前向きな人生の整理整頓

人生も後半、一日が短いです。明日やると思っても、若者のようには明日はたくさんないのかもと気づいた今日この頃

愛のさけびを今更聞く

2020年02月25日 22時25分45秒 | 映画

昨夜、『世界の中心で、愛をさけぶ』の映画がBSでやっていたので観ました。

もちろん初めて。ずいぶん流行っていたと思います。

だけど当時、全然観たいと思えませんでした。

恋愛映画なんて観たい心境ではなかった頃だったのか?

調べると2004年ですから、もうずいぶん時がたっていますね。

 

これも今回を逃すと絶対観ないと思ったので、せっかく生まれてきたのだから

流行ったものは観ておこう、(16年も前の流行であるが・・)

 

感動する心の衰えなのか、愁傷も感動もこころの中に大波を起こすことは

残念ながらありませんでした。

 

時代設定は、リアルにそこを青春期として生きていた者

から言わせてもらいますと、時代考証がなっとらん。

髪型、制服の着こなし、あの頃、シュシュなんてなかった。

 

ただ、ウォークマンⅡとか、(わたしも持っていました)

ラジオの葉書投稿とか、カセットテープとか、フィルム現像とか

スマホに取って代わられた物が、郷愁と浪漫を呼び起こしてくれました。

 

わたしにとっては、ついこの間みたいに感じる映画ですが、

16年経って、今ではガラケーは姿を消しつつあるし、

学校に大人が侵入するのも今はダメだと思うし、

メイクも古臭い感じだし、時の流れを感じました。

わたしの子昔は結構昔だったということ。

 

白血病、完全に不治の病ではなくなる日が早くくるといい、

これだけは切に願います。


時をかけた今

2020年01月24日 18時34分07秒 | 映画

30歳で結婚、3年は二人でいたいと思っていた。

人生とは思い通りには進行しないもの。

正直、結婚してからの、その先を具体的に考えることが

わたしにはできなくて、いつの頃からか、

わたしには一人が似合う、一人でいることが

わたしの人生だと断定できるようになった。

もし、上記のあえかなるわたしの思いがスムーズに

実現されていたならば、そろそろ成人するくらいの子供が

いたのかもしれない。

だけど、全然想像できないし、しようとも思わない。

 

前回、『時をかける少女』を観たことについて書くと宣言しましたが、

映画の中の原田知世は自分の娘でもいいわけじゃないですか。

だけど、観ている時はちょっと年上の女の子なわけです。

不思議な感覚です。

筒井康隆の原作を読んでいましたが、映画は今回が初めて。

尾道三部作は他は観ているのですが、これは初めて。

原田知世が角川のオーディションで出てきたとき、

正直、どこがいいのかわからなかったのですが、今見ると

とてもかわいいし、清涼感を感じます。汗すらさわやか。

 

1983年の作品ですから、色々、?と感じる若い人はいるかも

しれませんが、わたしの世代にはそれがリアルでした、

しかし、ブルマーって嫌でしたねぇ。この映画の中ではしかも白。

違和感がありますでしょ。

物語の鍵になるラベンダーの香り。

今は当たり前に苗を手に入れ、寄せ植えしている人もいるでしょう。

当時は珍しかったと思いますよ。

ポプリがファンシーショップで買えたくらい。

どんな香りだろう?と本を読んだときずっと思っていました。

ポプリで嗅いだ香りはあまり好きではありませんでした。

この映画でも花は造花に見えましたけどね。

 

このずっと後、生のラベンダーに触れるのは19か20の頃

北海道の富良野で。以後、簡単に種も入手出来て一度植えた

ことがあります。

わたしが田舎者だからなのかもしれませんが、

80年代にはラベンダーはまだ珍しかったのだよ。

 

さて、最後の大人になった原田知世演じる主人公の

モンローウォークのような後ろ姿が、

その演技より遠くに来た今、中々素敵だと思いました。

はにかみながら歌うのも。

あっそうそう、お爺さんの上原健、お婆さんの入江 たか子、

この頃はまだご存命だったのですね。しみじみ。

娘の若葉さんが主人公のお母さん役。

他に細かいことですが、遺影に松任谷 正隆がいた。なぜ?

言葉遣いも、まだ美しい気がしました。

 

時は過ぎるのではなく、やってくるもの・・・

一人過ごす時がやってきて久しい。

時をかけた少女は今尚初々しい。

 


映画は一番前の席で

2019年03月16日 14時59分37秒 | 映画
今読んでいる小説に、ある映画のことが書かれています。

古い映画で、原作も読んだことがあります。
タイトルは今日は書きませんが、ある有名な監督の映画です。
原作も本が好きな人ならきっと手に取るはずです。

けれど、万人受けするようなものではなかったので、
わたしは一人でその映画を観るつもりでいましたが・・・

今、映画の内容より、一緒にその映画を観た人を思い出します。
何度も一緒に映画を観た人。
大抵は、ちょっとマニアックな映画。

わたしはそれが嫌だったのですが、
映画は一番前の席。
嫌ですよねぇ。二時間も首が疲れちゃう。
今は吹き替え映画、多くなってますが、
字幕が見えにくいんですって。
とにかく、一番前の席がいいんですって。

映画の後、お茶や食事に行くと、
わたしが買ったパンフレットを
わたしより先に見る・・・
それだけならいいけれど、
きっと、そのパンフレットに食べこぼして、
ゴシゴシ

時間に対してものんびりしてたなぁ・・・。
一緒の電車に乗るはずが、わたしだけが乗って、
目の前でドアが閉まって・・・
自分の良い加減がわからなかったのか
飲み過ぎて帰るのに困ったこともあったっけ。
今となってはそれもいい思い出です。

「今日はつきあってよ」「今日の行き先は任せて」
の言葉に誘われて、
色々できない経験もさせてもらいました。

「傘忘れていたよ」「持っててよ・・・」
あちこちで忘れ物してきたでしょうけれど、
まだ預かっていますよ。
とっくの昔に忘れていると思うけど。

あの映画を一緒に観たのもきっと忘れているね。
あえてタイトルを書かないのは・・・
わたしは思い出すけれど、わたしのことは
思い出して欲しくないからです。

忘れてくれていい。
あのころのわたしはいつも上の空だったから。

まだ一番前で映画観ていますか?
というか、何で眼鏡持って行かないの?
コンタクトも絶対しなかったね。できなかったの?

