前向きな人生の整理整頓

人生も後半、一日が短いです。明日やると思っても、若者のようには明日はたくさんないのかもと気づいた今日この頃

前身するために、誰かに憧れてみる

2016年11月25日 18時30分58秒 | わたしの思い
前にもそのようなことをここに書いた記憶がありますが、わたしは誰かに憧れたり、
誰それの様になりたいといった思いが希薄で、素敵な人だなぁ・・・
こんな生き方があるのかと思うことはあっても、自分の価値観だけは大切にして、
それだけを頼りに生きてきました。

自分自身に大満足しているわけではありませんが、ひとを羨んだり、妬んだり、嫉妬でメラメラなどもありませんでした。
いいなぁ~とか言ったことはあるかもしれませんけれど、嫉妬を闘志に変える性根もありませんし。
そもそも、羨ましいってことは、自分の努力が足りないのだろうと思うことの方が先になります。

むかし、昔、あまり親しくもないクラスメートが、わたしにKさんはいいねえ~羨ましい・・・。
と言いました。一体何が羨ましいのだろう?なぜ?とわたしは聞いたかもしれません。
でも、明確な答えは返ってきません。
「羨ましい・・・いいなぁ」くりかえすだけの返答。
わたしは笑っていましたが、
こころの中では何を自慢するわけでもなく、「うん、そう」と答えていました。
いまのわたしは、自信といったものを喪失していますが、その当時のわたしは、
頼りない何の裏付けもないものを抱えてささやかながら自信をもって生きていました。
それは夢というものだったかもしれません。

ないようで、人生は様々な局面を持ち、次第に夢もなくなり、一応目標は持つことにしていますが、
いったん失ってしまった自信というのはわたしのたなごころに戻ってくることは今のところありません。

自分を頼りにしてきたとは言えども、このあたりで立ち止まってみると何か指針になるものが欲しい
自分に気づいたのであります。

最近、そんなわけで、地位も名誉もあり、お金も稼げて生き生き働いて、欲しいものは自分で買って
やりたいことをしている女性を見て、あー羨ましいなぁと心から思いました。
今更絶対に普通の努力では、そうなれないことは間違いありません。
そして、健康が羨ましいです。今、痛みに振り回される生活なので、益々自信喪失です。
それと、お金を稼げないことですね。
これが結構幅を利かせて、人間を小さくしてしまっている気がします。

専門的な仕事をしても、本当に稼ぎが少なくて、クサクサしている自分に気づきます。
でも、昔からわたしの良さは、てきぱき仕事をすることではない、丁寧な仕事をすることだと
自分に言い聞かせて目標を唱えるのです。

のようなすごい女性にはなれないかもしれません。
でも本当にこんな年になって生きる指針が欲しくなったので、わたしの流儀を留めつつ、
あまり人のまねなんてしたこともないですが、見倣えそうなところは取り入れさせていただきます。

先ずは、少しだけ自分に厳しく。
うん、誰かに憧れてみるっていいことかもしれない。
そうゆう癖がないので、羨んだり、嫉むことはどうやらなさそうです。

そう、わたしには夢はないけれど(現時点)目標ともうひとつ、願いはあるのです。

『この時』

2016年11月13日 14時45分40秒 | わたしの思い
小説も好きだけど、最近は寄る年波で目が悪くなってしまって、大長編小説などは
ある程度気合と覚悟を持って読まなければ、いい加減な読み方になってしまいます。

詩を読むのも好き。
だけれども、ふと思います。
詩って書き手が書いた『本当』を知らないといけないのでしょうか?って。
どんなシチュエーションで?どんな思いがあって?こういう意図で書きました。
なんて、言わないことがほとんどでしょう?
隠喩とかを追及して読むのが本当の読み手でしょうか?

わたしはただ、ふっと言葉が胸に落ちてくるといった感覚が好きなので、
あまり深追いはしたくないと思っています。
只々、その詩が好きになる。音楽の時と似ています。

たくさんそんな詩があります。
時々ここでそれについて記しておきたいなあと思います。

今日は
『この時』という詩。鶴見俊輔さんという方の詩ですが、哲学者なのだそうです。
昨年亡くなられました。知っているのはこれだけ。
この詩が素晴らしくて、それ以上は知ろうとも、知りたいとも思いません。
偶々、目にして、わたしの胸の中に落ちてきた『この時』

宇宙の底に
しずかにすわって
いると思う時がある
この自分がまぼろし
私の眼にうつる人も
ここにいる時はみじかく
いない時の中に
この時が浮かぶ

『この時』という時、どういう意図で書いていらっしゃるのか?
それは確かめていませんし、わかりません。

わたしはこの詩を読むと、自分がいつか不在となる時(未来)を思うと同時に、
遠く遠く、いつか自分が不在だった(過去)に思いを馳せるのです。
未来の方は自分が消え去る瞬間、だから心が広がっていかない。
過去の方は果てしなく広がっていく。
でも、未来の方は誰か他のひとがそう思うなら、自分のいた『この時』も
果てしないときの一瞬に加えてもらえる気がするのです。

この詩を読むと、まだ会ったことのないひとではなく、決して会うことができない人々が
通り過ぎて行った『この時』の中にいる自分を感じて、虚しさもあれば、
反対に豊かな気持ちにもなって、虚しさが決して悪い感じじゃなくて落ち着きます。

この時の中でわたしは何だか気持ち良く
猫の様にひだまりで伸びをしています。

Déjà Vu/デジャヴを見る?

