愚ダメ記、真誤付き、思い津記

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死ぬまで生きる

2021-06-30 | 日記

立花隆氏が存命中、自身の体にガンが発見された後、「ガンとは何か?」について世界の医学生物学の研究の先端を取材したドキュメンタリー番組(2009年放送)の追悼・再放送を見た。2009年の放送時も見ていた記憶があるが、その時はガンそのものの研究がどこまで進んだのかという観点で見ていたのだと思う。今回は追悼・再放送ということで、立花氏がガンをどのように理解していったのかという経緯・捉え方の推移に関心をもって見ることになった。

 「ガンとは何か?」「ガンは何故、直すことが難しいのか?」「ガンは何故、かくもしつこく残り続けるのか?」という質問を、立花氏がガン研究・ガン治療の最先端の研究者達に聞いていく。ニクソン米大統領が「ガンとの戦争」を宣言して40年(現在は50年)、未だにガンを完全に治すことが出来ていない理由を、立花氏が理解し・納得していくまでの思考過程を氏が直接番組内で語っている。それは、ガンを発病した患者としての自らに向けて語っているように受け取れた。

 「ガン研究者」の取材を終えた立花氏は、「ガンの半分は敵であるが、半分は自己である。だからガン細胞への攻撃は自分自身の細胞への攻撃ともなりかねない」と話している。「そこに難しさがある」と。ガン遺伝子やガン関連遺伝子の多くが生命体自身の維持に重要な基本的遺伝子でもあり、ガンはそれを利用して生き残り増殖していくのだと、立花氏はインタビューを通して理解し説き明かしていった。

 いうまでもなく、多細胞生物の体は一個一個の細胞の協調と有機的分業によって創り上げられる。体の一つ一つの細胞の性質・機能は、周囲の細胞・環境との相互作用を通して調節・制御されて、個々の細胞は周囲との調和を乱さないように行動する。だが時としていずれかの細胞に遺伝子の異常が起こり、周囲との調和を保てなくなった細胞は、周囲との不調和により死んでいくか周囲との調和を破って生き残ろうともがくかのどちらかを選んでいく。

 細胞に異常をもたらす遺伝子異常は、多くの場合おそらく一つの遺伝子に起きた小さなコピーミスだと考えられている。つまりガン細胞というのは基本的にはヒトの遺伝情報を持つ細胞であり、ほんの少しの遺伝子異常を抱えているに過ぎない。多くが集まって異常な集塊を作れば形の上でも明らかに異常さを判別できるが、「本質的にあくまでもヒト自身の細胞」なのだ。ガンの取材を始めた立花氏が前半部で「ガン細胞と正常細胞の違いが、病理医の経験と勘によってしか見分けられないことに驚いた」と話す通りに、一個の細胞を見て大きさ形だけで正常細胞との見分けることは難しい。

 周囲との調和を破った細胞の多くが免疫システムによって排除されると考えられるが、時に排除されず生き残る細胞が出る。ガン細胞も生命体であり、細胞としてはヒトの体内環境の中で生き残り増殖しようと全力を尽くすわけで、生命体の持つ基本的能力がそこでは発揮される。ガン細胞にはヒトの遺伝子全てが基本的に備わっているので、ガン細胞は生き残るためにヒトの正常細胞と同じ「生存に重要な基本的遺伝子」を駆使している。その遺伝子の働きを止めようとすれば、当然、正常細胞への影響は免れない。小さな固形ガンの早期切除であれば物理的にそのガン細胞を体外に排除できるが、体のあちこちに転移してしまった後で少数のガン細胞を見つけること排除することは著しく難しくなる。化学物質でその遺伝子の作用を止めようとすれば、正常細胞への影響は避けられないからだ。

 そうなると、頼りは免疫システムということになるが、ガン細胞はその免疫系の細胞すら騙して味方に付ける術を心得ている。否、もともと免疫系から逃れる術を身に付けたガン細胞だけが増殖し「癌」という病気を発症させるのだから、最初に体内にガンが発見された時点で「そのガン細胞は免疫システムから逃れる何らかの術を心得ている」と考えるべきだろう。ガンについて理解すればするほどガン細胞を完全に排除することが難しいことを悟っていったことが、立花氏自身の発言の中で明かされている。

 立花氏はその後、ターミナルケアの医師と患者に接し医師へのインタビューを行っていた。その医師が、「人は死の直前まで笑える」と言ったという。世界中を廻る取材は長期に渡り、その中で立花氏は親交の深かった科学者やジャーナリストをそれぞれ「ガンの転移」によって亡くし、その心境までも自ら話していた。自らが抱える「ガン再発と転移」の意味と危険性を身に詰まされながらの「独白」でもある。ある人に「知の巨人」と言わせた一人のジャーナリストが、自ら対峙する「癌という病」をとことん追求し、並外れた好奇心と探求力でもってその正体を突き詰めていくドキュメントは、立花氏なりの「ガン闘病記」であると感じた。

