まなびの途中

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色々な出会いがありました。
勘違いもありますが、
学んだことを書いてまいります。

もはや再生ではなく、再構築な感じの教育問題。

2007年07月14日 | 教育、文化、少子化
高校生に到達度検定 大学入試に活用も 文科省検討

  文部科学省は、高校での学習状況を評価するため在学中に検定試験を実施する
  ことの検討に入った。大学入試の合否判定資料としても活用することで、全国
  で昨年相次いで発覚した必修科目の未履修問題のような、大学入試を過度に意
  識した一部の高校のあり方を是正することを期待する。その一方、大学側が検
  定をどう活用するのか未知数の部分もあり、同省は幅広く意見を聞いて実現の
  可能性を探る方針だ。

  文科省は、13日に開かれた中央教育審議会(文科相の諮問機関)の教育課程
  部会に提案。導入を検討すべき理由として(1)高校卒業までの到達度評価は
  結果的に、大学入試の合否で決まってしまっている(2)高校や第三者機関が
  学習成果を客観的に評価し、大学が選抜に活用する仕組みが考えられる――こ
  とを挙げた。

賛否両論となるだろうな。
学校教育というものが、どういう目的で語られるのか。
人間教育であったり、もちろん知識であったり、そもそもの能力の向上。
社会に出るための、最低限の常識を取り込むためのもの。
希望、要望なり、言ってみれば、極限まで言おうと思えば、何でも言える。

繰り返して言うようだが、
この国の教師への要望は、恐ろしいくらい「高い」。
教育再生会議といっても、
システム論として話題にするのか、現場での「あり方」を話題にするのか、
そもそも、マスメディアも混乱している。

分業分担を掛け声にしておきながら、
じゃぁ学校では、知識を習得しましょうと言えば、
知識偏重と叫ばれ、詰め込み教育と非難され、終着地点といわれる
大学入試への「暗黒の受験戦争」をイメージされる。

かといって、技能習得ということになると、
将来的に、その受け皿が少なく、親がその「特化」を望まない。
かといって、精神修養とか道徳的なことを言えば、
もう、喧々諤々、一つ一つ、その内容に我慢ならない人たちが溢れてくる。

集団生活、人間関係、個人の尊重など、
恐ろしく手間が掛かる、それでいて今の大人ができているか、
ということを棚に上げて、
そもそも、何の社会経験もない教員に、コンセサスもとれていない
高レベルな次元を望んだりもする。

昔から、通知表ぐらい、いったい何の役に立って、何を表しているのか、
皆目検討がつかないシステムがあること自体不思議に思っている自分としては、
地域的なコミュニティーとしての「核」として、
機能すらできていない学校になってしまった以上、

学校教育というものを、少し、シンプルに「定義づけ」したほうが、
良いんじゃないかと、思ってしまう。

それから溢れてしまった内容は、
社会教育システムとして、政治家が大好きな「ボランティア」など、
高齢者の方々にご参加いただいて、
地域コミュニティーの再生と、介護を含めた、
まさに「予算」がかからない、生産的なプロジェクトを
組み立てて見るのも一興ではないだろうか。

  高校までの教育で重視する思考力や表現力などを含めた「総合的な学力」と、
  大学入試で測ろうとする学力との整合性をとる必要があると提案。これについ
  ても、「2、3日のペーパーテストでは限界がある。高校での学習状況や面接
  も考えないといけない」(木村孟・大学評価・学位授与機構長)、「入試で
  は、高校での指導履歴が提示されるべきだ。今は何を学んだのかブラックボッ
  クス」(天笠茂・千葉大教授)など、前向きな意見が出された。

もう、学者さんが、あれやこれやと言い出すと、
ほらね、今の学校は、全然信用していません。
という議論に見えるでしょ?

これでまた、文科省は、新しい組織をゲットできるわけで、
どうせ、役人が続々と入り込める組織が、都道府県に出現するわけだ。
これはこれで、また、とても日本的な風景といえるのかもしれない。