江原ひであき

新社会党

4月30日(月)。 区議選後始末。さつき剪定。日誌補強。

2007-04-30 | Weblog
4/30、晴れ。昨日を上回る好天。テレビでは東京などが25°を超える夏日、と。
 昨日の日誌を補強しました。ご覧下さい。

区議選後始末。
 朝のうち塚原君と話す。11時に私の事務所で三者会談、いろいろ残っても次へのステップとして私へ一任することで一件落着。
 区議会議員を一人当選させることは今さながら厳しい。次回に向けても情勢(街の声)は厳しい、ゼロからのスタ-トだ!

 サア~明日からは9条ネットだ。絶対に100人以上の賛同者を獲得するぞ!
 家の前に9条ネットの「のぼり旗」も立てた。

さつきの剪定。
 いろいろあるが時間は待ってくれない...昼飯は1時過ぎだ。手っ取り早く日本そばを取ることにした。出前が届くまで“さつき”をきれいに咲かせるために樹形を整えながら剪定をした。昼食をはさんで三鉢もやってしまった。昨日も今日も植木屋さんをやったので家の周りがきれいになった。


4月29日(日)。 みどりの日。休日。 区議選。

2007-04-29 | Weblog
4/29、晴れ。午前中は風もなく初夏を思わせる好天となる。

みどりの日(昭和の日)
 いつの間にか 「昭和の日」 だって。私は 「みどりの日」 がいい。この日は死ぬまで忘れないだろう。

休日。
 やっと休める。前回の休日はいつだったかな? 朝のうち、町会の夢農場に行ってみた。じゃがいもの新芽を間引きするという。親子連れやおじいちゃん等がきていた。2時間くらいたってもう一度行ってみた。
 なす、とまと、きゅうりの苗木も植えてあった。6月7月頃が楽しみだ。

 君子蘭を3鉢植え替えた。こどもを分離したので4鉢となった。

区議選!
 区議選が終わって明日で一週間。戦後処理が... 某女史と会う。話せば解る。話し合いのできない男がいるから問題になる。困ったもんだ。

4月28日(土)。 「9条ネット」街宣。

2007-04-28 | Weblog
4/28、晴れ。 3時頃から雷が鳴るにわか雨。

「9条ネット」街宣。
 1時半。渋谷ハチ公前で街宣。南台からバスで一本だからと思ってバスに乗ったのが間違いだった。土曜日なのに45分もかかってしまい遅刻した。でも右翼の連中がやっていて「9条ネット」は待機中だったの間に合った。
 現地について聴くと右翼が2時に終わるので待っているのだとのこと。結果として右翼の若い女性の聴くに堪えない不勉強の極みのクソ演説を聴くはめと相成ってしまった。

4月27日(金)。 日誌補強。都本部執行委。

2007-04-27 | Weblog
4/27、晴れ後、曇り。

日誌補強。 4/26を見直してくださ~い。
 久しぶりに午前中、気分的に何となくゆっくり。昨日の日誌を補強する。しかし、明日の「9条ネット」ハチ公前の街宣についてビラまき要員が確保できているのか気がかりだ。あちこち電話してみたが連絡がいきわたっていない、困った。
 「9条ネット・東京」準備会のほうも気になる。自治体選挙もあって関係者が日程に組み入れてくれているかが問題だ。こちらも危なっかしい。

都本部執行委。
 4時半から三役会議。選挙を勝ち抜いた山田、福田両氏が久しぶりに参加した。二人とも順位を上げての当選を果たしてくれてありがたいし、ご苦労様でした。

6時半:執行委員会。
 自治体選挙闘争についてフリ-での意見交換。他、参院選や「9条ネット」のとり組みについて話し合う。

4月26日(木)。 本気で戦争参加か!。本部。 関ブロ闘争委。9条ネット。

2007-04-26 | Weblog
4/26、晴れ。午前中は気温がぐんぐん上がったが夕方になって急に寒くなった。

本気で戦争参加か!。東京トップに6段抜き、「集団的自衛権4類型を検討」。
 安倍内閣が25日、憲法解釈上禁じられている集団的自衛権行使の事例研究を進める有識者懇談会の設置を発表した、と。
 新聞にもあるように、顔ぶれは“解釈見直し派”が、ずらり!「結論ありき」の人選だ!。このようなデタラメは認めない! ぼんぼん首相は国を滅ぼす! 

本部。
 久しぶりに本部に行った。10時半から編集会議。私は居ても役立たずだが出席することに意義がある、と思っている。

関ブロ闘争委員会。
 13時から。栃木、茨城、埼玉が欠席。東京は私だけ(メンバ-であるとの自覚がない)困ったもんだ。
 私は、ポスタ-作成などで何故、共同代表の顔を載せないのか尋ねた。理由が定かでない!

