前向きな人生の整理整頓

人生も後半、一日が短いです。明日やると思っても、若者のようには明日はたくさんないのかもと気づいた今日この頃

絶滅したのか/濡れた髪の女いや、学生カバン

2009年09月20日 01時53分34秒 | Weblog
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です


ハクション、ハクションハクション大魔王~ ♪ 熱はないのでインフルエンザではないと思われますが、扁桃腺が腫れて鼻水が辛い

前回に少し付け加えをしてきました。そして・・・・以下
続き、西日の眩しい電車の中でサングラス越しに女子高生を眺めるわたし。
四人は電車に乗り込んできた時はワイワイ騒いでいました。
だけど、すぐに静かになっちゃった。携帯電話が出てくるともう話すこともなくなっちゃうらしい。
いったい何を見ているのでしょうね?なんだかつまんないの・・・・。

携帯電話が出てくるまでの彼女たちの行動をまとめてみると、鞄からはじめに出てきたのは
ボトルケースに入ったペットボトルのお茶かスポーツドリンク。
ごくごくとおいしそうに飲むのが微笑ましい、キャーキャーおしゃべり。幸せそうだなあ。
だけど、すぐに携帯電話登場。
静かになった彼女たちを見ていてふと、ある記事を思い出すおばさんであります。

『最近の若者はあまり頻繁に(毎日は)髪を洗わない』実際にはこんな見出しではないけど、そういう内容でした
これって本当なの?でもまんざら嘘でもない気がする・・・だって、だって四人中二人の髪が、
汗かいた後だからかな?何だかペットリ油っぽいのです。
ちなみにその記事によると、わたしたちの世代が一番髪を頻繁に洗っているんですって。
そりゃー朝シャンとか言っていた世代ですもんね。
朝シャン自体が減って、最近のマンションなどはシャンプー台機能が消滅しているって聞きました。
余談ですが、昔、びっしょり濡れた長い髪の毛で自転車に乗って駅までやって来て、
わたしと同じ通勤電車(当然混んでいます)に乗り込む女性がいました 側に立っている人は結構迷惑だったはずです 
彼女の湿り気にあたりたくないのでいつも別の車両に乗ったことを思い出します
斉藤由貴を太めにしたような、あるいは当時人気のあった漫画家松苗あけみを思わせる風貌の、
よくワンピースを着ていた当時30才くらいのあなた、心当たりがあっって今も朝シャンして電車に乗っているなら、せめてしっかり
タオルドライして下さい とにかく、びっしょりなんですよ 真冬でも 風邪ひきます 朝シャン・・・という時代でしたねえぇ


ええっと、えっと何の話だったっけ・・・
四人中、二人が下車。残った二人は会話もせず、携帯を眺めています。

ここで、やっと今日のお題、わたしの目は彼女たちのボトルや携帯の出てきたカバンに。
彼女たちは、スポーツバッグの様なものを使用していましたが、リュックの男の子も側に。
学生カバンというものは一体いつ頃から姿を消したのでしょう。大体、学生カバンってどんなものかわかります?
もう、カバンそのものが重くて、中に教科書なんか入れると手にまめができていました。
カバンをペチャンコに潰していると、不良もうこれも死語か?なんて言われるの。
わたしが高校の頃には、このカバンを持たずに登校すると校門に生活指導の先生が立っていて、
一々、注意していました。
カバンはあまり好きではなかったけど、そういう注意を受けることが面倒なので大体の人は
使用していました。わたしの場合は、土曜だけは荷物も少ないし、朝礼があったのかな?
その先生も登場しないので、学生カバンから解放されていました。

時は流れ、大学の夏休みだったか?高校生のいとこの勉強を見てあげて気づいたのです。
学生カバンが消えている・・・リュックサックを使っていたのです。
聞いてみるとそれが、極、当たり前の様子。

一体なぜ、一体いつから?ここで、わたしなりの勝手な解釈。
あのしつこく学生カバンを持たせたがった、先生が転勤していなくなったからだ。
そうに違いない。その時はそれで納得。

