まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

あいにくの雲で 名月は見えないか

2016年09月15日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 丸亀地方は前線や湿った空気の影響で概ね曇り、雨の降っている所があった。気温は22.9度から28.3度、湿度は92%から74%、風は1mから3mの北北東の風が少しばかり。明日の16日は、引き続き、前線や湿った空気の影響で概ね曇りで、雨や雷雨となる所がある見込みらしい。

 

 昨夜は自治会長さんがやってきて、久々のお話会になった。この江の浦集落でもお年寄りが亡くなっていき、10月の秋祭りができるかどうか・・という話から、咸臨丸乗組員のお墓のお話になった。

 

 これは有名な「伴幸吉のお墓」とされるものだが、そのお隣の伴さんの子孫の方は「うちのお墓とは違う」というし、丸亀市在住の伴さんも「伴幸吉はうちの先祖やけど船乗りではなかった」とクレームをつけているらしい。確かにここには「伴幸吉」とは刻まれていない。けれど、この墓碑銘からすれば、咸臨丸に乗っていて戦死した伴幸吉のお墓なのである。

 

 これは20年前の廣島神社の秋祭りの時の写真であるが、中央のスーツ姿の人以外、みんな西の国にお帰りになってしまった。今年は神主さんの都合で10月の7(金)8(土)日に行われるらしいが、人が集まるかどうか分からないという・・。そんな話で22時半まで話し込んだものだった。

 

 そんなこんなで、眼が覚めたのは朝の6時半過ぎだった。少しばかり飲み過ぎたかも知れない。

 

 ということで、朝から大掃除。誰もいなかったのに、箒で掃いても、掃除機を掛けても、ゴミはいくらでも降ってくる。さっき、きれいにしたのに・・・と思うのにほこりがあちらこちらに・・・。10畳の和室が二間に、トイレ・廊下・風呂場・ダイニング兼リビングしかないのに、掃除ばかりをやっていた。

 

 冷蔵庫も大掃除。野菜室には芽を出したジャガイモに葉っぱの出ているタマネギ、腐ってしまっていたナスなんぞ・・。みんな廃棄処分にした。

 

 冷凍室もみんな取り出して廃棄するもの、持ち帰るものに分けて整理した。また、コストコで仕入れた大量の牛肉や唐揚げや焼きそば用具材などを持ち込むのに違いない。そのスペースを確保しておく。冷蔵室もすっかりと空っぽにした。

 

 今週の土曜日にお話をする準備も確認しておく。私のいる「しわく広島」はこういう所にある。

 

 このマップのレキの墓近くにわが家がある。昨日のガス屋さんは「甲路漁港」近くにある。

 

 これがわが家の表札(?)。千葉のお友達の高橋先生が刻んでくれた「暁光庵」の扁額である。字は奥方の親父さんが書いてくれたもの。

 

 草刈り・お掃除・プロパンガス交換が終わったので撤収。10時45分発の高速艇で島を出る。島に向かうときはウキウキとして朝食は何で昼食は何で・・と計算をして島に向かうのだが、島にいると、「いつ帰ろうか」「何時で帰ろうか・・」とソワソワするから不思議なものだ。

 

 今度は10月6日、県立病院の予約診察が終わってから島に向かう。で、7日が「出事」でお宮さんの掃除やお祭りの準備、宵宮、8日が例大祭。9日の午後に帰宅予定。

 

 今日の掲示板はこれ。「決して順風満帆ではなかったはずだが、回顧するとそのように見えるから不思議だ。いやな思い出を忘れることができるからこそ、人間は希望をもって生きられるのかもしれない。」という樫山純三さんの言葉から。樫山純三(かしやま・じゅんぞう)さんは日本を代表する大手アパレルメーカーのオンワード樫山の創業者。大阪貿易学校を卒業し、樫山商店創業。その後、樫山(現:オンワード樫山)創業した。競走馬の馬主としても有名である。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


あれこれと 悩んだオツムに 虫の声

2016年09月14日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 丸亀地方は前線や湿った空気の影響で雨や曇りとなり、雷を伴う所があるらしい。気温は22.4度から26.4度、湿度は94%から82%、風は1mから2mの北東の風が少しばかり。明日の15日は、引き続き前線や湿った空気の影響で概ね曇りで、昼前まで雨が降る見込みらしい。

 

 さて、突然に京都にいる周平君が友達を連れて島に行く・・という。そんなことを言われても・・・。丸亀市沖にある塩飽広島は、5月に草刈りをしてからそのまんま。それだし、プロパンガスが空っぽになったまんま。誰も島の家に行かないものだから、草刈りもせず、ガスの補充もしないまんまだったのだ。

 

 それじゃぁダメじゃん、春風亭昇太。ということで、雨を覚悟で丸亀港にやってきた。朝ドラを見てから家を出て、途中、娘んちへ寄って島の鍵を頂いてから丸亀に来たものだから2時間ほどかかってしまった。近くのスーパーで食材を仕入れて、11時10分発の高速艇に乗ることにした。

 

 高速艇に乗るのは10人ほどだった。この頃になると雨もあがってきていた。

 

 高速艇は海上15分でしわく広島の江ノ浦港に着く。

 

 江ノ浦港に着いてびっくりポンや・・・。タイヤがぺっちゃんこ。蒸し暑くなってきた最中にタイヤ交換。汗まみれになってしまった。ご覧の通り、潮風を浴びてボルト・ナットは赤さびで動かない。

 

 交換したタイヤがこれまたぺっちゃんこ。空気入れを借りて空気を入れたらどうにか動きそう・・・。

 

 我が家に着いたら、草ぼうぼう・・・。仕方がないものは仕方ない・・・。まずはお昼を食べてから・・と思ったら、ガスが空っぽでコンロが使えない。仕方がないから、カセットコンロでお湯を沸かしてそうめんを湯がいて食べることにした。

 

 お昼を食べてから、島のガソリンスタンドまで軽トラにガスボンベを積んで行ってきたが、配達中とかで不在。電話番号を調べてかけても、古い番号らしくてつながらない・・。へとちまとち・へとちまとち。

 

 仕方がないから、覚悟を決めて草刈り開始・・・。とりあえず、家の周囲だけを刈り払っておく。

 

 長い草だけでも刈り払っておくと見栄えがいいし、歩きやすい。ほぼ1時間ほどで草刈りはおしまい。でも、ガス屋さんは配達にこない。仕方がないから冷水シャワーで身体を洗って着替えて、着ていたものはすぐさまお洗濯。

 

 待てど暮らせどガス屋さんは来ない。これでは夕食が食べられないぞ・・と、空きボンベを積んでガス屋さんまで行ってボンベの交換。10Kgのボンベで4500円、それにタイヤの交換もお願いしてきた。パンク修理ではなくてタイヤが裂けていたので交換になった。出費ばかりの一日になった。

 

 この、もう一本の空きボンベは10月に交換予定。あくまで、来客用の当座の準備だけ。

 

 今日の掲示板はこれ。島の家では資料も在庫もないので目についたものから。「失敗したらどうしようと考え始めた時から失敗が始まっている」というもの。昨日も、島に草刈りに行くのだけれど雨らしいのでどうしよう・・と考えたし、今朝も、「島の軽トラのキーがない・・」と思い悩んだけれど、やってみたらばなんとかなるもの。何とかなったから、そろそろ夕食にしようか・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


