まなびの途中

色々な仕事をしてまいりました。
色々な出会いがありました。
勘違いもありますが、
学んだことを書いてまいります。

「左」の人達が使う、言葉のあり方。

2005年10月30日 | 社会的全般
昨日も書きましたが、今回は、簡単にとどめておきます。

いわゆる「左」といわれる勢力が、その立ち位置を自覚しながら、
「右」と言われる勢力に、対しております。
自分的に、関心があるテーマは、最近、ほとんど、どちらからも、
様々な発言、発信を見受けることができます。

特に、教科書問題、靖国問題、憲法改正問題、在日問題。
非常に繊細で、慎重に対する問題だと、思っておりますが、
なぜなんでしょう。
「左」に属する集団から発せられる、言葉が、とても痛い、そして、
何か嫌な雰囲気を感じるのは。

先にあげました、「特攻」に関する本中に、もちろん、戦争時のこと、
いさましい、鼓舞するような、発言を、資料的に読むことができました。

「一人よく十人を倒さずんば已まざる皇軍将兵の前に、不逞にも、朝鮮し来たれる
米英軍の前途たるや、正に暗澹たるものがあり、彼らを待つもの只最後の敗北のみであります。」

「大東亜戦争究極の勝利獲得の確信であります。申すまでもなく、戦争は、畢竟、
意思と意思との戦いであります。最後の勝利は、あくまでも、最後の勝利を固く信じて、
闘志を継続したものに帰するのであります」

「この力は何物をも、焼き尽さんずば止まざる勢いをもって進んでいるのであります」

この呼びかけ、どうでしょうか、今、色々、例の教科書ネット21などの
ホームページなど見ているのですが、とても、雰囲気が似ている。
「完全に阻止し」「自由の鉄槌をもて、圧制の大塊を打ち砕く!」
「今まで以上に団結してがんばるぞ」「諦めずにたたかえば正義は勝つ!」

本当に、究極のやら、断固としてや、総決起し、などとやら、
とにかく、疑いも無い、正義が我にある、そして、勝利を。
このフレーズがなんとも戦中のスローガンとかぶってしまう気がするのは、
私だけの感想でしょうか?

ちなみに、先にあげた資料の発言者は、この「左」の方々が最も問題になさっている、
東条英機の言葉です。
精神的な正義のもとに、勝利を謳いあげる彼の言葉は、末期の日本において、
論理的な思考を停止させ、肉弾戦へと、国民をいざなった、その罪は確かに
重いと考えます。
他人に、有無をいわさない、そのような、アジテーション。
何かを論議する際に、このような、言葉を用いる人達を、決して好きになれないのは、
以上のような理由からです。

連日に渡って、失礼致しました。

参考
「特攻」と日本人 保阪正康著 講談社現代新書

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