 番組中で、ガン治療学会に招待された立花氏は、「ガンの完全治療が現時点では難しいことを理解した」「もし今後ガンの再発が分かった時に自分は遺された期間のQOL(生活の質)を下げてまでガンと闘うことはしないと決めた」と講演した。番組の最後に、氏は「分かったことは、自分に残された時間の中で、ガンを医療で克服できるようになる可能性はないということだ」と言い切った。続けて「生きている者は必ず死ぬし、人は誰でも死ぬまでは生きられる。その当たり前のことを改めて発見することができた。」と話し、「死ぬまで生きること、残されている時間を死ぬまで自分として生きることが、真の意味でガンを克服したことになるのではないか」と結んだ。「知の巨人」が最後に見つけた「当たり前だが、崇高で困難ですらある生き方への憧れ」のように聞こえた。


ユーグレナのジェット燃料

2021-06-29 | 日記

ユーグレナ、つまりミドリムシから作った燃料でジェット機を飛ばすテスト飛行に成功したというニュースを見た。ジェット燃料は灯油に分類されガソリンほどの引火性・燃焼性は必要無いので、比較的得やすいのかと想像するが、ともかく化石燃料である石油からの脱却には力強い成功となりそうだ。燃料アルコールは穀物からも得られているが、穀物は茎や葉の部分が使えないので太陽エネルギーの利用としては無駄があるような気がする。ミドリムシではどれくらいの効率で燃料が得られるのかが、知りたいところ。

 原生動物や藻類の大量培養というのは、一部の食品産業や養殖関連で行われていて、自分でも海産動物の餌としてクロレラのフラスコ培養に挑戦したことがある。ただ植物プランクトンやクロレラは硬い細胞壁があって、食べた動物が効率よく消化できないという難点がある。ミドリムシのような細胞壁が無く光合成能力を持つプランクトンを増やせれば、太陽エネルギーを効率よく有機物に転換し、食糧や燃料にも使いやすいだろうと想像はしていた。

 しかし原生動物や藻類の純粋培養というのは想像以上に難しく、結局、知らぬ間に他の微生物が混入して全てダメになることが多い。ミドリムシの大量培養に成功した出雲氏らは、全く逆転の発想でミドリムシだけに有利な環境を見出して大量増殖を可能にしたという。発想の転換自身はありそうなことだが、それを成功させた努力はおそらく想像以上だったと思うし、その功績は非常に大きいと思う。ある意味、生き物を愛するからこそ成し遂げられた功績とも感じる。

ミドリムシ、ユーグレナは動物には作り出せないDHAなどのオメガ3脂肪酸をも含んでいることでも重要。DHAなどは必須脂肪酸で、良く取り上げられる魚にしても植物プランクトンからそれを得て貯蔵している。オメガ3脂肪酸を含む餌をやらなければ、養殖魚も育たないと聞いている。これをきっかけに、ユーグレナ以外の原生動物・植物プランクトンの利用方法も開拓されて行けば良いと感じる。COの吸収にしても太陽エネルギーの転換効率においても、光合成を超える転換システムを人は未だ発明出来ていないのだから。


雑草

2021-06-28 | 日記

今年は庭の雑草の伸びが早い、ような気がする。昨年、暑さの中で草引きをして汗をかき、その度に体重が減って行く快感を味わったのはもっと夏の盛りの7月~8月頃だったような気がする。その昨年と同じ種類の雑草が、今年は6月半ばからぐんぐん伸びて来る。しかも、その数も多くなったような気がする。今年は気温の上りが早かったのだろうか? それとも雨が昨年より少なく、晴天の日が多かったのだろうか? 

 草を引きながらそんなことを考えていると、毎年のカレンダーに気温や雨量・天候などを付けておけばはっきりしたのだ、と思えて来る。もちろん気象データを調べれば判る事だが、わざわざ調べる気にはならない。というよりも、毎日起きる自分の周りの事を書き留めて記録する大切さを今更ながら考え、そのことに心血を注いだ昔の人々が居たことに畏敬の念を覚えてしまう。

 今のように役所が観測・記録・保存していて、必要ならインターネットから調べられる時代とは違う。昔の心有る人々は毎年の日々の気象と作物の出来具合、農作業のことや虫の発生・雑草の種類などに至るまで何十年も記録し続けた上で、毎年の作付けを考えていたのだろう。頭が下がる思いだが、今更自分には、雑草の伸びがどうかが気になるからと言って、そこまでやってみる気は起こらない。せいぜい、今年は雑草が多いだの、伸びが早いなどと愚痴を言うところまで。むしろ、そんな雑草の生え具合の違いに気付くようになった自分の変化の方が面白いと思ってしまうのだ。