色々思い出すけれど、新幹線の中で、
グーグー眠っているあなたの顔を見ながら、
何故だかとても不安な気持ちだったことを
いま最後に思い出しました。

何故あんなに不安だったのでしょうね。
ハハハハハ、若かったのですよ。

さらば、若き日々 おしまい。

私をスキーに連れてって/観てみました

2019年02月25日 14時58分56秒 | 映画
昨夜BSで私をスキーに連れてってをやっていたので観ました。
わたしが十代の終わりの頃の映画ですが、
一度もちゃんと観たことがなかったので、
ここで誓ったことを実行。

第一には、みんながスキーバスに乗って出かけていた時代を思い出しました。
わたしは、スキーとゴルフは経験しなくていい物の中に仕分けていて、
一度も行ったことがないし、行きたくなかったし、今後も行くことはないです。

当時は最先端だったことが全部古びてしまったというのが、
一番大きな感想ですが、まだこの頃はバブルの足音を聞き始めた頃かな?
全盛期前夜でしょうか?
スキーに行かないから知りませんけど、白いウェアーが流行ったそうで、
その後のバブルの人たちはもっと柄々を着ていた気がします。

そして携帯電話がない。大きなことですね。
代わりに無線を利用しているのが、進んでいたのか?

思いつくままに、
システム手帳、ダイヤル電話、シンセサイザー、
会社で堂々と喫煙、やたらとビールを開ける、
セリカ、運転する都会女性、スノーボードがいない、
取った写真を渡したいというセリフ、
いつ働いているのだろう?まだ週休二日は定着していなかったけど、
nationalの拡声器、そして、アベックという言葉も聞かなくなりました。

当時は全部かっこよかったものが、古くなったり、
忘れ去られたり、亡くなった人もいます。

一つだけ
時のほこりをかぶることなく、忘れ去られることもなく、
感じられたのが、当時もすでに古かったはずの、
松任谷由実の曲の数々。
発売されて既に何年もたって使用されていると思うのですが、
今もって古さを感じませんでした。

なんということもないお話ですが、
時代を知るには良い資料になると思いました。



有名な映画とこれからのわたし

2019年01月20日 18時10分38秒 | 映画
センター試験だそうで、受験性はこの季節を乗り越えれば
暖かい春がやってくる・・・
いや、一息つくだけにして、まだまだ先は長いですよ。

わたしの時代は国立大志望者は共通一次試験でした。
私立大だったので、関係ありませんでしたね。
何度かここで語ってきましたが、人生で一番戻りたくない時代が
高校時代なので、学校のことは思い出すのも嫌。

ラジオと音楽と本と漫画が一番の友だったかなぁ・・・
まあ、仲の良い人はいましたが、
思い出すことと言えば嫌な事象ばかりなのですよ。
なぜなのでしょうね。こんな年になっても。

映画も十代の終わりから、二十代前半は好きでした。

田舎から出たときは毎週のように映画を観ていました。
ビデオも借りたし・・・
今はちっとも観なくなっちゃったの。
先日、ボヘミアンラプソディーを観たかったのですが、
人込みや昔と違って席を外しにくい状態に不安を感じたこと。
気分が悪くなるといけないので。
そして時間が無くなってしまって諦めました。

大抵の映画は、テレビであったら観ればいいやと思うのですが、
ボヘミアンラプソディーは大画面、そしていい音響で観たいです。

映画の話、先日BSでヒッチコックの『鳥』をやっていました。
それでわたし、思ったのです。
こういう有名な映画、何度もテレビでやっていて、
その都度、観かかってはやめて、最後まで観たことがないものが
たくさんあるのですよ。
なぜかと言うと・・・

またあるだろうから、そのとき観ればいいや、今忙しいしとか
他にやることがあるしとか・・・

だけどね、その次っていつなの?
そりゃあ最近一年なんて瞬きしている間のように早いけれど、
どんどん年をとっていくけれど・・・
その次はわたしに巡ってこない可能性だってあるわけで。

そこでそういった有名で、何となーく知っているけれど
きちんと見てない映画がある日は、
この一年、優先して観てみようと決めました。

年齢を重ねると、感じることのふり幅が若い頃と異なって、
昔なら好きだったかもしれないけど、今はねぇ・・・ってことも
結構多いのですよ。
これからどんどんどんどんそれが増えるはずなので、
まだ、貧乏でもテレビは持っているし、電気代も払えているから
観ることにしますよ~~~~。

最後に『鳥』の感想
こういう押しかけ女みたいな人嫌いだぁ。
鳥の存在が何かの警鐘の意味かな?と考えてもみたけれど
大した意味は感じられなくて、浅い作りに思えました。
アニー役のスザンヌ・プレシェットSuzanne Pleshette
若き頃のエリザベス・テーラーみたいでした。
唐突で余韻無しの昔のアメリカ映画の終わり方の王道。

以上、わたしの感想でした。

今日捨てたもの
削っていると刃こぼれしていてきれいに削れない
鉛筆削り。
まだ鉛筆なんて使うのかと思われるかもしれませんが、
毎日使います。
梅の形をしたコースター二枚
薄汚れていて、いままで二十年使っていないから、
この先の二十年も使わないと思うので。

さようなら。


過渡期の生き方 もののふはいかに?

