まなびの途中

色々な仕事をしてまいりました。
色々な出会いがありました。
勘違いもありますが、
学んだことを書いてまいります。

昨日と一昨日の話。

2007年07月24日 | 雑感(日記)
先日の日曜日、某音楽教室の発表会。
案外、生徒さんたちが多く、何会場にも分けての開催。
それぞれ4部構成で、小さな子供から始まって、
夜の部は、大人の演奏者が発表。

子供の部では、とてつもなく上手い生徒さんがいるかと思えば、
1音、1音、一生懸命、泣かないだけでもラッキーな生徒さんもいて、
それぞれに親御さんの応援。
ピアノといえども、どこぞのコンクールとは違って、
全体が、ほのぼのとしている。

だが、大人の部。
最近の傾向だろうか?
ご年配の方が目に付く。
もう、この「曲目」を弾きたくて!という執念に突き動かされた方、
余暇を有効に、ピアノでもやってみようかしら、
1年に1回の発表会を、ちょっとした「晴れの舞台」にして、
案外、多くの方々が、参加しているようだ。

何だか、場違いなドレスアップも神々しく、
ベートーベンの「月光」が、
どこぞの番組のサスペンス劇場で流れる「効果音」に聞こえたり、
ショパンの「別れの曲」。人気あるんだよなぁ、
多分、遠い昔の青春時代に何か、本人的につぼに入るんだろう、
たどたどしくも、演奏が終わった後のご挨拶。
ご年配なんだが、可愛らしくて、
子供の、何かに「怯えるような」緊張感には程遠くて、
照れ笑いが、何だか、共感を覚える。

おっと思ったのが、ちょっと崩れ目のダンディーなご年配の方。
フォーレの「シチリアーノ」。
もう、黒を基調としたラフなシャツ。
語彙が少なくてごめんね、なんか、当時のマフィアを模倣したぽい感じで、
日本では、文学バー(なんてものあったかどうだか)
そこに出入りしている風な感じ?
雰囲気出ていまして、お洒落な感じだったなぁ。

もう、子供と違って、弾いている人間の「人生観」が出まくりの演奏で、
かえって、音楽って、こういうもんなのかもしれないって、
妙に感じ入ってしまった。
さきほどの別れの曲でも、演奏者によって、
別れた原因は、お前にあるんだろう!という感じのものや、
別れ一つ一つにも、それぞれ、色々な風景があって、
それぞれに想いがあるんですね、みたいなのもあったし、
それは、もうすでに、出会いのマーチになっているじゃん!
なんかもあって、非常に楽しく聴けました。

あわわ、本当は、昨日の報道ステーションで、また古館が田中氏を前に、
お前は政治を語っちゃだめだろう、という「振り」をしていて痛かった。
ということについて書こうとしていたんですが、
ちょっとだけ。

だって、聞く事と言えば、小沢さんと論点やら政策が似ているのはなぜだ、
とか、あの長野で、政官癒着を断ち切った県政をされ、
取材に向かう先々で、県民からかなりの支持を受けていた、
という話を、古舘言いながら、
「何で、前回の選挙で落ちたんですか?」

いやぁ、何を言いたいのかわかりません。
いや、何を聞きたいのかすらもわかりません。
それを聞いて、何の効果があるのかすらもわかりません。

田中氏に、いくら綺麗ごとを言っても、落ちる原因がある以上、
それは「有効」ではないんじゃないの?
とでも言いたいのかしら?
それを検証するのが、マスコミの仕事でもあろうに。
ましてや、それを言うんだったら、社民党の福島さんにも、
共産党の、今誰だっけ、党首にも「言ってみるがいい」。

田中氏が苦笑しながら、「政官の癒着を断ち切ったことが原因だと」、
なんて、思いもしなかった質問でもあったろうに、
そう切り返してはいたものの、
どういう評価があっても、当分、久米さんには、追いつけないだろうな。
その後の、長島一茂に巨人のことを聞いていたが、
これは、非常に、上手かったです。
ええ、得意、不得意分野が、非常に明瞭な方なんだと、思いました。