まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

暑すぎて 今年は蝉も 鳴かぬらし

2017年07月16日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は25.1度から33.6度、湿度は90%から60%、風は1mから5mの西の風が少しばかり。明日の17日は、前線が接近するため概ね曇り、午後は雨や雷雨の所がある見込みらしい。

 

 しわく広島で島案内人をやってるご婦人から、「塩飽の狛犬」という本が欲しい・・というので、本をプレゼントしたら、おいしいお菓子を頂いた。

 

 昨夜は、奥方のお友達を招いての「謝恩会」。奥方は、今日から新しい施設で新しいお仕事に就いた。

 

 奥方の作った野菜ばかりのお食事会だった。

 

 今日は7月16日。四国霊場86番札所「志度寺」さんの「16度市」の開かれた日。今は、ご本尊の開帳日になっている。で、観光ガイドをする上でのお勉強として見学をすることにした。なかなかにご本尊を拝観できるチャンスは少ないのだ。だが、今年は、防犯上の都合で、内陣の拝観はできなくなって、外陣から、格子戸ごしの拝観になった。

 

 志度寺の五重塔は高さ33m。1973年から着工され、1975年5月に落成。地元出身の実業家竹野二郎さんによって寄進された。四国八十八ヶ寺の中で、五重塔があるのは高知の竹林寺、香川の本山寺、善通寺、志度寺の4ヶ所だけだそうだ。

 

 こちらが、志度寺さんの本堂。ここにご本尊が安置されている。

 

 午前10時からお勤めがあって、ご本尊の厨子の扉が開かれてのご開帳になった。

 

 これが、ご本尊。写真撮影は禁止のため、ネット画像から。向かって右が「不動明王」、左手が「毘沙門天」の両脇侍である。志度寺の御本尊「木造十一面観音立像」は、檜材の一木造りで、国の重要文化財に指定されている貴重な文化財である。

 

 このご開帳に合わせて、奪衣婆堂も開帳された。ここは、近く、立て替え工事が行われるとかで、今日を外せば、しばらくは拝観できないということだった。寛文11年、松平頼重公によって閻魔堂と同時に建立されたと言われる奪衣婆堂。

 

 奪衣婆とは、死後の世界でまず最初に出会うおばあさん。着ている服を引剥され、それを木にかけ、枝がしなだれると、そのしなり具合で悪行を判断されて閻魔様のもとへ。しなだれなければ観音浄土に導いてくれるという、閻魔様の前に裁きを下す人物らしい。

 

 その反対方向にあるのが、「焔魔堂」。で、中においでになるのは「閻魔大王」。ここの閻魔さんは、頭上に「十一面観音」を載せているのが珍しいもの。一番頂上においでになるのが「頂上仏面」で「阿弥陀如来」さま。

 

 真の中央が閻魔様。左右にいるのが従者で、向かって右側が「司命(しみょう)」という
罪状を読み上げる係で、左側にいるのが「司録(しろく)」という、判決文を記録する係なんだそう。子供のころにおばあちゃんから、そんなおそろしい話を聞かされたのを思い出す。

 

  今日の掲示板はこれ。「針を踏んで痛む足が蟻をつぶして平気だ」というもの。いつもの赤松先生のお寺におったものだと記憶をしている。「クギを踏んで痛む足が、アリを潰して平気で、身勝手な被害者」というものが出拠だと思う。「アリを踏まずになんて、そんなことをいちいち気にしていたら 歩けない。それは仕方がないことだ」と思うものだが、その「仕方がない」「しょうがない」という自分の思いこそが、自分を正当化し、自分を中心にしてしか 物事を受け止めていない自分の身勝手さの象徴ではないかと言うているのである。人が生きるということは、多くのつながりの中に生きていて、他の人や動植物、自然にも迷惑をかけながら、しかも傷つけながら生きているのだということ、そういう自分の身の事実を見つめ直すことの大切さを噛みしめたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


お役目は まだまだ済まぬ 蓮の花

2017年07月15日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れるけれど、昼過ぎから夜のはじめ頃にかけて雨や雷雨の所があるらしい。高温が予想され、熱中症の危険が特に高くなる見込みなので、暑さを避け、水分をこまめに補給するなど、充分な対策をとってください・・・と、呼びかけている。気温は24.8度から33.0度、湿度は88%から66%、風は1mから2mの北の風が少しばかり。明日の16日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れるが、午後は雨や雷雨の所がある見込みらしい。

 

 まだ、9時過ぎだというのに第一駐車場は満車状態。やたらと人が多いし、子供の数も多い。まだ、夏休みにはなっていない筈・・だと考えながら歩いていた。

 

 図書室に入ろうとしたら、「図書館カード」がない。確かに、胸ポケットに入れたのに、携帯電話を取りだしたときに落としたんだろうか・・。急いで戻ってみた。まだ、誰も、カードを拾っていそうな人はいない。

 

 やっぱり、あった。だんだんと、こうしたミスが多くなるなぁ・・。気づいて引き返したのだけれど、忘れていたら、どうなったかわからない。ま、これで、物が買える訳でも、お金が引き出せる訳でもないので、捨てられるのが落ちなんだけれど。

 

 そうそう、もう、すっかりとクマゼミの大合唱。すっかりと、夏の気分になっている。

 

 ここに入って、ハタと思った。「今日は土曜日じゃないか・・・」。道理で子供たちが多いわけだ。夏休みは来週からだろう。

 

 ここには実にたくさんの本がある。でも、私の読みたい本は少ししかない。だったら、私が本を作ればいいじゃないか・・・ということで、「まほろば工房」が生まれた。で、今日も、五冊の本を返却して、またも、五冊の本を借りた。

 

 文化財の本が多いが、文化財に興味がある訳ではない。最近、「文化財保護協会」からのお誘いがあるのだけれど、あんまり、そちらには興味がない。私は、仏教民俗学なんだ。

 

 この山頭火の話も少しは興味があって・・・。

 

 で、そうした資料を、このアプリで読み込んで電子化する。

 

 それを、ワード文書に取り込んでデジタル資料に収納する。

 

 これは、参考までに、恵果阿闍梨から授かったという「三国伝来の錫杖」である。こちらは「国宝」である。

 

 なるほど・・・。

 

 我が家の「タチアオイ」の花が先端部まで開いた。梅雨明けは間もなくかな。

 

