前向きな人生の整理整頓

人生も後半、一日が短いです。明日やると思っても、若者のようには明日はたくさんないのかもと気づいた今日この頃

憧れのパリジェンヌ/La Boum

2009年03月29日 01時33分02秒 | 映画
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です

80年公開のLa Boumは本国フランスより日本での公開は1、2年後だったかと思われます。
82年頃かな。日本公開の後、既に続編の撮影が始まるような話があって、
スクリーンやロードショーといった雑誌で話題になっていた記憶があります。
雑誌の中の Sophie Marceauが、ラ・ブームの時とは体つきが変わっていましたから、
数年の時を経ての撮影だったかと。彼女は案外背が高くて170cmを超えていたと思います。
今聞くとそうでもないのですけど、見た目の印象と声の感じがずいぶん違う気がしました。
まあ今も慣れているわれではないけれど、当時はフランス語の響きというものに
馴染みが無かったのもあるかもしれません。

そもそも、ラ・ブームのブームとは、自宅というか、他人ン家というか、
普通の家で開かれるディスコパーティみたいなものでしょうか?!
親の監視のもと開かれるみたいな。
「今夜ブームに一緒に行かない」みたいな文句で女の子を誘うらしい・・・。多分。
ラは冠詞でしょうな。おそらく。

そもそも、わたしはこの映画をちゃんと観たことがあるのだろうか?
おそらくテレビで観たと思うんですよ。ラストシーンで現れた男の子が次の恋の相手となり、
次のラ・ブーム2で絡んでくる予定のような話があったのですけど、結局は別の新人?
Pierre Cossoという人になっていました。
このピエール・コーソですけど、どうなんでしょ?外見的にはわたしは素直に好みとは言いかねますなぁ・・・。
一応美青年ということですが、あんまり日本人受けしないタイプとでも言っておきましょう。
わたし的には例えて言うなら、『化粧をしていないマリリン』髭剃り跡の濃い感じ。
ハンサムよ、という方もきっとたくさんいると思いますがわたしの周囲にはそういう世論はありませんでした。

その頃のソフィー・マルソーはリセって言うんですか?日本で言う高校を卒業する頃で、
ラ・ブームを録り終えたら、学業に専念してバカロレア、(大学入学資格のための試験)
を目指す意向だったようですが、次々に舞い込む仕事ゆえに断念したようでしたが、
その後バカロレアを受けたかどうかは未確認。

校則に縛られ、制服に身を包んで、好きな髪形にもできない中学生のわたしから見ると
フランスの高校生はずいぶん大人で、自由で、何より高価なものを着ているわけでも、
身に着けているわけでもないのに、着古した綿シャツや、セーターという何でもない服装すら
おしゃれに見えましたし、上手に着こなしていたと思います。
また、櫛目も通ってない無造作な髪なんかも絶対まねできない、
『パリジェンヌってこんな感じなんだ』と勝手な理解をしていました。
ちょっとクリスティー・マクニコルに雰囲気が似ていた気もするけど、断然おしゃれ。
まあ憧れの女の子という感じで、絶対無理なのですが、こんなふうになれたらなあ・・・と思ったものです。

ふと思い出したのですけど、コーラにストロベリーシロップを入れたものを彼女がインタビューのときに
注文したことが書かれていて、フランスにはそのようなものがあるのかと思ったのですが、
今考えると、コーラにかき氷のシロップを入れたようなものではないでしょうか?げっぷ、ご馳走様・・・

そんなわけで映画自体の印象はあんまり強く残っていないのですが、
音楽の印象はサントラ盤は両方持っていますし、強烈に残っています。
次回は個人的な思い出を絡めて主題歌について書きます。

ピエール・コーソですが、今どうしているのだろうと画像検索をかけてみたのですが、
素敵に年をを重ねていて若い頃よりずっといい感じです。誰かに似てるなあ・・・

youtubeでもみつけました。現在彼は40代後半のはず。
こちらです http://www.youtube.com/watch?v=6HkAOKcdG8o


年なのよ/Goodbye Again

2009年03月19日 02時24分21秒 | 映画
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です