2016年11月12日 01時27分33秒 | わたしの思い
Déjà Vu/デジャヴまたはデジャブ、ちょっとこの響きから素敵なことの様に思えませんか?
わたしは思っていたなぁ・・・10代の頃。

だけど、既視感なんて感じたこと、きっとなかったと思います。
感じたいとは思っていたけれど。

株価の問題その他、他国のことではありますが、アメリカ大統領選、思うこと多々。
しかし、今回は同じ大統領でもお隣の国、韓国の大統領のことに発端があります。
話が逸脱した訳ではありません。

はじめてデジャヴを見たのです。
朝テレビを見ていると、韓国の朴槿恵大統領の親友とかいうおばさんの
生意気(失礼)な娘について何やら言っていました。
何でも韓国でかなりハイクラスの梨花女子大とやらに裏口入学していながら、
威張り散らしていたとか(あれこれ言っていたけれど、わたしの中での解釈)

で、そこで梨花女子大の映像が流れたのですが、わたし、そこに行ったことがあるのです。
実際には韓国にすら行ったことがありません。

なのにずっと以前、そこに行ったことがあるのです。

なんと夢で。

韓国ドラマとかが流行るずっと以前のことなので、どこかで見た映像が刷り込まれていて
夢に出たとも思えませんし、そもそもあまり韓国ドラマが好きではないので熱心には観たことがないし。

それもテレビは一瞬の映像ですが、妙に生々しく自分はそこを歩いた覚えがあります。
しつこいけれど夢で。

それは学生時代の夢で、自分が通っている大学の近くにそういった風景があって、そこを通って
学校に行くというような夢でした。
梨花女子大ではありませんけれど、わたしも一応日本の女子大学の出身ですが、
近くにそんな風景はありませんでした。

そしてなぜそんな古い夢を覚えているかというと、その風景が素晴らしいにも拘らず、
そこを通り抜けるとき、すごく息苦しいのです。
水の中を息を止めて泳いでいるような苦しさでした。

でも本当にその夢で見た場所そっくりなのです。
色々考えて思い当たる節が一つあります。
これは夢なのでフロイトの説明でOKなのかもしれませんが、
わたしはそうは思っていません。
あるひとからのメッセージだと思っています。
詳しく書くと長くなりますし、かなりプライベートなことなので、ここではよしましょう。

ただわたしは自分がもしかしたら?わたしが生まれるずっーと以前に亡くなった
大叔母の生まれ変わりなのではないだろうか?と思っていたことがあります。
多分そんなことはないと思いますけれど、何となくそんな風に思っていたときがありました。
今は少し違って、その人の魂がわたしを頼りにしてくれている気がしています。
(ちょっと驕っていますねぇ。頼りにされているなんて)
ただ、時折思い出し、時折写真を見て、命日にだけは自分なりに供養しているという現状です。

話に聞くところによれば、戦前の韓国に渡って、職業婦人だったそうです。
そして、若くして亡くなっています。そのことについてはここではよしましょう。
でも、わたしが夢で息苦しかったということに繋がる気がします。

Déjà Vu/デジャヴか何かわからないけれど、わたしが生きている間は覚えていて供養させてもらいます。
わたしがいなくなったら・・・誰も頼める人がいませんが。
わたしを守ってくださいっっ。

朴槿恵大統領って何だか随分寂し気な風情ですね。
韓国のひとは激情型の人が多くて、ストレートで苦手に感じることや、すごく自分の意見が
真っすぐ言えて羨ましく感じるときとありますが、朴さんは鬱屈して言いたいことをこらえている印象です。

因みに話がまた逸れますが、わたしの予想はトランプでした。
あまり当たってほしくもありませんでしたけれど、はずれてもそれが良いとは限らない選挙という印象です。
尚、当選後大人しくなるというところまで当たっていました。
さて、今後は・・・・言っていたことを翻意するか?どうかなぁ・・・。



冬が始まる

2016年11月03日 17時28分14秒 | わたしの思い
急に寒くなってきました。
暖房器具、ついこの間片づけたばかりのような気がするのに。

いつも、感謝を込めてきれいに汚れや埃を拭きあげて片づけます。
もう出番?
そう言えば部屋から去ったのは六月だからねえ。

でも、だらしない生活は嫌だから、一年中出しておくというのも・・・。

今月は仕事が入って、ボチボチやっていますがつい散らかしてしまうので、
コタツはもう少し我慢。できればごろごろするから入れたくないのだけど。
暖房代を考えるとコタツが出てきます。

いつも家の中がすっきり片付いていて、何事が突然起きても動じない。
そんな風にいつも過ごせたらいいのだけれど、現実は・・・物が多くて。
既に老前整理のつもりなので購入はしていないつもりなのだけれど、
蓄積多し。そして捨てるのは何だか嫌。

しかしながら、何かに使えるのじゃ?と、取ってあったあるケース、もう10年は
何にも使っていなかったので、考えました。10年使用しなくてこの先10年・・・
あっ、きっと使わない。これで処分。まだまだ物は多いです。

わたしは、本が多くてこれが捨てられないのです。
本は友達の少ないわたしにとって、友人のような存在でしたから捨てることはできないのです。
それで、時折古本屋さんへ買い取ってもらっていましたが、近くの古本屋さんが閉店。
段ボールに詰めたままになっています。何とかしないとね。

日が沈むと気温がたちまち下がります。
今日は、インスタントではなく、コーヒーをちゃんとドリップしてチョコレートでホッ。
大根を圧力がまで煮付けています。
仕事を集中して済ませたいから、おでんを作りおこうと思ったけれど、
材料をそろえるのが億劫になりました。

こんな、冬の始まりです。