「9条ネット」。
 久しぶりに築地の「9条ネット」事務所に行った。5月から貼り出すポスタ-見本が壁に貼ってある。“戦争に反対し、くらしを守る”として9条ネットが参院選を闘うことは一応理解して貰えそうだ。しかし「9条ネット」は“誰”達が呼びかけている政治団体かまったく解らない? “共同代表の皆さんの顔がなぜ載っていないんですか” この素朴な疑問に事務局からの明確な答えがない。

 私の持論だが「選挙」は本質的に政党対政党の闘いだ! 選挙を闘う政党(政治団体)の代表(委員長)等が誰かも解らないで多くの有権者が投票をするはずがない。街には政党ポスタ-は勿論、いろいろな宣伝ポスタ-が貼ってある。政党の存在感を有権者に認知されなければ勝てるはずがない! 何故解らないのだろう!
 

4月25日(水)。多国籍軍に。「新社会」配り。 HP書き替え。

2007-04-25 | Weblog
4/25、曇り、時々霧雨。

自衛隊が多国籍軍に!
 イラクに派兵されている航空自衛隊の活動の“8割超は多国籍軍を運ぶ”と。新聞報道によれば 「昨年7月(陸上自衛隊撤収後)以降の航空自衛隊の活動は出動回数150回で国連空輸が25回、他の125回は米軍を中心とする多国籍軍を空輸したことになる」、と。
 これは看過してはならない問題だ。本来、イラク特措法なんてもの自体が“憲法違反”の存在と言わなければならないが、100歩譲っても自衛隊の活動は基本計画で「人道復興支援が中心」と、定められていることからして基本計画を大きく逸脱している。

 このことは、航空自衛隊が既に多国籍軍の一翼を担いイラクでの戦闘に加わっていることの証だ。社、共、民は国会で多いに頑張って貰いたい。

「新社会」配達。
 1日遅れとなってしまったが、都税や区役所に届けると同時に庁内読者へ手配りした。

HPの書き替え。
 区議会などの選挙も終わりちょっとだけ時間もとれたのでHPの書き替えを行った。ただし、内容は、“改訂版”『「9条ネット」で政治を変えよう』にした。

4月24日(火)。野党は独自の闘い。活動開始。

2007-04-25 | Weblog
4/24、曇り。 いまいちパットしない。

野党は独自の闘い。
 夏の参院選は党の独自色を出すという。民主党の鳩山幹事長は 「民主党としての力強さをもっと前面に出すことが求められるのではないか」と、社民党の福島瑞穂党首は「野党共闘よりは社民党の議席が増えるよう頑張りたい」と、共産党の市田書記局長は 「野党間で全国的に選挙協力できるような条件はない」、と述べたとのこと。与党の自公が選挙協力するのに野党が独自の闘いだって・・・バカばっかりだ!

4月23日(月)。開票日。落選、1135票。捲土重来を期す?

2007-04-24 | Weblog
4/23、くもり。

開票日。
 何となく落ち着かない。朝9時前、事務所にいく。地元候補者の開票速報一覧表をつくって開票結果を待つ。
 第一報が10時過ぎ。塚原が400票だって。悪い予感! 第二報は11時過ぎだと言う。時間になって電話する。開票率96.まる%で「塚原てつろう」は1112票で50位だと言うではないか。ガ-ン! 落選だ。

落選、1135票。
 12時過ぎて区の広報に電話で最終得票を尋ねる。1135票! 塚原流の選挙結果だ。周りの言うことに耳をかさない自作自演の結末だからやむを得ない。

捲土重来を期す?
 事務所にお集まりいただいた皆さんに、選対委員長としての謝辞を述べ、候補者からのお礼のご挨拶を申し上げる。
 その後で商店街だけ、御礼とお詫びのご挨拶に塚原ともども廻る。その際、事務所を出てすぐに怖い顔して塚原君いわく・「江原さんがどう思うか解りませんが、私は4年後にもう一度やりますから」と。私も応えた、「私は今回のような応援はできないよ」と。

4月22日(日)。投票日。 即日開票。

2007-04-24 | Weblog
4/22、晴れ。天気は思っていたより良く、ほぼ晴れだった。

投票日。
 ここまで来たら慌てても仕方ないので植木に水をやったり、やや人並みの生活に戻る。朝食を済ませて塚原事務所に行く。出たり入ったりしていると街の人たちが「ご苦労さまでした、疲れたでしょう」、「これから行ってきますとか入れてきましたよ」 なんて挨拶をしてくれる。政治家にとって最高に喜びを感じる時だ。
 
 午後8時過ぎるとNHKが即日開票の結果報道を開始する。開票率0%なのに○○さんが当選確実なんて報道が始まる。まったく面白くない。出口調査の結果なんて報道しているが、早ければ良いというものではない。 夢も希望も無くなるではないか。報道の仕方をもう少し工夫して欲しいな。

4月21日(土)。選挙最終日。

2007-04-24 | Weblog
4/21、晴れ。 やっと晴れた。

選挙最終日。
 朝駅は無しにしたが南台商店街の交差点で朝立ちをした。選挙カ-は8時にスタ-トさせた。9時まで私も同乗したが最終日なのでマイクはもっぱら候補者に握らせ、少しだけウグイスにしゃべらせた。
 その代わり昼食時の13時から1時間は多いに最後の訴えを行った。14時からの2時間は南台の2,3,4の狭い路地を歩いて訴えた。
 午後7時からはラスト1時間なので30分以上は私が文字通りの最後のお願いで必死に訴えた。