江原ひであき

新社会党

8月31日(月)。 自公、歴史的大敗北。 本部へ。

2009-08-31 | Weblog
8/31、雨、台風接近。

◆民主党圧勝!――自公、歴史的大敗北。
 総選挙が終った。民主党が圧勝し自公が歴史的大敗北を喫した。共社は現状維持の議席に終った。無所属で立候補した兵庫1区の我が党の原和美は民主へと流れ込んだ濁流に飲み込まれ、落選した。現行の選挙法は少数意見を抹殺する仕組みだ!小選挙区廃止に向けた運動を本気で拡大しなければならない。
 それにしても民主党へと吹いた風の凄まじさには驚くばかりだ。480議席のうち308議席を獲った。候補者さえおればさらに2~3人は当選できたのだ。
 これだけ勝った要因は種々あろうが、第1には10年に及んだ自公政治に対する拒否反応だ。とりわけこの4年間の政権たらい回しに“もういい加減にしろ”という怒りだ!
 第2は戦略戦術の巧みさがある。日本列島の状況分析が的確だった。若者や子を持つ親たちの生活実態への政策対応などが憎らしいほど的を射た。子ども手当てや教育費助成、高速道路無料化、農家への補助などどこの党よりも先に打ち出した。自民党なども似たような政策を打ち出したが時に遅しだった。先手必勝が成功した。苦しくなる一方の生活者にとって助成金が約束されることはありがたい。有権者の頭の中にしっかりとインプットされる。
 
 そんな結果の勝利だが私が繰り返し言っているのは、外交(軍事力)と財界とのかかわり方や憲法への対応だ。ブレ-キを掛ける力を持った政治勢力が必要だ。現状の社民党では心もとない。新社会党を核にする勢力の拡大が不可欠だ!ガンバロウ!

◆本部へ
 台風接近で雨が時折激しく振る中本部に出かけた。選挙結果を踏まえ“当面の活動の力点”をどこに置くかを話し合うためだ。
 一つの闘いが終ると新しい情勢が生れる。組織は新しい情勢に的確に対応しなければならない。
 

8月26日(水)。 政府の犯罪。 HPトップを更新。 日本政治を変えよう。

2009-08-26 | Weblog
8/26、曇り。 私のホ-ムPのトップ記事を直前選挙情勢と今後の戦いに書き替えました。

◆政府の犯罪――国内外を欺き続ける「核密約」。

◆HPトップ記事を更新。
 ホ-ムペ-ジのトップを書き替えました。総選挙は投開票まであと4日。“原和美”勝利が政治を変える! 「第三極の核」ができる。
 各紙は投票一週間前の選挙情勢調査を一斉に出した。こぞって民主党の圧勝を報じている。きょうの新聞などでも大きな狂いはないだろうと言っている。
 私が書いたのは、この民主党の「圧勝?」は民主党の公約に支持を表明したものでなく小泉以下4代の自公政権に対する有権者の拒否の表れだ。
 民主党は数による横暴政治を行ってはならない。選んだ有権者の側も民主党の暴走を許さない決意が必要だ。そうした意味で“原和美” を国政に送り出すことの重要性を認識し、勝利めざしてがんばろう! と、訴えたのだ。
 ぜひ、私のHPをご覧ください。そして本文をコピ-して読んでください。日本の明日の政治を創造するためです。

◆日本政治を変えよう――21世紀の国際社会で平和大国日本をめざして。
 今度の選挙結果で日本の官僚主導の政治が変わる(スタ-ト台)でしょう。しかし、乱造される議員や民主党そのものの体質が曖昧です。政治綱領もどんなものがあるかもよく知られていません。ハッキリしているのは元自民党(田中派)や松下政経塾出身が数多くいることです。
 こうした党内構成から見て外交政策で軍事大国化へ進む危険性、さらには内政においても財界との関係(経済政策)が定かではありません。憲法改悪論者が沢山います。
 来年の参議院選挙で議席の単独過半数を追求するのは明らかです。情勢の推移によっては自民党が四分五列するかもしれません。政治は再編の季節を迎えます。

 21世紀は、平和憲法を基軸にした「新しい日本」を創造しなければなりません。そんな想いで 「衆参連続闘争で革命的大転換を」 と訴えました。
 ぜひ、HP本文を読んで下さい。そして、小さなスタ-トでいいじゃないですか、条件のあるところから5人でも10人でもいいから政治勢力として“塊”を造ろうではありませんか。
 私のブログを毎日開いてくださっている皆さんが100人います。どこの誰かは分かりません。先ずはこの皆さんが賛意の意思表示をしてくれませんか。私が一覧表にして返送します。総選挙結果に喜んでいる場合ではありません。明日に向かってスタ-トしましょう。


8月25日(火)。 「核持ち込み」肯定?。 HPトップの原稿。 存在感は面に!。

2009-08-26 | Weblog
8/25、晴れ。

◆「核持ち込み」肯定?――外務省の藪中次官、「議論あった」と。

◆HPトップ記事原稿を書く。

◆存在感は面に!――「祭りの仕上げ」(鉢洗い)に参加。
 私の持論は“党でも個人でも地域に存在感を示せなくてはならない”、だ。“点から線、線から面に影響力を発揮できるような存在に”。だから、私は町会や商店会などを大切にする。私は自宅の1階を事務所にしている。周りに党のポスタ-を貼り、のぼり旗が四六時中立っている。だからといって街の人は私を避けたりはしない。毎日、誰かがくる。いろいろな相談ごとを持ち込む。解決めざして精いっぱい努める。

