江原ひであき

新社会党

12月 9日(日)。 栃木県本部大会。 新宿高島屋。

2007-12-09 | Weblog
12/9、晴れ。

栃木県本部大会。
 本部を代表して栃木県本部大会に出席した。昨日インタ-ネットで交通手段を調べておいたが新宿に行ったら、在るはずの宇都宮直通の湘南ライナ-が休日運行だから無いのだという。困った!乗り継ぎなどもよく教えてくれない。ホ-ムにいる駅員は人数も少ないし、不親切だ。もたもたして遅刻してはいけないので、東京駅に行って東北新幹線に乗った。
 大会は定刻を10分ほど過ぎて始まった。浅井委員長の後、本部からの来賓挨拶ということで私が話しをした。
 本大会では機関紙の拡大を初めとして党勢拡大にいかに取り組むかを討論して欲しい、とお願いした。また、あらかじめ党建設ニュ-スをコピ-して持参したので参加者に配布して抜粋して報告した。
 議論の中で、四国ブロックの機関紙担当者会議の発言記事を捉えて、同感?「私も読んでみたくなる記事が欲しい」、と注文された。私は思う、全国からの要請は何でも載せればいいというものではない。常識外の発言をそのまま載せている。

 大会は原案どおり決定し、執行部は浅井委員長以下全員が留任となった。

12月 8日(土)。 日向君と。 まつろわぬ人々。

2007-12-08 | Weblog
12/8、晴れ。太平洋戦争開戦の日。 作日の日誌を大分補強しました。

日向君と。
 午後1時、サンプラにて日向君と待ち合わせ。事前に上高田の波田野さん宅まで集金に伺っていたので10分ばかり遅れてしまった。B1の喫茶室で2時間ほど話し合う。いろんな話しをした。彼から私の政治活動歴など聞かれたので昔話をしてしまった。
 私からは三つお願いした。①12/16午後2時桃園教会にきて欲しい。②「地域ユニオンお互いさまです」に加入して一緒に活動できないか。③「平和憲法とともに歩む中野の会」の会員になって、近く運営委員に誘いたい。などをはなす。

「まつろわぬ人々」
 詩の朗読とピアノ即興演奏を聴きに阿佐ヶ谷に行く。“まつろふ”というのは、“従うとか服従する”という意味のことだそうだ。
 よびかけ文に次のように書いている。「今回は、昭和初期から中国侵略、そして太平洋戦争へと突き進んでいった時代、軍国主義・ファシズムが吹き荒れる中で、詩人・作家たちはどう感じ、どのような作品を生み出したかというところに焦点を当てることによって、どこか似た空気が流れる今の日本をも見つめたいと思います」、と。
 このことからも想像できたが「ジャズピアニストの高橋聡さんの演奏で岩本昌子さんが詩を朗読する」こんな形で2時間のライブ?が終わった。

12月 7日(金)。 要望書の件。 反改憲 12.7集会。

2007-12-07 | Weblog
12/7、晴れ。朝から暖かい小春日和。

要望書の件。
 沖縄戦教科書記述に関する請願結果に対する要望書ついて、高柳牧師と相談のため桃園教会に行く。松井、早川さん等含め4者会議で要望内容を話し合う。
 委員会への要望は、①公聴会開催を早急に行って欲しい。②文教委員各位と請願人等との懇談会を開催して欲しい、との2点である。その理由も7項目に整理し、それぞれの項目に対して関係各位の反論や見解を求めたものにした。

反改憲12.7集会。
 夜、6時半、杉山公園に行く。やや長ったらしい集会名だが正式には「憲法改悪許すな!平和とくらしをまもれ!12.7中野区民集会」という。参加者は200名余ぐらいかな、集会の主体は東京土建になっている。
 主体はこれでいいが、この時期、この種の野外集会をおこなうのだから企画段階から区内の各政党や平和活動団体、労働組合、個人などの参加の下に準備すれば、集会が質、量ともに数段充実したものになるのだが...
 集会後中野駅北口広場までデモ行進。“アメリカはイラクから手を引け~”“自衛隊はイラクから撤退せよ~!”とシュプレヒコ-ルを発しながら歩く。いずれにしても中野駅周辺の集会、(ちょうちん)デモなのでアピ-ルはできたと思う。

12月 6日(木)。 本部。 四谷。 中野。

2007-12-06 | Weblog
12/6、 晴れ。寒いという前宣伝のわりには暖かい一日だった。
 朝一で中野区議会に出す要望書を訂正して松井さん宅にFaxしておいた。

本部。
 10時半、本部にて編集会議。 終了後、樋口編集長は中野のルカ病院竹内医院長に「新社会」元日号のインタビュ-に出かける。 私は四谷の都本部に向かう。

四谷にて。 早く着いたので都本部に行く。
 労働党の秋山氏から20分遅れそうとの連絡あり。 2時20分、四谷ルノア-ルにて秋山氏と会って政治情勢を語り合う。

中野にて。総支部定期大会。
 新社会党本部大会、12/1都本部大会に続き、きょうは中野総支部大会が開かれる。中野区政全体(議会も)の再生をめざして総支部委員長には留まった。 都本部任務が軽減された分を“自治中野”の復権に注ぎたい。