 今日の掲示板はこれ。「迷ったままでは生きていけませんが 迷っていることがわかると道は見えてきます」というもの。自分が、どの方向に進めばいいのいかがわからないと、その一歩が踏み出せないので歩けない。でも、右か左か、今日か明日か、朝か夕方かなどと、迷っている事柄がわかると、それを克服すればいいのだから一歩が踏み出せる。その迷っている事柄を探し出すことが先決問題だというのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


ヒグラシが 聞こえるほどの 夕である

2017年07月14日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。高温が予想されるため、熱中症など健康管理に注意してくださいと呼びかけている。気温は24.9度から32.6度、湿度は87%から69%、風は1mから3mの東南東の風が少しばかり。明日の15日も、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 今日も暑い朝になった。そこで、気分なおしに・・ということで、久々に香川県立図書館に向かった。

 

 で、図書館に着いて、はたと困った。図書館の貸し出しカードがない。運転免許証からカード類一式がない。はてさて・・・。あれがないことにはどうにもならぬ・・・。

 

 家に戻ると、テーブルの上に置いたまんまになっていた。あればいいのだ。昨日、一昨日と、バタバタと、あちらこちらと移動したので、どこかに置き忘れていたら大変だった。でも、さすがに、もう一度、高松市林町の県立図書館までに出向くのは諦めた。

 

 で、大窪寺にも出掛けてみたが、さりとて、目新しい「お宝情報」はない。そこで、私のブログの中から、「大窪寺」を検索してみた。すると、紅葉やらアジサイやらシャクナゲやら、おうどんなどの画像があふれるほどに流れ出てきた。

 

 その中から、使えそうな画像を作業用ホルダーにコピーしておく。

 

 これはまた、今とはまるきり違う「大窪寺」である。いつごろのものだかは不明・・・。

 

 これは絵はがきらしい。モノクロ写真だけれども、電灯が新しい気がする。昭和初期か中期か・・・。

 

 これは、「鉄錫杖」。「弘法大師三国伝来御錫杖」と書いてある。こういうものが見つかった程度。あとは紅葉とか「柴燈大護摩供養」とかの画像が多い。

 

 これが昭和40年頃の門前の八十八庵のお店である。私が高校生の頃のお店である。それ以前には、ここに遍路宿があって、中は土間で、雨露をしのげるだけの建物があったように記憶している。それが老朽化したので撤去されて、この建物ができた。

 

 これはいつのものかは不明だが、先の茅葺き小屋に店舗を増築して、おうどんを食べるスペースを増やしたみたい。このお店も長かったように思う。

 

 その茅葺き部分を瓦葺きにしたのが、現在のお店。さらに、裏側にもお店を増築している。

 

 こういうものばかりが多い。

 

 今日は室内でも31度を超えている。

 

  今日の掲示板はこれ。「終わりと初めは遠くて近い 失敗したら出直すだけさ」というもの。また、別な掲示板では、「終わりと初めは 遠くて近い どん底落ちれば また 出直すだけさ くよくよするなよ なにこれしきと 不屈の闘志でよみがえれ」というものもあった。ま、落ちたら立ち上がればいい。失敗したら、もう一度やってみればいい。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


梅雨の日は 控えめにして 箸を置く

2017年07月13日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は25.4度から32.9度、湿度は90%から67%、風は1mから2mの東北東の風が少しばかり。明日の14日は、引き続き、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 昨夜、従兄弟の「お通夜」が行われて参列してきた。我が家と、この従兄弟の家の関係は複雑で、祖母同士が姉妹だった。で、この家から、私の母が嫁いできた。で、私の父の妹が、その家に嫁いで、この従兄弟が生まれた。「二従兄弟」とか言われたが、正解だろうか。

 

 昨夜、お通夜から戻ってきたとき、暗闇のここで、この植木鉢に足を引っかけて転倒した。あたりは真っ暗闇。メガネは吹き飛ぶし、眼の上をしこたま、石にぶつかった。庭石みたいに石を並べてあったのだ。

 

 身体は幸いにどうもなかったようだが、先月に買ったばかりのデジカメをしこたま石にぶつけて、壊れてしまった。カメラが身代わりになったと、おじさんたちは言うが、そんなことって、あるんだろうか。

 

 今朝は5時過ぎに起きて、空き缶の回収場所に空き缶を運んだ。いつも、ブルーの袋は地区の人のものでいっぱい。我が家のものはいつもあふれる。先月の父の日宴会で大量に飲んだもの。

 

 で、午前10時前に、メモリアルホールにおじさんと三人で入った。おじさんというのは父の弟。到着順から、「タチハのご飯」というものを頂く。故人との最後のお食事という意味らしい。朝食兼昼食だと聞いた。

 

 12時少し前から開式。曹洞宗のお坊さんが導師である。曹洞宗のお葬式なんて初めてだ。この家は、ずっと、真宗興正派のご門徒だったのに・・・。

 

 お葬式にも、いろんな儀式があるものだ。で、みっちりと1時間のお勤め。「お友達だからの特別版」らしい・・・。私は30分ごとにトイレにゆくのに、これは拷問みたいだった。

 

 その後、お別れの式があって、13時過ぎ・・・。

 

 お友達らしい戒名である。本当は「法名」をつけてもらいたかったのだけれど。

 

 とうとう、出棺。南無阿弥陀仏。

 

 で、斎場に着いて・・。2時間ほどをここで待つ。「火屋勤行」とか「炉前勤行」というのにも、住職さんと脇僧さん二名の三名で、しかもご丁寧なお勤め。いささか、みんなも退屈気味。

 

 でも、こういう最後もきれいでいいなぁと思った。点滴ホースや排尿ホースやを結びつけられて最後を迎えるよりも、トイレに座った瞬間に息絶えるなんて楽でいいなぁと。私の場合はどんなだろうね。

 

 16時近くになって会館に戻り、「仕上げ法要」。私らで言うところの、「還骨勤行」。これまた、ご丁寧な解説付きのお勤め。その後、「仕上げ膳」というものを頂く。このあたりでは、ここで、「初七日」なんだが、初七日法要は、来週、この禅宗のお寺でお勤めが行われるそうで、ちゃんと、七七日、百日法要までお寺でお勤めするのだそうだ・・・。どこまでおつきあいできることか。