時が過ぎ、本当にもうどこにも見かけなくなってしまった学生カバン。
きっと、あのしつこく学生カバンを持たせようと校門に立っていた先生は既に定年退職したに違いない。
よって、学生カバンは消滅したのである。ジャンジャン、おしまい。

って嘘です。学生カバンは現存し、検索すれば購入できるところもでてきます。
が、ああいう重いカバンに教科書を詰め込んで登校する中高生は極めて稀でしょうね。

若き日、ラケットを振り回していたせいか、はたまた日課表を見るのが面倒で、
教科書が一杯詰まった重い、重い学生カバンを持って通学したためか右腕だけが
アンバランスに太いのでした。 本当におしまい。

そこは修羅場でした

2009年09月12日 01時50分18秒 | Weblog
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です


遅い夏休み。出かけたのは福岡、九州国立博物館。
目的は、『興福寺創建1300年記念 国宝 阿修羅展』を見るためです。
楽しみにしていたのですが、もう・・・挫けた。
大変な混雑ぶりで、とても芸術鑑賞するなんて状況ではありませんでした。
東京での混雑振りを聞いていたので、開館時間より前に行ったものの、
30分以上並んだし、阿修羅の周りはまるで大嫌いな満員電車みたい。
12秒ごとのカウントで阿修羅の周りを少しずつ移動して・・・何やってるんだろう。
眉間に皺を寄せた阿修羅から「ばーか」と言われている気がしてきた。
混雑の輪から抜け出るのも一苦労で、押し合いへし合いの中で
『おばさん』わたしその領域に入りつつあるけどと言われる人々の厚かましさ、醜さを強烈に感じました。
中でも一人本当に酷い人がいて、ちゃっかりいいポイントに収まって鑑賞していました。何だかすごく嫌な気分
今となっては正直なところ、本当に鑑賞してきたのかな?何の感慨もない・・・。ライティングも暗すぎて、ガラスごしでもいいよ、いつか奈良に行きたい

参考までに、これから行く予定の方へ
満員電車を想像していただければわかりますが、大きなバッグなどは持たないこと
チケットを購入して並ぶので、前売りを持っていると20分から30分並ぶ時間が短くなる可能性があります
1時ごろに出てみたら、エスカレーター下の大宰府近くのお店まで列がありましたし、
  日によっては見れないまま諦めて帰った人もいるそうなので、午前中には列に入ってないとね
平日でも混雑は変わらないらしいです
会期も終わりが近く一層混雑する模様、暑いので心構えを持って並んで下さい
テント、冷水、ミストの準備はあるけど、エスカレーター下の行列にはなかったと思います 団扇は貰えます
   すごく人と接近することになるので、 こんな人はマナーとしてマスクも必要かと
会場が混んでいるから当然ですが、記念グッズや図録を買うもの一苦労、品物に近寄れず見えず、挫ける。

小学生の高学年か中学生だったかな?以来に大宰府天満宮へ・・・骨董市を一巡りして、参拝。
おみくじを引きました・・・心だに まことの道に かなひなば いのらずとても 神も守らむ 本当?
人に限らず、前向きな新しい出会いがあるというようなことが書かれていました。
真の道にかなっているかはわからないけど、こうしか生きられないわたし。
信心深くないので祈ることもないけど、それで守られているなんてありがたいです。

他にも色々行きましたが、割愛。

どうやらはっきりしなかった夏が、これでわたしの中では終わり。
さて、日常に戻り、きちんと生きよう。
旅の終わりのローカル線、高校生の女の子が4人、途中から乗り込んできました。
西日の差し込む席で、わたしはサングラス越しをいいことに彼女たちをしげしげと観察。まるで変態みたい
あきらかに、わたしが高校生だった80年代とは異なる点がいくつかあります。
中でも気になったのが・・・・・次回、『絶滅したのか』につづく
 