こおろぎの 顔遠くなる 日暮れかな

2016年09月13日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は前線や湿った空気の影響で曇りや雨となり、雷を伴って激しく降っている所があった。気温は24.0度から28.2度、午前9時台の降雨量は5mm/hで雷鳴が轟く土砂降りだった。湿度は99%から80%、風は1mから3mの北の風が一時強かった。明日の14日は、引き続き前線や湿った空気の影響で概ね雨となり、雷を伴う所があるらしい。

 

 今日は恒例の火曜日出勤の日。激しい雨の隙間をついてさぬき市前山にある「おへんろ交流サロン」にやってきた。こんな日にも歩き遍路さんが休憩をしていた。

 

 ここ、おへんろ交流サロンは、お遍路さんたちの情報交換や地域住民との交流の場になっており、また、交流サロン内にある「へんろ資料展示室」には、江戸時代の紀行本や古地図、また接待を受けたお遍路が残した江戸中期からの納札や古い納経帳、手形など、四国遍路の歴史を感じさせる貴重な資料となる品々が展示されている。

 

 で、ここで、私たちは「俵札調査」ということを平成25年からやっており、寒川家、飯田家、田淵家の屋根裏から発見された俵に押し込まれていた紙くずを調べているという訳である。現在は寒川家の俵から発見された紙くずを丹念に調べている。

 

 これなどは、まだ、マシなほうの紙くず。これの分類名は「六十六部」となっている。 「六十六部」は六部ともいわれ、六十六部廻国聖のことを指している。これは、日本全国66カ国を巡礼し、1国1カ所の霊場に法華経を1部ずつ納める宗教者である。中世には専業宗教者が一般的だったが、山伏などと区別のつかない場合も少なくなかった。また、近世には俗人が行う廻国巡礼も見られたという。 なお、奉納経典66部のことを指して六十六部という場合もあった。

 

 六十六部廻国巡礼の風習がいつ、どのように始まったのかは、はっきりしない。縁起としてよく知られているのは、『太平記』巻第五「時政参籠榎嶋事」である。北条時政の前世は法華経66部を66カ国の霊地に奉納した箱根法師で、その善根により再び生を受けたと説くのだった。また、中世後期から近世にかけて、 源頼朝、北条時政、梶原景時など、鎌倉幕府成立期の有力者の前世を六十六部廻国聖とする伝承が定着していた。これらは、六十六部廻国巡礼の起源が関東にある可能性を示唆している。

 

 六十六部廻国聖による納経は、その名の由来どおり1国1カ所が原則的だったが、なかには1国内で66カ所をめぐった簡略形もあったし、逆に1国66カ所を66カ国分納経した例もあったという。いずれにせよ、固定された納経霊場がないのが特徴だった。

 

 それが終わると、「神符」の整理に入った。神符というのは神社などが発行する護符・お札・お守りなどのたぐいである。

 

 神札を守札、神符と呼ぶ神社もある。下賜されるものは他に「御守」(「お守り」「守札」)、「撤饌」(「おさがり」) があるが、撤饌は一般にはおふだとおまもりを除き、また神様に供えた供物(食物)を指すことが多い。神札は紙製であることが多いが、神社によっては木製、 金属製のものもある。また紙1枚のものもあれば、和紙に折りたたんで中に神札を封印してあるものあるが、この場合は開封は厳禁とされている。表面には神社名や祭神名が書かれている。

 

 今日もいつものメンバーでの作業となった。男性陣は区分けされたものを整理しながら「ナンバリング(一連番号付与)」をしながら、年号や氏名などを確認し記録していく。女性陣は紙くずのしわ伸ばし・・・。

 

 お医者さんもいない、薬屋さんもない、農業試験場もない時代に、人びとがすがったのが神さんや佛さんだったのだろう。今だって受検シーズになると天神さんにお参りして絵馬を奉納したり、入学祈願でJRの学駅の入場券を買ったり、蒸気機関車の滑り止めの砂を買い求めたりするのだから・・・。

 

 これの分類がわからないのだが、こんぴらさんの絵地図にはなっているが、単なる観光案内地図ではなさそう。ちゃんとご朱印が押してあるのだから。

 

 今月の20日あたりから、島の家にお客さんが遊びに来るというので、明日から草刈りやら室内のお掃除に行くのだが、明日も激しい雨が降る予想。「さあて、どうしたもんじゃろうかいのぉ~」。あさっての15日には晴れそうだけれど。

 

 今日の掲示板はこれ。全く、今日の日記とは関係ないのだけれど、「失敗はありがたい 失敗して自分を知る 他人を知る 人生を知る」というもの。「失敗もおかげである 失敗して自分を知る 他人を知る 人生を知る みんなありがたい」という倉科良俊さんの言葉からのようである。しかしながら、その倉科良俊さんがどのような人なのかは分からなかった。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


曼珠沙華 紅さばかりに 目を取られ

2016年09月12日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は前線や湿った空気の影響で曇り、雨の降っている所があった。気温は24.5度から27.2度、湿度は88%から91%、風は1mから5mの東の風が吹き殴っている。午後からは雨になってきた。明日の13日は、引き続き前線や湿った空気の影響で朝晩を中心に雨が降り、雷を伴う所があるらしい。

 

 昨日の山の神神社の例祭の時、今月分の集金の案内をしたのだが、前の自治会長さんから「獅子・奴の負担金」の集金が抜けている」との指摘を受けた。で、あれこれ調べた結果、やはり、一戸あたり500円の集金が必要だということが分かって、その追加集金の案内文や秋の例大祭の案内状などを投げ込んできた。

 

 で、今日は地区の老人会の交通安全教室が行われるらしい。近年はお年寄りの数も減ってきたので、自治会長も参加して欲しい・・と頼まれて出席してきた。ま、「若木も山の賑わい(?)」、頭数揃え・・・ということで参加したようなものだ。

 

 昔の小学校から南方面一帯を、「南友(なんゆう)」と呼んでいたが、その方面のお年寄りもぐんと数が減ってしまった。今日は30名余り・・ということだった。

 

 この方が、このあたりの老人会の会長さんだが、私よりか一個上だから、今年で69歳ほど・・・の筈。老人会というのは、何歳からメンバーになるのだろう。私にはお誘いなんてないし、老人会への案内もない・・。

 

 講師は香川県交通安全教育推進隊の方で、「高齢者交通事故防止教室」というものだった。内容はDVDのドラマを通して交通安全、高齢者の安全な自動車の運転方法なんぞを勉強するもの。警察官の言葉は漢字が多いので馴染みにくい。「はくぼじ」と言われても「何のこっちゃ・・・」と考えてしまう。「薄暮時」のことらしい。「あんにんしょう(暗認証)」とか「めいにんしょう(明認証)」、「さいろそく(最路側)」などなどなど・・・。

 

 でも、聞いていると、朝の3時に自転車に乗っていて車に跳ねられたとか、朝の4時に乳母車を押していた老婆が自動車に跳ねられたとかという事故が多いそうだが、そんな時間帯にお年寄りが何をしよるん???