2018年04月26日 16時43分02秒 | 映画
先日BSで中井貴一主演の柘榴坂の仇討という映画をやっていて、
久しぶりに一本の物語をきちんと全部観ました。

最近はドラマでも何でも、途中で面倒くさくなってしまうのです。

このお話は浅田次郎さんの短編がもとになっています。
桜田門外の変から物語は始まります。
それから明治期に入って10年以上が過ぎます。
あらすじを書く気はありませんのでこれくらいで・・・と、

わたしは思いました。
過渡期に生きるということについてです。

当然世の中というのは良い方向に変化していくベきだと思うし、
良い方向に変化しているはずだと思うのです。思いたいのです。
また、そうあるために政治家やらの偉いと言われる人達が
頭を使っているはずだと思うのです。
だからニュースの一番初めがセクハラ問題なのでしょう?

話が脱線しそう。
過渡期というのはさらりと身をかわして入り込んで行ける人には
何でもないことなのかもしれませんが、ひとによってはとても
生きづらいものであったりするのです。

目下、わたしの前に二つの問題が生じてきました。
電話で人と話をするのが大嫌いなのでできれば携帯も持ちたくない程。
しかし、今の世の中には公衆電話がない。
仕方ないので持っていますが、これをスマートフォンとやらに変えるかどうか。
このままでも何とかなるけれど、少しだけ困ることができてきました。

もう一つは、クレジットカード。
これは比較的早く、10代から作っていました。
若いころは着道楽だったので、カードだとお得感がありました。
しかし、何か引き落とされるまで借金があるという感じが嫌。
それに今よりシステムが今一つ信じられないこともあって、
30代から一切カードを持たないことにしました。
これ、今になって少し困ることがあるのです。
おまけに、フリーで超定収入なので今更カードを作ることができるのか?
まあ、何とかなるのでしょうけれど何か色々聞かれたり面倒そうです。

と、わたしの電子化問題と武士の生き方をしみじみと・・・
いやはや、世の流れに乗らないとしょうがない時もあると。
髷を切り刀を置くかな。
そう、それで自分という人間の根底が変わるわけではないものね。
もののふに変わりはない。
遠く辿ると公家ですが・・・自分は武士みたいなひとが好きです。

くだらないことを書きました。
連休が憂鬱で仕方ない...
そう思って過ごすのは勿体ないので、何とか前を向かないとね。




ヒーローはいないけれど/Footloose

2010年08月21日 02時35分15秒 | 映画
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です

再三ここに書いていますが、わたしはあまり学校が好きではありませんでした。
群れで行動するということがどうも窮屈なのですね。
だからといって、ルールを守らないとか、秩序を乱す行いは大嫌いで、
正しくあろうとすると非難されることもあって、疲れる場所でした。
そんな心の内を誰に語ることもなく、おそらく極めて『普通』に過ごしていました。

だから、夏休みのような長いお休みってホッとするんです。八月も二十日を過ぎると、
学校が始まることが嫌で嫌で堪らなかった覚えがあります。

夏休みと言っても、親はいつも忙しくて、家族で旅行なんて行ったこともありませんし、
何をするわけでもないのですが、学校に行かなくていいというのが、わたしにとって何よりの幸福でした。
好きな音楽を聴いたり、絵を描いたり、漫画を読んだり、映画に行ったり、
嫌々プールに行くこともありましたが、それだけで十分幸せでした。

84年の夏休み、公開間もないFootloose/フットルースを観に行きました。
閉鎖的な田舎町に都会からやってきた転校生が、恋をしたり、禁止されていたロックとか、ダンスとかで、
大人とか、学校に挑み、卒業パーティを開催することで閉鎖的な町に風穴を開けるというようなお話でした。

わたし自身が田舎の窮屈さから逃げ出したい真っ最中でしたから、スクリーンの中の、
そんなヒーローの登場を胸ときめかせて観た覚えがあります。

もはや、胸ときめくこともなく・・・ときめく必要もないと、思うようになりつつある昨今ですが、
この暑さにあたったのか、忙しすぎたからなのか、おかしな回路が働き、ドキドキしたり、ひどく緊張したりします。
これは・・・単なる動悸か。

私的なことだけど、先月の終わりから逃げ出したいくらい忙しくて、心も身体もヘトヘト。
それに加えて、いい年したおっさんの非常識さに振り回されて、ものすごいストレス。
誰が聞いても間違っていると思うけど、こいつ一言でも何か言うとすぐに腹を立て、不必要に人を傷つけるので
面倒くさいので、我慢、我慢・・・こういうのってすごくストレスになります。
あまりのストレスで、免疫が落ちると病気になるので、この場で発散します。
「いい年して、すぐに腹を立てるな いつも王様気取りで、人に命令ばっかり、もう少し人のことを思いやる心を持ったら? 
嫌なことから逃げてばっかりだから愚痴っぽいの 嫌なこととも向き合いなさい」

と、今回疲れのピークにこいつに傷つけられたので、もうわたしも大概にいい年ですけど、泣きたい気分でした。
そこを踏ん張って我慢しましたが、

助けてくれる人もいて、ときめきではないけれど、人の親切が身に沁みました。シクシク 
おっさんにいじめられた後に、無口な若者に「毎日暑いですね 大丈夫ですか」などと言われただけで、
なんと爽やかなのでしょうと・・・汗まみれの心をきれいに、きれいに洗って天日に干したくらいすっきりしました。
またひと月、ふた月頑張れそうです。
本当は逃げ出したいけれど、ヒーローなんて登場しませんからね。