 

  今日の掲示板はこれ。「人生における幸せは 成功ではなく成長にある」というもの。サッカー、中澤佑ニ氏の心に響く言葉より…。「人生において『成功』は約束されていない。しかし人生において『成長』は約束されている」と言う言葉が元になっているらしい。チャールズ・ダーウィンの言葉のように、『最も強い者が生き残るのではなく、 最も賢い者が生き延びるでもない。 唯一生き残る のは、変化できる者である』 の言葉を思い出した。たとえどんな小さな努力であろうと、それを日々継続し、変化し続けることができるかどうか。人生の本質的なゴールは「成功」ではなく、自己の魂の「成長」である。成功ではなく、成長を目指して生きて行きたい。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


蝉の声 聞こえぬ謎を 知った訳

2017年07月12日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は梅雨前線や湿った空気の影響で概ね曇っていた。
香川県の12日は、梅雨前線や湿った空気の影響で概ね曇り、雨や雷雨となる所があるでしょう。気温は25.6度から31.3度、湿度は90%から76%、風は1mから2mの南西の風が少しばかり。明日の13日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。高温が予想され、熱中症の危険が特に高くなる見込みなので、暑さを避け、水分をこまめに補給するなど、充分な対策をとるよう呼びかけている。

 

 さて、昨夜遅く、従兄弟が救急車で運ばれた・・・という連絡があったきり、音沙汰のないまま今朝が来た。朝になって、やはり、遺体でセレモニー会館へ運ばれた・・・と聞いた。4月の花見では、元気はなかったが、とくだん、どこがごうという状態ではなかったのだ。

 

 鑑識が入って、檀那時との連絡が取れず・・・ということで、お通夜は、今日の19時からだというので、私は通常業務。調べて行くと、「北辰妙見信仰」という言葉が浮かび上がった。大窪寺の本堂の真上で「星が回る」というのである。で、それを調べて行ったが、大窪寺との関連がわからない。

 

 こんな看板があったらしい。今もあるのだろうか、記憶にはない。この看板では、山門が「二天門」になっており、大師堂やお砂踏道場はあるが、仁王門や寶杖堂や原爆の火はない。つまりは、昭和59年以降、平成2年までに作られた看板らしい。

 

 「現地に行こう」「現物にさわろう」ということで、大窪寺さんに出掛けてみた。車から降りると、メガネが真っ白に曇って前が見えなくなってしまう。

 

 結局の薬局で、何の収穫もなく帰宅。どうにも、湿度が高くて息苦しくて動けなくなる。

 

 調査記録を簡単にまとめておく。

 

 今日は第二水曜日・・・ということで、民児協の定例会。普段着のジャージではかっこわるいので着替えをするだけで汗が噴き出る。

 

 あれこれと、行政からのお願いや動員やら周知があったけれど、ほぼ1時間で終了。

 

 帰ると、おじさんがやってきていて、「早く行こう・・」と、せかす。何か用事とか段取りとかがある筈だというのだ。

 

 聞けば、従兄弟は、この暑い時期のお昼過ぎに、自宅周辺の草刈りをやっていたのだという。元々、心臓の悪い人なのに、草刈りをして、お茶を飲んで、トイレに行って、そのまま、倒れ込んでしまっていたのだという。用事から戻って、遺体を見つけて、救急車を呼んで、鑑識が来て・・・ということらしい。

 

 私より二つ下だから、67歳だろうか。檀那寺さんに連絡がつかず、酒飲み仲間の禅宗のお坊さんが導師となって告別式を取り仕切るのだという。おうちの事情だから仕方がない。

 

 さて、夕方の納棺のために出掛けることにするか・・。

 

  今日の掲示板はこれ。「人はみんな 明日のことは分からないから生きていられるのです」という、久々に「荒了寛」さんのお言葉。明日、交通事故に遭うと分かっていたら・・・、明日、会社がつぶれると分かっていたら・・・明日、ガンだと宣告された ら・・たぶん、生きて行く元気はなくなるかも知れない。明日、億万長者になると分かったら、仕事なんぞやってられないかも知れない・・・。明日は見えない 方がいい。明日は知らない方がいい。どんな明日になるかはあなた自身で切り開けるのだから・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


曇天は ねむのゆらぎも 居眠りも

2017年07月11日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は、湿った空気の影響で曇って、蒸し暑かった。高温が予想され、熱中症の危険が特に高くなる見込みで、暑さを避け、水分をこまめに補給するなど、充分な対策をとってください・・・と、気象台から呼びかけている。気温は25.1度から31.6度、湿度は89%から75%、風は1mから2mの東北東の風が少しばかり。明日の12日も、梅雨前線や湿った空気の影響で雨や雷雨となるらしい。

 

 こんな、蒸し暑い日にはどこにも出掛けたくないのだが、ガイドマニュアルのグループ長だから、お役目が終わるまでは仕方がない。ということで、いつもの、「前山地区活性化センター」へのご出勤。

 

 こちらは、いつもの俵札のメンバーさん。同じ部屋だが、私たちは別グループ。

 

 グループは、志度寺G、長尾寺G、遍路道Gと、うちの大窪寺グループの四班。私の集めた資料を皆さんに見て貰って、追加するものをピックアップしてもらった。

 

 大窪寺は「結願所」なのに、「結願」の記事がないとか、

 

 観光ガイドなのに、名物の「紅葉」と、「大イチョウ」の案内がない・・とか、

 

 二天門の若葉もみじの案内もない・・・とか、

 

 裏山の女体山の雨乞い踊りの情報がない・・・とか・・。

 

 お昼からは、猛勉強。でも、意外とデーターがないのである。大イチョウの樹齢とか、境内にあるモミジなどの種類とか数、本数とか・・。紅葉だ、モミジだとにぎやかなのだけれど、何種類何本・・・という説明も欲しいなぁと思ったりして。

 

 納経所脇にあるシャクナゲとか、門前にあるサザンカとかの宿題が残った。

 

 来週の18日に、最後のすりあわせをして、再来週の28日には現地研修してマニュアルの最後調整して打ち上げのおうどんで解散予定。8月一杯は夏休みでお休みする予定。

 

 来週までには、大窪寺ガイドは、これ一冊あれば完璧・・・というものに仕上げたいもの。お作法から由緒来歴、建物案内から文学碑と句碑、六十六部廻国供養からトイレの神様まで。