春です。 憂鬱です。適応能力に難があり、何かが終わったり、始まったり、
改まったりするこの季節が本当に苦手です。 アレルギーもあるし。
生来、憂鬱の性質なもので、このわけのわからない、起きてもいないことに対する
不安感とでも言いましょうか、それがとても憂鬱でなりません。
人はこの季節のこんな居心地の悪さをどうやって乗り切るのでしょう。
そもそも、そんなことを感じているのはわたしだけかもしれません。いい年して。

そんなわけですが、もう自分はしない恋の話をしてみようと思います。

高校生の頃、F・Saganの『ブラームスはお好き』という小説を読みました。言うまでもなく翻訳本です。
好きなんだけど、別れを選ぶ。愛されているのに、身を引く。そんな物語なのですが、
何ゆえに?立派にこれ以上なく恋愛は成立しているというのに。

はい、その答えは『年だから』(恋愛の相手は若い美青年)

その後、二十歳くらいになっていたかなあ?・・
その小説を映画にしたGoodbye Again『さよならをもう一度』を観ました。
主人公に、Ingrid Bergman。彼女に恋する年下の青年にAnthony Perkins
ごめんだけど、イングリット・バーグマン、ごっつくてあんまり顔も好きじゃなかったし、
細身のアンソニー・パーキンスとの組み合わせどうなの?
おまけにすでに小説を読んでいて、妄想で作り上げたイメージが邪魔しそうだし。
しかし案外と気にならず、小説を読み終わった時と大して感想に変化もありませんでした。

原作では主人公は39才という設定で、映画の方はもう少し上だったと思います。
バーグマンも、もう少し上の様に見えました。
どちらにしても、当時は自分がそういう年齢になるなんて思ってもいなかったんです。
そう、40才なんていうのは、死ぬ時と同じくらい遠い遠い彼方にあったわけです。
だから、その辺の年齢になった自分がどんな思考を持つかなどもわかるわけがありませんでした。
しかし、恐るべきことに作者のサガンはこの物語を22才の時に発表しているんです。

当時は、主人公のバツイチのおっさん恋人なんかのことは全く無視して、若い美青年との恋を応援しました。
しかし、ただ好きだ好きだで迫ってくる若者に、はいはいそうですか、わたしもよ
しばらく恋を続けましょうかとはこの年になると思わないですわ。
いや、思う方いるかもしれませんが、どうしたっていつか終わる恋だと思ってしまいます。

今読み返したり、観返したりしたならば、もっともっと別の見方があると思うのですが、
年なのでそういう気が起こりません。
とても印象的だった別れのシーン http://www.youtube.com/watch?v=Eo7XcBCvKIA&feature=related
『フィリップ、わかって頂戴フィリップ、わたしは年なのよ』
階段の手摺がグニャグニャ揺れています。今気づいたけど、小説と名前が違う、フィリップでなくて、シモンだった


原作のサガンはフランス人ですが、訳者の朝吹由紀子さんだったか?誰だったか?があとがきに
39才の主人公についてフランスではまだ40才?代?の女性は若い女性と考えられるというようなこと
を書いてあったというような曖昧な記憶が残っています。当時は人事でしたからフーンって感じ、
今聞くと何々、そうかあ、じゃ将来何になろうかなあ・・・などと調子に乗りたくなるお言葉です。

で、やっと今日書きたかった80年代ネタに行き着くのですが、
先日フランスの女優人気投票みたいな結果がネットのニュースになっていて、
その一位が、Sophie Marceauソフィ・マルソーといえば、『ラ・ブーム』という映画でデビューして
映画自体は大した内容とは思えませんが続編『ラ・ブーム2』もできました
80年代の日本でも大変な人気があり、マクセルやカゴメのCMにも登場していました。
そんな彼女も42才ですって。それでもって人気No1。あながち、フランスでは40代の女性は
まだ若い女性と考えられる説は間違ってないのかもしれないし、
最近では日本でもアラフォーとかいって勢いのある世代です。好きな扱われ方じゃないですが
ちなみにフランスの人気男優の方も40代のDANY BOON 42才。よく知らないけど