80年代の映画(特に若者向けのね)は同時にサウンドトラックもヒットして、フットルースもその一例です。
最近でもCMに使われていましたね。
リメイクされるというような話もあったような?
あと、当時はそんなに有名じゃなかったけど、サラ・ジェシカ・パーカー/Sarah Jessica Parker
が、お友達役だったかな・・・。(余談だけど、この人一人で見るとそうでもないけど、イメージより小柄だな)

映画もすっきり明快で気持ちいいけれど、音楽もとても良いです。
夏の終わりになると、思い出す映画です。
それにはもうひとつ理由があって、この曲  を聴くと夏休みの終わりを思い出すからかも。それはまた次回に 
Almost Paradise - Mike Reno & Ann Wilson





奇妙なシャツ/ラブソングができるまで

2010年05月17日 01時03分39秒 | 映画
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です

連休中、録画してあった『ラブソングができるまで』/Music and Lyricを観ました。
80年代の洋楽が好きなわたしにはたまりませんけど、
興味のなかった人や、当時を知らない人にはどうでもいい退屈な映画なのかも。

まず、主演の二人の話から。
わたしの知っている80年代のヒュー・グラント/Hugh Grantと言えば、大変な美青年でして、
『モーリス』/Mauriceという映画で主演の一人。
当時、『アナザー・カントリー』/Another Countryとか、道ならぬ恋愛というか、
衆道とでも言っておきますか、(わたし自身は、そういう恋愛があってもいいと思っています)
それがテーマの全てではないけれど、何本かのイギリス映画が話題になって、
素敵な俳優陣やイギリスの風景といった、美しいもの見たさにそういった
単館上映される映画を 学校の休みに付き合いのいい友人に恵まれ観に行ったものです。


ドリュー・バリモア/Drew Blythe Barrymoreは82年の大ヒット映画『E.T.』の子役。
この映画、リアルタイムでは観ていませんで、公開から数年後に見た記憶があります。
自分からはあまり選択しないタイプの映画で、ひねくれ者なのか、ヒット映画って
予告の段階からあまり、観たい!!!!と心躍るようなものが少ないのです。
実際観ても『タイタニック』/Titanicは嫌いだったし、宮崎駿もあまり好きではないし、
最近話題なった『アバター』/Avatarは観たいとも思わないし・・・おっと、話が逸れました。
そんなわたしが、モーリスを観ていた頃には、
「E.T.の子役の女の子はアル中なんだって」という噂が流れていたような気がします。
ヒュー・グラントの方も、美形としての登場が、役柄を広げていく上で障害になったのか、
共に、低迷していた時期があって後、互いに確固たる地位を築いていることは言うまでもありません。

はじめに書いたようにこの映画は当時を知り、当時を楽しんでいた方のみにおすすめいたします。
圧巻は、始めと終わりに流れる、ちょっぴり安っぽい当時のミュージックビデオを模した、
ヒュー・グラント演ずるアレックスがボーカルを勤めたPoPなるバンドの「恋は突然」/Pop! Goes My Heartの
プロモーションビデオ。(わざとらしい下手な演技も当時の雰囲気を出しています)
デュラン・デュラン/Duran Duranのサイモン・ル・ボン/Simon Le Bonのようないでたちや動き、
懐かしくもあり、笑いたくもあり、映画自体があの時代に対するオマージュ(敬意)なのか、
嘲笑なのか?自分自身の心にも疑問を抱きつつ、観ていて楽しくて仕方ありませんでした。

あと、まるでワム!/Wham!のアンドリュー・リッジリー/Andrew Ridgeleyが
「ワムのジョージ・マイケル /George Michaelじゃない方」という言われ方をされているような
扱いが、アレックスに被されている感じです。

ドリュー・バリモア演ずる、当時をあまり知らない若いソフィーに「奇妙な服装と髪型」と
言われる当時最先端のスタイル・・・・・
昨日の新聞にも散々に書かれていた、鳩山首相のプライベートの色とりどりのチェックのシャツ。
(別に箪笥の肥やしをひっぱりだしてきたわけではないでしょうけど、散々な扱いです)
あれをはじめてみた時、わたしなんぞは既視感?いやいや、実際過去に見ていたぞ・・・
という懐かしくはないけど、既知のモノとして捕らえ、手繰り寄せてみるとどうもそれは80年代。
でも、当時を知らない人にはきっと奇妙なシャツなのですね・・・ん?
知っててもあれはどうなんでしょう・・・コメントしづらいし、庇う言葉がみつかりません。

最高にかっこよかったものが、笑いものにされるというのも時を計るひとつなのかも。

映画にしても人にしてもですが、芸術は時の経過とともに再評価や価値を上げるものもあります。
ファッションっていうのは厳しく、遠へ放りやられている期間の扱いはひどいもので、
大抵は捨て去られます。出番を失った箪笥の肥やしを拾い上げてくれる時代の到来はあるのでしょうか。
銀行利子が上がるのを待つと同じくらいに長く、厳しいかもしれないと、
Popのビデオ観て笑ってしまった自分に言い聞かせるのでした。

笑っちゃうけどいい時代だったんですよ。
なんだかすごく眠くなってきました。変てこな文ですがそのまま投稿することにしよう。

今日は簡単な健康検査をしてもらいました。なんと、身体年齢28才。自分でも驚き。
映画の中のアレックスのショーにキャーキャーいっている年代なのですが。

そうだ、そうだ、これ。忘れていました。ペタッ
PoP! Goes My Heart - 80's Parody - Hugh Grant


運命の人/眺めのいい部屋

2009年07月08日 20時41分33秒 | 映画
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です