 

 子供が小学生だった頃には「子供会」というのがあって、この集会場でクリスマス会なんかをした記憶があるが、娘が小学校を卒業してしまうと、その父兄たちとも離ればなれになって、すっかりと、浦島太郎状態・・・。もう、娘も40歳を過ぎたのだから、30年も昔のことになると、誰が誰やらわからない・・・。

 

 で、老人会の会員さんは500円でお弁当。私はまだ若くて会員でないので1,000円のお弁当なのだそうだ。品物は全く同じもの。だから、お持ち帰りで自宅で食べたが、私の好みではないので奥方に食べてもらうことにした。肉や魚、油濃いものやお寿司は食べられない。

 

 おみやげに、反射材付きトートバッグやらミニLEDライト、反射材付きのストラップなんぞを頂いた。参加賞みたいなものらしい。

 

 さぬき市から、高齢者に敬老会の記念品代を振り込んだから・・という通知が来ていたので、農協さんでその補助金を引き出して、市の商工会発行の商品券を買った。これを、来週の敬老の日にお渡しするのである。80歳以上の方に1,500円の商品券だというから、事務的と言えば事務的。この集落でも80歳以上の方は3名だけ。さみしくなってしまったものだ。

 

 こういうものが3枚入っている。5年前には自治会堂で敬老会をやっていたので、その席上でお渡ししたのだが、その後は敬老会もできなくなってしまったらしい。

 

 この集落の人口は減るばかりだが、サルとイノシシは増えるばかり。やがてには彼らの王国になるのかも知れない。

 

 今日の掲示板はこれ。「掃けば散り 払えばまたもちり積もる 人の心も庭の落ち葉も」というもの。道歌らしい。釈尊の弟子のチューラパンタカ(周利槃特)はすぐにもの忘れをする人間だったが、釈尊から“塵を払わん、垢(あか)を除かん”との短いことばを与えられ、このことばをくり返して、ついにさとりを得たという。彼は、このことばを唱えながらあちらこちらを清掃した。やがて清掃とは自分の心の煩悩を整頓することだと気づいた。人の背を洗いながらも、このことばを唱え、その人の心も清かれと念じる。あるこき、チューラパンタカは釈尊に命じられて人びとに説法するが、彼はただ一言“塵を払わん、垢を除かん”と言っただけだった。しかし人びとは大いに感動したという。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


彼岸花 きらめく露は そのままに

2016年09月11日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は22.2度から30.3度、湿度は90%から74%、風は1mから2mの北東の風が少しばかり。明日の12日は、西日本に前線が停滞し、南から暖かく湿った空気が流れ込むため、夕方から雨となるらしい。

 

 昨夜は町内の自治会長会だった。名前は立派だけれど、各役所や担当などからのお願いやら集金の依頼やらで、当面するお仕事の確認会みたいなことだった。

 

 赤い羽根共同募金とか早くも歳末助け合い運動とか・・・。秋の交通安全運動とか・・。あんまり、楽しい会議ではない。

 

 で、今日は朝の6時半から「山の神神社」のお掃除から始まった。昔は山仕事も大切な仕事であって、食事に使う薪やたきぎも大事な資源だった。お風呂だって昔は木を取ってきて沸かしたもの。山の木がなければ生活できなかった。

 

 そんな山の資源に感謝するのが「山の神さん」だったのだろう。ここに拝殿があったのだろう、きれいに礎石が並んでいる。いつの頃にか壊れたまんまになっているらしい。この注連縄を私が作ったものである。それらしく見えるから不思議なものだ。

 

 この、陶器でできている小さな神さんの名前を聞いても、知っている人はいなくなった。「前からあるけど・・・」というばかり。

 

 10時からは村社・氏神さんの総代会である。別に総代さんを希望した訳でもないのだが、自治会長が兼務するのが昔からのしきたりらしい。

 

 だから、「総代委嘱祭」という儀式をして、一人一人名前を読み上げて神様に報告する。神主さんが変われば、新しい儀式も増えている。こういうものは苦手だけれど、自治会長のお役目だと言われれば仕方がない。

 

 その後、総代会が行われて、活動報告やら決算報告やら予算案の審議などという普通の流れで会議が進む。

 

 こういう報告書も神官が変わってから見るようになった。少し前までは決算報告と予算案の承認くらいなものだったと記憶している。

 

 問題は秋祭りの当番割り当てである。最近は、過疎と恒例化、少子化などで、お祭りに参加する人が大幅に減った。ようやくお祭りができかねる状態になってきた。運良く、うちの自治会は何のお役目も当たらなかった。神輿守なんかが当たると大騒ぎになる。いまどき、神輿など担げる人なんてほとんどいない。少なくともうちの自治会にはいない。そうなると、傭人と言って他の自治会から人をお願いして日当を支払って代理人をお願いしないといけない。

 

 で、お昼過ぎの2時半からは集落での「山の神神社」の秋の例祭である。だからと言って神事をする訳ではない。お茶とパンとでの座談会。先日のわが家横での「警察の取り締まり」が話題になった。別に事件があったわけでもなく、飲酒検問だった訳でもないらしい。

 

 ま、集落内での意識統一というか情報交換の場とでも言うのだろうか。1時間ほどの会話を楽しんで、今日の行事はおしまい。

 

 今日の掲示板はこれ。「追えば逃げるぞ赤とんぼ 待てばとまるよ竿の先」というもの。どこの誰の言葉かはわからない。幸せもお金も地位や名誉も健康も・・・そんなものかも知れない。追いかけている間は手に入らないが、ふっと、無心になったときに、「あ、ここにあったのか・・・」みたいにすぐそばにあったりする・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


アキアカネ ぐうたら午後を のぞき込む

2016年09月10日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、気圧の谷の影響で夜は曇るらしい。気温は21.4度から29.2度、湿度は92%から64%と、ややしのぎやすくなってきた。風は0mから3mの東の風が少しばかり。明日の11日は、高気圧に覆われて概ね晴れるけれど、気圧の谷や湿った空気の影響で夕方からは曇る見込みらしい。

 

 さて、香川県は昔から水不足・日照り問題で苦労してきた。今年も四国の水がめ「早明浦ダム」の貯水量が大幅に減少してきて取水制限が行われている。頼みの綱の台風も四国を避けるようにして過ぎてしまった。そこで、今日は「香川用水」というのを調べてきた。

 

 途中、何度かのトイレ休憩をしながらの走行になる。ここはまんのう町にある満濃池下流にある「ほたる見公園」前の公衆トイレに寄ったときのもの。あの橋が「ほたる見橋」である。

 

 およそ、1時間半ほどかかってたどり着いたここが「香川用水記念公園」である。上のマップの赤丸で囲んだ部分。三豊市財田町という住所になる。

 

 この公園地図の上部に描かれている、讃岐山脈を貫いてきたトンネルの出口から流れてきた水を東西に分ける「東西分水工」がメインの設備。高知県大川村の早明浦ダムから徳島県の渓谷を流れてきた水が池田ダムで吉野川と香川分水工に分水されて讃岐山脈を抜けてきた水である。

 

 少し前までは、水の資料館に入ったところにある丸い石のボールが吹き上げてくる水の力でくるくると回っていたのだが、節電のためだとかで、この照明も消され、ボールも回っていなかった。その上には稲わらで作った巨大な龍がいる。龍は水の神なのだとか・・・。こうした設備は、開館した当時は大勢のお客さんでにぎわうが、やがてのことには物置状態になってしまうもの。

 

 この龍も稲ワラで丁寧に作られているが、今は誰も見上げる人もいないのだろう。

 

 みずべ公園ではこどもたちが楽しそうに水遊びをしていた。親御さんもタダで安全で遊べる場所をよく知っている。

 

 東部分水工にはなみなみと水が流れているが、これでも本来の水量ではないのかも知れない。

 