『さよならをもう一度』リメイクするなら、全編フランス語でまさに今のソフィ・マルソーでいかがでしょう。
相手役にピエール・コーソは無理でしょうけど この意味がわかる方はかなりな事情通

それにしても、確かに年は誰でもとるので仕方ないです。
でも、ソフィー・マルソーはあの頃の面影、印象を損なわず、上手に年を重ねているようです。
次回は彼女やラ・ブームについてあの頃の思い出を書こうかな。

WBCユニフォームのジンクス  

 かちいろ、紺のユニフォムを着ていたから今日は勝てるぞと思ったのに韓国に負けてしまいました。ため息。
 野球はイチロー一人でやるものじゃないのに、イチロー、イチローと期待されすぎて、非難もされて
 ちと気の毒に思えます。他にも打てない人、大振り専門の人いると思うのですけど。
 ただ、ションボリ小さく見えたのが気がかり。先頭に立って引っ張る役目は重要。
 これで、ユニフォームの色で勝敗は関係なくなったから、安心して白でも戦えます。
 あの球場の勝負の女神は不在だったようで、自国の応援に行っていたみたい。  
 今日は是非とも日本の味方をしてくださいませ。
 





ほとんどSteveのこと/Visage

2009年03月14日 02時07分29秒 | 音楽
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です

先延ばしになっていましたが、Visage のこと書きます。

まず、以前話題にしたIn the year 2525はこちらで http://www.lastfm.jp/music/Visage?setlang=jp

全然詳しくないのですが、時代の先駆け的な存在だったと思われます。

そもそも、ボーカルを務めていたSteve Strangeが働いていたか、経営者の一人だったかのロンドンの
クラブでの企画というか催しというか、そんなところからニューロマンテックは芽吹いたようです。
そもそも、わたくし、ニューロマンティックとか知ったかぶりしたことを言ってはいますけど、
そんな音楽のジャンルはあるんでしょうか?ないよね。ない。勝手に決めます。
第一に外見ありき。美しくお化粧して、奇抜な衣装着て。時にはスーツをビシっと着て、
その袖口にフリルがチラとのぞいたりすれば、究極のニューロマンティック。
まあこんなところが当時も今もわたしの解釈です かなり怪しげな
ヴィサージ、日本ではこう言われてますので、そう表記しますがきっとヴゼッジ。
前にデュラン・デュランの時もじゅらんじゅらんとかいいましたが、
スティーブもヴィサージではくてヴゼッジって発音していたと思います実にくだらんどうでもいいことですが

訳したら、『お顔』『面(おもて)』『様相』っていうところでしょうが、造語で別の意味だったはず。

スティーブ以外のメンバーはあんまり表立っては出ていなかったと思うんです。
裏側にUltravoxのミッジ・ユーロとかラスティー・イーガンがいたことくらいしか知りません。

Virgin Recordsの企画物のアルバムだったと思うのですが、The Human Leagueや
Culture clubの曲と一緒にVisageも入っていたものがあって持っていました。
わたしが気づいた頃にはもう活動が下火になり始めていた頃だったかもしれません。

ニューロマンテックと言われていたバンドは外見重視のアイドルみたいな扱いをうけますが、
結構ボーカリストは歌のうまい人が多かったとわたしは思っています。
でも、ゴメン、スティーブはあんまり上手な方ではなかったと思います。
が、当時のエレクトリックなサウンドに助けられていて、レコードで聴くには気になりません。

スティーブとBoy GeorgeとMarilyn(マンソンじゃないよ) 、世に出たのはスティーブが一番だったわけですが、
デビュー前の三人は、ロンドンのナイトクラブでの夜遊び三羽烏って感じでしょうか?
http://www.youtube.com/watch?v=5QgRBjgFkZY Boy George - Mr Strange
二人の競い合い、すでにヒットを出していたスティーブにに対する嫉妬を歌っていると書かれているようです

ずっと観たいと思っていて、いまだに全編観ることができていないボーイ・ジョージの
ミュージカルTabooにも実名で三人は登場するようです。
音楽性やシンガーとしての実力はジョージが一番だと思いますけど、
流行を読み解き、取り入れるセンスとかはスティーブが三羽の中では頭ひとつ上かな。
それはレコードのジャケットひとつとっても光っていると思うんですよね。↓
Visage - Fade to Grey 12 INCH VERSION!!!


