言えば、孤独癖の強い印象ゆえか『この道ばかりは別』って感じが嫌だったんです。
そう言えば、文学科の友人がこの本の性描写の部分を「あれ読んでて気分が悪くなった オエッ」
と言っていましたっけ・・・その友人、映画「トップガン」のラブシーンを観ても同じように言っていました。
大ベストセラーでしたが、それ以前の村上春樹の作品より秀でているとは思わず、
  以前のものを膨らませた印象。はっきりしたことは『僕』が名前を持ったっていうこと。


この本を読んでいた80年代の後半は現在とも、それ以前とも異なる、価値観を持ち始めた頃でした。
     その頃からポイポイ捨てるようになったものを、
今頃になって慌てて拾い集めているような気がするのはわたしだけではないはずです。

今回の新作は書き下ろしで、売り方も先入観を持たせない配慮がされているみたいです。
そして、ノルウェイの森の映画化キャストなのですが、レイコさんの配役に注目していました。
霧島れいかさんという美人。知らない人です。
この方 http://nest-net.jp/talentprofile/kirishima_reika/main.html
別に知らない人でもいいのですが、わたしのイメージはジャズシンガーの綾戸智恵さんを若くした感じ。
ついでに主人公は村上春樹本人を若くした感じ。どちらも風貌のことですが
「小説に出てくる人(主人公のことでしょうね)と、作家のイメージがぴったり重なるのは村上春樹よ」と言っていた人がいたなあ・・・


ノルウェイの森以降、村上春樹を読んでいません。
上のように書きましたけど、その後人に薦めたりもしていたので、自分にとっては価値ある一冊だった
と思いますので特に読まない理由になったわけではなく、単に読みたいと思わなかっただけです。

確か、ノルウェイの森の主人公は30代の後半になってドイツ?にいて過去を見ていました。
劇的なことはないけど、わたしもここで80年代の過去を取り出して眺めています。
だから、1Q84が1984を意味するのなら、読んでみたいかな?
あと、カポーティの翻訳をしているのを読みたいと思ってます。

ノルウェイの森、。迷い込むもよし、引き返すもよし、最短コースでぬけるのも、楽しむのも全て良し。
だってぇ昔、『若きウェルテルの悩み』/Die Leiden des jungen Werthersを読んだ時、解説の人が
ウェルテルを書いたことでゲーテの悩みはゲーテだけのものでなくなったと書いてたのです。
そして、音楽などもリリースっていうでしょ。手放しているわけです。
それらを拡大解釈して、今更読書感想文コンクールに作文を出すわけでもないので、
一冊の本からどんな感想を持ったっていい!!!というのがわたしの大人の解釈。
そして、何か一つでも得るものがあると非常に良い。それは漢字一文字を覚えたということでもいいの。
心が動くと一層良い。それがわたしと本との気楽な付き合い方。   おしまい