 帰りに宝山湖に寄ってみた。古来よりの水枯れの地である香川県を救う『香川用水』は、高知県早明浦ダムで貯水された水を徳島県池田ダムで阿讃トンネルに分水し、香川県に流している。 トンネルから出た用水をさらに香川県内に貯水するべく新造されたダムが、この『宝山湖』である。その容量は香川用水2週間分。つまりいざ渇水になっても、 これまでよりもさらに断水まで2週間の時間が稼げるようになったということである。頼もしくもあると同時に、香川県民の生活を守る本土決戦最後の砦ででも ある。(四国堰堤ダム88箇所巡りより)本土決戦というのはちとオーバーな表現・・・。

 

 ここの貯水量も安定したもの。農業用水の使用量が少なくなれば、上水道への配分が確保されるかも知れない。

 

 満濃池にも寄ってみたが、ここも渇水状態までもはいかない状態。この秋は乗り切れるのかも。

 

 今日のお昼はここになった。仲多度郡まんのう町吉野にあるプチセルフのお店である。

 

  で、夏らしく、「おんたまぶっかけ小の冷や」をお願いした。単に麺の上に温泉卵が載っているだけ。それにぶっかけ出汁をかけただけ。ネギとおろしショウガはフリートッピング。大型トラックの運転手が一人、おうどんを食べているだけだった。

 

 で、元の地図の紫の楕円で囲った場所が、我が町にある田辺池。この池に一度ポンプアップして貯水する。

 

 これが田辺池である。奥の建物が香川用水の設備らしいが無人で動いている様子。

 

 我が町の「宗延(むねのぶ)」という処にある調整池を経由して、東かがわ市に向かって山の中に向かう。最終は上のマップの緑の楕円に囲まれた「宮奥池」。

 

 高知県大川村の水が、東かがわ市福栄東山まで流れてくるというのも不思議な話だなぁと思ったことだった。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生は学校である。そこでは幸福より不幸の方が良い教師である。」というもの。ロシアの評論家、フリーチエの言葉らしい。人生という学校で、人はさまざまな経験から学んでゆくものだが、幸福から学びとることより、不幸から学びとることのほうがずっと大きい。不幸に出会ったときは、不幸を糧にして、人間として成長したいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


秋の日は 言い訳ばかりを考える

2016年09月09日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は22.2度から29.9度、湿度は88%から68%、風は2mから1mの西北西の風が少しばかり。言うと言わんと、空気は秋の香りになってきた。屋外にいても暑さがすっかりと変わってきた。明日の10日は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 花オクラもそろそろおしまいの時期に近づいてきた。

 

 今日も18個の花オクラを収穫して冷蔵庫に保管をしておいた。

 

 花の後には、こんなものが出てきている。これがタネになるらしい。普通のオクラの食べる部分みたいだ。

 

 さて、夏恒例の膝の痛みが今年もやって来た。いつもは7月から8月ごろにやってくるのに、今年は少しばっかり遅かった。別に打撲をしたわけでもケガをした訳でもない。何かの虫やムカデなんかに噛みつかれた訳でもない。医者に行っても分からない。で、一週間もすればうそのように痛みも消えてしまう。

 

 痛みをこらえて、今日は注連縄造り。ま、いわゆる「縄ない作業」である。稲のワラでロープを作る作業である。この力のいれ具合が難しい訳だ。

 

 できあがったものはこんなもの。なかなかにはきれいなものは作れない。この飛び出したものやヒゲ状のものをハサミで切り取って仕上げていく。

 

 で、できあがったものがこれ。これはまだ「縄」で、注連縄ではない。

 

 この縄に「下がり」という、7本、5本、3本の稲わらを編み込んで形ができる。

 

 それに、昨夜作っておいた「紙垂(しで)」を差し込めば「注連縄」ができあがる。

 

 御幣もできているので、私のお仕事は準備万端。日曜日の朝に、これを張り替えたらミッション・クリアになる。

 

 お昼から山間部を走ってみたら、あちらこちらで彼岸花が咲いている。わが家の近くでも二輪ほど花が開いていたし・・・。

 

 いつも、あそこのあるのになぁ・・という場所に行ってみると、あるわ、あるわ・・彼岸花。カレンダーも時計も持っていないのに、なんとけなげな彼岸花。

 

 今日の掲示板はこれ。「自分には人間だものと言い、他人には人間のくせにと言う」という、いつもの赤松先生のお寺にあったもの。言い訳をするときに、自分には、「人間だもの」と言い、他人を責める時には、「人間のくせに」と言う。車いすの人を「障がい者」と言い、メガネをかけた人は、「健常者」と言う。足と目の違いだけなのに。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


ふるさとの 花はすなおに 酔芙蓉

2016年09月08日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は湿った空気の影響で昼前まで雨の降る所があったし、曇りとなっていたが、お昼前からは晴れてきた。気温は24.3度から29.6度、湿度は96%から78%。風は2mから5mの西北西の風が少しばかり。明日の9日は、高気圧に覆われて晴れるらしい。

 

 朝方は小雨が少しばかり降っていたが、やがてには止んでしまった。四国の水がめの早明浦ダムの貯水率も少しばかり回復して45.8%まで回復したらしいが、今後はどうなるのだろうか。

 

 雨は欲しいが、そう、多くの雨はいらない・・・。まことに人間ってやつはわがままなことだ。

 

 雨も上がったので、彼岸花を探してさぬき市内を走ってみたが、今年は気温が高いのか、全く赤い彼岸花のつぼみさえ見つからない。で、ふらりと立ち寄ったのがさぬき市立図書館。昨日、県立図書館に行ったばかりなのに・・・。

 

 特に読みたい本があったわけではないし、調べたいことがあった訳でもない。ただ、なんとなく立ち寄っただけだった。

 

 梵字辞典でも・・と思ったけれど、そんな専門的な本はここには置いていないみたい。

 

 で、意味もなく、潜水艦の本を三冊と空母の本を一冊と海上保安庁の本との五冊を借りてきた。日本の潜水艦も明治時代から作られていたらしい。瀬戸内海を航行しているのは三度ほど見たことがあるが、こんなに小さいのか・・と思ったけれど、中には大きなものもあるらしい。

 

 さて、この日曜日が、この「山の神さん」の例大祭らしい。ま、自治会長の私が決めたのだから、「らしい」ということもないのだけれど、だいたい、この日あたりになるらしい。

 

 で、日曜日の朝までに、この「しめ縄」を新しく作り替えないといけないらしい。今回は、うちの班が「お頭屋」になって、私がこのしめ縄を作ることになっている。過疎と恒例化で、私が「しめ縄係」で、「のりちゃん」が買い物係、「かつまさん」がのぼりの係で、あと二人のおばさんが「お洗米」やらお塩、おろうそくなどを準備する祭壇係。

 

 そうそう、「紙垂(しで)」は室内でできるので早々にA4の印刷用紙を切って作っておく。

 

 ご神体用の「御幣」も作っておく。しめ縄は明日のお仕事にとっておく。今日は蒸し暑くてやってられない。

 

 御幣用の笹竹を切りに竹藪に入ったら、雨のしずくで相当に濡れてしまった。

 

 春先に投げ入れておいたホテイアオイの花が咲きだしている。カエルが卵を産み付けて、オタマジャクシになっていたのでそのままにいていたのだが、誰の援助も受けず、誰の世話にもならず、こうして花をつけてくれる。しかしのかかし、この花が咲いたら、どんな実になるのだろうか。冬になれば枯れてしまって、春になってもホテイアオイは生えてはこないのだけれど。

 

 今日の掲示板はこれ。「小さくていいから 鋭いキリで深い穴を開けてみよ。壁の向こうが見えてくる」という常磐文克さんの言葉から。人生において大きな壁に突き当たることは多々あるもの。目指す目標が大きければ大きいほど、その壁は高くなり、厚くなってくる。そんなときは、この言葉のように、小さな穴から活路を見出す努力も必要なのではないだろうか。じっと、こまねいていてはものごとは進まない。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