まあ、これはスティーブだけのセンスではなく後ろに働いている人は一杯いるでしょうが。
パーティの先導や企画、クラブ経営などの手腕(Blitz、Camden Palace 等)を考えてもそう思います。
じゃ、マリリンは?それはまたいつかに・・・

最近のスティーブのことはあまり知らないのですが、この曲に助けられて活動しているようです。
http://www.youtube.com/watch?v=WZ8jVfa-dRk&feature=related  Fade to grey 2005
歌はやっぱり、上手とはいえませんけど。楽しませていただきました。

わたしがヴィサージで一番好きな曲
http://www.youtube.com/watch?v=-PsvB34Dob0  The Horseman
スティーブのセンスを誉めたけど、この時の彼はどーなんだろ?ズボンの丈なんかが当時を感じますね。
ジャケットはビビアンかも?しれない。
夜遊びばっかりで日にも当たらないイメージですが、上手に馬に乗っています。

↓BBC Top of the Pops のインタビューが読めるんですけど、ヘロイン中毒のことや、
テレタビーの万引き事件といった不名誉なことともちゃんと向き合っている印象を持ちました。
ちょっと見つけることができなかったのですけど、以前youtubeで、
わりと近年のスティーブのインタビューを見て、ずいぶん彼に持っていた印象が変わりました。
穏やかな、ナイスガイでした。
http://www.bbc.co.uk/totp2/artists/s/strange_steve/underthegrill/page1.shtml

 さよならブルートレイン 
今日はブルートレイン富士はやぶさのラストラン。わたしは飛行機派なもので、
使ったことがないのですが、身近に鉄道好きがいて、使っていました。
利用はしなかったけど、ちょこんとホームで乗客待ちをしている彼女?彼の姿をよく見かけていました。
「ああ、これに乗れば・・・・・」その時々でさまざまな思いがありました。
お疲れ様、またひとつ昭和が消えちゃう。時代の流れだから仕方ないという声、
淋しいよ。せつないよ。
夏休みだけとか、予約制で時々復活させて走らせてあげて欲しいな。
そんな企画、無理ですか?



美しきspy/金賢姫

2009年03月12日 01時29分05秒 | ニュース
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です

拉致被害者の田口八重子さんの兄、飯塚繁雄さんと息子の耕一郎さんが、
北朝鮮の元工作員金賢姫と面会したそうです。
金賢姫は日本語の先生が田口さんだったとを証言し、拉致が明らかになりました。

87年、金賢姫は大韓航空機をもう一人のおっさんスパイと爆破して墜落させる事件を起こし、
100人以上の人が亡くなりました。そのテロ行為は当時大きなニュースになったのですが、
北朝鮮の存在なんて大して気にしたこともなかったし、事件の目的にすら関心がありませんでした。
まあ事件の詳細はわたしが書くまでもないのでこれくらいにします。

当時思ったのは、このスパイ二人は偽造旅券で『蜂谷』を名乗る日本人親子になりすましていたのですが、
捕まった時、口にテープを貼られて飛行機から降りてくる金賢姫の姿を見て、
どう見ても、日本人の20代の女性には見えませんでした。
服装も髪型も、閉鎖的なとこからやってきたおばさんに見えたし、
学校でも何かしらそのときの異様な雰囲気が話題になりました。
後に、彼女の日本語を聞いて、このアクセントで日本人に成りすませると思ったのだろうか?
と、工作のお粗末さを感じたものでした。

口のテープをはずして、髪をおろした彼女は案外美人で、中森明菜に似ているといわれたり、
結婚を申し込む男性がたくさんいるなんて話もあった気がします。

後に韓国で死刑が確定。なのに元死刑囚なんて呼ばれています。
この事件を詳しく観察していなかったので、その点をずっと何故だろうと思っていましたが、

今日のニュースで特赦を受けていたと知りました。
証拠品みたいな意味や対北朝鮮ということで色々あるみたい。
憶測ですが、司法取引みたいなものもあったのかもしれません。