七夕でしたけど、今回は運命の人についてです。

「誰にも言ってないけど、運命の人を見つけた」隣の席に座っていた彼女は言った。
「ええっ、運命の人?」彼女の話を聞くうちにわたしはその運命の人が誰だかわかってしまった。
彼女が運命を感じたはずその時、その運命の相手はわたしのすぐ側にいた。
いや、そこには他にもたくさんの人がいたのに、不思議なことに彼がその人だと確信できた。

「多分、わたしはあの人と結婚すると思う」彼女は言った。
なぜだろう、わたしもそれに答えたと思う。その確信は正解だと。
その時二人はまだ言葉も交わしたことがなかったというのに。

確信通り二人は恋人同士になった。
わたしは彼女の話を聞くのが楽しくて、うれしくかった。
『運命の人』がこの世にいると思わせてくれる逸話のように思えたからだ。
ここまでならば、子供のたわごとだ。

別に何があったわけではない、時が過ぎて生活の場所が変わり、彼女とは音信が途絶えた。
わたしは人との関係が長続きしない。時には恋愛を放棄し、時には友情を諦めた。
不思議と気の合った彼女も同じく、そうだったのかもしれない。

さらに時は過ぎた。
ある不幸な事件を介して、わたしは彼女の運命の人の消息を知った。
彼は結婚していた。彼の名前の横には妻の名前があった。
・・・それは、間違いなくわたしの隣の席にいた彼女の名前だった。
ああ、十代の頃に確信したことは現実になっていた。
偶然に、そして一方的に知ることになった事実。それでいい。
あの頃から後の、物語の続きをを知りたいとは思わない。それは彼女の人生だ。
わたしは彼女の隣の席にいたという以上の関係を望まない。

ハッピーエンドで終わった物語の続きは、延々と幸福ばかりではないことを
この年になれば知っている。それが人生。

『運命の人』を信じますか?と誰かに聞かれたらわたしはこの話を取り出してくる。
そして答える、
「いる人にはいるけど、いない人にはいない 信じられるか、そうでないかだと思う 信じたいとは思うけど」
だけど、この世ですれ違うだけでも、それは何らかの運命なのかもしれない。

 ここまでは個人的な思い出話

もうすっかり内容は忘れてしまいましたが、87年『眺めのいい部屋』/A Room with a View
という英国映画を観ました。
旅先で運命的に出会った男女の話だったと思うのですが、身分(階級)が違ったり、婚約者がいたり、
恋愛が成就するのは困難。でも男性は女性に向かって確かこんなことを言います、
「正しい相手に巡り合うのは幸運なことです」
この『正しい相手』という台詞、まあ、字幕を読んだんですけどね強烈にわたしの心を打ちました。

人はあるいは、正しくない相手と誤って暮らしている場合があるかもしれません。
わかっていながら、感じながらもやり通せたなら、それはいつか本物になるのかもしれません。
まあ、そんなこと若い頃には思えませんでしたけどね
破鏡し、軌道修正というのも今の世では珍しいことではありません。

まじめに結婚を考えているんだ、何が悪い、と言われるかもしれませんが、
最近よく言われる『婚活』という言葉にわたしは違和感を覚えます。
はやりのキーワードみたいな扱いの場合には違和感以上の嫌悪感すら感じます。
そういう商売や本など、結婚を煽る社会現象?には気分が悪くなります。
そんな風に世が焦らせては『正しい相手』に会う前に、会う機会をなくしちゃうよ。
正しい相手に巡り合うことはそれだけ難しい時代なのかもしれませんけど。

いつもわたしを助けてくれたある人が、お見合いをすすめられてそれを断った際に言いました。
「まだ結婚する気もないのに、人の顔を立ててお見合いなんかすると、
本当の結婚相手に出会ったとき間違っちゃうからそういうことしちゃ駄目なの」
その方、わたしから見ても納得、というようなぴったりな人と結婚しています。

運命の人、正しい相手、本当の結婚相手と言葉は変えましたが・・・
わたしが何を言いたいのか、それは・・・・・わたしもよーわからん。誰かフォロー頼みます

ついでにわたしが運命の人に巡り合えたか?って・・・・・それはですね、

とにもかくにも、『婚活』って言葉には買い物に行って
マイバッグ はお持ちですか?」そりゃあ、わたしにとってはマイだけど・・・と言われたり、
「最近エコが流行っているから」と環境問題まで流行で片付けられることに似た違和感があり、
婚活、コンカツと乗り遅れたらお仕舞いだみたいな煽りにのって、
『正しい相手』を見誤るでない、ということで〆ます。

そして、「わたしにも運命の相手がいるのかな」などと相手が
「いるに違いない」と肯定するのを期待して質問しないように。
そんな人は眺めのいい部屋でも観て見なさい。なんのことやら・・・・完全にぼやきでした。






『かわいい』よ何処へ/Gremlins

2009年07月02日 21時01分10秒 | 映画
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です


少し前になりますが、女性タレント3人が円高を利用して海外でお買い物をするような
番組をやっていました。ちゃんと観ていなかったので詳細不明 そのような番組だったかと
ここではそんな番組の内容はどうでもよくて、観ていて気になったことなのですが、
3人の内一人は20代で、見る物、見る物全てを「あっ これかわいい~」「かわいい~」の連発。
それにつられてか、年嵩の2人も洋服を見ては「かわいい」靴を見ては「かわいい」
そのうちに全員、便器を見ても、棺桶を見ても、お墓を見てもかわいいというんじゃないだろうか?
そんな勢いと大きな声で「かわいい~」を連発する日本人を見て、
彼の国の人々は「いいカモ」くらいにしか思ってないだろうとうんざりしてスイッチオフ。