財布出し お茶買う午後や 白露の日

2016年09月07日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は西日本に前線が停滞し、台風第13号が四国の南海上を東に進むため湿った空気が流れ込み、夕方から雨が降り、雷を伴う所があるらしいが蒸し暑い一日になった。気温は25.0度から29.4度、湿度は96%から82%、風は1mから5mの東北東の風が一時強かった。明日の8日は、前線や台風第13号の影響で概ね曇りとなり、明け方までは雨が降り、雷を伴う所がある見込みだという。

 

 昨夜のこと、19時から20時までの約1時間ほど、私の部屋の背後で赤色灯が回り続けていた。飲酒検問なのか、連続窃盗団の検問だろうか。でも、1時間に10台ほどしか車は通っていなかったみたい。

 

 19時というと、飲み屋さんで飲んで帰る時間には早すぎる。最近、この道筋でエアコンの室外機が連続盗難被害にあっているし、農家の軒先につり下げてあった草刈り機(刈り払い機)も二十数丁盗難に遭っている。

 

 昼間の場所はここ。ここはカーブを曲がったところで、少しばかり広くなっていて警察車両が停められる。しかし、こんなところで検問をしたのを見たことがなかったのだけれど。

 

 朝の間は曇っていて、今にも雨が降るかもしれないというような中、水曜日は県立図書館デーということで、ここにやってきた。さすがに、蝉の声は一匹たりとも聞こえなくなっていた。

 

 大雨にならぬうちに本を返却して帰ろうと思ったけれど、ものはついでだからと、今回も五冊の本を借りてきた。

 

 いつも気になっている、高松松平家の墓所「般若台」の資料が目に付いた。30年前には自由に入れたものだったが、近年はきつく施錠されてしまったし、最近になって、歴代藩主の命日開門もなくなってしまった。お願いをしてそれなりの理由を述べれば開けてくれるのかも知れないのだが、あいにくと、それなりの理由もない。

 

 参考資料からの「般若台」で、歴代藩主や奥方、重臣らのお墓がこうして累々と並べられている。中央に見えるのが、三代高松藩主松平賴豊公のお墓である。

 

 これが初代藩主松平賴重公のお墓である。一度、お参りさせていただきたいお墓である。

 

 台風だ、台風だと大騒ぎしているのだけれど、今回も台風の雨は期待できないかも知れない。前回の12号では四国地方は150mm/hの雨が降ると言われていたのにお湿り程度だった。今回は100mm/h程度の雨だと言われているが、少し南寄りのコースになっていて期待できそうもない。

 

 空には雨雲どころか快晴の夏の雲が悠然と浮かんでいる。

 

 あまりにも蒸し暑いので、「センタン古都の氷華」がおいしいと思った。別にお勧めしているわけではない。

 

 この花の名前が悲しい。「オオイヌノフグリ」に負けず劣らずのユニークな名前を頂戴しているのが「ヘクソカズラ(屁糞葛)」。アカネ科に属する日本在来のつる草で、7~8月にかけて花をつける。茎や葉を傷つけるとひどい悪臭が漂う。と言えば、もうこれ以上の説明はしなくても名前の由来はご想像いただけると思う。悪臭のゆえに大変ユニークな名前を頂戴したわけだが、万葉集の中にヘクソカズラの名前で登場していると言うから、その歴史は古い。それにしても万葉の貴族たちは一体どんな顔をしてヘクソ カズラの和歌を詠み上げたのだろうか。名前はユニークだが花は可愛らしく、その姿を早乙女の笠に見立てた「サオトメバナ」や「サオトメカズラ」などの上品な別名も持っていて、平安貴族が歌に詠んだ気持ちも何となく分かるような気がする。他にも花の中心の姿形をお灸の痕に見立てた「ヤイトバナ」の名もあるらしい。

 

 一方、こちらは「スイフヨウ」。中国名から、ただし「芙蓉」は元々中国では蓮(ハス)のことで、唐代までは「木芙蓉(もくふよう)」と呼ばれていたので注意が必要である。「酔芙蓉」の名前の由来は花の色が変わる様を酒に酔って顔が赤くなることに例えたもの。

 

 今日の掲示板はこれ。「阿弥陀仏と称える口で 愚痴を言い」というもの。私が仏法を聞くのではないし、私が仏教を学ぶのでもない。あたしが聞くのであれば、自分勝手な聞き方、学びになってしまう。自分の狭いモノサシで判断することになりかねない。自分の納得する部分や、共感する部分だけで判断することになってしまい、少しも自分は問われない。そうではなくて、私が仏教から聞き、学び、 問われていくのである。今まで見えなかったことや気づかなかったことを教えられるのである。今年の梅雨は雨が少なかった。カラ梅雨のようで、水やりが大変だと愚痴っている人も多かった。今年は台風が連続してやってきて、堤防決壊や土石流の発生で大勢の人が被害に遭った。そうするときっと「今日も雨か、台風は嫌だなあ」と、また愚痴が出ることになる。これが私たちの姿ではないか。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


赤とんぼ 夕焼け空は 遠そうだ

2016年09月06日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は湿った空気の影響で概ね曇り、雨や雷雨となっている所があるらしい。気温は25.1度から30.1度、湿度は94%から78%、風は0mから3mの東の風が少しばかり。明日の7日は、引き続き湿った空気が流れ込むため、概ね雨で雷を伴う所があるらしい。

 

 この花おくら、毎日毎日、15個から20個くらいの花をつけるが一日限り。咲いては落ち、咲いては落ちていく。もう、わが家では食べ飽きたし、介護施設にもあげ尽くしたということで、今日は前山の俵札調査のおねえさん方に持って行ってあげることにした。

 

 いくら、おいしいと言うても、毎食毎食ともなれば飽きてくる。サラダにしたり酢の物にしたけれど、そうそうは花オクラばかりもは食べられない。

 

 つかさの会のおばさまたちはまだ二度目だから新鮮そうにのぞき込んでいた。このネバネバ感がいいのよね~・・と言うていたので、来週もOKかも知れない。

 

 で、今日は恒例の火曜日出勤の日。例の「俵札調査」の日である。寒川家、飯田家、田淵家の三家にあった俵札の中身を調べているのだけれど、遍路札と呼ばれる「納め札」については調査が終わり、現在、ここで展示をされている。

 

 で、今度は、寒川家の俵に収められていた「その他」の紙くずの調べである。先週は「お守り札」の整理を行い、ナンバリングという一連の番号を振り当てて整理をしていく作業に入った。

 

 で、たまたま掴んだ箱の中身は「寺院札」というジャンルだった。どういう基準で選んだのか不明だが、とにかく、四国霊場の札所が発行したお札のようだ。これは版木に墨を載せて印刷した「版刷り」と呼ばれるものに朱印を押したもの。大窪寺は薬師如来が本尊で有名であるが、十二神将もいたのか・・・。

 

 これは素戔嗚尊(スサノオノミコト)の神像ではないのかと、よくよく見ると、御誕生所 善通寺とある。75番札所の善通寺さんのもので、空海さんの子供の頃の「御影(みえい)」である。空海さん、子供の頃は「佐伯真魚」と言ったらしい。真魚は宝亀5年(774)、讃岐国多度郡屏風浦(現:香川県善通寺市)で生まれた。父は郡司・佐伯直田公(さえきのあたいたぎみ)、母は阿刀大足の娘(あるいは妹)。真言宗の伝承では空海の誕生日を6月15日とするが、これは中国密教の大成者である不空三蔵の入滅の日であり、空海が不空の生まれ変わりとする伝承によるもので、正確な誕生日は不明である。