 

 おまけに民話から平山郁夫氏の作品紹介、大窪寺の四季の風景まで。

 

 今日の掲示板はこれ。「今から一年もたてば、私の現在の悩みなど、およそ下らないものに見えるだろう」というもの。サミュエル・ジョンソン(Samuel Johnson/1709年9月18日-1784年12月13日/男性)は、イギリス・スタッフォードシャー州出身の文学者・詩人・批評家・文献学者。「文壇の大御所」と称された人物であり、「英語辞典」の編集やシェークスピアの研究などで知られる。また、彼の有名な警句から”典型的なイギリス人”と呼ばれることも多い。(参考文献:ウィキペディア+Amazon.co.jp)

 サミュエル・ジョンソン (イギリスの詩人・批評家)の言葉らしい。何かを考えてイヤな気もちになった時、「このことは1年たったら忘れてしまうことではないか?」と考えると「忘れて(生活して)いるだろう」と思えることが多い筈である。どうせ1年後には忘れているようなことなら、今考えなくてもいいこと かも しれない。少なくとも、ちょっと力を抜いて考えたほうがいいのではないだろうか。どうせすぐに忘れてしまうことなのだから・・・

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


雨の日は なぜかこころも 濡れている

2017年07月10日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は、梅雨前線や湿った空気の影響で曇り、雨の降っている所があった。気温は24.0度から30.3度、降雨量は20mm/hから40mm/h、湿度は96%から76%、風は1mから2mの東北東の風が少しばかり。明日の11日も、梅雨前線や湿った空気の影響で曇り、午後は雨や雷雨の所があるらしい。

 

 今日も蒸し暑い一日になって、晴れたり曇ったり雨になったりと忙しい日になった。

 

 奥方は梅雨の晴れ間にと、梅干しを干していた。我が家では雨は降らなかったんだろうか。

 

 私は例の、「観光ガイド・マニュアル作り」に走り回っていた。四国を回る、1,200Kmを歩いて回ると、おへんろさんの杖が3寸減るのだという。つまり、9Cmである。約10センチである。それを三周したら30センチも短くなるから、新しく買い換えるのだそうだ。

 

 昨日は、この供養碑を調べようとしたら大雨に打たれたので、おうどんだけを食べて帰ってしまった。今日はリベンジということで再調査に来た。「安永四乙未」というと、1775年。江戸時代の後期のもの。「奉納大乗妙典六十六部日本廻国」「四国□六辺供養」「願主阿州阿波郡住沢村源太郎」と読める。

 

 その帰りにも大粒の雨に襲われた。いきなりの通り雨のような集中豪雨。道路脇の草刈りをしていた作業員もガードマンもずぶぬれで呆然としていた。雨具を用意する間もなく・・・という状態。

 

 お昼からは印刷にかかった。96頁の片面印刷で五部。半分くらいの時にアラームが出た。

 

 トナーが少なくなったので、トナーを準備せよ・・という警告である。

 

 すぐさま、隣町の量販店に駆け込んでトナーを買った。

 

 このトナー一本で、およそA4版用紙で2,000枚程度の印刷ができる。

 

 帰ってきたら、トナー不足で印刷ができていない。

 

 トナーがなくなっては印刷はできぬ。すぐさま、トナー交換。

 

 印刷代なんて出ないボランティアだから、安い「わらばん紙」を使ったら、整理するのにおおわらわ。やっぱり、けちると作業が多くなる。

 

 で、できばえも見栄えも悪い。ま、たたき台の基礎資料だから仕方がないか・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「一つ山を登れば、彼方にまた大きな山が控えている。それをまた登ろうとする。力つきるまで」という中川一政さんの言葉から。人生において、これで終わりだというのはない、死ぬまでエンドレスである。いくら、やめようと思ったことだろうか。でも、そこでやめたらおしまいだ。とにかく続けることだと頑張るしかない。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


ベランダを 叩くしぶきや 梅雨の音

2017年07月09日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は、梅雨前線や湿った空気の影響で曇り、雷を伴い非常に激しい雨の降っている所があった。気温は24.4度から27.7度、湿度は90%から86%、降雨量は40mm/hから50mm/h、風は1mから2mの北西の風が少しばかり。明日の10日は、引き続き梅雨前線や湿った空気の影響により概ね曇りで、雨や雷雨の所がある見込みらしい。

 

 今年の梅雨はよく降る梅雨だ。雨では出掛けることもできないじゃないか。

 

 そこで、昨日の報告を、公式ホームページに更新しておく。

 

 雨も上がって空が明るくなったので、大窪寺に出掛けてみた。例の「ガイド・マニュアル」のネタ探しである。

 

 これは、大師堂前にある「日本廻国供養塔」である。これを詳しく調べようとしたとたんに大粒の雨が降り出してきた。しばらく大師堂で雨宿りをしていたのだが、雨は激しくなる一方。

 

 そこで、門前のおうどん屋さんに逃げ込んだ。八十八庵(やそばあん)さんだった。で、そこののれんに書いてある「団蔵うどん」を注文した。この「団蔵うどん」は、市川団蔵さんが結願後に八十八庵に立ち寄り、「時間がないので早くできるうどんを」と注文されたことから生まれたもの。短時間で茹で上がるように初代店主がうどんを細切りにして出したところ、「とても喉ごしがよくて美味しい」と好評だったのだとか。その数日後、団蔵さんは瀬戸内海で姿を消してしまった。

 

 団蔵さんが、「こんなうどんは今までに食べたことがない。 はじめて、うどんの味がわかりました。」と感嘆したことから市川団蔵さんを偲んで「団蔵うどん」と名前をつけたという。

 

  「〝老醜″で団蔵の名を汚したくない」。晩年は、そのことばかり考えていたようだ。そして、引退興行の千秋楽の日、こんな感想をもらした。『これがすんだら、重い肩の荷が一度にスーッとして、いい気持でしょうね』」という。また、六代目菊五郎の狂歌に「永生きは得じゃ 月雪花に酒 げに世の中のよしあしを見て」があるが、団蔵は、これをもじって「永生きは損じゃ 月々いやなこと 見聞く憂き世は あきてしまった」という狂歌をつくり、また、周りの人にも見せていたという。

 

