前向きな人生の整理整頓

人生も後半、一日が短いです。明日やると思っても、若者のようには明日はたくさんないのかもと気づいた今日この頃

心配事を捨てる

2017年11月30日 11時43分18秒 | 整理整頓
心配事があります。
それが自分の努力でどうこうなるのであれば、これを打ち消すために
こんなダメなわたしでも何とかしようとするのですが、
他者の行動によって影響を被る恐れがある、こういう心配事、
いつも言っているけれど、他人は変えられないから、どうすることもできないわけで。

苦手な人がいます。
それが他人ならば近づかないまでなのですが、これが身内の場合、
こちらがどう思うかなどあまり気にもしてもらえず、
気を遣うばかりで、ことが荒立たないことを願うだけ。
迷惑を被らないですみますように・・・すみますように。
対話?とんでもない。
それができればとっくにしています。
試みたことだってありますが、そうすると物凄くものすごく
腹を立てられていや~な思いがいつまでも残るだけで、向こうは
また平気で、頼み事をしたり扱使ったり。
身内だから何を言ったり、何をしても平気で許されると思ったら
大間違いで、本来協力すべき大事な時に怒鳴られてついてしまった深い傷は
いまだ癒えませんし、深く信頼し頼っていただけに今は信用できない人になってしまいました。

わたしのささやかな生活領域を侵されることだけは勘弁してほしいです。

考えてもどうにもならないので、年末の残りひと月、嫌な気持ちで過ごさず、
ここに書きつけたことでもうこの問題はこころから消去。

誰もが口にする。この一年はあっという間だったと・・・・・
昔より、時は短くなっているのかしらね。

今がそのSOMEDAYだとしても

2017年11月20日 14時23分53秒 | 音楽
佐野元春のSOMEDAYがどこがで流れていました。

懐かしい…そう思う自分が不思議でした。
『お気に入りだった』と『懐かしい』はまた違う思いなのだなぁ。
だけど、『懐かしい』は慕わしいという良き印象を含んでいないと起こらないものではないのか?
自問自答するのであった・・・

佐野元春のSOMEDAYが慕わしいかどうか?さらに自問自答するのであった。
はっきり言っちゃうと・・?聴き取りにくいよね。
これは81年の発売というので、わたしが初めて聞いたのは高校生だったから
それから何年かたってのことで、『少し昔の歌』だと思って聴きました。
そう、昔。高校生にとってはそんな感じでした。
でも全然昔っぽくなかった。

歌詞を初めに見ていいなと思ったので、レンタルしたのですが、
何歌っているのかわからないなと、即返却した記憶があります。
歌詞ほどには音が響いてこなかったわけなのですが。

その当時佐野元春の歌い方というのは画期的だという人々もいましたし、
真似したい感じだっただろうし、今は踏襲する人もたくさん出てきただろうし
そんなに違和感を持つ人っていないでしょうね。

当時は、日本語の歌詞を洋楽のように歌うということが、
音楽をすっーと聴かせる技術の一つとして感じられていました。

歌詞に使う言葉も音として選びぬかれている感じもします。
とても良い。

SOMEDAYという言葉を覚えたはいいけれど、
そのころのわたしはいつかと言えばSOMEDAYばかりで
語るほどのone dayを持ってもいなかったから
遠い場所にいるわたしは、
こんなふうにいつか、今をいつかの日として見つめるときが来るのだろうかと
夢の一つ一つを消していっているのだろうかと
思ったのでした。

今がそのSOMEDAYだとしてもいや、もうそれすら通り過ぎている気もするけど、
この歌悪くないね・・・昔初めて聴いた時よりずっといい。
聴き取りにくいけど・・・シツコイ
いくつになっても『いつか』の思いはあり、いつかきっとと願い、夢も多少見る間は
まあいいかと思ったりしています。

福砂屋のカステラをいただいたので、インスタントではなくちゃんとコーヒーを淹れて
もう一度佐野元春のSOMEDAYを聴きました。
さあてと、これから掃除でもして気を入れなおします。
いつもの安物のカステラとインスタントコーヒーより動けそう。

いつの日かわたしは・・・・・・・

詩人みたいにcontrail

2017年11月16日 15時24分10秒 | わたしの思い
誰かが言っていた。
嫌なことや辛いことがあったなら、空を見上げるといいと。
もう、いなくなったひとはいつもそこから見守ってくれていると。

そんな言葉を信じられない時もあるけれど、
都合よく信じてしまう時もある。

もう少し、素直な心をもって生きないとね。わたし。

ただ、疲れた時や嫌なことがあった時には
こころの入れ替えに空を見上げるといいみたい。
グチグチとそれを言葉にすると醜くなるよわたし。

深く息を吸い込んだなら、見上げた空にゆっくり吐き出す。
と、囚われ事をきれいに浄化してくれる。

見上げた空に航空ショーでもあったみたいなXの文字。
飛行機雲だ。
なんだかすごくいいものを見た気分。
詩でも書けたならcontrailなぁんて素敵に気取ってみるのだけれど。
ふふふ・・・・ちょっと笑顔になれた。

空を見上げるとこころのストレッチになる。
誰の上にも空はある。
疲れたなぁ~ 嫌だなぁ~と言葉にする前に前に見上げるのである。


二十歳で、幸せだった

2017年11月09日 14時06分11秒 | 整理整頓
誰にでも二十歳の時はあるけれど、わたしにも確かにありました。

洗濯物のしわを伸ばすためにぱんっと振ったその時、左の中指から
指輪がはずれてコロコロと転がりました。

最近ふと思い出してはめてはみたものの、少々ぶかぶかしていました。
時々思い出してははめていたけれど、そろそろお別れかな。

わたしが二十歳の時、ヨコハマで買った銀の指輪です。、
アラベスク、つまり唐草文様の指輪。
全然高価な物でも、大して気に入ったわけでもなかったけれど、
シンプルで他のものとも合わせやすくていつもつけていました。

わたしの心の中にある大切な一日、悲しい日、辛い日、ホッとした日。
色々な日々を右手の薬指にいて共に過ごしました。
二十代の後半まで、一度も外したことがなかったのですが、
色々あって、わたしは二十歳の頃よりずいぶん痩せてきました。
元がそんなに太っているわけではなかったから、靴が大きく感じるとか、
指輪が緩くなるといったことで、悪しき傾向に気が付きました。
指輪がストンと抜け落ちるというのは明らかによろしくない。

若い頃は、体重というものを気にしますが、一㌔二㌔というのは
むくみとか、疲労とか、腸の調子とかであまりあてにならないものだと
今ならはっきり言えます。

結局指はもう太くなることはなさそうなので、二十歳のわたしとは
お別れです。
今外しました。もう二度とこの指輪は身に着けないことにします。

いつも幸せになろうとしていました。
でも、その時々に幸せだったんだよとこころが呟いた記念に古い指輪を外しました。
これでこころの中が一つ整理できました。