 

 これなんぞは、お札(紙切れ)の部分であるが、四国霊場の「結」願所・・と言えば「大窪寺」であるので、紙切れではあるが、「大窪寺発行の祈祷札であることが知れる。なお、大窪寺の本尊は「薬師如来」であるので符合する。

 

 渡邊会長は「梵字札」を解読している。持っている本は「梵字辞典」。私は梵字はさっぱりである。

 

 多田先生は整理の済んだ資料をデジタル・カメラで画像としてデータ格納している。

 

 台風12号が消滅したと思えば、新たな13号が発生した模様。で、明日からあさってにかけて西日本から東日本に接近する恐れがあるそうな・・・。雨は欲しいが災害は欲しくない。欲しくないというても、こればっかりはどうしようもないのだけれど。

 

 今月はのんびりと、自由研究ができるかなぁと思ったけれど、この週末から来週末あたりに予定が入ってきている。なかなかに自由研究にも手がつけられそうにもない。

 

 今日の掲示板はこれ。「君が自分の目で確かめたか。自分の足で歩いたか。自分の手で触ってみたか」という松下幸之助さんの言葉から。私が現役の頃、朝のミーティングで、「現地に行こう、現物にさわろう」というようなことを唱和したことがある。会議の席上ではいろんなことが言えるし、提案もできる。しかしのかかし、現地を知らず、現場を知らないでいくら議論を重ねても意味はない。自分の目で確認し、自分の足で現地を歩き回り、自分の手で現物に触ってこその発言は重すぎるほどに重い。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


雲切れて 台風一過の 雨宿り

2016年09月05日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は台風から変わった熱帯低気圧や湿った空気の影響で、曇りや雨となり、雷を伴う所があるらしい。昼前から小雨、弱雨となった。気温は22.2度から28.5度、湿度は88%から82%、降雨量は0-3mm/hの夕立程度。風は1mから3mの東の風が少しばかり。明日の6日は、引き続き、湿った空気が流れ込むため、概ね曇りで未明まで雨が降る見込みらしい。

 

 台風が来るというので、家中の雨戸を閉め切って雨を待っていたのだが、お湿り程度の雨で終わってしまった。

 

 9月1日(木)午前9時に沖縄の南で発生した台風12号は、今日、9月5日(月)午前9時、台風12号「ナムセーウン」は、対馬近海で熱帯低気圧に変わったらしい。しかし、熱帯低気圧に変わったからといって、油断はできないという。南から湿った空気が流れ込み、熱帯低気圧から離れた地域でも、局地的には大雨となる恐れがあるらしい。

 

 朝の間、彼岸花を探して、さぬき市南部から東かがわ市あたりの山間部を走ってきたが、今年は全く、彼岸花を見かけなかった。時期的にはそろそろと彼岸花が見える筈。お彼岸までには三週間はあるが、少しは顔を見せてもいいころだと思うのだが。

 

 途中、路上にサルの一団がいる・・と思ったら、栗の枝を折って中身を上手に食べている。まだまだ、栗の実は小さくて未熟なのだが、それを選んで食べている様子。そのほうが柔らかくて食べやすいのかも知れない。

 

 途中で見かけたのは、この「夏水仙」と呼ばれる「リコリス」ばかり。彼岸花とは花の形がまるきり違う。

 

 これは一昨年の9月5日の風景である。二年前には、こんな彼岸花が見られたのである。今年はまだまだ気温が高いのだろうか。

 

 お昼前になって、雨らしい雨にはなったのだが、それもしばらくの間だけ。

 

 うちの奥方が野菜を作ったりお花を育てたりしているので、雨が欲しい、雨が欲しいと言うていたが、私は雨なんぞ少しも欲しくはない。さぬき市の情勢には詳しくないのだが、この私の住んでいる「大川町」で、「浄水池」というものを見た記憶はないし、「浄水場」という言葉も聞いたことがない。

 

 雨はしばらくしてあがってしまい、薄陽すらさしてきた。市役所の中に「水道課」という係があることは知っているが、私たちの使う上水道は、どこに蓄えられて、どういう経路で供給されているのかは全く知らない。まさか、高知県の早明浦ダムの水が供給されていることはないと思うが、水源はどこなんだろうかと考えてみたこともない。水不足だ、断水だという話も聞いたことがないのだし・・・。

 

 ということで、「晴耕雨読」ならぬ「晴走雨学」でお勉強。秋に出版予定の「さぬき市教育委員会版」の報告書は一応の完成をみているので、今度は、秋の文化祭用の「まほろば工房版」の報告書の作成をやっていた。

 

  ま、できることからコツコツと・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「苦をまぬがれるには その苦を生かしていく道を学ぶことです」という、蓬茨祖運(ほうしそうん)先生の言葉から。蓬茨祖運先生は、浄土真宗の僧侶で仏教学者。 石川県出身で大谷大学卒。真宗大谷派参務。1970年九州大谷短期大学教授、二代目学長。賢隆寺住職。宇宙物理学者・蓬茨霊運は長男である。人生には4つの約束事があるという。「繰り返すことができない」「誰にも代わってもらえない」「かならず終わりが来る」、そして「その終わりがいつくるか わからない」。仏教の基本的な教えである四法印、すなわち諸行無常・諸法無我・一切皆苦・涅槃寂静はこのことを私たちに教えようとしている。この生老病死の現実を前に、私たちはまさに無力と云うほかない事柄にしばしば直面し、苦悩する。蓬茨祖運先生は「苦しみをまぬがれるには、その苦しみを生かしていく道を学ぶこと」と云われた。心の闇が照らされて、闇を闇と知らされる。苦は消せるものではなく、照らされ開かれるものだと教えてくれたのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


コスモスの 影重なって 遍路道

2016年09月04日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は台風第12号が九州の西海上を北上し湿った空気が流れ込むため、夕方を中心に雨や雷雨となるらしい。気温は24.9度から29.5度、湿度は92%から78%、風は3mから5mの東南東の風が少しばかり。台風のせいか蒸し暑い一日になった。明日の5日は、台風第12号の影響で、引き続き湿った空気が流れ込むため、概ね雨や雷雨となる見込みらしい。

 

 さて、今日はご案内の通り、さぬき市主催の「おへんろつかさ養成講座」の第二回目で長尾寺現地研修会が行われる日。おへんろさんの宗教的案内人は「お先達さん」。私たちは、遍路道沿いの観光案内ガイドで、今日は、その観光ガイドさんを養成するお勉強会である。

 

 まずは、午前8時過ぎから駐車場係から。一般のお遍路さんと区別して、受講生用の駐車場へ案内することから始める。

 

 長尾寺さんの客殿をお借りしての1コマ目は、志度まちぶら探検隊ガイドの近藤先生から、「ガイドの仕方・ポイント」についての講義を受ける。ガイドの心得やコースプランの作り方、話し方、歩き方などのレクチャーを受ける。

 

 近藤ガイドは、マイクを使わない。そのほうがかえって注目してくれるし、聞こうと耳をそばだてるのだそうだ。声も大きくせずに普通に話すほうがいいそうだ。私はついつい、声を大きくしてしまいがち。

 

 休憩を挟んで2コマ目が私。この経幢のお話とか・・・

 