  「我死なば 人に迷惑 かけるなよ 仏頼まず さらば地獄へ」と、さらりと言ってのけた。そして旅の途中に、この歌を「我死なば 香典受けな 通夜もせず 迷惑かけず さらば地獄へ」と変えたとも話したという市川団蔵さん。おへんろさんはいろいろな想いで歩き続けているのである。

 

 午後からは、写真の整理もやっておいた。

 

 明日中にマニュアルの原型を作って、火曜日にはメンバーに見ていただくことにする。追加があれば追加もしておきたいし・・・。

 

 雨は終日、降り続いていた。雷もガラガラと鳴っていた。

 

  今日の掲示板はこれ。「わが心にごせばにごる すめばすむ すむもにごるもこころなりけり」というもの。我が心は濁すのは簡単だけれど、澄ませようとするのは難しい。我が物であって、我が物は何一つ無いのがこの世のありさまなのである。第一、この私の小さないのちですら、私達は生かすも殺すもできないのだからして・・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


梅雨さなか メランコリックな 午後がある

2017年07月08日 | 観光ガイド的日常

 徳島地方は、梅雨前線や湿った空気の影響で南部を中心に雷を伴って非常に激しい雨の降っている所があった。気温は24.4度から30.2度、湿度は88%から75%、風は1mから3mの東北東の風が少しばかり。明日の9日は、引き続き梅雨前線や湿った空気の影響で曇り、概ね雨となり、雷を伴い激しく降る所がある見込みらしい。

 

 さて、今日は第二土曜日ということで、「平成29年度特別研修」ということで、徳島の四国霊場を歩いて回る研修を行っており、今月は第4回で、18番恩山時から19番立江寺を歩くことになっている。恩山寺までは貸し切りバスである。

 

 私ら数名は、高松自動車道の「津田の松原サービスエリア」からの乗車になる。それが、今回は午前6時集合で6:10分出発。

 

 途中のコンビニでトイレ休憩をしたり、お弁当やら水分の補給をしておく。その後、徳島県小松島市田野町にある18番札所、恩山寺に着く。私はトイレ目指して一目散。

 

 研修中にもトイレ、研修が終わってもトイレ。いろいろとお話を聞いたけれど「みみにっちょ(耳日曜)」。

 

 そこから約4Kmを歩く予定だったけれど、「途中、坂道がありますよ~」と言われたので、数名と一緒にバスで移動して19番札所の「立江寺」へ先回り。立江寺も小松島市立江町にある。そこでもトイレばっかり。私の専用トイレみたいなことだった。

 

 皆さんが歩いてきた時でも八時半過ぎくらいな時間だっただろうか。近くにカフェや喫茶店がある訳ではないので、自販機のお茶ばかりを飲んではトイレに駆け込むのだった。

 

 今日のメインの研修はここでおしまい・・・の筈。ところが、付録のおまけの研修が大変なことになった。一行を「坂本地区」というところで下ろして、バスは、「別格3番札所、慈眼寺」に向かっている。それがまた、狭い道で急カーブの連続で・・・。

 

 慈眼寺は徳島県勝浦郡上勝町に所在する高野山真言宗の寺院。山号は月頂山。詳しくは、月頂山 宝珠院 慈眼寺と号する。本尊は十一面観世音菩薩。別名「穴禅定の寺」。四国八十八箇所霊場第二十番札所奥の院、四国別格二十霊場三番札所。ここに着いたのは、まだ午前10時過ぎ。歩き部隊は2時間後でないと到着しない。

 

 これが、穴禅定に入る試験用の板・・・。これを通れないと、穴禅定には入れない。間隔は約28センチだという。私ははなからおなかがつかえて、ここにも入れない。見ていた住職さんが、「おなかをひっこめて・・」というのだが、脂肪がたまっているのと胸水が貯まっているので引っ込んだり凹んだりはしない。「おなかをゆっすって。。」と言われてもぴくりともしない。

 

 トイレに何度も行って胸水を抜くのだが、少しもおなかには影響しない。歩き部隊が到着したのは12時少し前。早速に水分補給と冷房の効いたバスに飛び込んで休憩して昼食。

 

 検査に合格した10名が、よごれ防止用の白衣に着替え、手にはろうそく1本きり。メガネも携帯もカメラも禁止。真っ暗な闇夜の世界に、そんなものは必要ない。「あたまを下げて・・」の伝言ゲームで暗闇を進むのだとか。

 

 とにかく、自分のわがままや意地や見栄やらが一切、通じない世界。お先達さんの言う通りをしないと暗闇からは出られない。「右や右や右やで・・。あんた、それは左やないか!」、「下や下や、横向かんかい・・」と、叱られっぱなしだそうだ。

 

 12時半過ぎに穴禅定に向かって、戻って来たのは14時過ぎ・・。みんな、すなおになって、この笑顔・・・。自我や欲望を捨てると、こんなにもいい顔になれるのか。ちなみに、カメラマンの私の顔は、待ち疲れて鬼のような顔だった。

 

  今日の掲示板はこれ。「君がどんなに遠い夢を見ても 君自身が可能性を信じる限り それは手の届くところにある」というヘルマン・ヘッセのことばから。ヘルマン・ヘッセ(Hermann Hesse)は小説家であり、詩人でもあった。代表作に「車輪の下」「デミアン」「ガラス玉演戯」などがある。1946年にノーベル文学賞を受賞した。ドイツ(バーデン=ヴュルテンベルク州)生れで、1877年7月2日~1962年8月9日(享年85歳)。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。

 

 


梅雨の日は 控えめにして 箸を置く

2017年07月07日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は、梅雨前線や湿った空気の影響で曇り、夕方を中心に雨が降るらしい。雷を伴う所がある見込みだとか。高温が予想されるため、熱中症など健康管理に注意するようにとのことである。気温は23.9度から29.9度、湿度は90%から74%、風は1mから4mの西の風が少しばかり。明日の8日は、梅雨前線や湿った空気の影響で曇り、昼過ぎからは雨や雷雨となる所があるらしい。

 

 久しぶりに雨も上がったようなので、「現地に行こう、現物にさわろう」ということで、山寺さんに出掛けてみた。天候のせいか、時期的なものがあるものか、境内にお遍路さんの姿は少なかった。

 