8月24日(月)。 南北朝鮮が対話。 狂ってる外務省の世界観。 原支援の電話。

2009-08-24 | Weblog
8/24、晴れ。3時過ぎに猛烈な雨。

◆南北朝鮮が対話――金大中の執念が両者を引き寄せる。
 金大中元大統領の国葬に際して北朝鮮弔問団として訪韓していた金己男労働党書記ら高官と李明博韓国大統領が始めて会談した。李明博氏が大統領に就任以来最悪の状態だった南北関係が話合いによる問題解決で一致したという意義は大きい。

◆狂ってる外務省の世界観!――ミャンマ-軍政系団体幹部を招待。
 アウン・サン・ス-・チ-さんの襲撃事件への関与などで、欧米ではビザ発給禁止対象となっている組織の幹部が、外務省の招きで来日中、と。報道によれば注目の人物はミャンマ-の「連邦団結発展協会」の書記長・テ-・ウ氏ら数人という。
 このテ-・ウ氏らは、米国やEUからビザ発給を禁止され、資産も凍結されていて欧米には入国さえできない人物という。
 “資源外交を重視”ということのようだが外務省(日本政府)の国際感覚が狂っていることの証ではなかろうか!

◆原和美への支援電話掛け。
 私の家の真向かいで新築工事が始まった。基礎工事といっているが小さな土地に数十本の鉄のパイプような物を打ち込んでいる。この音が大きくてうるさい。とても電話など掛けられない。
 やむを得ず都本部まで行き電話した。40本掛けてお話ができたのは17本。電話帳だから総じて反応はよくないが“原さん”の知名度は30%以上ある。相手にしゃべらせるのが難しいがたまにはうまくいく。残っている名簿でまた掛けよう。

8月23日(日)。 民主が300超?。 党首が訴える。 金大中氏追悼。

2009-08-23 | Weblog
8/23、 晴れ。

◆民主が300超?――自民は100前後?。
 東京朝刊を見て「オ―っと眼を見はる」。見出しだけでも驚嘆だ! “民主、300議席越す勢い”、小選挙区候補271人が比例区復活を含めると全員当選の可能性もある、と。
 対照的に“自民は100前後か?・・公明、小選挙区で苦戦”と。私は、このまま30日の投票日を迎えて欲しいと願う。10年間に亘って日本を支配し社会を構造的に破壊した懲罰だ! とりわけ、この4年間の2/3多数支配(横暴)への国民からの拒否反応だ! 政策以前の問題だ! ザマ~見ろと言いたい!。

◆党首が訴える――麻生が自民の無能さをさらけ出す!
 各テレビ局が競って党首討論を報じている。麻生首相が“経済の発展とか契機の回復”、“責任力とか実行力の自民党”また、“北朝鮮の脅威”から日本を守る、などとわめき散らしている。ここに至って何言おうが信頼は回復できない!。
 今日まで日本の政権を握り続け、日本社会と国民生活を崩壊させてきたのは誰だ! 「北朝鮮の脅威だって?」 日朝関係をこれほどまでに悪化させてきたのは誰だ! 外交を進めてきたのは誰だ! 北朝鮮を敵視し、先頭になって制裁を加え続けているのは誰だ! 総て自民党ではないか! 総ては自らの無能さの結果ではないか! 「北の脅威」などといって煽っているのは“できそこないの幸福党”と同じだ。権力を持っているのはお前達ではないか! 他人のせいにするな!。
 首相が何を言っても真実味が感じられない。空虚な響きにしか聞こえない。小泉以降の10年間の自公政権の総括がなされないままに、あれもこれも“自民党だから責任を持ってやれるのだ”などと100万遍繰り返しても有権者には響かない。人心が既に離れてしまったのだ。

◆金大中氏の逝去を悼む。
 金大中元大統領を追悼する集いに参加した。元社民党代表の土井たか子氏の追悼弔電が紹介された。失礼ながら“腐ってもタイ”との言葉を連想した。
 我が党は反省をしなければならない。南北朝鮮の自主的平和統一を願うと共に、そのためにも日朝国交正常化を促進する言動を強化しようと決意する党として、もっと積極的な対応をすべきであった。
 私の人生哲学でもあるが人間社会は組織(団体)でも個人でも「形」を重視しなければならない。「形」こそ“存在感”を外部に知らしめることができる。全国的組織なら国際部や広報宣伝部などは不可欠である。「形」が創れないような組織は発展しない、個人も然りだ。
 私は金大中氏の遺影に敬意を表した。「南北朝鮮の統一と民主主義の発展のために命をかけて戦った偉大な指導者として心から哀悼の意を表します。新社会も微力ながら朝鮮半島とアジアと世界平和の創造めざして戦います」、と。

8月22日(土)。 地元神社の祭り。 息子親子鹿児島に帰る。 南北の対話進展。

2009-08-23 | Weblog
8/22、晴れ。

◆地元神社の祭り。

◆息子親子が鹿児島に帰る。

◆朝鮮、南北対話が進展する。

◆日誌メモ
 1、8月21日
  息子の奥さんを合羽橋商店街に車で送る。
  党、中野総支部定期大会。
 2、8月20日
  
 3、8月19日
  息子親子4人が鹿児島から2年ぶりに上京する。