ここで悪い癖が出て考えました。「かわいい」って何よ?暫く考えます

後日、年嵩の内の1人が某バラエティ番組で取っている態度が気になり始めます。
念のため、普段、彼女に対して悪い印象は抱いておりませんでした
番組の中で一般人が出てくるコーナーがあって、その人物が出て来るやいなや、
女性タレントは「かわいい~」と声を上げました。
えっ?まだちゃんと顔もよく見てないじゃん。それにそんな大声を上げる程に、
驚嘆する程にかわいいだろうか?ごく普通の女の子ではないか・・・・・。
そんな顔もよく見てもないうちから、とってつけたようなことを言うより、
普通に拍手でもして迎え入れた方が余程好感が持てる気がします。

またもや考えます。「かわいい」って何よ?
かわいい、かわいい・・・・うーんそれは・・・それは、ギズモのことよ。

 ギズモ/ Gizmoが何かを語る前に「かわいい」を辞書で調べてみます。
[1] 深い愛情をもって大切に扱ってやりたい気持ちである。
[2] 愛らしい魅力をもっている。主に、若い女性や子供・小動物などに対して使う。
[3] 幼さが感じられてほほえましい。小さく愛らしい。
[4] 殊勝なところがあって、愛すべきである。
[5] かわいそうだ。いたわしい。ふびんだ。             大辞林

1小さいもの、弱いものなどに心引かれる気持ちをいだくさま。
2物が小さくできていて、愛らしく見えるさま。
3無邪気で、憎めない。すれてなく、子供っぽい。
4 かわいそうだ。ふびんである。                   大辞泉

80年代のヒットムービー(グレムリン/Gremlins)のギズモは大辞林の[1]~[5]、大辞泉の1~4の
「かわいい」の意味する全ての要素をわたしの中では完璧に備えたスーパー可愛い存在であります。
心を込めて言います。「ギズモ、カカ !」 映画を観た人にはわかります じゃなかった、「ギズモ、可愛い
この、かわいいには「愛」がある『可愛い』を使いましょう。
差し詰め、世界でも最近は通用するというかわいいや、女性タレントの言う
「かわいい~」はカワイイとでも表記しましょう。さすれば、わたしの気も少しはおさまります。
そうだなぁ、英国人が使うlovelyみたいな感嘆を表す表現に育ってきているのでしょうか?
そのうち「いいですね」みたいな同意の意味を持ったりするようになるのかもしれないなあ。
もはや、大辞林も大辞泉もわたしの頭も古いのかも知れませぬ。

でもねぇ、心無い「かわいい~」の連発はやっぱりやめてほしい。
タレントなんかで、何見てもそう言っていればいい人に見えると思ってるならそれは間違い。
こういうへそまがりもいて、段々聞き苦しく腹が立ってくる人間もいるんですよ。だから程々にね。

それと何でもかわいいで片付けてしまうせいか、わたしが年とったせいなのか、
最近あまりテレビは観ないけど、たまに観てて、若い女の子がみんな同じに見えて、
次に見ても、きっともうわからないだろうなと思うことがあります。
これも、何でもかんでも「かわいい」で片付けてしまうが故、絶対的な美貌とか個性とかが
脇に追いやられ、言わば、民主的で、平等にどこにでもいるような子に「かわいい~」
というチャンスが与えられているせいじゃないかしら?と思ってしまうのです。

せめて、品物を見て「かわいい~」の前に理由を述べてみるべし。うーんそれも違う気がするか・・・
何故ならば、それは湧き上がる感情のはずだもの。理由などない。
そう、心から湧き上がる「可愛い」を体験したい人は、グレムリンを観るべし。
きっと「かわいい~」と言ってしまうはず。
そのとき心の中にあるものこそが、可愛いという言葉の意味なのであります。

何ともいじらしく、「かわいい」が内包する[5]や4の意味が知らぬ間に飛来。
そして、こう言うのです。きっと、「ギズモかわいい

歌うギズモ         http://www.youtube.com/watch?v=eWTi137wU6w&feature=related
グレムリン2から踊るギズモhttp://www.youtube.com/watch?v=jIwrP1Od0Qw&feature=quicklist
頑張るギズモ        http://www.youtube.com/watch?v=fDiMhsn1upk&feature=quicklist

そう言えば、先日子供の頃のマイケルをかわいいと書いたっけ、小さい見た目だけじゃなくて、
そこにもいじらしさがあった





憧れのパリジェンヌ/La Boum

2009年03月29日 01時33分02秒 | 映画
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です

80年公開のLa Boumは本国フランスより日本での公開は1、2年後だったかと思われます。
82年頃かな。日本公開の後、既に続編の撮影が始まるような話があって、
スクリーンやロードショーといった雑誌で話題になっていた記憶があります。
雑誌の中の Sophie Marceauが、ラ・ブームの時とは体つきが変わっていましたから、
数年の時を経ての撮影だったかと。彼女は案外背が高くて170cmを超えていたと思います。
今聞くとそうでもないのですけど、見た目の印象と声の感じがずいぶん違う気がしました。
まあ今も慣れているわれではないけれど、当時はフランス語の響きというものに
馴染みが無かったのもあるかもしれません。

そもそも、ラ・ブームのブームとは、自宅というか、他人ン家というか、
普通の家で開かれるディスコパーティみたいなものでしょうか?!
親の監視のもと開かれるみたいな。
「今夜ブームに一緒に行かない」みたいな文句で女の子を誘うらしい・・・。多分。
ラは冠詞でしょうな。おそらく。