地球の平均気温は

2021-06-27 | 日記

地球温暖化に関する番組を見て、あらためて地球の平均気温上昇のグラフをネットで探してみた。よく言われるように産業革命の頃からこれまで、地球の平均気温は少しずつ上がり続けているのだが、1990年前後からはその上昇率が増えているように見える。気温の情報率は局部的にはほぼ一定で直線的な上昇に見えるが、ある時点から後の温暖化には相乗効果が働き、おそらく気温上昇率が加速度的に増えて行くのだと考えられている。温暖化で極地の地面・海面が濾出し太陽熱吸収面積が増加することや、凍土や深海底にある凍結状態のメタンハイドレートが溶けてCO2の数倍の温暖化効果のあるメタンガスが大気に放出されることなど、そのメカニズムはこれまで多くのメディアや書物で説明されて来た。

 昨年一年で溶けた極地の氷は、東京23区全体を推進800mに満たす量に及ぶという。たしかにその水の量を地球上の海全体にバラまけば、それだけでは海面全体の上昇は大きく無いだろう、しかし多くの人々が気付かない所で解け続ける水の量が想像を絶するほど膨大であることには違いない。そして気温上昇が続けば、溶ける量もさらに増加していく。その影響は海面の上昇だけでなく、極地や高山の氷が解け土や海面が露出することで地球が宇宙へと反射する太陽熱の量が減り、吸収する熱が増加する。

 産業革命からここまでの気温序章は1.2 ℃だというが、それが1.5 ℃を超えると人類が気温上昇を止める術はなくなるとも言われている。後は、地球の自然の摂理に任せて加速度的に気温が上昇していくというのだ。「灼熱地球」と専門家は表現したが、過去には良く知られている「氷河期」と同様に「灼熱地球」も存在したことがあり、大半の生命がそこで絶滅したことが地質学的に証明されている。その1.5 ℃に届かせないためにと、人類は表面上は2030年までの炭酸ガス排出50%削減、2050年までの排出ゼロ実現を目指している。だが、それが達成されるかどうか危ういだけでなく、たとえ2050年までにゼロ排出が実現されたとしても、加速していく平均気温の上昇が止まるかどうかは分からない。

 ゆっくり考えてみると、それは身の毛のよだつような出来事である。もちろんエネルギー転換とか、気候変動への(微々たる)備えを急ぐという漠然とした思いは人々に共有されているが、その一方ではいろいろな制度改革や補修・改修計画に数十年計画で取り組もうとしている。おそらく、上述の気候変動が科学者たちの想定通りに進行するのであれば、洪水や高潮を防ぐために10年・20年後の完成を目指した堤防かさ上げや避難所を作っている場合じゃないのだろう。気候変動がもたらす食糧危機などを想定すれば、貿易によらず自国での食料確保・増産に手を付けなければならないのかも知れない。

 2年に渡るコロナ・パンデミックとオリンピック騒動に目を奪われている間に、それらが通り過ぎた後の数年でどのような国際社会・国内社会の変化が待っているのか、それを想像するのが怖いようでもある。どこかの遅くない時点で、気候変動が核問題よりも覇権主義よりも、想像したくはないが民主主義を巡る対立よりも、共通する重要な国際課題になっていくのかも知れない。その時には、「地球温暖化など科学者のでっち上げに過ぎない」と信じようとする人々との対決もまた激化するのではないかと恐れる。


立花隆氏を惜しむ

2021-06-26 | 日記

立花隆というジャーナリストが4月末に此の世を去っていたそうだ。物事を独自の主観性と興味でとことん掘り下げようとするのと同時に、その掘り出したものについての客観性をもとことん検証しようとする姿勢が特徴的なジャーナリストだったように思う。立花氏の新規課題に対する精力的なレポートが世の中の中央舞台に出なくなって、随分経った。立花隆氏が深く興味を示していた生物や生命に関わる最近の発見や事件について、立花氏による追及と掘り下げた議論が無くなって、科学ジャーナリズムそのものが力を失っていくような気さえする。

 立花氏であれば「新型コロナウイルスによるパンデミックな感染拡大」をどのように見ただろうか、またそのウイルスのパンデミックに対する日本や世界各国の政策をどのように分析しただろうか? と考えてしまう。あるいは、「特殊な設備を揃えた研究室に留まらず、一般住宅のガレージでも出来る」と言われるまでに普及しつつある「遺伝子編集技術の普及、応用の拡がり」の兆候を、どのように分析しどのような意見あるいは警告を発するのだろうか。

 2030年に向かう10年間、世界的な「脱プラスチック」「脱炭素」「気候変動」「食糧危機」などへの対応や議論が加速する大事な時期に、是非意見を聞かせて欲しいジャーナリストの一人だった。惜しい人を失ったと思う。人がいつしかこの世を去るのはどうしようもないことだが、氏がジャーナリズムに掛けた信念や姿勢は、続く人々に受け継がれ生き続けて欲しい。