今日のような面会も特赦あってのこというわけになりますが、
100人以上の方が亡くなったという事件の大きさを考えると、彼女が結婚して母親として、
幸福に暮らしているというのは、遺族の方にとっては受け入れがたいことかも。
わたしもそう考える部分がありましたが、今日の面談の後の会見で明かされた
彼女の暮らしぶりを聞いて、てっきり韓国でのうのうと暮らしているものと思っていましたが、
前政権時代、韓国での生活も安穏とは言えず、咎に対する責めはそういった日常で
償っている部分もあるのかもしれないと思いました。

この人が生き残っていることは意味があることだと思いますから、
沈黙するよりもっと語ってほしい。それができる時代になってきたんじゃないでしょうか。

過酷な運命ゆえか、久しぶりに見たキム・ヒョンヒは少し痩せた感じはしましたが、
穏やかな容姿の中に強さや気迫をたんまり持っている人だと感じました。






友達になりたい/Michael Jackson 2

2009年03月10日 01時21分55秒 | 音楽
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です

今思うと、Bad Tour ライブは伝手があったので、行っておけばよかったと悔やまれます。
思い出の中のマイケルはエマニエル坊や(古い話です)を連れていたり、サルを抱っこしていたり、
ペプシコーラのCM撮影で髪が焼けてしまったり、(どうでもいいことばっかり)
カッコ好く歌い踊るマイケルを心に止めておけばよかった。

わたしがマイケルを最も身近に感じることができたのはディズニーランドの飛び出す画像のマイケルよ。
ディズニー・ランドに行くたび見ていました。
ついでにだけどマイケル、ディズニー・ランド借りきるより、並んで入る楽しさもあるのだよ。

でも、わたしたちの世代はマイケルが一番輝いている時を知っていることは幸福なんですが、
それだけに、彼の変貌や音楽以外のことしか話題にならないのが、一番残念な世代でもあるんですね。

話題にすべきか、せざるべきか悩むところなんですが、彼を語る上で美容整形は外せない。
子供のマイケルは、きれいな澄んだ目をしていて、笑顔もかわいかったのに。
まあ80年代の彼はすでに手術していたと思いますけど、あの位が一番良かったのに。
これはわたしの印象ですが、どこか人から直視されるのを避ける印象は当時からありました。

週刊誌によると、Elizabeth Taylor の大ファンで、彼女の映画を観るための専用の部屋を持っていて
容姿もリズみたくなりたかったというようなことを書かれていました。
リズみたいにっていう部分は週刊誌の書くことなのであてになりません。
そりゃわたしだって、なれるんなら若い頃のエリザベス・テイラーならなってみたいっっっっっ。
そのためには眼球から紫に取り替えねばなりません。絶対無理。ムリムリ。
お金があったら諦めないのか?イヤ、やっぱりわたしはわたしでいたいわ。

そう この点なんですよね。マイケルはマイケルでいたくないのだろうか?
文句なしにマイケルはマイケルのままでいいのにとわたしは思いますが。
余談になるけど、Plasticsurgery関連なら、80's世代は、マイケルよりピート(pete burns)の方が上だと思う。
でも、韓国の扇風機おばさんやブラジルだったけ?の何十回も整形した人から比べるとマイケルもピートも序の口かも。
みんな魅力的な人ばっかりだった。もっと、もっとと思うのだろうか


以前、マイケル・ジャクソンの真実という番組がありました。
あんまりちゃんとは観てなかったのですが、真実っていう感じはしませんでした。
公的な顔しか見せてくれてはいない気がしました。
ちゃんと物を吟味もせずに、美術品とか、店中のものを買い占めているのを見ていて
ちょっと悲しくなった覚えがあります。そして、マイケルと友達になりたいと思いました。
ただただ、話を聞く友達になりたいとなぜだか思いました。