12月 5日(水)。 沖縄戦記述請願。 要望書。

2007-12-05 | Weblog
12/5、晴れ。 朝のうち昨日の日誌を補強する。

沖縄戦、高校教科書検定に関する意見書提出の請願。
 11時。松井さん、木下先生と区役所1階で打ち合わせ。12時前議会事務局に請願に関する補足資料を持参する。
 その後、昼休み時間に各会派を廻って請願に対する賛同要請を行う。午後1時、文教委員会が始まる。
 請願5号、6号の順で江原、松井がそれぞれ7~8分の補足説明を行う。委員からは請願内容については何の質問もなし。請願の取り扱いについて、公明党の江口委員から“きょうは、継続審査にして後ほど有識者を招いた公聴会を開催して判断しよう”との提起があり、あっというまにそのことが決まり審査が終わった。
 
 公聴会を開催するのはいいことだが、参考資料をたくさん提出したのに請願人の私たちには何の質問もない。この結果は、どう好意的に判断しても本請願をまともに審査しようなんて気はないと思わざるを得ない。

 何故か共産党の小堤委員はきょうも委員会欠席であった。委員の顔ぶれを見ればまともに審査しようとおもうのは小堤氏ぐらいしかいない。その小堤氏が欠席では議論にならない。
 これには絶対に裏がある! 必ず区民の前に明らかにしたい。自公の策謀が臭う。

要望書。
 帰宅してからきょうの委員会決定はそのまま受け止められないので要望書を提出すべく文案を起草する。松井さんにメ-ルした。

12月 4日(火)。 文教委員会。 防衛省疑惑。

2007-12-04 | Weblog
12/4、晴れ。 きょうも数日前の日誌を補強しましたので除いてみて下さい。

文教委員会。
 きょうの委員会で審議予定の第5号請願は明日5日に延期されてしまった(理由は定かでない)ので、請願の説明資料を事務局に届けたり、{新社会」の配布や残りの集金などした。
 その後、昨日の文教委員会は実質審議されないままに空転した?ような話しを小耳にしたので急遽、委員会を傍聴する事にした。 委員会審議を2時過ぎまで聞いたが(区施設の使用料引き上げ)値上げに賛成なのか?質問も意志が不明なので全く面白くない! ばからしいから途中で止めた。

防衛省疑惑が幕引き?
 きょうから「新テロ特措法」の審議が始まった。テレビで実況報道していたが「額賀」を参考人として呼ぶことが自公の反対で実現しない、ということだ。額賀喚問が野党の足並みの乱れで不発になって与党が攻勢に?出てきたのだろう。
 それにしても最近、マスコミが“見出し”に 「給油新法案」 と書いているが、これだっておかしい。視点がぼやけて争点が曖昧になるではないか! 

 一方で、新聞等マスコミは 検察発表の 「守屋の不正」 を連日暴き立てている。悪い事ではないが、このことで「額賀や久間など」政界の防衛族への疑惑がうやむやにされることがあってはならない。真実は日米の防衛族(政財官)の利権疑獄が存在している可能性大と見なければならない。

12月 3日(月)。 請願補足。 教科書検定全国集会。

2007-12-04 | Weblog
12/3、雨のち曇り。
 
 雑用が入る。誰が宣伝カ-を運転したか知らないが駐車場内の駐車位置を間違え、他人さまの場所に駐車しっぱなしにした。不動産やからクレ-ムがつき慌ててなおしに行ってきた。

請願補足の文章化。
 明日4日に審議予定の第5号請願(高校教科書書き替え問題)の補足説明について検討している内に文章化することにして、用意した資料の説明を手際よくするため“論理の組み立て”を考え箇条書きにした。3時間もかかってしまった。

「沖縄戦 教科書検定意見撤回を求める全国集会」
 5時45分、中野駅北口に行く。早川さん、細野さんがいたので一緒にしばらく待ったが他にこなかったので九段会館に向かった。
 会場に行ったら高柳牧師と会った。隣の席に着いて話しながら開演を待つ。
 
 開演:主催者代表の川平朝清さん(東京沖縄県人会会長)がいい挨拶をした。続いて金城重明さん(「集団自決」を心に刻んで」の著者)が渡嘉敷島における「集団自決」が起きた背景とどのように行われたかを証言の形で講演した。
 ちなみに、『金城さんは渡嘉敷島での「集団自決」が発生した現場にいて自らも実母や弟、妹など愛するが故に号泣しながら殺害した体験者である』
 
 私は請願5号の説得のためつい最近、金城さんの(上記)本を読んだばかりだったのですごくリアルに体感できた。このことを初め本日の集会は私にとって実にいいタイミングであったし収穫の多い集会であった。