追記
これを思い出すわたしは不謹慎?1:20 辺りです。

Dead or Alive You Spin Me Round


レコードみたく阿修羅さまのまわりをぐるぐる回ったし・・・



未来に待っていたのは?/玉置浩二&石原真理子

2009年02月28日 02時47分46秒 | Weblog
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です

今より昔は報道の在り方にモラルを問われることはなかった気がします。
ワイドショーなんかでは、タレントの私生活や恋愛問題など、ひとつ何か次が起きるまで
それはそれはしつこく扱われていたように思います。
今はああいった番組がすくなくなりました。
てっきり噂好きの人が減ってしまったのだと思いがちですけど、それはそうではなく、
テレビのワイドショウなんて観なくても、こういった媒体を通じてもっともっと語られているのかもね。

先日、玉置浩二と石原真理子がなんと結婚したそうで、ちょっと驚きました。
80年代のワイドショーを彩った人です。
玉置さんは安全地帯で成功していて、石原真理子も当時は結構売れっ子の女優さんだったと思います。
まあ玉置さんについて言えば、当時はちょっと黒めのファンデーションを塗って
鼻筋を目頭のほうから書くような当時の坂本龍一なんかもしていたようなメイクがちょっと嫌でしたねえ。
ニューロマンティックとか、大好きなのに?といわれるとナンなのですけど、要するに似合うにあわないがあるんですね
ジュリーなんかも大好きなんですよ でも今日テレビで観たXのトシでしたっけ?ヒデでしたっけ?ご存命でボーカルの方 
のメイク、はっきり言っちゃいます「こりゃひでぇなあ」と思いました 実に似合っていなかった 素顔の方がいいです

石原真理子はロングヘアーの美しい女優さんでした。
既に奥さんのいた玉置さんとの交際が報じられて記者会見をした時、涙を隠すように
会見中後ろを向いた彼女の長い髪をよーく覚えています。あれからもう24年だそうです。
その間、玉置さんが三回も離婚したことは知っていましたが、石原さんの方も一度離婚したそうでこれは初耳。

玉置さんのほうは24年の間に結婚したり離婚したり、離婚したり、結婚したり、
ソロでもひとつ、ふたつ売れた曲があったり、ドラマや映画に出たり、
私生活は決して誉められたもんじゃないけど、芸能活動の上ではそれなり。

石原さんのほうはプッツン女優とか言われて、しばらく海外で暮らしていて、
(その間にかの地のかたと結婚して離婚したとか)
この24年で話題になったのはヌード写真集を出したときだったと思います。
久しぶりに見たら年取ってて、日本語がフランス語訛りか英語訛りみたいになっていて、
あんまり美しくなくなったなって思いました。
で、その時確か石原真理子じゃなくてこれからは真理絵だと言っていたのに、今は真理子じゃん。
その後、女優さんの仕事をしていたのを見たのはふぞろいの林檎だったかな?
看護婦さん役で出ていたのと二時間もののワイド劇場で一度見たくらいです。
でも、雑誌で占い師みたいなことをしていました。
多分タロットを使っていたような気がします。自分の結婚についても占ったのだろうか?
そして、暴露本の執筆。
そのおかげで?「玉置さんて善良そうで人当たりも良さそうなのに何でしょっちゅう離婚するんだろ?」
と思っていたなぞが解けました。

それを一番知っているはずの真理子さん、何でいまさら結婚を?とちょっと思ったし、
あれこれ噂したい気分ですわ。
あったあったと思い出したのが、真理子さんが腰の骨を折ったこと。
階段から転落とかいってたような気がしたが?玉置さんのせいだったとか。
普通は絶対そんな男性はゴメンだと思います。
そういう部分って直りにくいと思いますから。まあ、これを縁があったからと言うのでしょう。


あの頃、石原真理子はずいぶんお姉さんなイメージがあったから
もう50くらいになっているのかと思ったけど、45才ですと。案外若いんだ。

80年代の懐かしい風を最近身近に感じるんです。
結構それはそこここに吹き荒れていて、この二人の周辺にもこの懐かしい風は吹いてしまったのかもしれない。
SeikoさんとGoさんのとこにも吹かないかしらなんて噂好きの人はいうかもしれない。
 