さて、以前よりポンドも100円くらい安くなっているから、
7月は日本からもたくさんの人が出かけるんでしょうね。
言うまでもなくわたしは行かないけど。(密かにYoutubeなんかに期待)
懸念されている声の状態とかってどうなんでしょうね。
例え昔と声が違っていても、それはそれでいいと思います。CDかけて踊ったりするのは頼むからナシですよ。
過去に築いた遺産に頼っているみたいな雰囲気を払拭するかっこいいライブになるといいですね。

そして最後に思ったけど、コンサートは最後でも新曲を作ったり、
発売したりはあり得るってことですよね。マイケル。 おしまい






言わなくてもわかるよ/Michael Jackson  

2009年03月09日 01時00分48秒 | 音楽
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です

Visageのことを書くはずでしたが、これは後回しにします。

本日はMichael Jackson  別に私が紹介する必要もありませんけど。80年代のスパースター。
マイケルにはたった一つ?気に入らないところがあります。鼻でも、顎でも、髪型でもありません。

それは歌わなくなったこと。
美容整形の後遺症やその他諸々秘密の美容術?のせいで体を壊して声が出ない説などありますが、
そりゃそうだよ。どんなに歌の上手な人でも長い間歌っていなかったら声が出なくなるのは当たり前です。
近年来日した際、何やらファンの集いのようなものを催してえらく高額な入場料をとって、
ヒット曲の一曲も歌わなかったようで、明らかにお人よしの日本人からジャパンマネーを
集めに来たという印象を持たざるを得ませんでした。
大好きなスターの歌っていうのは聴き手の心に魔法をかけるんだよマイケル。

まあ何らかの理由があったのでしょう。
そんな彼が、7月にロンドンでコンサートをすることを宣言。しかもそれが最後の公演になるとのことです。
が、ロンドンでは最後という意味なのか、生涯最後というニュアンスなのか?
Retro Festに出るという噂もあったような気がするけど実現していないし、
会場が決定しているみたいだから、土壇場でのキャンセルはないといいのですけど。
違約金なんかも大変なことになると思いますから。

どうでもいいことなんですけど、この件についての記者発表の時のマイケル、
自分でそうさせたのか、勝手に作ってあったのかは不明ですけど、演台の前の名札が
King of pop MICHAEL ってわざわざ作って書いてあった。
自称The King of Popらしいけどこんなこと他の人が言うのはともかく自分で言っちゃうなんて、
にしきのあきらがスターって言っているのと同じ様なものでしょうか。
今、Heal The World聴きながら書いているんですけど、こうやってしみじみ聴かせてもらうと
流石だなあって思います。わざわざキングなんて言わなくても納得するのに。

80年代、売れに売れたけどわたしはマイケル・ジャクソンは一枚も買わなかったなあ。
わたしにとっては特別な存在ではなく、売れた人の一人という感じでした。
Paul Mccartney との Say Say Sayはよく聴きましたし、好きでした。
わたしはまだ、ちびマイケルだった頃のBenとか、邦題しかわからないけど
ママにサンタがキスをしたって曲が好きです。あとはShe's Out of My Life
バラードがすごくいい。

マイケルの歌やダンスなんかをあらためて見聞きすると、本当に才能を
持って生まれてきたんだとつくづく思ってしまいます。
でも、彼はそれをあんまり大事にしてこなかったんじゃないでしょうか?
何を見ているのかはわかりませんけど(そこのところが凡人にはわからない)
自分の才能とは別の何かを見つめて追いかけているみたいな気がしてならない。
全く彼の行動規範みたいなものがわからないわけですが、残念だけどそれは音楽ではない気がします。

そんなわけで、今回の記者発表を聞いて思ったのは、昔はどうだったか知れませんが、
現在の彼にとって音楽は困った時に頼るもので、歌うことは『芸は身を助ける』

WBCの韓国戦快勝に気を良くして昨夜飲みすぎてしまってが調子が悪い。
明日は、もう今日か、また再び韓国とだ、明日に備えて寝ないと日常業務に響きます

そんなわけで、マイケルのあんなこと、こんな思い出 つづくことにします。
http://blog.goo.ne.jp/hachimitsu80anaemic/e/f78a23eeb9ca15dfbd1d924350e99944