 いつもは素通りする「鐘楼」にのぼってみた。ここも、大師堂、仁王門、鐘楼は同時に造られたようで、昭和54年から59年までの五年工事だと聞いている。弘法大師「入定1150年記念」だった。その昭和58年が1150年の年だった。

 

 この鐘は紀州産で明治14年4月13日に鋳造されている。ということは、今の二天門にあった鐘で、私も何度も突いたことのある、あの鐘なのか・・。当時は、山門の中央にロープが下がっていて、それを引っ張ると鐘が鳴る仕組みだった。

 

 で、かねてから気になっている「日本・中国友好への道」の石碑である。これはググってみても分からない。田中角栄とか大平正芳とか平山郁夫だとかの名前が並んでいる。

 

 表の、西安の月 長安の月おぼろ月を中国語に直すと、こうなるのだろうか。

 

 待ちわびていた、11期生募集の案内が、納経所前に置いてあった。まだかまだかと待っていたものだった。

 

 帰って早速に、ホームページの更新をしておく。

 

 インフォメーションでも内容を掲示しておく。

 

 講座の日程や講師、場所、内容などもお知らせしておく。申し込み期限までに二週間ちょっとしかないので、どうしたものかと心配していたが、講師の都合とかあったのだろうか。

 

 お昼からは、いつもの文具屋さんに寄ってみた。ガイドマニュアル作成のための資料なんぞに、上質紙を使わないで、「わらばん紙」でやってみようかと考えたからだ。

 

 すると、ぽつんとこれがあった。昔の便所の落とし紙とか小学校のプリント用紙とかに貼ってあったマークだった。でも、これも検索しても出てこなかった。

 

 もう、こういう記事にしか残っていない品物らしい。今日のあのお店でも、もう、手に入らないのかもしれないと思うと、そんなに気楽には使えないなぁと思ったものだった。

 

 懐かしい、灰色の紙である。昭和は遠くなりにけり・・・。

 

  今日の掲示板はこれ。「なんのために生まれて なにをして生きるのか こたえられないなんてそんなのはいやだ」というやなせたかしさんの「アンパンのマーチ」から。あの有名なアニメ主題歌の出だし、「なにが君のしあわせ なにをしてよろこぶ わからないままおわる そんなのはいやだ」という歌詞は、実は2番だったのである。アニメでは決して流れない歌詞が存在した。その「幻の1番」とは・・・。それが、これ。「なんのために生まれて なにをして生きるのか こたえられないなんて そんなのはいやだ!」という重い歌詞だった。この歌には、特攻隊で亡くなったやなせさんの弟のことを書いたものだという説がある。また、やなせさんご自身が「これはアンパンマンのテーマソングであり、ぼくの人生のテーマソングである」と著書に書かれてあった。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


暑い日も 梅雨の日もある 庭の草

2017年07月06日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は、梅雨前線や湿った空気の影響で曇り、雨や雷雨となる所があった。気温は23.4度から29.6度、湿度は92%から72%、風は1mから2mの北東の風が少しばかり。明日の7日は、梅雨前線や湿った空気の影響で雨が降り、雷を伴う所がある見込みらしい。

 

 梅雨時だから仕方がないのだが、湿度が高いのは呼吸がしにくくなって、息苦しくて仕方ない。成り行きというか、そういう仕組みなのか、今朝も早くから起きて、「大窪寺観光ガイドマニュアル造り」をやっていた。

 

 で、時間がきたので、香川県立図書館に向かった。大窪寺周辺の情報でもないかなぁ・・ということで。

 

 文書館では、こういう展示をやっているのだが、古文書ばかりで目が痛くなってしまう。夏の企画展示では、そんなビッグプロジェクトの中から、来年没後200年を迎える伊能忠敬の讃岐測量、大久保諶之丞らが奔走し丸亀・多度津-高知―松山を結んだ四国新道の開削、明治22年の讃岐鉄道開通以降進められた香川の鉄道建設という、江戸時代・明治時代の3つの出来事を取り上げ、それらを様々な形で支え、関わった多くの讃岐人の姿を、館蔵資料を中心に紹介してあった。

 

 朝の図書館は靜かでいい。で、五冊の本を返して、五冊の本を借りてきた。

 

 で、こういう本をいくつか借りてきたのだけれど、やはり、秘仏の本尊さんは見せていただけないようす。がっくりぽんでおます。

 

 そうそう、昨日になって、ようやく、この本が届いた。史談会の三十周年記念誌である。で、中には、もう一冊、入っていて、私がお世話になっている歯医者さんへも届けて欲しい・・ということだ。だから、帰りに歯医者さんへ投げ込んできた。

 

 これは、大窪寺さんの宝物の「鉄錫杖」。

 

 こういう貴重な画像は、うちのガイドさんたちも持っていない筈。

 

 これは、奥の院遺跡である。ま、ここまでは案内してガイドはしないのだけれど、一応、基礎勉強ということで。

 

 こんなことをしていると、あっという間に一日が暮れる。奥方は、例の義理の姉さんの契約解除とかで神戸に行っていて、帰りが遅くなるらしい。だから、夕食の食材を買っておいて・・・と電話があった。

 

 原稿も大詰め。今週中には終わらせておいて、来週からは、いつもの論文に戻らないと遅くなってしまいそう。

 

 でも、ネットで調べていると、好き勝手なことを書いてあるなぁと笑ってしまうことがある。ま、私も多分に好き勝手なことを書いているのだけれども。

 

  今日の掲示板はこれ。「いいところも悪いところも 丸ごと あなた自身じゃないですか」という松原祐善先生の言葉から。私たちがいつも忘れていること。それは、松原祐善先生が仰るような、丸ごとの私を好きになること。自分のいいところだけしか認められないのは理想主義。そもそも自分で認めたり認めなかったりする以前に、私はこの世に生まれることを認められていたではないか、生きることを願われていたではないか。丸ごとの自分を「そのまま愛しています」と手を広げて待ちわびていてくださる仏さまがいらっしゃるのである。その仏様が大きな声でこの私を呼んで下さっているではないか。「南無阿弥陀仏」と。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


梅雨空に あふれるほどの 雨もなく

2017年07月05日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は梅雨前線や湿った空気の影響で雨が降り、夕方にかけて雷を伴って激しく降る所があるらしい。気温は24.6度から25.6度、湿度は96%から88%。風は2mから4mの西風が少しばかり。明日の6日は、梅雨前線や湿った空気の影響で概ね曇り、雨や雷雨の所がある見込みなのだとか。