でも、風は吹き去ってしまう。
おめでたいことだし、24年もかかって実るというのも素敵だし、二人はずいぶん大人だけど、
何か危なっかしくって気になる話題でした。
それでいて、
『未来にこんなことが待っていたんだ』とうれしかったりもするんです。
何だか変なの。中々風邪を退治できず喉が痛くて仕方ないです。





ママの選ぶドレス/ 岡田有希子2

2009年02月07日 00時41分38秒 | Weblog
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です

今となって考えてみると当時感じていた違和感は思春期の心のバランスの悪さだったり、
タレントはそれを見せない方がいい、均衡を保とうとする必死さだったように思えます。
隠そうとするから余計変に見えちゃうような。そこの部分むき出しのほうがむしろ人間的なのにね。
その方がもっと好感を持たれたんじゃないでしょうか。

ファンでなくとも当時は今のようにお笑い番組に席巻されることなく、歌手、
の中でもアイドルといわれる人たちが活躍できる歌番組が幾つもあって、
食事時など、テレビの中で岡田有希子の活躍ぶりを見る機会は結構ありました。

岡田有希子を思い出す一番の印象は奇妙なダンス。
下半身の動きに上半身や首から上が取り残されているような変な感じで、
擬音をつけるなら、モッサリ、モッサリ、ギクギク。
彼女は運動が苦手だったのではないでしょうか。そう言える確信はかく言うわたしが
運動神経が悪いから。運動オンチのひとの動きって何となくわかってしまう。
だから、妙に生真面目に振り付けを再現しようとする彼女を見ていて痛々しく見えました。
低音を伸ばすとき音程が不安定になるけど声は素直で聞きやすかった。
そして難なく歌いこなすのにいっぱいで歌にいまいち情感が足りなかった。
でもこれは、無理してあの奇妙なダンスをやっていたから、そっちに気を取られていたためだと思います。
振りなどない歌を歌えたらよかったのにね。

視線にも定まらない何か奇妙なものを感じていたのですけど、歌の途中で瞬間、瞬間に見せる
笑顔には素直な印象が感じられて、それが一番の魅力だったはずです。
でも笑顔が翳った瞬間の、何かをまだ言い足りないという不満をためたような
口元とちぐはぐでこれまた不自然な違和感。

当時は無個性に見えたのですが、
どうありたい、どうしたい、どう見られたいの自意識の強さの現われが、
あの違和感の中に詰まっていたことに当時の映像を見て気づきました。
とにかく、彼女はいつも必死で一生懸命だったのだと思います。

色々言われているけれど、彼女の死は『叶えたい自分』とか『なりたい自分』から
少しずれたことに端を発しているのではないでしょうか。
大抵の人は甘受する術を持ち、諦めることも知っているけど、何に耐えたとしても
それだけには耐えられない激しさが、あのこころもとない風情の中にあったのではないでしょうか。
極端に言えば、ゼロか全てのどちらかしかなくて、『なりたい自分』以外なら終り。
未遂を犯して、付いてしまったシミのせいで尚更、終わらせなければならなくなってまったのではないでしょうか。

だから、彼女の心の中ではどうであれ、現実には昨年鬼籍に入られた
Mさんは直接的には関係ないと思います。
当時この方の記者会見を見た覚えがありますけど、答えようのないことを質問されて、
当惑していたように見えましたし、故人の思いを傷つけまいと気遣いもあったように思います。