そもそも、わたしはこの映画をちゃんと観たことがあるのだろうか?
おそらくテレビで観たと思うんですよ。ラストシーンで現れた男の子が次の恋の相手となり、
次のラ・ブーム2で絡んでくる予定のような話があったのですけど、結局は別の新人?
Pierre Cossoという人になっていました。
このピエール・コーソですけど、どうなんでしょ?外見的にはわたしは素直に好みとは言いかねますなぁ・・・。
一応美青年ということですが、あんまり日本人受けしないタイプとでも言っておきましょう。
わたし的には例えて言うなら、『化粧をしていないマリリン』髭剃り跡の濃い感じ。
ハンサムよ、という方もきっとたくさんいると思いますがわたしの周囲にはそういう世論はありませんでした。

その頃のソフィー・マルソーはリセって言うんですか?日本で言う高校を卒業する頃で、
ラ・ブームを録り終えたら、学業に専念してバカロレア、(大学入学資格のための試験)
を目指す意向だったようですが、次々に舞い込む仕事ゆえに断念したようでしたが、
その後バカロレアを受けたかどうかは未確認。

校則に縛られ、制服に身を包んで、好きな髪形にもできない中学生のわたしから見ると
フランスの高校生はずいぶん大人で、自由で、何より高価なものを着ているわけでも、
身に着けているわけでもないのに、着古した綿シャツや、セーターという何でもない服装すら
おしゃれに見えましたし、上手に着こなしていたと思います。
また、櫛目も通ってない無造作な髪なんかも絶対まねできない、
『パリジェンヌってこんな感じなんだ』と勝手な理解をしていました。
ちょっとクリスティー・マクニコルに雰囲気が似ていた気もするけど、断然おしゃれ。
まあ憧れの女の子という感じで、絶対無理なのですが、こんなふうになれたらなあ・・・と思ったものです。

ふと思い出したのですけど、コーラにストロベリーシロップを入れたものを彼女がインタビューのときに
注文したことが書かれていて、フランスにはそのようなものがあるのかと思ったのですが、
今考えると、コーラにかき氷のシロップを入れたようなものではないでしょうか?げっぷ、ご馳走様・・・

そんなわけで映画自体の印象はあんまり強く残っていないのですが、
音楽の印象はサントラ盤は両方持っていますし、強烈に残っています。
次回は個人的な思い出を絡めて主題歌について書きます。

ピエール・コーソですが、今どうしているのだろうと画像検索をかけてみたのですが、
素敵に年をを重ねていて若い頃よりずっといい感じです。誰かに似てるなあ・・・

youtubeでもみつけました。現在彼は40代後半のはず。
こちらです http://www.youtube.com/watch?v=6HkAOKcdG8o


年なのよ/Goodbye Again

2009年03月19日 02時24分21秒 | 映画
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です

春です。 憂鬱です。適応能力に難があり、何かが終わったり、始まったり、
改まったりするこの季節が本当に苦手です。 アレルギーもあるし。
生来、憂鬱の性質なもので、このわけのわからない、起きてもいないことに対する
不安感とでも言いましょうか、それがとても憂鬱でなりません。
人はこの季節のこんな居心地の悪さをどうやって乗り切るのでしょう。
そもそも、そんなことを感じているのはわたしだけかもしれません。いい年して。

そんなわけですが、もう自分はしない恋の話をしてみようと思います。

高校生の頃、F・Saganの『ブラームスはお好き』という小説を読みました。言うまでもなく翻訳本です。
好きなんだけど、別れを選ぶ。愛されているのに、身を引く。そんな物語なのですが、
何ゆえに?立派にこれ以上なく恋愛は成立しているというのに。

はい、その答えは『年だから』(恋愛の相手は若い美青年)

その後、二十歳くらいになっていたかなあ?・・
その小説を映画にしたGoodbye Again『さよならをもう一度』を観ました。
主人公に、Ingrid Bergman。彼女に恋する年下の青年にAnthony Perkins
ごめんだけど、イングリット・バーグマン、ごっつくてあんまり顔も好きじゃなかったし、
細身のアンソニー・パーキンスとの組み合わせどうなの?
おまけにすでに小説を読んでいて、妄想で作り上げたイメージが邪魔しそうだし。
しかし案外と気にならず、小説を読み終わった時と大して感想に変化もありませんでした。

原作では主人公は39才という設定で、映画の方はもう少し上だったと思います。
バーグマンも、もう少し上の様に見えました。
どちらにしても、当時は自分がそういう年齢になるなんて思ってもいなかったんです。
そう、40才なんていうのは、死ぬ時と同じくらい遠い遠い彼方にあったわけです。
だから、その辺の年齢になった自分がどんな思考を持つかなどもわかるわけがありませんでした。
しかし、恐るべきことに作者のサガンはこの物語を22才の時に発表しているんです。

当時は、主人公のバツイチのおっさん恋人なんかのことは全く無視して、若い美青年との恋を応援しました。
しかし、ただ好きだ好きだで迫ってくる若者に、はいはいそうですか、わたしもよ
しばらく恋を続けましょうかとはこの年になると思わないですわ。
いや、思う方いるかもしれませんが、どうしたっていつか終わる恋だと思ってしまいます。

今読み返したり、観返したりしたならば、もっともっと別の見方があると思うのですが、
年なのでそういう気が起こりません。
とても印象的だった別れのシーン http://www.youtube.com/watch?v=Eo7XcBCvKIA&feature=related
『フィリップ、わかって頂戴フィリップ、わたしは年なのよ』
階段の手摺がグニャグニャ揺れています。今気づいたけど、小説と名前が違う、フィリップでなくて、シモンだった