西暦2525年は?/ Zager & Evans

2009年03月03日 02時58分49秒 | 音楽
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です

80年代のあの頃、まだ21世紀なんて遠い彼方あった。
未来都市はきっと事故なんて絶対に起きないような交通システムがあって、ロボットが
ある程度の家事はこなして、コンピーュターで学校の授業を受けて、
一週間に一回だけ登校日があって、みんな70年代のCOURREGESのドレスみたいな服を着ていて、
完璧な翻訳機があるから海外に行ってもちっとも困らなくて、あんまり食べることに興味のない
私みたいな人は、カプセルひとつ飲めばバランスよく必要な栄養がとれて、
もしかしたら気軽に宇宙なんかにも行ったりできてと、これくらいにしておこう。
それくらい遠い遠い未来のことだと思っていました。
上記の事柄で完璧に実現していることはまだないと思われます。

実際のところ、あの頃と21世紀の現在は案外近いところにありました。
まあ、これはわたしの経年感覚であって、ひどく昔のことじゃんとおっしゃる方もいるやも知れません。
それに、21世紀っつたってまだまだまだまだ先は長いですからね。

多分高校生の頃だったと思うのですけど、年の離れた従兄から
西暦2525年- In The Year 2525というふるーいシングルレコードをもらいました。
その当時は昔の洋楽だと思っていましたが、たかだか15~6年前のものだったわけです。
生まれた頃のほうが近かった
何だか暗くてどんよりした曲だなあと思ったものです。
「結構いい曲だろ」なんて言われて、「うん」とちょっとばかり気を使ってしまいました。
歌っていたのはZager And Evans という二人組みでしたが、彼らのそこまでの来し方も知らなければ、
それ以降どうなったかも知りませんが、チャート入りしたヒット曲だったことは間違いないはずです。
というのも、後に『洋楽王国 POP STATES』という番組でパール兄弟のサエキけんぞう氏と
司会の織田さんが売れたけど滅茶苦茶暗い曲だったって話していたのを覚えているんです。

でも、この曲実は80'S世代だったらVisageの曲として知っているんですよね。
こちらはオリジナルみたくどんより暗くないし、80's夜明け前の近未来を感じる雰囲気でした。
私の記憶に間違いがなければ、オリジナルから10年後の79年に録音されたものだったはずです。
ここでの10年の感覚ってすごく重厚で長い感じがするけど、今現在からの10年前というと
すごく薄っぺらで、私にはずいぶん短い時間だったように感じます。
これからどんどん短くなっていくのかも。2525年なんてすぐやってきそう。まあ、生きちゃいないけど。

そのときもし男と女が生き残っていたらどうなるんですか?いったい何がわかるんですか?
もっと先まで生きたらしゃべる必要もないし、歯もいらなくなるって・・・(省略)
更にさらに長生きしたら、ダンナも奥さんも必要ないって(これはいいかも)
子供はガラス管から拾ってくるって・・・・(省略)
ずーっと続いてIn the year 9595 ・・・
人は与えられるばっかりで地球に何も返してはいないみたいなことを言っていると思うのですが、
環境のことや現在の人の有り方を考えると、この曲の出番は今こそかもしれません。
まだ今なら間に合います。この曲の暗さは未来を憂いていたものだったのでしょうか。

まだ東京都庁が完成したばかりの頃、時代が変わったなあと思いつつ、
夜景の中にそのビルがあることにうっとりしたものですが、自分の部屋に飾ってあった
ブリューゲルの『バペルの塔』の絵といつも重なって見えたものです。
今日は久しぶりにレコードを引っ張り出して歌詞を見ていたらそんなことを思い出しました。
不親切にも歌詞のみで訳詞が載っていないので大体勘ですけど。

http://www.youtube.com/watch?v=7tL4AVU5ug8   このレコードジャケットですわ
   ちなみに B面はLittle Kidsという曲です

2525年はそんなに遠くないぞ。焦りなさい人類。(わたしもその一人だわ)

近いうちに今日の話題でも出てきたVisageのことを書きたいです。