以上、
思い込みの激しいタイプの人間が思い込みの激しいタイプ
ではなかったかと思われる人を分析してみたたわごとです。

ファンでも何でもなかった人間がこれほど長々と語れるほどの衝撃を残した事件。
その影響ゆえに長い間、岡田有希子という名前は封印されてしまいました。
今ではあり得ない、最後の姿を週刊誌にさらされてしまったことも影響になったかもしれません。
かくいうわたくしも、教科書を買いに行って、みんなが買っていたフォーカスだか、
フライデーだかを一緒に買って来てしまった。
その時つくづく思ったのが、肉体は単なる入れ物なんだということでした。
もはや、輝いていたアイドルではなく、そこに詰まっていた肉体を制御するもの、
理性とか、知性とか羞恥心とかを失った単なる物体で、その扱われ方も物に対するそれのようで、
それを見てしまっている自分に罪悪感すらありませんでした。
もし、肉体を離れた魂というものが存在するならば、あんなふうに扱われたことは
さぞかし、辛かったはずです。
細かいことを言えばきりがないのですが、あんな晒し者にされてせめて下向きでよかったよ。
スカートの裾が乱れないタイトでよかったよ。本当に本人だったのだろうか?もう少し、年かさの女性のように見えたよ。 


人間ってただ、年をとるだけのようですが、年をとるだけでわかることってあるものです。
だから、彼女には一瞬を耐えて年をとって欲しかった。色んな未来があったでしょうから。
前回も書きましたけど、その達観ができたら、きっと今頃素敵な女性だったと思います。
わたしは観たことがないけど、ドラマとかに出ていたので、女優として活躍とかもしていたかもね。

楽しい思い出の多い80年代の中で、話題として取上げるのには迷ったのですが、
暫く封印されていた彼女の姿を再び見ることのできる時代になったので、
知らない世代の人たちにも、違和感を覚えるほど懸命な姿を知って欲しいと思いました。
ちなみにわたしは『ママの選ぶドレスは似合わない年頃よ♪』(ごめん!タイトルがわからん)と
最後の化粧品のキャンペーンソングしか知らなかったのですが、
summer beachという曲がいつになく伸びやかに歌っていていいと思いました。
ダンスはちょっと・・・・でしたが。とにかく一生懸命です。

最後に
『ママの選ぶドレスは似合わない年頃よ♪』(ごめん!タイトルがわからん)はすごくこの人に似合う歌だと思いました。
脱皮しようと必死で、自由を求めていて、恋心を抱いていてでも、どこか遠慮がちでそれを大声では言えなくて。
窮屈な『ママの選ぶドレス』を着ている心の中には叶えたい思いが一杯詰まっている。
そうそう、思い出したけど、当時東京を目指す女の子の憧れのひとつ『南青山に住むこと』
(林真理子の小説『南青山物語』の影響か?)
その夢を岡田有希子は叶えたばっかりだったはずです。 終り



可愛い人 / 岡田有希子

2009年02月06日 02時16分54秒 | Weblog
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です

毎年、化粧品会社が春の口紅のキャンペーンをしますよね。
????最近は昔ほど盛んじゃないかな?第一最近は口紅の色が美しくない。
もっと言うなら汚い。自然とかナチュラルと言って色味を抑えすぎです。
それが似合う人もいるかもしれないけど、肌の色なんかも考えないと、余計くすんだ肌に見えます。
くすんでいるとき普段より明るい口紅は肌をきれいに見せる応急措置
吹き出物のあるくすんだ肌で、グロスだけだとフライドチキンでもかぶりついて来たの?
って感じで不潔っぽくみえます。と、まあここまではおばさんのたわ言。

80年代のひとつの春、幾つかあった春の中でも特別に印象深い出来事がありました。
その出来事の後ろには春の口紅のキャンペーンソングが流れていました。
86年の春、出来事の中心には、わたしより年上の18才だったその人がいました。
2O年以上たった今もおばさんになることなく彼女は18才のまま。
存命ならばどんな40代の女性になっていたことでしょう。
あの一つの春のたった一瞬をもし彼女が乗り越えていたなら、
恐らく本当の意味で不惑の素敵な女性になっていたのではないかと思います。
その人の名前は岡田有希子。