原作のサガンはフランス人ですが、訳者の朝吹由紀子さんだったか?誰だったか?があとがきに
39才の主人公についてフランスではまだ40才?代?の女性は若い女性と考えられるというようなこと
を書いてあったというような曖昧な記憶が残っています。当時は人事でしたからフーンって感じ、
今聞くと何々、そうかあ、じゃ将来何になろうかなあ・・・などと調子に乗りたくなるお言葉です。

で、やっと今日書きたかった80年代ネタに行き着くのですが、
先日フランスの女優人気投票みたいな結果がネットのニュースになっていて、
その一位が、Sophie Marceauソフィ・マルソーといえば、『ラ・ブーム』という映画でデビューして
映画自体は大した内容とは思えませんが続編『ラ・ブーム2』もできました
80年代の日本でも大変な人気があり、マクセルやカゴメのCMにも登場していました。
そんな彼女も42才ですって。それでもって人気No1。あながち、フランスでは40代の女性は
まだ若い女性と考えられる説は間違ってないのかもしれないし、
最近では日本でもアラフォーとかいって勢いのある世代です。好きな扱われ方じゃないですが
ちなみにフランスの人気男優の方も40代のDANY BOON 42才。よく知らないけど

『さよならをもう一度』リメイクするなら、全編フランス語でまさに今のソフィ・マルソーでいかがでしょう。
相手役にピエール・コーソは無理でしょうけど この意味がわかる方はかなりな事情通

それにしても、確かに年は誰でもとるので仕方ないです。
でも、ソフィー・マルソーはあの頃の面影、印象を損なわず、上手に年を重ねているようです。
次回は彼女やラ・ブームについてあの頃の思い出を書こうかな。

WBCユニフォームのジンクス  

 かちいろ、紺のユニフォムを着ていたから今日は勝てるぞと思ったのに韓国に負けてしまいました。ため息。
 野球はイチロー一人でやるものじゃないのに、イチロー、イチローと期待されすぎて、非難もされて
 ちと気の毒に思えます。他にも打てない人、大振り専門の人いると思うのですけど。
 ただ、ションボリ小さく見えたのが気がかり。先頭に立って引っ張る役目は重要。
 これで、ユニフォームの色で勝敗は関係なくなったから、安心して白でも戦えます。
 あの球場の勝負の女神は不在だったようで、自国の応援に行っていたみたい。  
 今日は是非とも日本の味方をしてくださいませ。
 





James Bondと言えば・・・/007

2009年01月12日 19時21分11秒 | 映画
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です

http://jp.youtube.com/watch?v=fsiBhQ60rJE
まずは、何も言わずにこのビデオ。

007シリーズのJames Bondと言って思い出すのは、誰ですか?
わたしの場合は、初代Sean Conneryなんですが、世代的にはこのビデオに登場する3代目Roger Moore。
でも、スケベなエロ親父に見えて当時は嫌いでした。
2代目George Lazenbyは観たことがないんです

それ以降のJames Bondをきちんと観たことがないんですが、
次の4代目 Timothy Daltonがわたしは一番好きなんですよ。
だけど、世間の評価はよろしくないですよねえ。なんで?
ハンサムで、スマートで、タフで、スパイだから時に非情で、中々はまっていたと思うし、
彼が、ボンド役に決まった時、ぴったりだと思ったものでしたが、
先代のお二人よりずいぶん短いお勤めでした。

わたしは彼のことを『嵐が丘』のヒース役で知ったのですが、
やはり長編文学『スカーレット』のバトラーをTVで演じていましたっけ。
バトラーをやるから、ボンドを降りたと言っていた人もいましたが、どうなんでしょうね。
バトラーと言えば、クラーク・ケーブルのイメージが強すぎて、ここでも損しちゃった感じです。
でも、ちゃーんと観て下さい。当時の我が家ではテモシー・ダルトンに一票。
この方は年をとるほど素敵になっていくタイプだと思います。

80's世代のわたくしとしてはロジャー・ムーアについて語らねば。

スケベなキザ男みたいであんまり好きではなかった彼。
世界中の人からきっと愛されたであろう妖精オードリー・ヘプバーンの晩年、
何かのプレゼンターを務めた二人のやり取りが印象的でした。
オードリーをエスコートするロジャー。
「相変わらず素敵ね」みたいなことを言われて、
「君の横にいるのにふさわしくあるためさ」みたいな返答していました。
くーっ。キザですねえ・・・・・でも素敵ですねえ。そんな言葉出てきませんよねえ中々。
ちなみに歴代ボンドさんの中では、3代目だけど一番年上で、80才を過ぎてます。
いつまでもお元気で、素敵なおじいさんでいて欲しいものです。

人それぞれに自分の中のボンド像があって、そこら逸脱すると馴染むのには
時間がかかるかもしれませんね。
ブロンド、ブルーアイズのダニエルさんも苦労しているみたいです。
わたしも初めて見たときあまりにソフトな印象に好感を抱くものの、首を傾げました。

でも、これは基本中の基本なのですが、うっかり忘れていたことに気づきました。
そう、James Bondって英国人なのですよねえ。
歴代ボンドさん方もみんなブリテッシュな方達です。
初代、3代、5代(アイルランド)はアメリカっぽい印象を受けます。
2代はオーストラリアだそうですが、言葉のアクセントの面で苦労があったとか。
6代はそういう意味では嵌っているのかもしれません。

James Bondってスズキさんっていう日本人と結婚したことがあったそうです。
子供もいたらしいです。

次回は今日の冒頭で登場したミュージックビデオ、80's世代の王子様達Duran Duran
について書きます。