 

 今日も降ったり曇ったりの一日になった。今週の予定は土日だけ。行きたい所もないし、雨ではどこに行っても楽しくはない。

 

 だから、昨日の続きで、大窪寺の観光ガイド・マニュアルを作ることにした。で、二天門、大窪寺の概要、本堂、本尊、大師堂、仁王門・・・なんぞを調べて入力して・・・と、簡単な作業の筈が、案外と情報が多くない。

 

 ま、天正の兵火や明治の火災なんぞがあって記録や資料が残っていないせいもあるのだろうが、案外と情報がなさすぎる。阿弥陀堂の情報なんぞ全くない。でも、作法・由緒由来・略縁起・本尊・山門(二天門・仁王門)・本堂・大師堂・奥の院・採燈大護摩供養・槇野恵旭師・神童真魚・年中行事・境内文学碑あたりまではまとめられた。

 

 あとは、寶杖堂・原爆の火・うすさま明王・・・くらいかなぁ。ぐるりと見回しても、そのくらいかな。

 

 相変わらず、雨は降ったりやんだりを繰り返している。

 

 阿弥陀堂前にある、山頭火の句碑である。「ここが打留の水があふれている」というもの。真ん中の「水」だけが大きい文字になっている。

 

 参道脇にある、元香川県知事を務めた「前川忠夫」さんの「西安の月 長安の月 おぼろ」という句である。「田打男」は俳号である。

 

 二天門東にあるこの句は、高浜虚子の息子、年尾の「一つ長き夜の藤房をまのあたり」という句である。

 

 門前の土産物屋さんの二階入り口前にあるのがこれ。「山へ空へまかはんにゃはらみた心経」と刻んである。これも山頭火の句である。

 

 ここが最後までわからなかった所。お大師堂前である。

 

 この杖立ての正面に刻んであるのが、「人生即遍路」という山頭火の句である。ま、こういうものは、あんまり活用はされない情報になるかも。

 

 今日は久しぶりに我が家でのおうどんである。奥方はこれが得意らしい。

 

 今日の掲示板はこれ。「ひとすじに打ち込む そこに道がひらける」というもの。どこの誰の言葉かはわからない。

 「道」
 ひとすじに打ち込む
 そこに道がひらける
 精神誠意ひたすらに
 そのことに打ち込む
 そこに道が開ける
 道を誤っている時は
 いくら走ってても益なし

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


梅雨明けず 書類ばかりが 高くなる

2017年07月04日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は、台風第3号や湿った空気の影響で雨が降っている。気温は25.4度から28.6度、降雨量は3mm/hから9mm/h、湿度は90%から84%、風は1mから4mの東北東の風が少しばかり。明日の5日は湿った空気の影響で曇り、昼過ぎを中心に雨が降る見込みらしい。

 

 朝から細かな雨が降っているばかりで「台風」だという雰囲気ではない。単なる「梅雨」・・・という雰囲気。木が大きく揺れたり、電線が音を立てたりということもない。普通の「小雨」が降ったりやんだりするばかりだ。

 

 テレビでは崖崩れだ、停電だ、鉄塔の倒壊だとにぎやかだが、さぬき市は平穏そのもの。

 

 今日は台風接近だけれど、恒例の火曜日だからと、前山地区活性化センターに出勤した。今月は「俵札調査」はお休みして、「大窪寺観光ガイド・マニュアル作成部会」への担当替え。

 

 マニュアル作成・・・というても、どこから手をつければいいものか・・。今日はとりあえず、意識合わせと情報の共有化。

 

 新しい仁王門ができているが、ガイドはあくまで「山門」である「二天門」から始めること。お寺は第一に檀家さんや信者さんのもの。次いで寺族や総代さんら役員さんのもの。第三にお遍路さんのもの。私たちは、第四、第五だから、お参りの方の邪魔をしないこと・・なども確認した。

 

 この写真は「お前立ち」らしい。

 

 それぞれが、持ち寄ったものを突き合わせ、本堂とか阿弥陀堂とか寶杖堂とか、それぞれが調べてきて、それで整理しながらまとめることになった。今月いっぱいでまとめることになった。

 

 台風は四国を過ぎつつあって、東へと進んでいるらしい。ま、我が家には全く影響はなかった。すぐ近くを流れる川の水量に変化はない。おそらくダムで貯めているのか、貯まるほどは降らなかったものか。

 

 でも、もう少し雨が降らないと水不足は解消されないのでは・・・。このあたりの、どこのダムでも半分以下とかになっているし。雨は欲しいし、災害はいらないし・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「生きている間は全て自分の時間 使い方によって人生は長くも短くもなる」というもの。十代の頃、人生とは長く、いつまでも果てしなく続く長い道のりだと思っていたが、気付けばもう退職してずいぶん経って、古稀という時代に入った。え、もうそんなに生きたのか。年齢の計算を間違っていないか・・・。と思わず疑いたくなるが、ゆっくりと思考を巡らせ、過去の出来事を断片的にも思い出してみると、そんなものか・・・と納得させられた。ここ最近になり、時間の速さばかりが気になるようになった。まず、少しでも自分の人生を長く感じたいと思うようになった。平等に時は与えられているのだが、その過ごし方で長くも短くも捉えることが出来るならば、少しでも多く感じられれば、お得であるからだ。そう、考えている間に時間ばかりが過ぎていく。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


振り返る 先人の夢 蓮の花

2017年07月03日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、昼過ぎからは湿った空気の影響で大気の状態が不安定となるため、曇りで雨や雷雨の所があるらしい。気温は25.0度から34.0度、湿度は90%から66%、風は1mから4mの西の風が少しばかり。明日の4日は、台風や湿った空気の影響で曇りで、昼前から雨や雷雨となり、昼過ぎから夜のはじめ頃は、激しく降る所がある見込みらしい。

 