その日は学校が始まったばっかりで模擬試験か何かを受けに行って、普段より早く
家に帰っていた覚えがあります。
前日遅くまで勉強していた疲れか、妙に開放感に浸って家で昼寝をしたのは確かな記憶。
目が覚めて、テレビで彼女が自殺したという報道が流れていてどうせ未遂だろう、
明日学校で大騒ぎになるだろうなとぼんやりしているところに、
仕事を中断して母があがってきたのでお茶を飲んで、この辺りでようやく覚醒。
「岡田有希子、自殺したとか言ってたけど」
「飛び降りたらしいよ」
まだ、この時わたしは病院に運ばれて命を取りとめたと、勝手に信じていました。
報道で使う『自殺』と『自殺未遂』の意味の違いを初めて区別できるようになった事件でした。
最近では三浦和義氏の『自殺』報道のとき「ああ亡くなったのか」
とすぐに思いましたが、この頃のわたしはそうではありませんでした。「死んだよ」と聞くまでは。

わたしは彼女のファンではありませんでしたが、年も近いそのひとの死に
何故?何故?何故?の疑問符ばかりでした。
個人的見解ですが、ちょうどその頃の彼女は芸能界で絶頂の域にまさに手をかけよ
うという寸前だった気がします。
望んでその道に入って、それなりに欲も持っていて、望み通りの場所にに立とうとしていたのに。
今なら山は登ってみないとそこから見える景色は云々・・・と思ったりしますけど、
当時はそんなことわかりませんでしたし、死の理由は今もって謎とされています。

好きも嫌いもなく、正直何故人気があるのか全然理解できませんでした。
ただ、わたしは岡田有希子 というひとに何か違和感を持っていました。
何か変、どこか変。だけど一体どこが変なのかどう変なのか説明できませんでした。
同じ教室に彼女を嫌いないわゆるアンチの子がいたのですが、嫌っているのに、
彼女の出ている番組をチェックして、ちゃんとドラマとかも観ていて
毎日飽きもせず、悪口、(といっていいのかわかりませんが)熱く語っていたのを覚えています。
席が近かったので聞くともなしに聞いていたのですが、どうも彼女のその悪口が
わたしの感じている違和感と重なるところがあって、内心おかしくなって笑いたくなる時もありました。
嫌いと言いつつ、その違和感に引きつけられて、目が行ってしまう。
ちょっと不思議な魅力があったのかもしれませんが・・・。

だからと言って特別な感じは全くしない印象でした。
わたしの周りで彼女のファンを名乗る人は仲よしだった男の子が1人だけでした。
彼はアイドル大好きさんで、松田聖子の大ファンだったのですが、確か当時結婚したばかりで
活動が控え目になっていた頃だと思います。
そんな彼が次に見つけた『聖子ちゃん』の代わりが岡田有希子でした。
コンサートに行った彼は、どういう経緯だったかは覚えていませんが、
運良く本人と会うことが出来て直接お話したそうです。(こういうところ、当時は緩やかだった)
その時の服装とか帽子とか(タータンチェックとかいってなかったかな?)彼女がどんなにかわいいか散々聞かされました。
ほとんど覚えていないけど今のように携帯電話がある時代でもないのにわざわざ電話で
『あのこは本当にかわいいよ』といった声のトーンを今でも覚えています。
しかもアイドルなどに全く興味のないわたしを相手にですから、よほど可愛かったのでしょうね。

特別美人というわけでもなく、歌も格別に上手いわけでもなかったし、個性的でもなかった、
松田聖子をブリッ子の王道としよう。中森明菜なら歌いっぷり。小泉今日子の圧倒的個性。
ファンなら語れるのかもしれないけど、確かに岡田有希子を説明せよといわれたら、
その友人の言葉を借りて『可愛い』と答えるかもしれません。

彼にとっては手を伸ばせばもしかしたら届くんじゃないかって感じの可愛さで、
悪口を言っていたクラスの女の子にしても、ちょっと頑張れば、自分もなれそうな、
そんな当時の平均的な体形の普通の可愛い女の子っぽさが魅力。
磨かれていく最中で、わたしたちはその過程を見ていたのかもしれません。
完成をみることないまま。

現れた時は空前ではないけど、その去り方は一定の年齢層に絶後の印象を残しました。

                                   つづく