 山門の意味とか、この仁王さんが歩いてきたお話なんぞと基本的なお寺の歩き方やマナー、手水場での手水の使い方などのお話。一般のお客さんをいかに案内して、長尾寺さんを紹介するのかがテーマである。

 

 これは、本堂向背前にある彫刻であるが・・・。

 

 このほうきについてのお話を、先輩の前田チーフ・ガイドが説明する。そ、シュリ・ハンドクのお話である。シュリ・ハンドクとは、『仏説阿弥陀経』に、お釈迦様の弟子たちの名の七番目に周利槃陀伽(しゅりはんだか)と出てくる人のことである。十大弟子の一人に数えられる方であるが、この人はいわゆるオツムの弱い人であった。弱いどころか、自分の名前も書けない。名前を呼ばれても周りの人から言われて、ようやく自分のことかとわかるほど。だから、お釈迦様の教えを聞いても理解できないし、すぐに忘れてしまう。でも、悟りを求める心は人一倍あった。

 

 でも、彼にはどの修行も無理だった。そこで、お釈迦様が彼に与えた修行はお掃除だった。一本の箒を与え、「垢を払わん、塵を除かん・・・」と唱えさせ、精舎を掃除させた。彼は一心に掃除をした。何年もたったある日、シュリハンドクはお釈迦様に「 どうでしょうか。きれいになったでしょうか?」と尋ねた。お釈迦様は首を振って、「駄目だ。」と言われた。どれだけ隅から隅まできれいにしても、「まだ駄目だ」といわれる。シュリハンドクはそれでも黙々と掃除を続けた。ある時、子どもたちが遊びにやってきて、せっかくシュリハンドクがきれいに掃除をした所を汚してしまった。シュリハンドクは思わず箒を振り上げて怒鳴った。「 こら!どうして汚すんだ。」その瞬間、彼は本当に汚れている所に気がついた。

 

 それ以来、汚れが落ちにくいのは人の心も同じだと悟り、ついに仏の教えを理解して、阿羅漢果を得たとされる。そして、お釈迦様はシュリハンドクが一生懸命に掃除をしている姿をいつも手を合わせて拝んだという。シュリハンドクはどのようにして心の掃除をしたのだろうか。次々と生じてくる心の塵や垢(煩悩)をどのようにして掃除したのだろうか。まず思い至ることは、自分の心はきれいにしたと思っても、また汚れることである。でも、これは掃除と全く同じなのだ。

 

 次に使う人のためとか、自分の続ける意志を高めるためではない。「掃除を続けること」そのことが大事なことなのだ。心の垢を流し、心の塵を除くことをし続けること。これがシュリハンドクの行ってきたことなのだ。シュリハンドクのように、汚れたらまた掃除をするということは、私たちの生きる姿を表わしてはいないだろうか。

 

 法然上人は「愚癡に還って極楽に生まれる」といわれた。親鸞聖人は「よしあしの文字をもしらぬひとはみな まことのこころなりけるを 善悪の字しりがほは おほそらごとのかたちなり」(正像末和讃)と残された。シュリハンドクの話は、こんなところにも残されていた。

 

 茗荷(ミョウガ)とは「名前を荷う」と書くそうだが、これは、自分の名前も覚えられずに、名前を書いた看板を背負っていたシュリハンドクの墓から生えてきたからだと言われている。そこから、「茗荷を食べると物忘れをしやすくなる。」と言われるようになったのだとか。

 

 3コマ目は、長尾寺住職の木村俊雅師からの講話を頂き、その後、本堂や大師堂などの内部を拝観させていただき、真言宗から天台宗に転宗したいきさつなどのお話を伺うことができた。

 

 今日の掲示板はこれ。「ああ、そうだ、と気がついたその時があなたのバースデイ」という中村天風さんの言葉から。天風さんの言葉に寄れば、人間の心は「人生の一切をよりよく建設する力があると同時に、また人生をより悪く破壊する力もある」と指摘する。早すぎもせず、遅すぎもせず、まさに気がついたそのとき、「あ、そうだ」と思ったそのときこそ、自分自身にとっての「悟り」の一瞬なのである。天風さんは言う。「あ、そうかと気がついたそのときが、新しいバースデイである」と。自分の人生の中に、「いっぱいのバースデー」を作って、いつも新鮮な自分自身でありたいものだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


青空は とんぼのために 透き通る

2016年09月03日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は湿った空気の影響で概ね曇り、雨の降る所がある見込みだというのだが、今のところ雨はまだない。気温は24.3度から31.2度、湿度は88%から76%、風は3mから4mの東の風が少しばかり。明日の4日は台風第12号が北上し、湿った空気が流れ込むため曇りや雨となり、雷を伴う所があるらしい。

 

 朝の間は秋らしい天気になっていたのだが、

 

 台風12号の影響なのか、次第に雲が出て来るようになった。

 

 天候の悪い日に出かける必要もあるまい・・ということで、詫間町の両墓制についての調べ物をしていた。こうして見ると、集落ごとに墓地があり、集落によっても墓地の形態が違うことがわかる。埋め墓がある集落、両墓制が崩れてしまっている集落、完全に単墓制になっている集落。

 

 それに、お墓の上の構造物も集落ごとによって異なっている。Aは志々島型、Bは粟島型、Cは一般型、Dはイガキというもので山間部に多いタイプ、犬やオオカミが荒らさないように囲ってあるもの。E,Fは、それの簡素型。

 

 お昼前になって、「おへんろつかさの会」の堀尾副会長から連絡があって、明日の養成講座の講師が2名、急用で出られなくなったので、代理講師を頼みたい・・・とのこと。

 

 聞けば、この山門前担当と、その奥の手水場(ちょうずば)担当がお休みするらしい。このあたりならば、説明・ガイドできるだろうと引き受けた。専門は「大窪寺」と「志度寺」で、ここは、あんまり、得意なエリアではないのだが、これもお勉強だと引き受けた。

 

 ここの山門前には、こんなものがある。門前にある「経憧」(きょうどう)は、元冦の役出征将兵の霊を慰めるために建てられた「経幢」は国の重要文化財に指定され、鎌倉時代から栄えた名刹を物語っている。

 

 仁王さんの話や、山門のくぐり方、境内の歩き方から、手水の使い方などの基本動作をコーチする。前回は開講式で、「お遍路とは」ということを勉強したので、今回からは、実際のお寺についてのお勉強になる。今回は長尾寺さん、次回は志度寺さん、その次が大窪寺さんになる。

 

 私的には、山頭火の句碑がここには4基もあり、他にも有名な句碑が3基、あるので、それのお話もしたいところ。明日の天候が気に掛かることではある。

 

 一、(鎌倉男児)
四百余州(しひゃくよしゅう)を挙(こぞ)る /十万余騎の敵 /国難ここに見る /弘安四年夏の頃 /なんぞ怖れんわれに /鎌倉男子あり /正義武断の名 /一喝して世に示す

 という歌がある「元寇」という歌である。弘安四年か・・。長尾寺の経憧は、弘安6年と9年に建立されたもの。

 

 さてさて、セミの声も静かになって、虫の声にはまだ早い。嵐の前の静けさ・・・にも似た静寂。

 

 今日の掲示板はこれ。「人の間違いや欠点をきびしく見る眼で自分を見えたらいいですね」という野田風雪さんのもので、いつもの赤松先生の掲示板にあったもの。私たちは、自分のことは自分が一番よく分かっていると思いがちだが、さて、本当にそうなのであろうか。分かっているつもりになっているだけで本当は分かっていないのかもしれない。自分の顔は、鏡に映さなければ見ることができないように、自分の心も鏡が無いと分からないものなのではないだろうかか。でも、そんな鏡がないからこそ、私たちは安穏と生きていられるのではなかろうか。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