 昨日の「にょうたいさん」のおまつりで御神酒をしっかりと頂いた。昔、不義をして京を追放された公家の娘が志度の浦で身の不幸を嘆いていた。通りかかった庄屋が同情し、家に連れて帰り一生の面倒を見た。彼女は恩義に報いる為、死後もこの地方の為に尽くすといって亡くなった。庄屋は彼女を近くの青木池に葬り、小さな祠を立てた。以来、雨の少ないときに祠に集まって念じると必ず雨が降ったと伝えられている。以来この山を女体山と呼ぶようになった。 ちなみに女体神社は、主祭神:須佐之男命を祀る「男体社」に対する「女体社」として全国各地に存在している。

 

 御神酒を頂いた上に、時期だからと、缶ビールも数本呼ばれたし、我が家に戻って、またまた呑んで、おかげで今日は二日酔いみたいだし、おなかがぱんぱんに張ってきた。

 

 ということで、朝の間は神仏分離のお勉強。お寺や神社に「権現」だの「牛頭天王」がある場合には取り除いて捨てろ・・という通達が出された。

 

 だから、こんなおふだなんぞ残っている筈がない。だのに、この俵の中にはそれがある。

 

 ただ、こういうものを、どうやって手に入れたのかがわからない。奈良の金峯山寺まで出掛けたのだろうか。この「本願家」が配ったものだろうか。150年も昔のことだからわからないことばかり。

 

 午後からは、観光ガイド・マニュアル作りの準備。これさえあれば、誰でも観光ガイドができるよ・・というマニュアルを作る予定らしい。人それぞれに個性があるから、大窪寺というお寺を題材にしても、見る目が違うから、ガイドをする場所も違えば、内容も違う。そういうものをすりあわせて、「これだ」というものを作るのだそうだ。

 

 私は、こういう文学散歩派。

 

 それだし、納め札にはちとうるさい・・・。仏教的なガイドは「先達さん」にお任せして、「明るく・楽しく・元気よく」的なガイドにしたいもの。

 

 でも、歴史的なおはなしもしなくてはいけないし・・・。

 

 私の資料だけでも週刊誌くらいのガイドマニュアルになりそう・・・。

 

 明日の打ち合わせ用の準備はできた・・・かな。

 

 台風だ、大雨だと、ニュースでは聞くのだけれど、このあたりでは雨の気配すらないのだけれど。雨というのは、明日の午後に2mm/hほどしか降らないで、その後は曇りマークばかりで、来週からは晴ればかり。

 

 今日の掲示板はこれ。「雨の日も風の日も また悩む日も それがそのまま人生なり」と言うもの。一度かぎりの人生、くりかえすことのできない人生。その人生を充実感を持って生きるか空しさと淋しさを持って生きるかは、全て自分自身の責任であろう。「花の生命は短くて、苦しきことのみ多かりき」と言った小説家がいる。喜怒哀楽の交錯する人生であるが、思いおこされることは実に苦悩に類したものが多いように感じる。しかし、このことばには何かしら心ひかれる響きが感じられはしないだろうか。はかない青春の生命がかみしめた、ほろにがい甘さが感じられるように思った。苦しみは大切にしなければならない。悩みをそまつにしてはならない。雨にも風にも嵐にも、それぞれかけがえのない妙味がある。森羅万象、全てが私の人生を塗り替えてゆくクレヨンである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


タチアオイ そろそろ梅雨明け 準備して

2017年07月02日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、湿った空気の影響で曇りとなっている所もあった。気温は今期最高の25.3度から33.1度、湿度は86%から66%、風は2mから3mの西の風が少しばかり。明日の3日は、引き続き、湿った空気の影響で概ね曇るらしい。

 

 今日、7月2日は「半夏生」の日。太陽黄径100度。夏至から数えて11日目頃。梅雨の末期で、半夏(烏柄杓<カラスビシャク>)という毒草が生える多湿で不順な頃とされている。農家の人達はこの日までに田植えを済ませ、どんなに気候不順な年でもこの後は田植えをしないという習慣があった。その後に田植えをすると、「半夏半作」と言って収穫は少なくなるとされていた。農家では農作業も一段落したことから、おうどんを作って食べた。だから、讃岐では、「うどんの日」になった。

 

 こちらは、水辺に高さ60センチほどに生え、半夏生のころだけ頂の葉の下半分が白くなり、白い穂状の花が咲く、どくだみ科の多年生植物。これを「半化粧」とか、「カタシログサ」とかとも言うらしい。

 

 さて、ご案内の通り、七月の第一日曜日は昔から「一斉清掃日」ということになっているらしい。いや、条例で決まっているとか、自治会規則で決まっているとかの話ではない。私もこの自治会に来て10年あまり。詳しい事情は知らないのだけれど。

 

 こういう草ボウボウのところなんぞを草刈り機で刈り上げていく。

 

 で、7時からの案内だが、6時半前には全員が集まっていて、作業が開始される。

 

 で、7時過ぎには草刈りや掃除もあらかた片付いてしまう。で、7時半には解散になるのが常。早いことはいいことなのだけれど。

 

 我が家に戻って、シャワーを浴びて着替えをして洗濯をしていると、なんだか騒がしい。見れば、水利組合の人たちだ。水路を掃除して、みろく奥池へ水を入れるらしい。

 

 それでも、今年は雨が少ないせいで、せっかく掃除をしても、わずかしか水が流れていない。

 

 午後からは、自治会の「にょうたいさん」の例祭である。

 

 10年ほど前には、この山の山頂にあるお社まで登って、酒やビールやらを担ぎ上げて、こどもたちも一緒に登って、にぎやかなおまつりだったというが、今は集会場でのささやかな「直来(なおらい)」になった。

 

 こういう会食膳のお食事会である。でも、私は、こういうものが食べられない。酢の物くらいを食べて、あとは、奥方へのおみやげになる。どうして、こんな身体になってしまったのだろう。

 

 ご覧の通り、9軒の自治会で、ほとんどが女性ばかり。

 

 困ったことは、この集会場にエアコン工事をしたのだけれど、除湿した水分が、外の排水パイプから流れずに、室内にポトポトと落ちてしまう。時間を見計らって、修理をしないと畳が腐ってしまいそう。

 

  今日の掲示板はこれ。「わが心がよくて 人を傷つけないのではない 傷つけていることを気付かぬだけである」というもの。人は傷つけあうのである。「私は人を傷つけたりなんかしたことがないわ・・」・などという人などいるはずがない。ただ、人を傷つけていることに気づかないだけのこと。よくよく、胸に手を当てて考えるのにいい季節になった。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


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