コスモスは 別れ必然と 揺れている

2016年09月02日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は22.1度から30.8度、湿度は88%から52%、風は1mから5mの東南東の風が少しばかり。明日の3日は、湿った空気の影響で概ね曇りで、昼前から雨の降る所があるらしい。

 

 朝の迷犬ごんの散歩の時、ゴンが動かないと思えば道路にこんなものが・・。近くにサルがいるらしい。犬猿の仲・・・とは言うけれど、普通は犬を怖がってサルが逃げるもの。うちの迷犬ごんは、全くの弱虫でサルの声を聞いただけで動けなくなる。

 

 サルにはサルの世界があるのだろうけれど、私たちにすれば「狼藉者」でしかないと思ってしまう。

 

 さて、水曜日だかに県立図書館で借りた本も読んでしまったので返却に行った。今夜のことがわからない、明日のことがわからないこの身だから、早め早めに物事は片付けておく。

 

 観音寺市の資料の中に「古銭」という言葉があった。江戸時代に使われていた「寛永通宝」は、江戸時代では「古銭」とは呼ばない。明治時代でも「古銭」とは呼ばなかったはず。あの寛永通宝の銭形は大正時代以降のものではないのか・・と考えていた。

 

 でも、ここには、それ以上の資料は見つけられなかった。私的なグループが、何のために「寛永通宝」を砂浜に描いたのか・・・。砂浜の雑草の中に埋もれていた寛永通宝を発見したのが、天理教の信者さんだった。昭和10年から、その信者さんたちが全国一斉の「ひのきしん:日の寄進」の日に合わせて、年に一度の大掃除をするようになって、みんなに注目されるようになったのだと知った。

 

 観音寺市(かん・おん・じ・し)の市史を借りてきたが、ここには銭形の文字すら印刷されてはいなかった。市史にすら記録されていない謎の銭形が、なんで、マンホールや橋の親柱に使われているのか。

 

 とか・・・

 

 謎はふかまるばかりの観音寺市である。

 

 そのお話は一旦、棚上げにして置いて、今度は詫間町の両墓制である。少し涼しくなったならば、お墓探しもやっておきたいもの。「讃岐における両墓制の祭祀と埋葬の空間論」という論文をまとめておきたいからである。

 

 それはさておき、わが家の花おくらも最盛期。毎日、一五枚ほどの花が咲くが、これは一日だけの花。でも、わが家でも食べ飽きるほど食べたので、奥方の勤務先に届けることが多くなった。

 

 最初は、奥方の仕事場の介護支援センターに届けたが、連日ともなると、デイサービスセンターにも届けるようになった。

 

 で、野菜サラダにしたり、

 

 酢の物にして、利用さんたちも食べていただいているらしい。なくても困るが、有り余っても困るのことよ・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「偶然の出会い 必然の別れ その中に人間は生きている」というもので、いつもの赤松先生のお寺にあった掲示板からである。「偶然の出会い、必然の別れ。その中に人間は生きている。だからこそ、人は出会いを大切にしなければならないのではないだろうか。別れが必然だから、人はかろうじて優しくなれるのかもしれない。」松本梶丸師がある本の中でこんな言葉を書いておられた。「一期一会」という言葉がある。一生に一回の機会という意味である。よく人と人との出会いを表す言葉として使われるのだが、出会いは偶然、別れは必然 だからなんだろう。人が避けられない苦しみの一つとして愛別離苦という言葉があるように、死が必然である以上、別れも必然なのである。出会いの奇跡、出会いの大切さは、別れが教えてくれるのかもしれない。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


読書して 診察を待つ 日の永さ

2016年09月01日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市方は高気圧に覆われて晴れていたが、午後からは雲が広がってきた。気温は22.1度から31.6度、湿度は82%から46%、風は1mから2mの東北東の風が少しばかり。明日の2日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 朝方は肌寒くて薄いブルゾンを探して着て羽織っていた。

 

 今日は月に一度の「予約診察日」。お薬を調合・処方していただく日である。最近は自重気味にしているので、体調的には問題ない筈。

 

 今日の予約時間は11時半。血液検査に1時間以上かかるので10時半前に病院に入ればいい計算だが、今日は朝食抜きで来てくださいということだったので少し早めに出た。家にいると、ついつい、お茶だの水だのを飲んでしまう。

 

 ということで、9時過ぎに病院に着いた。これはあまりにも早すぎた。採血だって、予約時間を計算しながら採血するので、あんまり早くには処置してくれない。そこで、昨日借りて来た本を読んでいた。

 

 観音寺市の建てた案内看板である。これが通説となっているのだが、その借りて来た本には、20人ほどのパネラーが銭形についての持論を展開しているし、さまざまなメディアが書いた記事や歴史書からの資料なども掲載されている。

 

 その中に、琴弾八幡宮の宮司さんの記事が興味深かった。江戸時代の各種記録や文書、歴史書、風土記などには一切、記載がない。あの砂浜は、「四国霊場・観音寺神恵院」の境内地であった。そんな場所に巨大な砂絵を作ったら、当然、記録として残されるはずであるという。この神社の記録にも一切、砂絵はない。

 

 明治になって「神仏分離」が行われて、その調査に多和神社の松岡調(みつぐ)という神祇官が明治2年にやってきた。この男は執拗な男であったが、その記録にも、あの砂絵はないという。つまり、明治2年までは、寛永通宝の砂絵はなかったのである。

 

 その後、明治33年の絵はがきには、この砂絵があるという。ここが県立公園になったのは明治30年。県立公園内にこんなものを作ったら記録に残るはずだし、許可されない筈。だとすれば、神仏分離で、あの砂浜が神恵院の境内地から外された明治9年以降、明治30年までの間に、何らかの私的な団体が、この砂絵を描いたと考えられる。公的な団体であれば、必ず記録が残るはずである。

 

 また、市内の古老たちは、「砂絵は小学生の腰くらいしかなかった」と発言しているが、現在は1.8mから2.0mくらいの高さになっている。これは三豊郡内の天理教の信者さんたちが「ひのきしん」で砂ざらえをしたり、秋には近くの観音寺中学校の生徒さんや一般の方の奉仕で整形されているのだそうである。

 

 で、現在は、この山頂から、天理教の会長さんがトランシーバーで指示をしながら整形しているのだそうである。昔は手旗信号や伝令役が山を上下しながら指示をしていたとかの苦労話も楽しんだ。

 

 今回も35日分ということでお薬がどっさりと・・・。

 

 その薬代がこれ・・・。病院代が5,000円ほど。利尿剤のサムスカ錠剤が高いのだから仕方がない。

 

 今日の掲示板はこれ。「どんなに賢くても 人間自分の背中を見ることはできない」というもので、いつもお世話になっている赤松先生のお寺の掲示板から。これは、山本周五郎の書いた小説「さぶ」の中に出て来る言葉。栄二という表具職人がいた。男前だし頭が切れる。仕事の腕もいい。ただ、その自信からか、言うこと、することに嫌味が出るところがある。そんな栄二に、ベテランの職人与平が諭して語る。「どんなに賢くても、人間、自分の背中を見ることはできないんだからね」。自分はうぬぼれていない。うぬぼれを表に出していないと思って居ても、背中がうぬぼれを語っている。自分の心の内にあるうぬぼれを、”背中が見せて”しまっている。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


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